11 Uボートエース
――信用できない人間とはどこにでもいるものだ。
「マイジンガー大佐みたいに?」
マリーが笑顔で小首を傾げると、マイジンガーは率直な物言いをする少女に対してひどく面白くなさそうな顔をした。
「わたしは信用できんか?」
「どうかしら?」
マリーは、いつも素直で率直だ。
そして気まぐれでどこか理解しがたい冷徹さを抱えている。
「では聞くが、”俺”のことを君が信用していないのなら、どうしてわざわざ日本から呼び寄せたりしたのだ?」
戦火のただならぬヨーロッパ大陸へ、極東の島国である大日本帝国から帰国することは、はたして容易なことではない。しかし、そんな状況の中、親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーは彼の帰国について、ありとあらゆる意味で否やを唱えることを許さなかった。
当初、自分を軍法会議にかけるためかとも勘ぐったがそうではなかった。
ラインハルト・ハイドリヒの一存によって、刑罰を受けることを免れることができたマイジンガーは結果として同盟国に左遷されることになったのだが、そんな彼をわざわざ呼び戻したナチス親衛隊首脳部の思惑。
「そんなこと聞いてどうするんです?」
ベルリンの片隅にある軍人墓地からの帰り、マリーはマイジンガーと並んで歩きながらちろりと横目を滑らせてから目を上げる。
彼女の考えなど、マイジンガーにはまったくもってわからない。
もしくは年頃の少女というものはこんなものなのだろうか?
そんなことを考えていると、駐車場に止められていた車の後部座席の扉が開いた。
ショートカットの金髪が印象的な少女とも女性とも呼べぬ顔立ちの女性がおりてきた。品の良さが現れる足取りで一礼する。
ちなみにマイジンガーは彼女に対してナチス式の敬礼を要求することをすでに諦めた。なぜなら、マイジンガーが言うまでもなく、部署長のマリーと、彼女の補佐を務めるベストとヨストが黙認していたからだ。
「緊急の連絡は入っておりません」
「ありがとう!」
ソフィア・マグダレーナ。異端な国家保安本部の秘書を務める二一歳の女性はミュンヘン大学医学部の学生だ。
「別にそんな堅苦しい物言いしなくてもいいのに……」
マリーの手からカバンを受け取って、ソフィア・マグダレーナは困ったように薄くほほえんでみせる。
マリーが構わなくても、恐ろしいのは彼女の周囲にいる男たちだ。
力尽くの警察権力を振り下ろす恐怖の権化。
「空軍の格好いい人に会えたから、一緒にくれば良かったのに」
「いえ、わたしは……」
相手の気持ちなどに全く配慮しない少女に、ソフィア・マグダレーナが困惑しきっていると、マイジンガーがマリーの背後から声を飛ばす。
「とにかく、ベルリン市内は比較的安全とは言えどこからテロリスト共が見ているとも限らんからな。とっとと帰るぞ」
「はーい」
ぞんざいな物言いをする眼光の鋭いヨーゼフ・マイジンガーにマリーは右手を挙げて賛成の意を示した。
「ねぇ、マイジンガー大佐。あのね」
黒塗りのメルセデスに乗り込んだマリーは助手席に腰掛けているマイジンガーに身を乗り出すようにして言葉を投げかける。
「なんだ」
泣く子も黙るゲシュタポの「ワルシャワの殺人鬼」に対して、屈託のない笑みをたたえながら馴れ馴れしい言葉使いをできるのはマリーくらいかもしれない。
「カナリスがどこにいるか知らない?」
「……カナリス? 国防軍情報部の本拠地のティルピッツ・ウーファーではないのか?」
国防軍情報部の本拠地。ティルピッツ・ウーファーだろうというマイジンガーの言葉にマリーは眉間を寄せると助手席の背もたれに手を掛けたままで視線をフロントガラスの向こうに彷徨わせると考え込んだ。
「オスター大佐がいないって言ってたのよ」
国防軍情報部長官の首席補佐官でもあるハンス・オスターが、カナリスはいないと言っていた。おそらくそれは嘘偽りではないのだろうが、そうなるとどこにいるのか。そんなことマイジンガーだってわかりはしない。
「オスターが知らんとはな」
首席補佐官のオスターが知らない。
それがどういうことを意味しているのか、それを考えなければ話しにならない。
「なんか、偉い人が来るからそこに行くって言ってたらしいんだけど」
「偉い人が来るから?」
つまり、それは普段ベルリンに詰めていない高官ということか。
ますますわからなくなってマイジンガーが首をひねると、後部座席のマリーの隣から控えめな声が飛んだ。
「テレタイプでプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに確認を取りますか?」
ソフィア・マグダレーナが問いかける。
彼女はいつも緊張を隠せない面持ちをしている。そんなに心労ばかりを抱えていては疲れてしまうのではないかともマイジンガーは思うが、いかんせんふたりの間には深すぎる溝が横たわっていた。
マイジンガーは生粋のゲシュタポの政治警察であり、ソフィア・マグダレーナ・ショルは生粋の反ナチス派である。
ちなみに二人の確執など、マリーにはまさしくどうでも良いことのようだ。
「うーん……、どうしよっか」
相変わらず緊張感のないマリーの視線の隅に、歩道を歩くドイツ空軍少将――戦闘機隊総監のアドルフ・ガランドの姿が映って、そうして消えていった。
「そういえば、今後の海軍の運用についてレーダーが巨頭会談を開くとかそうした話しは聞こえているが……」
レーダーと巨頭会談。
海軍総司令官のエーリッヒ・レーダーと話し合いをする人間というのも興味深い。
参謀将校出身で貴族的な品のあるレーダーは、ドイツ海軍の顔的な存在だ。そして、だからこそドイツ海軍の「お飾り」として担ぎ上げられ、国家元首のアドルフ・ヒトラーからは少ない予算と装備にもかかわらず、常に無理難題を押しつけられている男。
「そういえば、ヴィルヘルムス・ハーフェンのほうから、デーニッツが来ているのは知っているが、あれではないか? 確か……」
そう言いながらマイジンガーは記憶を探った。
なにせヨーゼフ・マイジンガーは軍人ではない。
政治警察――所詮ミュンヘンの田舎警察上がりでしかないから、国防軍三軍の事細かい戦果までいちいち覚えていられいない。
「……――IXD2型Uボート、U-181の艦長ヴォルフガング・リュート海軍大尉の叙勲に関するものと思われます」
分厚いファイルをひっくり返していたソフィア・マグダレーナが静かに抑揚のない声で告げると、マイジンガーはぽんと左手の手のひらに右手の拳を打ち下ろした。
「そうそれだ。おそらく、その潜水艦の艦長の件だろう」
ヴォルフガング・リュートの噂は聞こえている。
すでにトップ・エースと呼ばれるオットー・クレッチマーはイギリスの捕虜となり、先頃カナダへと移送されたらしい。スカパ・フロー襲撃の立役者とも呼べるギュンター・プリーンはイギリス海軍の駆逐艦によって昨年沈められた。
すでに戦況は斜陽に傾きつつある、ドイツ国防軍にとって国内の士気を高めるための「英雄」の喪失は手痛いものである。
そんな中でのヴォルフガング・リュートの叙勲だ。
おそらく、海軍の士気を高める目的もあるのだろう。しかし、現実としては、海軍のみならず当人の士気を維持し続けるのは重要なことでもある。
空もそうだが、海はさらに逃げ場がない。
潜水艦の作戦行動中の機関停止はそのまま死と同等だ。
実際、過酷な任務から兵士たちが逃げ出すこともままある程である。
「カナリスのところに行きたいの」
いつもの如く、いつもの調子でマリーがそう言った。
彼女は、国防軍情報部長官のカナリスを呼び捨てにする。
そして国外諜報局長のヴァルター・シェレンベルクもそうだ。自分よりも階級が上で、呼び捨てにしているのはこのふたりだけ。
それがどんな意味を持っているのか、マイジンガーにはわからないし、もしかしたら意味などないのかもしれない。
「ならば、海軍総司令部に行ってみようか」
飛び込みで足を伸ばしても、レーダーが面会してくれるとは限らない。
そんなことを考えたが、マリーに説明したところで理解しないことはわかっていたから運転席に着いている親衛隊下士官にプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに戻る道を方向転換させた。
「海軍総司令部へ向かえ」
「承知しました」
それからしばらくして、海軍総司令部の物々しい建物の前に特別保安諜報部の一行は到着した。
「予定はないわ」
「でしたら、お引き取りの上、面会の申請を行ってもらえませんと提督はお会いになりません」
門前払いとはまさにこのこと。
「えー? だって、カナリスいるでしょ。別にレーダー元帥に会いたいって言ってるわけじゃないのにどうしてダメなの?」
カナリスとお話しするためだけなのよ。
食い下がるマリーに警備を担当している海軍士官はにべもない。
「それにカナリス提督がいらっしゃっているかはお答えできません」
「オスター大佐はティルピッツ・ウーファーにカナリスはいないって言ってたもの。だから、きっと海軍総司令部だけなのよ! 嘘ついたら許さないんだから!」
ぶーぶーと不平を垂れ流すマリーが地団駄を踏んで怒っていると、途方に暮れた様子でもうひとりの警護を努める下士官と言葉を交わす。
相手がナチス親衛隊の将校だとなれば反ナチス的な海軍の人間なら警戒して当たり前だ。
ちらりとマリーから視線を外した瞬間だ。
たたっと走り出してマリーは下士官の横をすり抜けた。
咄嗟に長い腕を伸ばして、それを阻もうとした海軍の下士官にマイジンガーが素早く拳銃を抜いてその胸に押しつける。今一人の下士官は運転手を務めていたマリーの護衛官――アドルフ・ヒトラー警護隊出身の武装親衛隊員――の銃口をこめかみに押しつけられた。
「下士官風情が、”親衛隊将校”に無礼を働いてみろ。この場で二度と口をきけないようにしてやる」
ゲシュタポには特権がある。
特にマイジンガーにはそればかりではなく、ハインリヒ・ヒムラーの私設警察部隊という大義名分もあった。
海軍の下士官のひとりやふたりを殺したところでいくらでも言い訳はできた。
そんな男たちのぎすぎすとしたもめ事を尻目にマリーはシュトレッケンバッハに見立ててもらった白いマントを翻しながら長い廊下を歩いて行く。
時折それらしい扉を開いて違ったと思うと、中で目を点にしている将校らを無視してパタンと閉める。
時には「カナリスどこ?」と問いかけることもあるが、余りにもその場に相応しくない相手から尋ねられてぽかんと口を開くばかりで答えは得られない。
「カナリスここ?」
声が響いた。
「おや?」
レーダーが穏やかな目を上げる。
「あ、レーダー元帥。カナリスここ?」
「カナリス提督ならここにいるが、どうしたのだね?」
夏にヴィルヘルム・カイテルやクラウス・フォン・シュタウフェンベルク伯爵と話しをしていたところに顔を合わせたきりの痩せ型の少女が扉の隙間から顔を覗かせた。
「オスター大佐がティルピッツ・ウーファーにカナリスはいないって言ってたから、デーニッツ大将も来てるし、リュート大尉もベルリンに来てるからここじゃないかって」
でもね。
そう続けながら、マリーは唇を尖らせてレーダーの執務室へと足を踏み入れた。
「あ、デーニッツ大将、はじめまして」
白いマントを着ているせいか、夏に肩を出したドレスを着ていたときと比べると随分痩せていることは気にならない。
白が膨張色であるせいもあるだろう。
ソファに腰を下ろしていたカール・デーニッツが言葉を失って白いマントの少女を見つめていると、当の問題児はそうして笑う。
「なにか問題でもあったかね?」
レーダーが当たり障りのない言葉を投げかけると、マリーは憤慨した様子で頬を膨らませてレーダーに差しだされた腕を掴んで言いつのる。
「でもね、ひどいのよ。入り口の警備兵がアポないからダメだって言うの」
心の底から怒っているらしいマリーが不満を鳴らした。
もっとも彼女が心の底から怒ったところで世間の一般常識が変わるわけでもない。
「そういえば、君との面会の約束はなかったな。どうやって入ってきたのだね?」
マリーが怒っている顔がなぜだかかわいらしくてレーダーが尋ねると、マリーは他意もなく「横を向いた隙にはいってきちゃった」と言った。
「物事には順序がある」
悪びれもなくレーダーと言葉を交わしているマリーに、たしなめるように告げたのはカナリスだ。
「思いつきはよくないが、オスターも余分なことを言ってくれたものだ」
やれやれと溜め息をついた。
「カナリスだって、わたしと会いたかったでしょ?」
「そりゃ君と話しをするのは悪い気分ではないが、物事にはいろいろ規則があるからな」
「そんなこと言ってるから、”付け入られる”んですよ!」
勢いのある正論に、カナリスが笑うと自分の隣にあいていたソファをぽんぽんと叩いた。レーダーとマリー、そしてカナリスとマリー。二人の姿はまるで祖父と孫娘のようだ。
「こっちへ来てちゃんとデーニッツ大将にご挨拶をしなさい」
「……っ閣下! 失礼いたします! 不審者が海軍総司令部内に入り込みまして!」
カナリスの声に、青年の慌てた声が重なった。
レーダーの執務室には、海軍総司令官のレーダー元帥、そして潜水艦隊総司令官デーニッツ大将、国防軍情報部長官カナリス大将がいる。そして、カナリスの横に腰を下ろしているのは小さな少女で、脱いだマントを膝に掛けておとなしくしていた。
執務室の中はいつもと変わらない穏やかなもので、入ってきた海軍の下士官は困惑した。
「不審者ではない、心配せんで良い」
それと彼女の”おつき”は別室で待機してもらうように。
マリーがひとりで海軍総司令部にくるわけがない。素早く現状を計算したエーリッヒ・レーダーが部下に命じると、不審げな眼差しのままで敬礼した。
「はっ」
下士官の目の脇には大きな青あざがあるから、おそらくマイジンガー辺りに殴り飛ばされた時のものだろう。
髪が乱れた青年は肩で呼吸を繰り返している。
不満げな視線をマリーに放つと、当の少女は青年に怒った様子で頬を膨らませてぷいっと横を向いた。
青年と少女。
年齢は離れているようにも見えるがまるで子供同士が機嫌を損ねてでもいるように見えて、潜水艦隊総司令官はやっと状況を把握してぷっと吹き出した。
「なに、時と場合によって臨機応変にという言葉もあるからな。それに国家保安本部相手に余り感情的な禍根は残しておきたくない。下がりたまえ」
デーニッツが吹き出したせいで、一気に和やかになった空気に後押しされてレーダーは部下にそう言った。




