4 駆け引き
戦争を継続するためにはそれなりの「生産力」が必要とされる。
そもそも、戦争そのもの自体がどれほど奇麗事を並べたところで残虐な暴力行為であるという現実に変わりはない。せいぜい政治家たちはその凶暴な外交手段をいかに自国に有利な材料にできるかというところにその手腕が問われることになるだろう。
「戦争を永遠に続けるわけにはいかない」
もっともらしい言葉を、もっともらしい口ぶりと表情で告げたのは優秀な官僚とも揶揄される労働力配置総監を務めるフリッツ・ザウケルだが、そんな気弱な発言権もほとんどない官僚上がりの政治家を前にして会議の席に同席するナチス親衛隊高級指導者はフンと小馬鹿にした様子で鼻を鳴らしただけだ。
「そんなことは今さら言われなくても承知している」
「国防軍の三軍からの報告書では、工場の生産力低下の指摘が明白だ、これ以上どこから”労働力”を移送してくればいいのだ」
三流の政治家であり、一流の官僚。
やれと命令されればどんな無茶な命令でもフリッツ・ザウケルは完璧に成し遂げた。
もちろん、そこにはザウケル本人の意志など考慮に値しない。
悲鳴のように言い放った労働力配置総監をじろりと流し見てから、ナチス親衛隊でその工場生産の一切を取り仕切る親衛隊経済管理本部長官オズヴァルト・ポールはソファの肘掛けに片腕をついたままで口を開いた。
「なんのために占領地があると思っているのだ」
「……しかし。占領地だからと横暴な移送を行えば、占領地そのものの治安維持と経済活動が困難を極めるのでは」
「害にならぬ程度に間引けば問題なかろう、と言っているのだ」
事実、これまでドイツ政府はそうしてきたではないか。
ポーランドからはじまり、フランスや各国で反体制派、及びユダヤ人を含めた異民族をそれまで定住していた土地から根こそぎ移送してきたように。
「労働力が足りなければ、”補えば”良い」のだ。
「しかし、ポール大将。それでは大きな反発がその土地に生じることは無視できないのではないか?」
ザウケルの弱気な気質は、親衛隊全国指導者を務めるハインリヒ・ヒムラーそっくりだ、などとふたりのやりとりを黙って聞いていた今一人の会議の同席者――軍需大臣を務めるアルベルト・シュペーアはそんなことをのんきに考えた。とはいえ、シュペーアがそんなことをのんびりと考えているからといって事態ものんびりとしているというわけではない。
戦場からは遠く離れたベルリンにあって、後方勤務につく者のとっては最前線の状況などが今ひとつ現実感を伴ったそれではないというだけのことだ。
おそらくベルリンに住む多くの人々がそうだろう。
そんな弱気のザウケルにしては、高慢ちきを絵に描いたような親衛隊経済管理本部長官を相手にしてよくやっている。
ナチス親衛隊と、国営の軍需工場とでは同じように労働力と生産力との問題を抱えているといったところで、その中の性質が全く異なっていた。
ナチス親衛隊派、移送を実施する国家保安本部と、事実上の管理を実行する経済管理本部とを軸にして、民間企業体質を有していながら、実にスムーズな労働力の確保を可能としている。そのやり方は国営の工場で労働力の確保のために奔走するシュペーアとザウケルにしてみれば全く見事なものだと言わざるを得ない。
ドイツ第三帝国の異民族や不穏分子、反体制派や捕虜などの低コストな労働力は非常に魅力的だ。そしてそんな膨大な労働力を確保することができるからこそ、ナチス親衛隊の武装組織は潤沢な装備に恵まれた。
彼らこそ、名実ともにドイツのエリートなのだ、と。
「だからこそ、我々は同じドイツ国民としてその労働力を独占すべきではないと考えているのではないか」
「”タダ”の労働力をこちらに貸与するとはよく言ったものだ! それこそ屁理屈ではないか! 国家予算にたかっているハエ共になにがわかる」
「そうは言われますが、ザウケル殿。労働力とは言え、”最低限”の管理がなければその力を存分に発揮できないと言っているのだ。そもそも、タダの労働力とは言え、管理には金がかかってますからな」
一番の年長者でもあるポールは、ザウケルの非難がましい訴えにもことさらに同情を寄せる様子もなくそう言った。
管理には金がかかる。
もっともな理屈だ。
「労働者」を維持するためには住居と、それなりの衛生管理と食事も出さなければならない。
それが何十万人もの労働者ともなれば当然、そこに出仕される莫大な金額は想像に難くない。加えて、労働力とはいえ、馬車馬のような家畜ではないのだ。
「我々が管理するのは馬や豚ではない。足りなくなれば補えば良いだけのことだが、問題の労働力を充分な状態に保つのは簡単なことではない」
奇しくもオズヴァルト・ポールはシュペーアが考えていた事と同じ台詞を口にした。
「良好な労働力がなければ、ドイツの産業は失速する一方だ。それは”労働力配置総監閣下”もご存じのことではないか?」
劣悪な労働環境に送られるのは――いくら使いつぶしであるとは言え――良好な労働力でなければならない。むしろ劣悪な労働環境に送られるからこそ、良好な状態にある労働力でなければならない。
シュペーアの推進する諸々の新型兵器開発計画における労働者にも言えることではあるが、国防軍の根幹を支える軍需工場の生産力が低下の一途を辿っているということは、三軍からの不良品と粗悪品の報告からも明らかだ。
兵器の故障や不具合が続発するという事態は、そのまま軍事行動における困難以外に他ならない。
それゆえに、国防軍の軍需産業の労働力確保に奔走するザウケルはナチス親衛隊の管理する「良質な労働力」に羨望の眼差しを向けた。
ナチス親衛隊は、その安上がりな労働力をナチス親衛隊の一存で利用できるのである。
ポールの物言いに思わず歯ぎしりをしたザウケルだったが、歯ぎしりしたからと言って状況が好転するわけでもない。先の欧州大戦の敗北で、フリッツ・ザウケルも辛酸を舐めた。
現在を生きるドイツの中核を形成する人々のほとんどが、そうしたドイツの苦難の時代を経験したのだと言ってもいいだろう。
「その管理費の一部を、国庫から支払ってもらえれば良いとわたしは言っているだけだ」
「しかし、親衛隊は民間業者とも癒着をして”収益”を上げていることについてはどうなるのだ?」
にべもなく言い放ったポールに改めて視線を投げかけたアルベルト・シュペーアはおもむろに口を開くと小首を傾げた。
年齢が近いオズヴァルト・ポールとフリッツ・ザウケルはともかくとして、彼らにしてみれば一回り以上も年齢が離れたシュペーアの存在は全くもって面白くないだろうというのは聞かずとも知れている。彼らに配慮したわけでもないが、ことさらにふたりの自分に対する印象を悪化させなくても良い、と建築家の青年は考えた。
「……――”ナチス親衛隊”は国家の組織ではない」
つまるところ、オズヴァルト・ポールはナチス親衛隊が現状では民間組織であると言うことを広言しているようなものだ。まだポールは自分の発言がどれほど重みのあるものであるというのかわかっていないのだ。
だから、シュペーアなどに言わせれば、オズヴァルト・ポールなどはナチス党――あるいはナチス親衛隊にとって「都合の良い」三流でしかないのである。
「ふむ」
ポールの言葉に、腹の底を見せないままで相づちを打ってから頷くと、シュペーアは思わせぶりに口を開いた。
「いずれにしろ軍部からの報告は、無視できない状況だ。ポール大将」
「ところで、昨年のコーカサスの占領に当たり、利益のほとんどを国営企業がほぼ独占している件について”我々”ナチス親衛隊経済部としては問題視している。戦時の軍需産業を支えるのは国家だけではなく民間企業でもあることをお忘れいただきたくありませんな」
問題は山積みだった。
冷ややかな声でポールが指摘したのは、昨年、ニキータ・フルシチョフのソビエト連邦と講和した際に手に入れた油田地帯の権益に対する問題だ。
産業を継続するためには油がいる。
ルーマニア王国のプロエシュティ油田と共に、コーカサスの油田群も確保した。
これで当面の石油の心配はなくなったが、その移送路には未だに大きな問題も横たわっている。
「だが、イギリスが輸送手段の鉄道網に標的を定めているとなると、我々が枕を高くして寝ていることもできないではないか」
仮にソビエト連邦がコーカサスの油田群を奪還してくる可能性も考えられる。
イギリスから、エジプト、中東アジアを含めたインドなどの占領地域。その間をドイツに向けて縫うように走る重油の輸送路線は必ずしも安全とは限らないのだ。
だからこそ、ソビエト連邦とイギリス連邦の息の根を止めなければならない。
油がなければ艦船も、潜水艦も、戦車を含めた車両も、飛行機も動かない。現代における軍事力とは石油のもとにあると言っても過言ではないだろう。それゆえに石油の輸送の安全が確立されることこそ、ドイツ軍と武装親衛隊の生命線だ。
「現状、国家保安本部の活動も限界を達していると聞いているが? ポール大将」
占領地域の治安の維持に奔走しているのはたった五万人の国家保安本部の職員たちだ。
一部の秩序警察の制服警官たちもそこには含まれているが、制服警官らの活動はドイツ本国に限定された。つまるところ、現地の治安組織と密接な連携を取って輸送経路の安全を確立しなければならないのだが、戦争をしている以上、それはそれで難題だった。
ルーマニアのプロエシュティ油田はともかく、新たなコーカサス油田からドイツ本国への輸送経路の確立は大きな問題になっている。
「国家の一大計画に際して、国家保安本部のみで対処せよというのは無謀にも程があるのではありませんかな? 軍需大臣」
「仮にその経路が確立されれば、親衛隊が”必要としている”労働力の確保も容易になるとは思うのだが」
あえて、「労働力」という言葉以上の表現は持ち出さずに、シュペーアが遠回しに提案すれば、気難しげな表情をたたえたままだったオズヴァルト・ポールがぴくりと眉尻をつり上げた。
それはそう――。
なにも運ぶのは油だけとは限らない。
ドイツからコーカサス地方の間には、ソビエト連邦を構成していたいくつかの共和国が広がっている。スターリン体制の崩壊したソビエト連邦から強制的に切り離され、ドイツの植民地として「提供」されたのは、アゼルバイジャン共和国とグルジア共和国、アルメニア共和国、そしてロシア共和国の南部の重要な工業地帯だった。
アルメニアと隣接するトルコは現在、中立政策をとっており実質的に世界を巻き込んだ大戦争には参加していない。
アルメニアとトルコ、ブルガリアを経由して、もうひとつのドイツの同盟国であり産油国でもあるルーマニアを経由したほうが、輸送上の問題は手っ取り早く解決するのだが、ドイツとの輸送経路上に中立国があるというのは頭が痛い問題だ。
「お言葉ですが、企業家というものは利益もなく動くものではありませんぞ?」
さすがに鈍いオズヴァルト・ポールでもシュペーアがなにを言いたいのか理解したらしい。
瞳に鋭い瞳を閃かせた壮年の親衛隊大将に、若き建築家は内心で笑った。
ナチス親衛隊とつながるドイツ屈指の大企業――彼らは、軍需産業という経済成長の糧を得て稀代の躍進を遂げようとしている。
とはいえ、戦争に負ければそれまでだ。
大博打には相応のリスクがつきものだ。
「”権利”が得られない、などとは言っていない。全ては親衛隊諸氏の働き次第だと言っている」
シュペーアは慎重に告げた。
「なるほど」
コーカサスからの長大な輸送網の建築はとても国家予算だけで対応できるものではない。
ソビエト連邦からの賠償金と、労働力確保が視野に入るとはいえソビエト人民の作業効率などアルベルト・シュペーアは大して期待もしていなかった。
確かな技術を投入するためには、ドイツ企業の参入が必要だ。
そのためには彼らを吊るための餌が必要なのだ。
「そういうことであれば、こちらも骨を折ってみましょう」
最終的にオズヴァルト・ポールがソファの肘掛けを軽くたたいて、シュペーアの提案を請け負ったのだった。




