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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
VII ローレライ
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2 花の家

「国防軍陸軍参謀少佐のシュタウフェンベルクだ、よろしく」

 名乗った彼に、少女らしい笑みをたたえたマリーはやはり彼に応じて「マリア・ハイドリヒ親衛隊少佐です」と自分の階級と名前を告げた。

「なかなかお仕事が忙しいと、花壇の手入れができなくて困ってしまいます」

 苦笑しながらそう言った彼女はマリア・ハイドリヒだとクラウス・フォン・シュタウフェンベルクに名乗った。

 ナチス親衛隊(SS)国家保安本部(RSHA)国外諜報局(Ⅵ局)特別保安諜報部(G部)部長を務めるハイドリヒ親衛隊少佐というのは聞くまでもなく彼女のことであろうと推察される。

 シュタウフェンベルクは彼女の所属までは聞くことをせずに、慎重に言葉を選択する。もしも彼女が本当に特別保安諜報部を束ねる部長であるのならば、不用意な発言は危険なはずだ。

 元々、国防軍陸軍は反ヒトラー勢力が根強く、多くの高級将校たちがアドルフ・ヒトラーを筆頭とするナチス党(NSDAP)に対して今ひとつ面白くないものを感じている。

「……仕事、というのは?」

「わたし、こう見えても国家保安本部に所属しているからそれなりに忙しいんです。でも、ベスト中将が、学校に行けってうるさいんですけど」

 口元に手を当ててクスクスと笑っている金髪の少女がなにを考えているのか今ひとつわかりにくい。

「この家には、国防軍の士官もくるのか?」

「はい、国防軍情報部(アプヴェーア)の方もよくいらっしゃいますけど、それがどうかされたんですか?」

 国家保安本部に所属していながら、多くの情報将校や諜報部員の訪れる彼女の自宅。シュタウフェンベルクの聞いたところ、彼女のために出資をしたのは国家保安本部国外諜報局長のヴァルター・シェレンベルク親衛隊大佐と、国防軍情報部長官のヴィルヘルム・カナリス海軍大将であるという。

 ナチス親衛隊の情報将校であり腕利きの諜報部員でもあるシェレンベルクはともかく、国防軍情報部のカナリスは、やはり反ヒトラー気運の強い情報将校のひとりで、カナリスの首席補佐官を務めるハンス・オスターもまたひどくナチス政権を嫌悪していることを、シュタウフェンベルクは知っていた。

 そのカナリスが彼女の後見人となっている。

 一度は国防軍情報部のヴィルヘルム・カナリスとハンス・オスターの元に足を伸ばしてみるべきなのかも知れない。

 得体の知れない目の前の少女。

 彼女に対して国防軍の多くの人間たちはまだ情報が足りない。

 もっとも、ナチス親衛隊に結果的に所属していることになっていても、その思想に共感しているわけではない者も多いから、言葉にしないだけで潜在的に反ヒトラー派となりうる人間の数は多く存在した。

「ナチス親衛隊に女の子が所属するなど、初めてのことではないのかね?」

「そうかもしれません」

 他愛もない会話を交わすふたりの間にはなんとも表現しづらい緊張感があるようにも感じられるが、実際のところ緊張しているのはクラウス・フォン・シュタウフェンベルクだけで、少女の方はと言えば至って自然体だ。

「それで、今日はどんなご用件ですか? えぇっと……、シュタウフェンベルク少佐?」

「いや、なんというか、国家保安本部の新しい部署の部長が初任務で早々に勲章を受けるほどの腕利きだという噂を聞いたからな、どんな奴かと思って……」

 言葉を濁すようにそう言ったシュタウフェンベルクにマリーは小首を傾げると、じっと青い瞳をまたたかせることもせずに彼を見つめた。

「そういうことですか」

 余り多弁ではないらしい彼女と話しをしていると、会話が続かずにシュタウフェンベルクは困惑した。たかが十代の少女相手に政治的な話しや軍事的な話しをしたところでどこまで通じるかわからないし、それだけではなく、彼女が国家保安本部に所属しているというところから、どこまで踏み込んだ話しをすればいいのかわからなくなるのだ。

「それにしても、初任務で勲章とはすごいものだな」

 参謀少佐のクラウス・フォン・シュタウフェンベルクと、目の前の少女は階級的に同じということになるが、気取ったところもなければちっともナチス親衛隊員らしくない。

 ナチス親衛隊は軍隊ではない。

 だから、時折飛び石昇進をする士官がいる。

 最近では武装親衛隊との兼ね合いのせいか、最近では一般親衛隊でもあまり見られないが。

「そうですか?」

「……そうですかって」

 勲章の意味も余りわかっていなそうな表情で、マリーは首を傾げてから紅茶のカップを口元に運ぶ。金色の長い髪は優雅なもので、これがナチス親衛隊の中級指導者なのかと目を疑いたくなる光景だった。

 それからマリーと一時間ほどの歓談をしたシュタウフェンベルクは、彼女の自宅を後にしてティルピッツ・ウーファーの国防軍情報部のオフィスを訪ねた。ナチス親衛隊の内情にもそれなりの情報を得ているはずの国防軍情報部であれば「マリア・ハイドリヒ」とやらの詳細がつかめるだろう。

 国防軍情報部長官首席補佐官ハンス・オスター大佐は、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクに問いかけられて、ひどく不機嫌そうに眉をひそめると自分のデスクに着いたままで胸の前で腕を組み合わせる。

 鋭い眼差しを目の前の参謀将校に放ってから、唇をへの字に曲げた。

「……参謀本部にも届いたか」

 何が、とはオスターは言わない。

「なにを知っていらっしゃるんです? 大佐殿」

「”あれ”の経歴の全て」

 短く言ってからハンス・オスターは肩をすくめると室内を見渡して、ちらりと窓の外を見やる。

 男の力で殴り飛ばせば、すぐにでも昏倒してしまいそうな華奢な少女。

 彼女の経歴を捏造したのはオスターだった。

 だから、言葉通り彼女の経歴の全てを知っている。だが、オスターにとってそんなことは大した問題ではない。

「フォン・マンシュタイン上級大将閣下は相変わらずか?」

 話題を切り替えたオスターに、シュタウフェンベルクは無言で頷いてから溜め息をついた。

 東部の戦線は切迫している。

「そうか」

 ――プロイセンの軍人は国家への義務を全うする。

 それこそが東部に展開する国防軍陸軍エーリッヒ・フォン・マンシュタイン上級大将――フリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタインの本分だ。

 いや、マンシュタインだけではない。

 プロイセン時代の将校としての教育を受けたほとんど全ての将校が魂に刻む呪文だった。

 いっそ潔いと思えるほど正しい軍人としての姿であるとさえ、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクもハンス・オスターも思うが、それは間接的にドイツ第三帝国国家元首アドルフ・ヒトラーを支援する形となっている。

 その現実が、オスターにもシュタウフェンベルクにも苦々しい。

「ハイドリヒ親衛隊少佐とやらが、どんな奴かと思って自宅を覗いたんですが……」

「あぁ、女の子だったろう。ヒットラーユーゲントにいるような」

 正確に言えばヒトラーユーゲントに入団できるのは男子のみで、女子はドイツ女子同盟に参加している。もっとも、反ナチス的なオスターにしてみれば、どちらも一緒というところで言葉の差異など大して意味はない。

「自宅にたくさん写真が飾られていましたよ。ナチの高官と一緒に撮った写真が」

「……ふむ」

 シュタウフェンベルクの言葉に老練な情報将校は、目を伏せてから考え込むと姿勢を正す。肘掛けに腕をつきながら、デスクの前に立っている青年を見上げてオスターは手書きの書類を彼の目の前に放り出した。

「なんです? これは」

「……わたしが作った彼女の経歴だ」

「は?」

 訝しいものを感じながら、目の前に放り出された書類に視線を落とすとシュタウフェンベルクは綴られたアルファベットに片目を細める。

「元々は身元不明の少女でな、ハイドリヒ親衛隊大将の棺の中に潜んでいたらしいところを発見された。そのときは重傷を負っていて、その後二回ほど入院している」

 本名はマリー・ロセター。

 しかし、その後彼女は急速に性格の変容を見せたこと。

「謎は残るが、外国の諜報部員だとか秘密工作員だとかという情報はない。後はそこに書いてある通りだ」

 新しく彼女に与えられた名前は「マリア・ハイドリヒ」だが、現在の地位はどうやら彼女自身が引き寄せたものらしい。

 国家保安本部の名前のもとで総統官邸の不穏分子の一斉検挙のために踏み込んだ。

「注意をしろよ、シュタウフェンベルク少佐。彼女は、まともな人間じゃない」

 一見しただけでは正常にも見えるから多くの者が騙される。しかしそうではない。ハンス・オスターはそう思っていた。

「どういう意味です?」

「……――」

 問い返されてオスターは黙り込んだ。

 シュタウフェンベルクはまだ若い。彼のような若者に自分が見てきたものと同じものを認識できるとは思えない。

 三十代と言えば、まだ血気盛んだ。

 時にはその血気盛んさ故に判断を誤ることもあるだろう。

「言葉通りだ」

 事態は大きく動き出しつつある。

 一部の反体制派の将校たちも、この新しい国家保安本部の情報将校に接触しているらしい徴候が見られるがオスターが知る限り、花の家ハウス・デア・ブルーメンに多くの将校が出入りするようになってから状況が大きく変わっていった。

 反スターリン派の革命軍もそういった状況の中から動き出した。

 しかし、不審を感じてオスターがマリーと話しをしてみても、いつもの調子で決して政治的にああしたほうがいいとか、こうしたほうがいいという話しはない。そもそももしもそういった言葉が彼女の口から出るならば、正体不明の少女だと認識して接触している多くの諜報部員や警察将校、あるいは情報将校らが疑念を抱くだろう。

 歴史上、権力欲に取り憑かれた多くの愚かな女たちが、権力を握る男を思いのままにしようとした。それは自らの自己顕示欲のためだ。しかしハンス・オスターが分析をしたところ、少なくともマリーにそう言った傾向はない。

 ではなにを狙っているのだろう。

「……なにかの妨害を受けて、反ドイツ勢力が動けなくなっている」

 それは、反体制派の国防軍将校らにとっても大きな問題だった。

 国外の組織と連絡がスムーズにいかないとなると、ヒトラー打倒は困難なものになるだろう。

「国家保安本部が動いているのでしょうか」

「しかし、ゲシュタポ共だけでヨーロッパ全土を掌握するのは無理だろう」

 シュタウフェンベルクにオスターは言葉を返してから、ううむ、と低くうなった。

 国家保安本部に属する保安諜報員たちはたった三千人程度しかいない。その三千人のSDが、国家保安本部の情報活動を担っている。そして国家保安本部という巨大な警察機構を維持しているのは警察官なのであった。

 ラインハルト・ハイドリヒが死んでから、付け入る隙が生まれたような国家保安本部は再び強くまとまりはじめており、それはかつての男が生きていた時とはまた違うまとまりであるような様子も見られる。

 国内諜報部を統括するオットー・オーレンドルフ親衛隊少将や、警察局長を務めるふたりの親衛隊中将。

 ごく最近ベルリンに到着したのは、ひとりのゲシュタポの捜査官だ。

 かつて彼はポーランド戦の際に「ワルシャワの殺人鬼」と呼ばれたヨーゼフ・マイジンガー。

 マリーの手駒として目を引いたのは、ふたりの親衛隊高級指導者で、ひとりは東部でアインザッツグルッペンを指揮したハインツ・ヨスト親衛隊少将と、いまひとりはパリの民生本部でユダヤ人の移送などに辣腕を振るったヴェルナー・ベスト親衛隊中将である。どちらも法学の博士号を持っている。さらにポーランド戦の開戦のきっかけを作ることになったヒムラー作戦のひとつ――グライヴィッツ作戦の指揮を執り、その後のオランダ(ネーデルランド)でのフェンロー作戦に参加した腕利きの秘密工作員でもあるアルフレート・ナウヨックス親衛隊少尉。

 ごく最近ではふたりの民間人を特別保安諜報部に採用されたと聞く。

 なにを考えているのかいまひとつわかりにくい少女を後押ししているのは他でもない。ナチス親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーだった。

 どちらにしたところで、国家秘密警察(ゲシュタポ)を擁する国家保安本部(RSHA)の存在は、多くの人間にとって危険なものだった。

「例の六局G部についてはわたしのほうでもさりげなく監視をいれている。貴官も言動に注意して慎重に動くように」

 釘を刺す。

 若いということは恐ろしいことだ。

 もちろんオスターもナチス党の存在は面白くない。だが、時期尚早に動けば待っているのは悲劇と破滅だけだ。

 当然、この場合の悲劇とは自分自身のことだけではない。

 ドイツそのものが破滅に導かれることになるだろう。

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