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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XX ゆりかご
261/410

4 綻びる手段

 覚悟が足りぬ。

 手厳しく指摘した国家保安本部長官エルンスト・カルテンブルンナーは、親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官カール・ヴォルフを激しく批難した。

「ヴォルフ大将は”この問題”が、よもや国家保安本部だけのものとでも思っているのではあるまいな?」

 含みを持たせたカルテンブルンナーにヴォルフは片方の眉毛をつり上げてから、テーブルの向こう側に座る相手を凝視した。

「再定住に関係するのは、なにも国家保安本部だけということではなかろう」

 どういう被害妄想だ。

 半ばヴォルフがうんざりとしながらも、外見的には余り表情を動かすこともなく言葉を返すと、カルテンブルンナーは侮蔑したように憮然としてから浅く息を吐き出した。

「貴官は物事の根本を理解していないのだ!」

 「再定住」計画に関係するのは何も国家保安本部だけではないことは自明の理だ。そんなわかりきったことに今さら言及するカルテンブルンナーに対してヴォルフは不快感を禁じ得ない。

「計画に対して国防軍も政府首脳部ばかりではなく、武装親衛隊も素知らぬふりで、下部組織にも明確な実態と意図は報されていない。それがどういうことなのか、わからぬわけではあるまい」

 物事の本質を知らないままに手足となることの危険性。

 それをカルテンブルンナーは厳しく追及した。

 バシリとたたきつけるような男の言葉にヴォルフはむっとしたままで視線をテーブルの面におろした。

 カルテンブルンナーなどに言われるまでもなく、カール・ヴォルフにはわかっているつもりだった。だから、居丈高なカルテンブルンナーの物言いが気に入らない。

 大した実績もなく、やったことと言えばオーストリアのマウトハウゼン強制収容所の設立に関与したことくらいで、”たまたま”ヒトラーと同じくオーストリアの出身であったから、ラインハルト・ハイドリヒの後釜として国家保安本部長官に抜擢されたに過ぎない。それがヴォルフのカルテンブルンナーに対する認識だった。

 ちなみに、二代目のベーメン・メーレン保護領副総督に就任したクルト・ダリューゲも、カルテンブルンナーと同じで背景はよく似ていると思った。

 誰も彼もハイドリヒの強力な権力を羨んでいた。

 そして、同時に彼を恐れてもいたのである。

 ドイツ第三帝国グロス・ドイチェス・ライヒにおける恐怖の代名詞であり、死刑執行人。

 ハイドリヒとカルテンブルンナー。共に油断ならない相手ではあったが、後者のほうがより俗物で、より残忍だ。ふたりの年齢のほとんど変わらない男たちに明かな違いがあるとすれば、ハイドリヒがより強力なリーダーシップとカリスマ性、他者を圧倒する「あらゆる意味での腕力と体力」を持ち合わせていたことだろうか。

 強靱な肉体は、強靱な精神に依存する。

 ふたつの存在は切っても切り離せないものだ。

 激しい気性と、徹底的な冷徹さと、数多くの業務を難なくこなす際だって高い能力。そして、プライベートでは夜の街で女たちを屈服させていたというサディスティックな男だ。

 そこに存在していたのは圧倒的な力。

 貪欲な権力に対する執着は、まるで欲情しているようではないか。

 けれどもそんな彼はあっけなく暗殺者の手に寄って死の国へと送り込まれてしまった。そして、少なくとも今後百年はハイドリヒのような異質な男はそうそう現れないだろう。

「つまり、なにが言いたいのだ?」

「ハイドリヒは一月の次官級会議の席で、約一一〇〇万人の再定住が可能だと試算したが、それは全ての要因が円滑に働いたうえでのことで、とても現実的な数字ではない。親衛隊長官閣下はこれらのことを踏まえ、希望的な数字に捕らわれず現場を知るべきだと言っている」

 何が可能で、何が不可能なのかを知るべきだ。

 辛辣なカルテンブルンナーの台詞に、カール・ヴォルフは提示された無理難題に眉間にしわを刻む。

「……頭痛の種は長官閣下の性格だ」

 ぼやくようにヴォルフは告げた。

 とても数十万人を擁する組織のトップたるに相応しい性格とは思えない。

 警察部隊をも含めた一般親衛隊アルゲマイネ・エスエスの隊員たちの肩にのしかかるのは、民族浄化という再定住計画の執行者としての手足であるという負担だ。それを政府高官たちは一向にわかっていない。

 彼ら自身は、ドイツ男子は強靱たれと歌っているというのに、その執行される現場からは目を背けるのだ。

「知らなかったと、切り捨てられるのは目に見えている」

 鋭く切り込んだカルテンブルンナーに、ヴォルフは改めてぎくりと背筋を正した。

 それは、捨てきれない可能性だった。

「つまり、政府は……――、党中枢は、いざというときに”我々”をスケープゴートにするつもりだと言っているのか?」

 そんなことはない。

 そんなことはありえない。

「……――」

 カルテンブルンナーはヴォルフに返答しない。

 侮蔑するような眼差しで、じっと彼を見つめている。

「ヴォルフ大将とて、一九三四年になにが起こったのかを覚えているだろう」

 たかが凡人だとしか評価していなかったエルンスト・カルテンブルンナーは、しばらくしてからヴォルフに鋭い言葉を浴びせた。

「だが、命令したのは党本部であり、政府首脳部だぞ」

「……本当に、そんな”能書き”を信用しているのか? 仮にも”親衛隊長官閣下”の副官でありながら?」

 彼の言葉は痛烈だ。

 カルテンブルンナーが言っている言葉を、カール・ヴォルフが一度も考えなかったわけではない。ヴォルフも他の高官たちと同じで、考えられる可能性から目を背け続けてきた。

 反吐が出るほど残酷な異民族に対する所行は、ヴォルフですらも目を背けずにはいられなかった。

 だから、見たくないものを見ないできた。

 親衛隊全国指導者個人幕僚本部の長官であるヴォルフはそれでも良い。しかし、事実上「再定住計画」の推進をするカルテンブルンナーらはそういうわけにもいかない。

「見たくないものを見ないで済む身分というのは気楽なものだ」

 吐き捨てるカルテンブルンナーに、むっとしたものを感じつつも返す言葉が見つからずに、結局カール・ヴォルフは黙り込んだ。

「”嫌み”はともかくとして、カルテンブルンナー大将」

 気を取り直してヴォルフは繭をひそめて言葉を綴る。

「要するに貴官はなにを言いたいのだ?」

「はっきり言葉で言わなければわからんのか」

「……――人というもの、組織というものは得てしてそんなものだろう」

 特に言葉にしなくても相手に伝わるのであれば、人類の文化に言葉など必要ない。

 互いに皮肉の応酬をしつつ、腹の底を探り合うカルテンブルンナーとヴォルフはやはり同じように堅い表情のまま言葉を交わしている。

「つまり、”親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官”、わたしを含めた親衛隊員の全ては”全ての責任”から逃れることはできんのだと言っている」

 誰もが悪い推察から目を背けようとしている。

「しかしそれは仮定の話だ。実際に問題が持ち上がった時点で政府首脳部が責任回避に走るなどという愚行には走らないという可能性もあるだろう」

 どちらも可能性だ。

 問題視されたときに政府が責任回避をする可能性。

 問題視されたときに政府が責任を負う覚悟。

 国家には諸外国から国内政策について批難されても動じない覚悟が必要だった。

「……いずれにしろ、仮定では話にならん」

 カール・ヴォルフは不愉快な面持ちを隠すこともせずにそう言った。

 親衛隊――つまるところ官僚とは政府の手足に過ぎないのだから。

 そもそもカルテンブルンナーの言う「可能性」とやらは、ただの取り越し苦労に過ぎないのではないか? そんな思いがヴォルフの脳裏をよぎった。

「ありとあらゆる状況を想定して動くべきだと言っているのだ」

 話し合いは平行線のままだ。

「……了解した、とりあえずこちらからも親衛隊長官閣下にそうした懸念もある旨を伝えておくとする」

 これ以上カルテンブルンナーとやりあったところで、話しの終わりは見えてきそうになくて、ヴォルフは長身の国家保安本部長官の言葉に折れた。

「しかし、”あの”親衛隊長官閣下ライヒスヒューラー・エスエスのことだからな。余り期待はせんでくれ」

 自分の顔の前で軽く片手を振ってヴォルフがそう言えば、カルテンブルンナーは不満そうな顔つきのままで彼の提案を受け入れた。

 どちらにしたところで、エルンスト・カルテンブルンナーとカール・ヴォルフがこんなところでヒムラーの性格を論議したところで、性格が変わるわけでもなかったし、政府首脳部によって決定される政策の方向性が変わるわけでもない。

 ――彼らはただ粛々と、命令された任務をこなすだけなのだ。

 やれやれと肩を落としたカール・ヴォルフは、それでもまだなにか言いたそうな顔をしているカルテンブルンナーを執務室から見送って大きな溜め息をついた。

 問題が山ほどあることもわかっているし、強引な力業で解決できるような類のものでもない。だから、ヴォルフはなんとかして自分がそうした計画にかかわらずにいられる様に、距離を置いてきた。

 問題を先送りにして、見えない振りをしてきた。

他人事(ひとごと)でないことなど、あの男に言われなくてもわかっている」

 ナチス親衛隊――。

 そこに帰結する問題だ。

 ハンス・ユットナーとゴットロープ・ベルガーの両親衛隊大将に率いられる武装親衛隊ヴァッフェン・エスエスが、独自に正規軍化を目指していることからもわかるように。

 現状の彼らは、国際法に則れば非合法なテロリスト集団と見なされてもおかしくはない。仮に、階級章を身につけているとは言え、である。

 ナチス親衛隊とはドイツの生え抜きのエリート部隊であるという矜持と、しかし、角度を変えて観察すればそんなエリート部隊とは名ばかりの法的根拠を持たないナチス党(NSDAP)における私兵集団でしかないのだ。

 そこにあるギャップこそが、特に親衛隊高官たちの悩みの種だ。

 自分たちの真上に、危険な赤信号が点っていることは他でもない自分たちがよく理解している。

「……このままでは危険だ」

 戦争が続き、戦時の混乱にあるときはまだいいだろう。

 しかし、問題になる戦争を永遠とやっているわけにはいかない。

 戦争が終われば国内に多くの問題が浮上してくるのは時間の問題だ。だから、今の内に自分たちが有利になるように態勢を整えなければならないのだ。

 そこに武装親衛隊、一般親衛隊の別はない。

 改めて親衛隊高官による意見の交換が必要だと感じたヴォルフは首を傾げてから、鼻から息を抜いた。

「しかし好き放題わめき散らしていきやがって……」

 ヴォルフはうんざりと独白してから執務机に肘をついて憮然とした。

あっち(RSHA)はかわいい女の子がいつも勤務していてストレス解消してくれるからいいだろうが、こっち(RFSS)には言いたい放題とは気楽なもんだ。少しは俺の気苦労も考えろ」

 一応、「彼女」の所属は国家保安本部と親衛隊全国指導者個人幕僚本部という形になっているが、実際にはマリーの執務室はプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセにあるのだ。

 少しばかり空気の読めない、ヒムラーが特別扱いする少女のこと。

 いつからかいつものように相手の気持ちを考慮することもなく不躾な行動をする子供の存在をなんとなく受け入れて今に至っている。

「国家保安本部国外諜報局の特別保安諜報部をプラハに派遣しようと考えている」

 ヒムラーの提案を聞いたのは、十一月に入ったばかりの頃だったか。

 彼女がまだヴァルター・シェレンベルクと共にスウェーデンの首都、ストックホルムを訪れていた時の頃だ。

「本気ですか?」

 訝しげにヴォルフが親衛隊長官に言葉を返すと、ヒムラーは重々しく頷いた。

 自分のことをことさらに強く見せようとするのは、弱い人間にはよくあることだ。

「本気だ」

「……閣下が決定されたことでしたら、わたしが否やを唱える理由はありませんが、よろしければ理由をお聞かせください」

「プラハで反独感情が高まっている、その原因の調査を命じたい」

 ベーメン・メーレン保護領のプラハ市。

 そこはラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将が暗殺された場所でもある。ベーメン・メーレン保護領で反独感情が高まっているというならば、理由はひとつしかないはずなのだが、ヒムラーの考えがわからない。

 親衛隊のトップにそう言われれば、さすがのヴォルフも「そうですか」としか返す言葉が見つからずヒムラーの言葉の続きを待った。

「ドイツの将来のためにも、不安の芽は摘んでおかなければならない」

 ……――そう、今、マリーが率いる特別保安諜報部はプラハで任務に当たっている。

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