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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XVIII 真理の門番
230/410

3 パワーバランス

 国家保安本部長官エルンスト・カルテンブルンナー親衛隊大将は国外諜報局次長から暗号解読班の解読した通信文に目を通してから眉をひそめた。

 ヴァルター・シェレンベルクの通信文を受けて、ただちに刑事警察局長のアルトゥール・ネーベ親衛隊中将と国家秘密警察局長のハインリヒ・ミュラー親衛隊中将とが招集された。

 ちなみにシェレンベルクのストックホルム訪問団に同行していた刑事警察局所属のアイルランド人狙撃手は、現場の警護と捜査をオットー・スコルツェニー中尉に任せる形で、一足早く帰国していた。

「外務省の連中か……」

 苛立ちを隠しきれないゲシュタポ・ミュラーはカルテンブルンナーの顔を見ようともせずにそう呟くと、タイプライターで打たれた書類を太い指でめくる。

 そんなミュラーをちらりと見やってアルトゥール・ネーベも溜め息をついた。

「おそらく外務省に潜伏するテロリスト共の仕業だろうということだ」

 ミッキー――キーン・マクナリーの提出した報告書に目を通しながらネーベが言うと、不機嫌そうな顔のままでミュラーが胸の前で腕を組んだ。

「それにしても解せんな」

 うなるようにそう言ったミュラーは首を傾げてから会議用の机に視線をおろした。

「全く」

 そんなミュラーにネーベが同意の相づちを打った。

「マリーはたかだか一部局長に過ぎんわけだし、仮に狙ったのだとしても、シェレンベルクの使節団だ。厳重な警護がついていることは外務省に所属している以上、連中もわかりきっているだろう。それを、どうしてただの一部局長でしかないマリーを、わざわざ狙う?」

 確かに、占領下のフランスでは、ナチス親衛隊の士官であるというだけの理由から多くの親衛隊将校たちが常に地下組織による拉致、あるいは報復行動に晒されている。しかし、それでも多くの場合、”たまたま”ひとりになったところを狙われたり、少人数で行動しているところを襲われる。

 ストックホルムで、要人と接触していた厳重な警護のもとにある士官を襲撃するのはどこからどう見ても利にかなっていないと言えた。

 ミュラーが指摘したのはそこだ。

 合理的ではない。

 ハインリヒ・ミュラーの言葉にカルテンブルンナーは軽くテーブルの面を指先でたたきながら鼻から息を抜いた。

 そもそも彼女が狙われること自体理屈に合わないのだ。

「確かに、親衛隊長官の私設警察部隊の隊長となればそれなりに長官に対する交渉のカードにすることができるかもしれんが、もしも交渉カードにするとしても、最初から殺害するつもりで狙撃するというのが利にかなっていない」

 同調するようにカルテンブルンナーがそう言えば、黙り込んでいたネーベはマクナリーの報告書を最初から見返してから視線を上げた。

「おそらく」

 マリーの命を狙うというのは、つまりそこまで危険を冒してでも知りたかったことがあると考えたほうが手っ取り早い。

 夏に起きた襲撃事件からそれほど時間がたっていないことを考慮すれば、襲撃の目的も自ずと推察できた。

「おそらく、連中の狙いはマリーだけではなかったのだろう」

 ネーベの言葉にカルテンブルンナーは鋭い光を瞳にちらつかせてから舌打ちした。

 彼女と共にスウェーデンのストックホルムを訪れているのは、国家保安本部のエリート中のエリートで、彼が大物スパイであるということは一部の人間にしか知られない事ではあるとは言え、ヴァルター・シェレンベルクが高官であるというところには疑いがない事実だった。

 反ドイツ、あるいは反ナチスの地下運動組織は、ありとあらゆる手段でナチス党(NSDAP)、もしくはナチス親衛隊の力を削ごうとしていること。

「”彼”は自分の身の危険については自覚しているのかね?」

 ネーベが言うと、カルテンブルンナーは肩をすくめた。

「わかっているだろう」

 ヴァルター・シェレンベルクは、国外諜報局長として多くの諜報部員と情報将校を束ねる身でありながら、自らもまた大物スパイとして活動している。それは国外のみならず、国内においても同様だった。

 それらの状況的な推測から、シェレンベルクが自分の置かれた立場を完全に理解しているとカルテンブルンナーは考えた。

「”あれ”は慎重な男だからな。そうそう軽率な行動は取るまい」

 全てを計算の内で行動している。

 視野が広く、考えが柔軟で用心深い。

 もっともそれは決して褒め言葉ではないし、シェレンベルク自身も周囲からの自分に対する評価は理解しているだろう。

 そこまで言ってから、エルンスト・カルテンブルンナーは気がついてしまった現実に、ふと苦い表情を浮かべた。

 彼は見た目の優男振りから想像できないほど、慎重で周到な男だ。

 それが周りの彼に対する評価で、だからこそ今は亡きラインハルト・ハイドリヒからも、その右腕として認められていた。

 そう考えると、おそらく彼の今回のストックホルムでの行動も、計算の内ということになるわけで、要するに「そういうこと」なのだろう。

「いずれにしろ、大した被害がなくてなによりだ」

 抑え気味の声で独り言のようにそう言ったミュラーは、ところで、とシェレンベルクらの問題から話題を変えた。もっとも変えたと言っても、話題はその延長でしかないのだが、いつまでも感情的なところにかかずらっていては話しも業務も進まない。

「ところで、マリーの無事は確認がとれたからともかくとして、そろそろ本格的に外務省に捜査のメスをいれるべきなのだろうな」

 まるで今の今まで完璧に状況を把握していて、いよいよ目に余るとでも言いたげなミュラーの口ぶりに、カルテンブルンナーは大学時代の決闘で受けた刀傷のある厳つい顔でにやりと笑った。

「そのようだな。案外、きっかけは先方が自ら作り出してくれることが多々あるものだ」

 遠回しな皮肉な物言いに、ネーベは睫毛を伏せる。

 これはナチス親衛隊のいつものやり口だ。

 徹底的に「敵」を追い込み「絶滅」させる。

 そこには同じ民族だとか、異民族だとか、そんなものは関係ない。

 ゲシュタポの薄汚いやり口を、ネーベは心の底から嫌っていたというのに、声を大にして否を唱えることができないままで底なしのぬかるみにはまり込んでいく。

 ナチス親衛隊、国家保安本部(RSHA)に所属し、その片棒を担いでいる。

「しかし無関係の官僚を裁くのは、今後の業務に支障が出るのでは?」

 言葉とは裏腹に過激な色彩を瞳にたたえているミュラーとカルテンブルンナーに、ネーベが告げると「もちろん」と言いながら、国家保安本部長官は頷いた。

「おそらくこれらの動きに対して、外務大臣閣下は気がつかれていないところもあるのだろう。だから、無闇矢鱈と無関係の者にまで罪を問うつもりは毛頭ない」

 国家機能に重大な支障がでてくることはカルテンブルンナーもわかっている。

 だが、国政の中枢に巣くう反逆者を放置することなどできはしない。

「それならば良いが」

 ナチス親衛隊内部の腐敗は深刻だが、国家中枢の腐敗はもっと深刻であることをネーベは知っていた。

 彼の知る限り、高官であるという理由から無罪放免された者もまた多い。

「”大至急”、外務省に潜む不穏分子を検挙せよ」

 下された命令にゲシュタポの長官、ハインリヒ・ミュラーは踵を鳴らすように立ち上がって礼を取った。

承知しました(ヤヴォール)!」

 慌ただしく会議室を出て行ったミュラーを見送って、カルテンブルンナーは気難しい表情のままで今度は刑事警察局長のアルトゥール・ネーベに向き直る。

「外務省の捜査については、先頃からゲシュタポが権限を握っているから、わたしには別件が?」

 若い法学博士に対して問いかけたネーベに、カルテンブルンナーは一枚の紙切れをファイルから取り出して机の上を滑らせた。

「ゲシュタポでは先方に不用の警戒をされるだろうからな。いずれにしろ国家保安本部所属となればあちらは良い顔をしないだろうが、原子爆弾開発チーム(ウラン・クラブ)に対する警護の強化を要請する電文がシェレンベルクから届いた。クリポのほうから人をやってくれ」

「了解しました」

 答えてからネーベは解読された素っ気ない暗号文を眺めてから、数秒して顔を上げる。

「これは、例の……――アメリカ大統領暗殺に絡む?」

「シェレンベルクに言わせると、アメリカの鼠が静かすぎるらしい。もっとも、諜報部員の考えることなどわたしには到底理解できんことだがな」

「……なるほど」

 アメリカとドイツは戦争をしているのだ。

 戦争をしている以上、常に国内問題と、戦場での問題と。いくつもの「大問題」を政治家や官僚は抱えているということになる。そして、ひとつの大問題が起こったからといって、他の問題の処理や、行われている状況を停止させるわけにはいかない。

「アメリカも必死ということなのだろう」

 アメリカ合衆国の国力は国家保安本部に所属するカルテンブルンナーを含めた多くの情報員たちも把握しているところだった。

 彼らの力は決して見くびってはならない。

「それにしても、祖国の一大事だというのになんとも暢気なものですな」

 穏やかなともとれるアルトゥール・ネーベの言葉にカルテンブルンナーは組んでいた腕をほどいてから、目の前のファイルを閉じる。

「……シェレンベルクが言うように、やはり裏でなにかしらが動いているということになるのか。その辺りは捜査する必要もあると思われるが、このような状況下ではな。そればかりに時間をとられるわけにもいかん」

 周りの人間たちが想像するよりもずっと国家保安本部の業務は多岐にわたっている。

 情報将校、諜報部員のみならず。捜査官ですらも人手不足と言って過言ではない。目下のところ、治安維持組織としての警察部隊の強化の必要性に迫られているが一朝一夕でどうとなる問題でもない。

 現状として頭痛はするが、持てる「兵力」でなんとかするしかないのである。

「ウラン・クラブのほうの警護はお任せください。それよりも、裏でなにかが動いているということでしたら、その手の専門家を動かすのが無難なのでしょうな」

「うむ」

 わかっている、とでも言いたげなカルテンブルンナーが軽く片手を手のひらの上で振った。

「わかっている」

 カルテンブルンナーはそう言った。

 ゲシュタポも、刑事警察(クリポ)も決して諜報活動の専門家というわけではないのだ。

 もちろん、捜査についてはずぶの素人同然のゲシュタポはともかくとして、ネーベの刑事警察には捜査のプロが揃ってはいるのだが、捜査のプロがいるからといって諜報活動に長けているというわけでもないのだ。

「では失礼します」

 ネーベはそう言うと、ミュラー同様敬礼をして退室した。

 ひとりきりになった会議室でカルテンブルンナーは深くソファに体を預けるようにすると、両手の指を組み合わせるようにして目を閉じた。

 報告書ではマリーが少しばかり傷を負ったらしい。

 本来であれば頭を直撃するところだった狙いがたまたまはずれた。けれども結局無傷ではすまなかった。もっとも、傷とは言ってもかすり傷にも入らない程度のもので心配はなさそうだ。

 無事で良かったと、そうしてエルンスト・カルテンブルンナーは安堵の溜め息をついた。

 とりあえず、シェレンベルクが組織した警護部隊の隊長――オットー・スコルツェニーは確かに指揮官としての器にあるようだ。

 ヴァルター・シェレンベルクの唱える国家保安本部の特殊部隊の設立の必要性。

 混迷きわまる状況で彼らをどのように使うのか。今のところ、カルテンブルンナーにはそのヴィジョンが見えてこない。計画をぶち上げたシェレンベルクにはそれなりの目的がありそうなものだが、いったい彼はなにを想定しているのだろう。

「それにしても、原子爆弾開発チーム(ウラン・クラブ)か……」

 厄介な存在だ。

 彼らの存在が明るみに出れば、同じような目的で敵も計画に着手しているだろう。なによりも、ドイツ第三帝国が新型爆弾の可能性について開発と計画を進めていることは、おそらく敵――連合国軍にも情報は伝わっているはずだ。

 そうなると自ずと彼らが妨害工作や諜報活動を行ってくることは目に見えている。

 ウラン・クラブの存在そのものは大したものではないが、その情報を狙う敵がいるということは問題だ。

 戦争とは、常に強大な兵器を敵よりもいかに早く実用化するかということにかかっている。そしてそれらの開発には得てして莫大な資金を必要とするものだ。

 原子力を利用する強力な兵器。

 そんなものが果たして完成するのか。

 仮に、完成させたとしても同じような兵器を誰しも考えるのではないか。

 昨年の戦争でドイツ陸軍に大きな衝撃を与えることになった、ソビエト連邦の重戦車のように。

 兵器とは、諸刃の剣だ……。

 カルテンブルンナーは腕を組んだままで考え込んだ。

「巨大な力と力が激突したときの衝撃も考慮せねばならん……」

 それはそう。

 強力な力と力がぶつかったときの衝撃もまた馬鹿にできないのだ。そこに生じるだろう力を想定しそれらの力を制御しなければ、ダイナマイトを開発したアルフレッド・ノーベルの二の舞になるだろう。

 そこに存在するのはもはや戦争ではない。

 ――ただの殺戮だ。

閣下オーバーグルッペンヒューラー、ストックホルムからお電話です」

わかった(ヤー)

 とりとめもないことを考えていたカルテンブルンナーは、副官の青年に声をかけられて目を開くと同時に椅子を蹴るようにして立ち上がった。

 ストックホルム――マリーからの電話なら良いのに、といくばくかの期待を持ちながら。

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