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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XXVII バビロン
369/410

6 巡る確執

「貴官はどう考える?」

「アフリカのことでしょうか? 元帥」

「……あの少女のことに決まっているだろう」

 憮然としたレープに、訪れたグデーリアンは首をすくめた。

 現在、北アフリカに展開するエルウィン・ロンメルのドイツ・アフリカ軍団(DAK)は、孤立したイギリス連邦陸軍第八軍を相手にやはり驚異的な伝染病を前にして孤立し、さらに一進一退を繰り返している。

 同盟国のイタリア南部に展開するドイツ国防軍の医師団も水際作戦を実行しているが、現地の状況は目に見えて悪くもないが、楽観的になれるほど芳しくもない。

「それで、結局、我らが総統閣下は誰をロンメルの支援に送り込むつもりなのです?」

 暗に「わたしはお断りですよ」と言い放ったグデーリアンにレープはさらに憮然とした。

 陸軍参謀本部でも作戦を詰める段階に入っている。名だたる戦略家たちが連日、作戦の全体を検討し激論を繰り広げていた。

 問題といえば、戦争の素人である国家元首のアドルフ・ヒトラーが性懲りもなく戦略にくちばしを突っ込んでくることだ。

 先の欧州大戦ではせいぜい伍長でしかなかったしがない下士官。

 下士官が優秀ではないというわけではないが、下士官には下士官の戦略的視点しかない。

「それは、総統予備のわたしが考える事じゃない。貴官はまだ若い。ルントシュテット元帥や、わたしのような老いぼれの使い道はともかくとして、自分の身の振る舞い方を充分に考えるべきだな」

 歴戦の陸軍の将軍であり、名門の貴族の生まれでもあるゲルト・フォン・ルントシュテットを老いぼれ呼ばわりできるのは、ヴィルヘルム・フォン・レープの剛胆さによるところも大きいかもしれない。

「なにをおっしゃるのやら」

 レープの言葉に再三、ハインツ・グデーリアンは首をすくめてみせる。

「ロンメルとは貴官も歳が近いからな。同じ突撃屋でもへたにあれのお守りを押しつけられても手を焼くだろう。そうなるとロンメルを御すことができる人間は自ずと限られる」

「……――」

 レープの冷静な指摘にグデーリアンは押し黙った。

 先日、装甲兵総監に任命されたグデーリアンは装甲部隊の立て直しと再編のために東奔西走している。

「戦車にかけて、貴官以上の専門家はドイツには他にはいない」

「ありがたきお言葉……」

 軽口で混ぜ返したグデーリアンを咎めるわけでもなく水に流したレープは、机に両方の肘をついてから、組み合わせた両手を顎に当てる。

 ぎろりと鋭い瞳がグデーリアンを凝視した。

「それで、ナチス親衛隊が陸軍参謀本部に出入りしていることについて、貴官からはなにかしらの釈明が聞けるのかね?」

「釈明もなにも、レープ元帥であれば自ずと推測できることなのではありませんか?」

「おそらくナチス親衛隊首脳部も、党本部も自分たちの息の根のかかった人間が陸軍参謀本部に入り込むことによって、なにかしらの重要な情報を手に入れられると踏んで、放任しているのだろうが、それを黙って受け入れているハルダーの気が知れん。万が一重大な情報漏洩があったらどうするつもりだ」

 騎士の称号を持つ陸軍元帥の言葉に、ハインツ・グデーリアンは小首を傾げた。

 それなりに個人として交友があるのは、なにもベックやハルダーだけではない。なによりも、国防軍よりの人間がナチス親衛隊に存在していることは周知の事実で、それもマリーに限った話ではなかった。

「どうもこうも、親衛隊の国防軍派と言えば武装親衛隊のハウサー将軍もいらっしゃるではないですか」

 ナチス親衛隊の蛮行に対して、グデーリアンは苦々しく思っている。しかし、それだけではない。ナチス親衛隊のハンス・ユットナー率いる武装親衛隊の将兵らの勇敢さが、どれだけ国防軍の将兵たちの士気に影響を与えるのかも知っている。

「ハウサーか……」

 つぶやいて考え込むとレープは片目を細めた。

「しかしハウサーが個人的に参謀本部に出入りをしているわけでもない。それはそれ、これはこれ、だ」

 煙に巻こうとするグデーリアンの言葉を手厳しく却下して、ヴィルヘルム・フォン・レープは顔を上げてから唇をへの字に曲げた。

「元帥も、彼女に会えばわかりますよ。あの子に悪意はありません」

 マリーはナチス親衛隊である。

 それは揺るぎのない現実だ。だから、ハインツ・グデーリアンはそれを否定しない。ただ、軍人も政治家も人であるように、ナチス親衛隊に所属する青少年らも人の子なのだ。だから、そこに存在知るものは決して理屈などではない。

 同じドイツ人という。

 ただそれだけだ。

「彼女は平凡な女の子です。ヒムラーの思惑がどうあれ」

 彼女とマラソンをして、木登りをして、雪合戦をして。その末にグデーリアンはそうした結論に達した。

 軍人のグデーリアンの体力などにはとてもついていけない、不健康なほど痩せた少女だ。

「ドイツ装甲軍団の再建という重大な任務を賜りました。これからはマリーと遊んでばかりともいられないことが残念です」

「れっきとしたドイツ軍人が女子供と遊びほうけているというのもどうなのだね?」

「いかがわしい意味ではありませんよ? 元帥」

「わかっておるわ」

 どこまでも緊張感に欠けがちなグデーリアンにぴしゃりとヴィルヘルム・フォン・レープは言葉を返した。

「全く……、貴官では話にならん」

「そのようにお思いなら、わたしにその類の話を持ちかけるだけ無駄では……」

 東部での戦争に収拾がついたことで、レープらの参謀本部の将校たちもとりあえずは肩の荷も下りた。もちろん、まだ英仏連合との戦争は継続状態にあって、戦争が完全に終結したというわけでもない。

「よしわかった」

「はい?」

 レープはグデーリアンに相づちを打ちながら執務机に両手をつくと腰を上げた。

 職業軍人というだけあて、なよなよなとした官僚や政治家たちとは比べものにならぬ。、六十代の後半を過ぎたというのに堂々とした体躯の持ち主だ。すっかりはげ上がった頭と口ひげの印象的なレープは机を挟んでグデーリアンに宣言した。

「そのちびっ子を連れてきたまえ」

「は?」

「元帥命令だ」

 そんな無駄なところで元帥命令を強調しなくても良かろうに、とグデーリアンは思ったが逡巡するのは一瞬でまっすぐに自分を見つめてくる老齢の現役の老将に対して、にやりと口角を引き上げた。

承知しました(ヤヴォール)!」

 年頃の少女がちびっ子などと言われたのを知れば、気分を害するかも知れないとも思ったが、年齢差といい身長差といい、ヴィルヘルム・フォン・レープがマリーをちびっ子と言ってもおかしな話ではない。

 おかしいのは、たかが親衛隊の中級指導者の少女を召喚するために、装甲兵総監を務める陸軍上級大将に命令を下していることだ。もちろん、マリーと顔を合わせることがいやではないし、迷惑どころが彼女と顔を合わせることを楽しみにしている自分の気持ちもあったから、レープの命令に否やは唱えないグデーリアンだった。

 決してマリーが少女だからと言う理由で肩を持つわけではない。だが、マリーには理屈では説明つけられないなにかが存在している。

「ドイツ人はいつも真剣」

 敬礼をしたハインツ・グデーリアンは、そうして軍靴の踵を鳴らすと体を翻してレープの前から辞した。

 レープはレープで予備将校に編入され、仕事がないのも手持ちぶさたなのかもしれない。

 長い廊下を歩きながら、グデーリアンは目尻を下げると含み笑いをたたえた。



  *

 国家保安本部国外諜報局長のヴァルター・シェレンベルクが国外での諜報活動に携わることになったため、連日の会議と書類仕事に忙殺されているマリーは、半ば悲鳴を上げながら首席補佐官でもあるヴェルナー・ベストのフィールドグレーの制服の袖を引っ張った。

「ここにある書類を全て目を通してサインをしなさい」

 これが通常の高級指導者の仕事であれば、補佐官を務めるベストやヨストが下読みをして内容を全て完全に把握するという手間はいらないのだが、なにぶん、特別保安諜報部の部署長は法律の素養もなければ、一般常識も怪しいマリーだったから、一手間も二手間も増える事態になっている。

 もちろん、国外諜報局の職務はアルベルト・フィルベルト親衛隊中佐のA部で統括されている。あくまで決済の仕事が回ってきているだけなのだが、サインだけをすればよいと言うわけでもない。

 書類を整理し、局長が戻ってきたときに事態の経過をわかりやすくまとめておくことも彼女の仕事だ。

「えー? お昼まで一時間しかないわ。無理よ」

 自分の目の前に山になっている書類に、両目を白黒させたマリーは唇を尖らせて文句を言いつつも、ベストの鋭い視線を受けて渋々といった様子で書類の山の一番上にのっているファイルに手を伸ばした。

「無理だと思うから無理なのだ」

 いかにも法律家といった品の良さそうな長く伏し張った指で彼女に要点を押さえた説明をしながら、マリーの手元を覗き込んだ。

「無理じゃないって思っても、無理なものは無理だと思うけど……」

「別に局長の仕事は実務じゃない、内容に目を通して然るべき必要なところを認可し、費用の決済をすればいいだけだ」

「それならわたしが目を通す必要なんてなさそうじゃない」

「ヒムラー長官の直々の命令だ」

 ヒムラーの命令、という言葉にアクセントをつけてベストが言うとマリーのほうは納得できない表情のまま「ふーん」と相づちを打った。

「ベスト博士とヨスト博士が把握していればいいんじゃない?」

「仮に、わたしとヨスト少将が読んで内容を完璧に理解していたとしても、それを君が理解しているとは言えないのではないかね?」

 理路整然と「君は馬鹿だ」と言われて、やはりベストとマリー同様に書類に視線を落としていたハインツ・ヨストがプッと吹き出して笑った。

「だって、前はヨスト博士が国外諜報局長だったんでしょう? だったら、ヨスト博士を国外諜報局長代理に任命すればいいんじゃないの?」

「……――わたしは、真価の発揮もできない臆病者だ。親衛隊首脳部はそう判断したのだろう」

 東部戦線では満足に任務を遂行することもできなかった。

 ポーランドでの任務で真価は証明されたと思っていたヨストだったから、ラインハルト・ハイドリヒの命令は寝耳に水の入るごとしといった事態だった。

 ――貴様の勇気は未だ決定づけられていない。

 ハイドリヒの死刑宣告に、ヨストは絶望的なものを感じとった。

 ポーランドやフランス、その他の占領地域でどういったことが行われてきたのかも頭ではわかっているつもりだった。しかし、それでも机上で書類を裁くだけの業務と、死刑執行の現場に同行することとは訳が違う。

 シェレンベルクやオーレンドルフ、シュトレッケンバッハネーベやミュラーたちのように自分の真価を認めさせることができなかった。それこそが、ヨストをエリート街道から引きずり下ろしたものだ。

 自嘲気味に苦笑いするヨストにベストは片方の眉毛をつり上げる。

「ヨスト少将の言い方をすれば、わたしも真価の発揮はしていない。そう自虐的にならなくても良い」

 ヨストの心情をくみ取ったベストが素っ気ないほどの声音でさりげなく擁護すれば、書類を眺めていたマリーが鉛筆を握ったままでクスクスと笑い声を上げた。

「政治とは戦いだ。戦いに負ければ誰だって傷つくものだ。笑ってはヨスト少将に失礼だろう」

「いや、いい。彼女の笑い声は不愉快ではない」

「別に馬鹿にしたわけじゃないもの」

 マリーがいつもの調子で頬を膨らませると、ヨストは穏やかに両方の眉毛を下げて険しくなっていた表情を改めた。

「今のわたしは、ハイドリヒの呪縛からは自由なのだから、もう気に留めることはないのだ……」

 マリーの傍で子守のようにも思える閑職に飛ばされながら、心のどこかでほっとしている。

「わたしにはベスト博士とヨスト博士が必要なのよ?」

「君が馬鹿だからな」

 ベストの容赦ない一刀両断にも、笑みを絶やさないマリーの存在がヨストの心に救いをもたらした。

「ヨスト博士は臆病者なんかじゃないわ」

 マリーの力説に、ベストが少女の手元を覗き込んだまま無言で頷いた。

「わたしは、大好きよ」

「いいから仕事をしなさい」

 ヴェルナー・ベストがマリーに応じた時、執務机の上の外線電話がジャーンと派手なベルの音をたてた。

「ベストだが……――。……陸軍参謀本部?」

 電話交換手と一言二言、言葉を交わしてからつなげられた外線電話にベストはわずかに思案した。

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