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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
VII ローレライ
72/410

9 不穏

 ふわふわとしていて、どこか地に足が着いていない。

 一言で表現するなら、ひどく危なっかしい。それが最初の印象だ。

 確か、親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーは自分よりも若いか、大して年齢が変わらないはずだ、と思いながらヨーゼフ・マイジンガーは無言のままでちらと自分の横を歩く少女を見つめた。

 ナチス親衛隊は軍隊ではない。

 しかし、国家保安本部が警察組織である以上は階級は絶対のはずだ。だが、それも今現在のマイジンガーには通用しない事態となっている。

 目の前の少女、は彼女の部下である高級指導者たちを差し置いて一介の親衛隊少佐シュトゥルムバンヒューラーでありながら、親衛隊全国指導者の私設警察部隊の隊長だ。マイジンガーを日本からベルリンに喚び戻してくれたのはこのヒムラー直属の少女将校だということだったが、(てい)の良いヒムラーの操り人形ではないのかと思いもする。

 国家保安本部の特別保安諜報部に出頭したヨーゼフ・マイジンガーを出迎えたのは、かつての上官のひとりで、無表情な眼差しを努めて保っている裁判官出身のヴェルナー・ベストだった。

 戦争で人を殺害することに、罪は問われない。

 マイジンガーは、一九三九年のポーランド戦後からワルシャワの保安警察及びSD司令官を務めた。一昨年の一月には親衛隊大佐に昇進したが、この頃の国家保安本部内の権力争いに敗れるような形で日本の大使館へと赴任することになった。

 彼のことを――ワルシャワの殺人鬼と呼ぶ者もいる。

 国家保安本部(RSHA)は弱肉強食だ。

 弱い者、もしくは権力を掌握し損ねた者は例外なく負ける。

 だからこそ、自分の身を守るためには残虐な方法をとってでも戦わなければならなかった。

「……少佐シュトゥルムバンヒューラー

「はい? どうしたんですか?」

 ――わたしの悪名を知っているはずだ。

 彼女は階級も年齢も下とは言え、仮にも国家保安本部に籍を置いているのだから。

「……なぜ、わたしを日本から喚び戻した?」

「さぁ?」

 マリーはそう言って苦笑すると日傘を片手にしてから、勢いよく開いて見せた。

 思い出すのは若い親衛隊員の言葉だ。

 マイジンガーが着任する以前にすでに東部戦線から喚び戻されていた、元武装親衛隊のSDであるアルフレート・ナウヨックス親衛隊少尉は大柄な体を屈めて少女を覗き込んだ。

「いいですね、日傘を持っているっていうことを自覚してください。悪ければ転んで擦り傷ではすみませんよ。それに、マイジンガー大佐スタンダルテヒューラー・マイジンガーは少佐がよく転ぶってことをわかっていないんですから、あんまりはしゃがないでください」

「……はしゃいでるつもりはないわ」

 小言のような言葉を年上の青年に告げられて、少女が唇を尖らせた。

「はしゃいでるつもりはなくても、周りからはそう見えるんです。わかりましたね?」

 そう告げたアルフレート・ナウヨックスはヴェルナー・ベストと共に、外務省の一室に急遽設置された国家保安本部主導の作戦の対策室へと行ってしまった。

 ああ見えても、彼は親衛隊情報部の将校だ。

 多分に腕力の方面に偏ってはいるが。

「さぁって……」

 マイジンガーは親衛隊大佐、そして目の前の少女は親衛隊少佐だ。

 正直、どんな顔と態度をとればいいのかわからないというのが正しいところだ。

 彼女の指揮下に置かれたベストやヨスト、そしてナウヨックスは当に慣れたもので、マリア・ハイドリヒという十代半ばの少女に対して、ごく自然体で振る舞っている。

 警察組織という上下関係の中でかなり特殊な組織と言ってもいいかもしれない。

 ゲシュタポに在籍していた頃、組織内部で嫌われていたことはわかっていた。もっとも、嫌われていなかった高官などたかが知れている。

 ミュラーも影ではスフィンクスなどと呼ばれていたし、ハイドリヒだって恐れられていた。シェレンベルクはどこから見てもただのお調子者であるし、オーレンドルフは若い割りに居丈高で生意気だった。

「組織には、いろんなタイプの人が必要なんです。それはマイジンガー大佐スタンダルテヒューラー・マイジンガーもご存じでしょう?」

 組織には、という言葉を強調したマリーはにこりと笑ってから長い金色の髪をかきあげるとまぶしく輝く太陽の光を見上げた。

「……なるほど」

 言いたい言葉がわからないわけではないが、それにしても特別保安諜報部に在籍する親衛隊将校たちは個性にあふれている。

 ふたりの法学博士と、実力行使を担当するマイジンガーとナウヨックス。

 ナウヨックスよりもずっと年長にあたるマイジンガーは言葉通りの実力行使担当というわけではないが、強い命令でその場の指揮を執ることを求められているのだろう。マイジンガーは一瞬でそのことを理解する。

 確かに、なよなよしたベストやヨストでは迫力に欠ける。

 ナウヨックスでは、現場の指揮を執るには経験不足にも程がある。

 適材適所――。

 彼の横を歩いている親衛隊全国指導者個人幕僚本部所属を示すカフタイトルをつけた少女は、快も不快も感じさせない横顔で下士官の待機していたベンツへ乗り込んだ。

 行き先は国防軍空軍司令部。

「乗り込む気か?」

 どこに、とマイジンガーは言わない。

 四十代の男にしては鋭すぎる視線を少女に放つと、脇に日傘をたてかけてからゆっくりと彼を見上げてマリーは笑った。

「そんな物騒な話しじゃありません。空軍総司令官閣下には同じ国家の同胞として”ご協力”いただきたいと思っているだけです」

 暗喩のような物騒さを秘めた彼女の言葉は、笑顔と相まってなにやらぞっとするものを感じさせられる。いつの時も笑顔の少女がなにを考えているのか、ヨーゼフ・マイジンガーにはまだ理解しかねる。もちろん、彼の思うところはともかく、実のところベストやヨストらにも理解などできていないのだが、それをマイジンガーはまだ知らない。

 国家保安本部(RSHA)の諜報局主導で行われているその作戦に協力しているのは、外務省情報局INFⅢであるが、今のところ最もおもしろくないものを隠せないでいるのは反ナチス派で構成されている国防軍情報部(アプヴェーア)の高官たちだ。

 ラインハルト・ゲーレン率いる陸軍参謀本部東方外国軍課は、作戦から距離を取りすぎており、伝えられた情報の一部に不愉快なものを感じはしたものの、東部戦線の状況が逼迫していることから、静観の姿勢を保っていた。

 スイス連邦に送り込まれたSDはふたり共、法律の素養を持つ若いエリートで、片やはヴァルター・シェレンベルクの、もう片やはオットー・オーレンドルフの部下だった。

 作戦の開始から三日。

 外務省を通じてスイス連邦の警察機関が「国内の」違法な盗聴組織に対する一斉捜査に乗り出したという情報がもたらされる。

 中立国という大義名分を振りかざすスイスは、連合諸国にもドイツにも肩入れをしない、という路線を守っているため、名目上の捜査しかしないだろうというシェレンベルクの推測もあった。このために、国外諜報局長のシェレンベルクが部下に持たせた切り札があった。

 それをちらつかされた結果、スイス警察は本格的に動かざるをえず、大規模な盗聴組織の摘発となったのである。

「捜査はだいぶ本格的にやっているようだな」

 これらの情報が外務省を通じて逐一入ってくるため、国家保安本部は渋面を隠せないリッベントロップを尻目に外務省の一室を間借りして情報の収集と分析にあたっている。この情報解析に参加しているのが、特別保安諜報部の首席補佐官のベストとSDのナウヨックスだ。

 次々と送りつけられてくる新しい情報にオーレンドルフが目を細める。

「シェレンベルク大佐、ひとつ聞くがなにを使った?」

 国内諜報局長の問いかけに、シェレンベルクは穏やかに笑うと机の片隅で紙の束に視線を走らせているベストを見やる。

「なに、たいしたものじゃありません」

 そう前置きしてからシェレンベルクは胸の前で腕を組む。

「スイス連邦政府が連合諸国とつながりを持っているという情報はすでに掴んでいます。さらにあちらの銀行に預けられているユダヤ人資産のことも。一部のユダヤ人が死んだことを、スイス政府は知っていて、そのまま彼らの資産を自らの資産として運用していること……。それを”質問した”だけです」

 二枚の切り札。

 やんわりと言葉を選ぶ彼にオーレンドルフは低く笑った。

 要するに永世中立国が連合諸国とつながりを持ち、さらに死んだと思われるユダヤ人の資産を不法に運用していることをドイツ側の情報機関が掴んでいることをちらつかせたのだ。

 わかりやすい恫喝だった。

 ヴァルター・シェレンベルク率いる国外諜報局の得ていた情報は、中立を旨とするスイスにとって、公表されれば自らを危険極まりない状況に陥れる材料だ。

 おそらく国際世論の攻撃に晒される。

「取り引きは、うまくやらないといけません……」

 静かに告げた彼にオーレンドルフは無言で頷いた。

 このために大規模な一斉捜査が行われ、その中にいくつもの反独抵抗組織が摘発されることとなる。

 この中に、ルーシィーという暗号名を持つスパイがおり、ルーシィーを含む一部のスパイたちはスイスからドイツへと引き渡された。このルーシィーの摘発は結果的に芋づる式に共産主義者たちとのつながりの発覚にもつながったが国家保安本部としては、もうひとつの重大な案件を含んでいた。

 国防軍情報部及び陸軍参謀本部東方外国軍課にとっても重大な問題である。

「”奴ら”は情報戦のずぶの素人だ」

 口の中で毒づいたのは国防軍情報部長官ヴィルヘルム・カナリスの首席補佐官であるッハンス・オスター大佐だ。彼はティルピッツ・ウーファーのオフィスで眉間にしわを寄せた。

 彼を訪問したのは親衛隊情報部に名前を連ねるハインツ・ヨスト親衛隊少将である。

 彼もまた以前は諜報部を統括していた高官のひとりだ。ヴァルター・シェレンベルクと比較すると外国語が苦手としてはいるものの、辣腕のエリートだった。

 彼は思慮の足りない下級指導者や中級指導者たちとは異なる。

 ナチス式の敬礼も軍隊式の敬礼もしないヨストは、オスターがナチス党を嫌っていることを知っている。

 フィールドグレーの制服を身につけていなければ感じの良い弁護士のようにも見えた。

「時間を割いていただいて感謝します」

 右手を差しだしたヨストに、ハンス・オスターは眉尻をつり上げると不機嫌そうに舌打ちした。

 確かにハインツ・ヨストは計算高い。

 ハンス・オスターに年長者としての敬意を払いつつ、ヨストは自分の親衛隊少将という地位を引っ込める。相手に対して今はなにをどうすればいいのかそれを理解できる。

「……例の作戦の件か」

「はい、ご存じのこととは思いますが、外務省からの連絡で”犯罪的な盗聴組織”が逮捕されました。その中にいくつか共産主義者共に情報を流していたと思われる者がおり、これが昨年の作戦の情報をアカ共に流していたのではないかと、”作戦司令部”では分析しております」

「素早いな、なにをした?」

 ヨストの言葉にオスターがぎろりと瞳に光を閃かせる。

「スイス政府に少々圧力を」

「なるほど」

 それで、とオスターが続ける。

「ナチ共が主導でこの作戦が行われているというのが面白くないが、状況はどうなっている?」

「こちらが揃えた資料です、オスター大佐」

 ファイルを差しだしたヨストに、オスターは鼻から息を抜いてそれを受け取ると指先でめくった。

「先だっての可能性とやらの話しについては」

「……ほぼ間違いないと」

「ふむ……」

 ヨストの言葉に、オスターはもう一度舌打ちすると「あのデブめ」と口汚く呟いた。

 スイス側から引き渡された”犯罪者”の一味が移送されてくるのは、翌日になるだろう。本格的な訊問はそれからだ。

 マリーを補佐するふたりの法学博士の存在。

 オスターはわずかな時間考え込んでから目を上げた。

国家保安本部(RSHA)は気に入らんが、この作戦であの男の権力をそぎ落とせるんだな?」

「我々はナチスである以前に警察将校です」

 苦笑したヨストに、オスターは言葉もなく鼻を鳴らした。

 国家保安本部と国防軍情報部は余り好ましい関係とは言えない。

 なによりもかつての国家保安本部の長官、ラインハルト・ハイドリヒは恐怖の代名詞だった。

 ハイドリヒに目をつけられたが最後、逃げ延びることなどできはしない。

「承知した、こちらでも分析させていただこう」

「アプヴェーアが動いてくださるとなれば鬼に金棒です、感謝します」

 オスターが生真面目に告げるとヨストは穏やかに笑ってから立ち上がると、最後にもう一度彼と握手をしてティルピッツ・ウーファーのアプヴェーアのオフィスを後にした。

 部屋にひとり取り残されたハンス・オスターは、手の中のファイル覗いてからじっと考え込んだ。

 ”彼ら”の疑いの通りであれば、国防軍内部の情報管理に対する大変な責任問題になるだろう。そう考えたオスターは背筋に冷たいものを感じたような気がしてぞっとした。

 しかし、追及の手を緩めてはならない。

 そんなことをすればドイツは負けるだろう。

 いや、負けるにしてもなるべくドイツにとって良い状況を作り出さなければならない。そのために情報部は戦っているのである。

「あのデブめ……」

 それは大変な失態だ。

 そしてその証拠を国家保安本部が掴んだということは、まさしく恐ろしいことでどちらが負けるのか、オスターには想像もつかなかった。

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