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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XXVI ゴフェル
360/410

12 点と点

 「おとも」にヨーゼフ・マイジンガーと、特別顧問として配属されたばかりのベルトルト・フォン・シュタウフェンベルクとを伴って、マリーは軍需省を訪れていた。ちなみにヨーゼフ・マイジンガーにしてみれば、由緒正しい貴族の家系の出身であり、知識人でもあり、ハンサムでもある青年がマリーの隣にいるということが凄まじく気に入らない。

 全ては劣等感から端を発している。

 いかにベテランの秘密警察とはいえ、マイジンガーはしがない現場たたき上げだ。インテリを絵に描いたようなベルトルトの経歴と比較して、どこからどう見ても見劣りするのは明らかだ。

 彼女の心が、良い男のところへといってしまわないかと心配をした。もちろん、全てはマイジンガーの杞憂でしかないのだが、彼がそう感じてもおかしくないほどにベルトルトの経歴は華麗だ。

 平民出身の駄馬とは格が違う。

 マリーの腕をエスコートするように引きながら、マイジンガーは悶々とそんなことを考えた。もっともそんな彼の考えなど、ひとり相撲でしかないのだが、不器用で粗雑な男にはそんなこともわからない。

 秘密警察として問答無用で無実の罪の人々を連行することには慣れていたが、こうして彼が好意を寄せ、なおかつ彼を無邪気に信頼してくれるような相手となると、マイジンガーは途端に扱いに難儀した。

 ただでさえ彼女の周りに補佐として名前を連ねるのは、名だたる法律の専門家であり、警察官僚たちばかりだ。時の権力者たちによって、そのほとんどの者が「マイジンガーよりも利用価値が高く、有用で、知的」だと判断された。

 そんな他者からの評価故に、ヨーゼフ・マイジンガーは激しい劣等感に駆られ、そして懐疑的な気持ちに陥った。

 彼らは、マイジンガーよりも確かに優れている。

 その現実を、マイジンガーはまるで殴打されたような衝撃で突きつけられた。

「恐い顔」

 ふとマリーの声が響いた。

 そんな彼女の声に、我に返ったマイジンガーは自分の横に並んでいる少女の双眸を見つめ返した。少し前屈みにあって、考え込んでいただろう禿げ頭の男の顔を彼女は青い瞳で覗き込んでくる。

 いつの間にやら苦虫を噛みつぶしたような顔になっていたのかも知れない。そうマイジンガーは反省した。百戦錬磨のミュンヘン警察の秘密警察を相手に、少女は朗らかに笑うと手袋を嵌めた片手で口元を押さえる。

 三月に入ったとは言え、まだ北国の春は遠く、雪は深い。

 とはいえ、さすがに日差しも伸びた。

「む……」

 恐い顔と言われて、マイジンガーは表情を改める。

 恐い顔――。

 ワルシャワの殺人鬼――。

 恐怖の代名詞のようにそう呼ばれ続けたマイジンガーだったが、なぜだかいつも自分の隣で笑っている金髪の少女にそう呼ばれるのは心楽しくなかった。他の誰かにそんなことを言われても、心を動かすことなど全くなかっただろうということは、ヨーゼフ・マイジンガー自身が思うところでもある。

「今日、お会いするのはロシアの科学者と聞いているが……」

 不作法な父親と、純真な娘にも見えなくはない。

 親子のようなやりとりをするマイジンガーとマリーの会話に割って入ったのは、ふたりの様子をじっと観察していたベルトルト・フォン・シュタウフェンベルク伯爵だ。

「そうなの。ソ連の確か、……えーと」

 寒さに凍り付きそうな白い吐息をついて、少女は眉間を寄せるとしかめ面をした。

「ランダウ博士、と……、カピッツァ……、博士?」

 レフ・ランダウとピョートル・カピッツァ。

 ソビエト連邦屈指の科学者でもあり、ソビエト連邦スターリン政権に対する反体制派でもあった。

「リフシッツ博士も」

「そうそう。そうなのよ」

 マリーはニコニコと笑って顔の前に指を立てた。

「ほら、この間、モスクワにランゲ博士とエーアリンガー博士が派遣されたでしょう? そのときの成果ですって」

 胸の前で両手の平を打ち合わせて彼女は言った。

 確か、ルドルフ・ランゲとエーリッヒ・エーアリンガーと言えば、どちらも共に東部戦線に行動部隊アインザッツグルッペンの指揮官として派遣された法律家だ。ソビエト連邦との終戦に伴い、煩雑極まりない事務手続きと政策の検討のためにモスクワに派遣されていた。もっともこの間に、ふたりはスターリン派の一部の過激派の襲撃にあい、危うく命を落とすところだったが、国外諜報局長を務めるヴァルター・シェレンベルクの機転のおかげで親衛隊特殊部隊、通称、オラニエンブルク特別教育隊の救出活動を受け命拾いをした。

「それで、その有名な先生たちに来てもらって、ハイゼンベルク博士の研究のお手伝いをしてもらいたいらしいのだけど、なかなかお話しが進まないらしいの」

「それで、”少佐殿”が世界屈指の頭脳を前にしてどんな働きができると?」

 素朴な疑問だったが、率直に問いかけすぎてベルトルト・フォン・シュタウフェンベルクはヨーゼフ・マイジンガーから思い切り睨み付けられた。

「わからないわ」

 だって、わたしよりずっと頭の良い人たちばっかりだもの。

 マリーはベルトルトに告げられて頬を膨らませると唇を尖らせる。ほとんど化粧もしていない彼女の唇は、きれいなピンク色で、それがどれだけ大切に真綿でくるまれるようにして守られてきたかということを物語っている。

 おそらく、とベルトルトは思った。

 ドイツ政府首脳部は、現在行われているだろう新型兵器開発のために侵略地の科学者を連行してきたのだ。

 協力と言う名の強制だ。

 しかし、先のポーランド戦や、フランス戦での教訓を受け、今回、ソビエト連邦から技術者や科学者たちを連行するに当たり、その方法を今までとは変えてきた。いくら当局が技術者たちを武力にものを言わせて連行してきても、その生産力は微々たるものだということにようやく政府首脳部は気がついた。

 だから、なるべく穏便に、その真意を悟られぬように、彼らを口車に乗せる方向で首脳部の意見は一致した。

 科学の世界というものは、法律家であるベルトルト・フォン・シュタウフェンベルクにとって門外漢にほかならないが、それでも彼女が上げた名前くらいは把握している。

 どちらも高名な科学者だ。

 当然のことだが、後に上げたふたりの親衛隊の法律家に対しては、ベルトルトは好感を抱いていなかった。

 彼らは法律家の皮を被ったならず者だ。

 彼らの横暴な振る舞いは弟のクラウスを通じて耳にしていた。

 他国の。

 異民族だからという理由だけで、人が人を排斥しても良いという理由になるわけがない。多くの無辜(むこ)の人々が、異民族であるという理由だけでその尊い命を奪われた。そしてそれを主導したのが同じドイツ人であるということが、さらにベルトルトにナチス親衛隊(SS)、あるいはナチス党(NSDAP)を嫌悪させた。

「じゃあ、シュタウフェンベルク伯爵がもしもわたしの立場だったとして、伯爵ならどうするんですか?」

 マイジンガーの太い腕にぶらさがるように縋り付きながらマリーは自分の背後を歩いている、ベルトルト・フォン・シュタウフェンベルクを振り仰ぐようにしながら問いかけた。

 まるで子供の屁理屈だ。

 全く話にならない。

 ベルトルトは憮然として唇をへの字に曲げると、目の前を歩いている金色の髪の少女と、不機嫌そうな表情でずんずんと歩みをすすめる禿げ頭の中年男を眺める。

「わたしが君の立場だったら……」

 それでもなんとか生真面目に答えようとするのは、親衛隊の懐により深く切り込むためだ。政治警察の懐に入り込めば、なにかしらの打開策があるのではないかと、ベルトルトは思った。

 ナチス党の暴走を止めなければ、ドイツに未来がないことはわかっている。

 レフ・ランダウとピョートル・カピッツァには対しては、弁解する余地もないが、彼らもドイツの暴走の犠牲者だ。

 ドイツにおける善良な長老たちが、岩か山のように動くことをしない以上、若い人間が行動を起こすしかない。そのリスクもわかっていて、ベルトルトは参謀将校を務める弟の思想に共鳴した。

 もしかしたら、問題の長老たちが動きを見せないことにはなにか意味があるのかもしれない。それでも、今、ナチス党に対して反撃をしなければ、ドイツは永遠の未来を失うだろう。

 ソビエト連邦にも国内問題は存在している。

 かつて、国内に多くの人口を占めるユダヤ人を抱えていたポーランド政府が反ユダヤ主義一色であったように。そして、現在のフランスのヴィシー政権が内輪もめで忙しいように。

 そんな話をしている間に、マリーとその一行は軍需省のアルベルト・シュペーアの執務室の前までたどり着いた。

「……――なんでこんなところに、子供が?」

 驚いたような声に顔を上げたのはベルトルトだ。

 相手は労働力配置総監を務めるフリッツ・ザウケルだ。いわゆる典型的な官僚肌で、命令を黙々とこなすことにかけては定評があり、そうした意味では非常に優秀な男だった。現在は、軍需大臣のアルベルト・シュペーアの指揮下で辣腕を振るっている。

こんにちは(ハロー)ザウケルさん(ヘル・ザウケル)

 相手の困惑をものともせずに、マリーはにこりと笑ってみせると背広姿の若い事務官の方向へ体の向きを変えた。一方、ザウケルのほうは大変混乱していた。

 ピンク色のマントとベレー帽を身につけた少女は否が応でも目立つから、無関心でいられることのほうが難しい。

 そういえば空軍総司令官のヘルマン・ゲーリングが少女にピンクのマントを送ったという噂を思い出して、すぐにその相手が目の前にいる金髪の少女であると言うことに思い至った。

「あぁ、こんにちは……、えーと」

 君はいったい誰だね? そう言いかけて、ザウケルはヨーゼフ・マイジンガーの身につけるナチス親衛隊の将官用の白い下襟のついたコートを見直して硬直した。

 リッツェンの縫い付けられたSD章。それはマイジンガーがまごう事なき政治警察の出身者であることを物語っている。

 政府首脳部の人間だからといって、ヘルマン・ゲーリングが育て、その後、ハインリヒ・ヒムラーに受け継がれ、悪名高きラインハルト・ハイドリヒの指揮下で恐怖帝国の手先としてその名を馳せた国家保安本部(RSHA)の悪夢は避けることなどできはしない。

 彼らは、ナチス党にとって障害になるものであれば、誰であれ容赦なく地獄にたたき落とすだろう。

 それを、ザウケルは今までの人生で何度となく目にしてきた。

「国家保安本部、ヒムラー長官の指揮下にある特別保安諜報部長――ハイドリヒ少佐です」

「――……」

 素っ気なくマイジンガーに説明されて、ザウケルは言葉に窮した。

 ヒムラーの指揮下だって?

「……貴官が?」

 瞠目した間抜け面で、フリッツ・ザウケルが真顔でヨーゼフ・マイジンガーに問いかけた。

違う(ナイン)、そうではなく彼女のことです」

 最低限の礼儀を払って、ザウケルに説明したマイジンガーはむっつりと黙り込むと、背広の若い男とにこやかに言葉を交わしている少女を流し見た。

 アルベルト・シュペーアとの面会の約束はあった。

 それを説明しているのだろうが、いかんせん軍需省という特殊な場所で、子供がどれほどシュペーアと面会する予定になっているからと言って、簡単に納得できるものでもない。

「だからー!」

 マリーが怒ったように唇を尖らせた。

「本当に約束しているんだもの、嘘だと思うならシュペーアさんに聞いてくればいいじゃない。ちゃんとわたし約束しているんだもの。だいたい少しくらいいいでしょ、ケチ!」

 いつもの如く、背広姿の男の脇をすり抜けようとしたのか、少女は腕をつかまれて引き留められた。まったくいつものことだが、彼女の無謀な行動がいつも高を制するわけではない。

 少女に対する乱暴な男の行為に殺気立ったのはマイジンガーだったが、危険な空気を臭わせた秘密警察の男にザウケルはかろうじてマイジンガーの体を片腕で制すと足を踏み出した。

 地団駄を踏んで怒っている様子はほほえましいが、このままでは呼び出されたのはこちら側だというのに軍需省からつまみ出されかねない勢いだ。

「シュタウフェンベルク伯爵も、マイジンガー上級大佐もなにか言ってくれてもいいじゃない。呼び出したのはシュペーアさんなのよ!」

 プリプリと頬をわずかばかり紅潮させて怒っている。

「わたしが聞いてきてやろう……」

 弱り果てている背広姿の事務官にザウケルが小さく挙手をするように片手をあげて、たった今、出てきたばかりのアルベルト・シュペーアの執務室へととって返した。

 事態を打開するべく、ザウケルは国家保安本部の一行に背中を向けたまま大きく溜め息をついた。

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