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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XXV 神の怒り
345/410

13 Marie's Adventures in Wonderland

 ――(つつが)なく。

 冷え切った二月のベルリン市内の街並みを窓の外に見つめながら、突撃隊のふたりの幹部はその本部から言葉を交わしていた。

 室内にしつらえられた古いストーブの上に乗せられたやかんがシューシューと蒸気を上げる音を立てている。

「親衛隊の連中はユダヤ共の始末を”恙なく”実行しているらしい」

 特に感情らしい感情も込めずに言葉を綴ったヴィクトール・ルッツェに対してマックス・ユットナーは鋭い視線を流しやった。

 しばらくの沈黙の後にユットナーは口を開く。

「……ルッツェ大将」

「む?」

 長い沈黙の後にやっと相手の名前を呼んだユットナーだったが、結局、再び黙り込むと窓枠に長い指を這わせて目を伏せた。

「この戦争をどう思う?」

 一九三九年、ポーランドに侵攻する前、突撃隊は国防軍と熾烈な権力争いを繰り広げた。結局、何者かによる謀略に陥れられた突撃隊の当時の幕僚長であるエルンスト・レームはその権力争いに敗れ突撃隊の力は大幅に削がれる事態となった。もちろん、その謀略にはルッツェもユットナーも一枚噛んでいる。

 レームはやり過ぎた。

 それだけだ。

 だからルッツェもユットナーも、エルンスト・レームに対して同情は感じない。だが結果的にレームの「失態」が突撃隊を弱体化させ、多くの突撃隊の下部組織が権力を強化する事態に陥った。

「どう思うと言われてもな」

 ユットナーの言葉に応じながらどっかりとソファに腰を下ろしたヴィクトール・ルッツェは腕を組み直すと、窓際に立つ参謀長の横顔を見やる。

 マックス・ユットナーもヴィクトール・ルッツェも、共に先の大戦に参加した。そして、ドイツの悲劇と、ナチス政権による再生とを目の当たりにした。しかし、一昨年の一九四一年にイギリスに対して戦端を開いたことで雲行きは怪しくなっていった。

「我々にはもはや国防に関わる権力はない」

 そう続けてからルッツェはじっとテーブルの上を見つめたままで両目を細めると唇を引き結ぶ。窓外を見つめていたマックス・ユットナーは靴音も鳴らさずにルッツェを振り返れば、そんな同年代の参謀長の行動に合わせるようにルッツェも顔を上げた。

「だが親衛隊の連中が、正規軍化を測っているという噂は聞いている」

 ルッツェの続けた台詞に、マックス・ユットナーは肩をすくめて見せる。

「なんだ知っていたのか」

「もっとも、一般親衛隊アルゲマイネ・エスエスの連中がそんなことを画策しているとは思えんが」

「そんなことを企んでいるのは武装親衛隊ヴァッフェン・エスエスのほうだろう。とはいえ、問題の武装親衛隊も一枚岩というわけではないからな。”あいつら”はどうにも”民間”の企業体質が抜けん」

 しかめ面をしたユットナーにルッツェはソファの肘掛けに肘をつくと、組んでいた腕をほどいて顔の前に人差し指をたてた。

「だが、一般親衛隊のたたき出す”利益”が武装親衛隊の資金を支えているのもまた事実だろう。仮に連中が考える通り正規軍化したいのであれば親衛隊の”資金源”も正規に扱わなければならん。そうなれば、国防軍と同じでもっと厳密な管理が要求されることになるだろう」

 説明するルッツェにユットナーが視線を天井からつり下げられた電灯に向けた。

「親衛隊は金が有り余っていて羨ましい限りだ」

 元々はヒムラーが率いる親衛隊も、突撃隊の下部組織のひとつに過ぎなかった。しかし、一九三四年の半ばに起きた「長いナイフの夜」事件以降、その権力を急速に拡大し、今や国防軍としのぎを削るほどになった。

 全てはレームを含めた当時の突撃隊首脳部の責任だ。

 レームが判断を誤ったために親衛隊や、ナチス党首脳部に付け入る隙を与えたのである。

 当時はそういう時代だった。突撃隊や、親衛隊、国防軍の幹部たちは誰もが他国との戦争までは視野に入れていなかった。戦勝国であるはずのフランスやイギリスの鼻持ちならない態度を考えればもっと国外に対して気を配るべきだったのだとも思うがもう全てが遅い。

 毒づいたマックス・ユットナーはルッツェの前のソファに腰を下ろす。

「親衛隊が正規軍化を目指している以上、我々も行動を開始しなければなるまい。ルッツェ」

「ドイツ国内に武装組織は複数必要ないとすでに総統閣下は判断されたのではないか?」

 そう考えれば親衛隊の正規軍化にも障害はあるはずだ。

 なにより、ナチス親衛隊は突撃隊と同様に陸上部隊しか持っていない。規模こそ縮小せざるを得なかった突撃隊だが、現在の親衛隊の状況とかつての突撃隊の状況とは限りなく似通っている。

「ふむ……」

 ルッツェに冷静な指摘を受けてユットナーは軽く首をかしげた。

 弟のハンスからは時折、それとなく「親衛隊の野望」に関する話は耳にしている。

 規則には厳密だとされるドイツ人の国民性だが、だからと言ってプライヴェートがないというわけでもない。

 組織の人間として表には出すことができない話もあるというだけのことだ。

「だが、昨今の親衛隊の行動は不審なものもある」

 突撃隊と親衛隊とは、似ているようでその状況が違う。

 小心者だが姑息なヒムラーは、若く優秀な知的エリートたちを組織に吸収して、その勢力を民間、官界問わず拡大し続けてきた。

 ナチス親衛隊の権力は今や突撃隊や国防軍でも押さえきれないものとなりつつある。

「親衛隊員の弟の言葉をそのまま信用するのか?」

 ルッツェがユットナーをけしかけると、特に反応らしい反応も見せずに両手の指を組み合わせてから口元を押しつける。

ハンス(あれ)とは兄弟だ。少なくとも、わたしは”あれ”が偽りを言っているとも思えない」

「上辺だけかもしれん」

「そうかもな」

 対等の立場を崩さないマックス・ユットナーは、否定もせずに相づちを打つとひとつ頷いてからルッツェを見つめ返す。

「わたしがたかだか兄だからという理由で、親衛隊員のハンスがわたしに内情を語ってくれた以上、それなりの覚悟があると考えている」

「……また突撃隊を陥れるための布石とは思えんのか?」

 ナチス親衛隊は信用ならない。

 それがルッツェの見解だ。

 疑い深い突撃隊長の言葉を鼻先で笑い飛ばしてからマックス・ユットナーは、ソファに深く座り直して首をすくめた。

「これ以上、我々(SA)を陥れてどうなる? それにヒムラーが考えていることと、その指揮下にある連中が同じ考えというわけでもない。親衛隊の高級将校共にとってヒムラーなどせいぜいいくらでも首のすげ替えのきく操り人形くらいの認識しかないだろう。そう考えれば、それなりにハンスの言う計画にも納得がいく」

「つまりヒムラーの頭を飛び越えて親衛隊の高級将校共が謀略を練っていると?」

 ハインリヒ・ヒムラー。

 考えれば考えるほど俗物以外の何物でもないのだが、ヒムラーはヒムラーなりのやり方で自分の帝国を築き上げた。

「いずれにしろ、親衛隊がこのまま戦争に関与し続ける以上、不正規軍のままでいることのリスクの大きさはルッツェ大将にもわかるだろう」

 それこそ、かつて突撃隊が政府に正式な軍隊であることを認可するように要請したように。ナチス親衛隊も突撃隊同様の危機感を感じている。

「……付け入る隙は排除すべきだと考えて当然だ」

 指摘するユットナーにルッツェが肩の力を抜いた。

 じっと考え込んで眉をひそめる。

「”敵”がずる賢く往生際が悪い事は忘れるべきではないと、わたしは思う。ルッツェ大将」

 マックス・ユットナーは武装親衛隊の作戦本部長官に弟のハンスが。

 そして、ヴィクトール・ルッツェは国家保安本部のマリーと親しくしている。しかし、それでも尚、突撃隊と親衛隊の間の溝は深すぎて埋めることができない。

 ユットナーの話を聞いていたルッツェは靴の踵を鳴らしてからゆっくりとソファから立ち上がると、中空に視線をさまよわせた。

 ドイツ国内のみならず、戦争中であるという世界情勢も考えると、どうやら突撃隊(SA)が独善的な行動に走るわけにもいかないのではないか。

 要するに時代は動きつつあるということだ。

 人の意志にかかわらず、世界は向かうべき所へ向かっていく。

 今が決断の時だ。

 ルッツェはそう思った。



  *

 馬鹿のように大きな口を開いたマリーは、かわいらしい声を上げると悲鳴のようなくしゃみをした。

「……やっと体が回復したのだから大事にしなさい」

 そう言われた少女は差しだされたハンカチを受け取って口元に押し当てる。

「はい、おじさま」

 ルッツェは少女にそう呼ばれて内心舞い上がったが、外見上は冷静さを装ってほほえんだ。

「君が風邪をひいたりしたら、カルテンブルンナー大将が大変な剣幕になるだろうからな」

 ただでさえ貧弱な上に、職務上の危険にさらされることが多く、病院を出たり入ったりしているマリーのことだから、彼女を挟んでルッツェといがみあっている状況のカルテンブルンナーはこれ幸いと突撃隊幕僚長を詰るだろうと思われる。

「それより、急にどうかしたんですか?」

 突撃隊のルッツェがナチス親衛隊に名前を連ねるマリーと話をする機会はなかなか作れるものではない。

 マリーの自宅には電話がないから、彼女と連絡をとるためにはナチス親衛隊と直接、連絡をとりあう以外はない。そんな理由から、彼女に別組織の人間が接触する時は、大概においてヒムラーに筒抜けなのだが、マリーがそれを気に掛けている様子もなかった。

「いや、別に大したことはないのだがね」

 親衛隊少佐の彼女に大した権力を期待しているわけでもないルッツェは、歩道に積もった雪を踏みしめながらマリーの横を歩きながら自分の腕に絡められた少女の頼りない指に思考を巡らせる。

「問題がいろいろ山積みでね」

「そうなんですか、大変ですね」

 大人の事情を追及することもない少女はパチパチと金色の長い睫毛をまたたかせた。

 国家保安本部の仕事が終わって夕食に誘ったルッツェに、長官のカルテンブルンナーは露骨に癒そうな顔をして見せたが、そんなことで怯むようなルッツェではない。

「あんまり仕事が山積みだから君と話でもできれば気分も紛れるかと思ってね」

 彼女の力は政治とは無縁だ。

 そもそもどうして彼女がナチス親衛隊に名前を連ねているのかも疑問だ。

 ヒムラーがなにを考えているのか、ルッツェにはさっぱりわからない。

「別に、君と仕事の話がしたいわけではないのだ」

 自分に言い聞かせるように呟いたヴィクトール・ルッツェは、冬の空気にすっかり冷え切ってしまった少女の金髪を優しく撫でてから、華奢な体を抱き寄せた。

 相変わらず彼女は足腰が弱い。

 それもこれもいつも襲撃者を警戒してろくな運動をさせない親衛隊幹部が悪いのだ。そんなことを考えてからルッツェは黙り込んだままで路肩に停めていた突撃隊の車に乗り込んだ。

「今日は我が家で休めばいい。夕食の後に帰るのでは、すっかり遅くなってしまうからね」

 気遣うような男の言葉に少女はいつもと変わらない無邪気な笑顔をたたえて素直な返事をする。そんな彼女の笑顔は、政争で疲弊しきったルッツェの高ぶった神経を癒した。

 ――彼女は親衛隊員だから、心を許すことは危険だ、と。

 ルッツェの突撃隊員としての危機感が執拗に訴えた。

 それはかつて、「長いナイフの夜」以来、親衛隊に対して捨てきれないわだかまりから生じたものだということも、ルッツェにはわかっている。

「君が、わたしの転換点なのだ……」

 随分と昔。

 一九三四年にとまってしまったルッツェの時間は再び動き出した。

 彼女が時計を回す。

「……”遅れちゃう”」

 マリーの声がルッツェの耳にだけ届く。

「え……?」

 そんな彼女の声に驚いた男が改めてマリーを見下ろすと、少女は青い瞳を細めてにっこりと屈託なく笑って見せた。

「秘密です」

 ピンク色の唇の前に手袋をした人差し指を立てて笑った彼女は、そうしてからルッツェの体にすり寄ると、その暖かさに目を閉じた。

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