13 つわもの共が夢の後
ホテルの中庭に到着したヴァルター・シェレンベルクが見たものは、親衛隊中尉オットー・スコルツェニーの腕の中でぐったりと意識を失っているマリーだった。
ちなみに前回、プリンツ・アルブレヒト・シュトラッセの出入り口付近で狙撃を受けた時は、泣き叫んで錯乱状態に陥ったことを考えると、今回も落ち着いていられたとはとても思えない。そうした状況から推察するに、要するに「そういうこと」なのだろう。
「”それ”は?」
「はっ、……錯乱しかけたので、少し静かにしていただいたのですが」
言葉使いこそ丁寧だが、スコルツェニーの言う内容はもちろん物騒だ。ついでにシェレンベルクの想像通りで、釈明する部下の言葉に年下の上官は小さく肩をすくめてみせた。
「構わん、ご苦労」
それで、と言葉を続けながらシェレンベルクはスコルツェニーの説明を促した。
「どんな様子になっている?」
「はい、狙撃手のほうはこちらで始末いたしました。あと、ぐるになっている連中のことは迅速な”追撃”を命じました。それにしても、”彼”はなかなか腕の良い狙撃手ですな」
腕の中で失神している少女を抱え直してスコルツェニーは、シェレンベルクがゲシュタポの捜査官として同行させたアイルランド人を評価した。
暗号名はミッキー。
「どうも」
屈強な男からの高評価に、目線だけを軽く下げた「裏切り者」の狙撃手は、薄い唇の端で大して面白くなさそうにかすかに笑みを浮かべてから、表情を隠すようにしてキャスケットを目深にかぶり直した。
愛想は良くないが腕は良い。
それがシェレンベルクのミッキーこと、キーン・マクナリーに対する評価である。
ちなみに一応、国家保安本部の一員と言うこともあり、当然のようにナチス親衛隊における身分も所有している。
彼がなにを考えているのかは、スコルツェニーなどには到底理解できはしない。シェレンベルクが示した彼の履歴によれば、イギリス軍の特殊部隊に在籍してドイツ占領下での地下活動や破壊工作、諜報活動に携わったということになっている。そんな敵が、どうして今はドイツので諜報部長のもとで働いているのか。
「ミッキー」
「はい?」
シェレンベルクに呼び掛けられて、マクナリーは懐からタバコを取り出しながら目線を上げた。
「連中の腕はどうだ?」
「さて。敵の腕がどうとかこうとか、余分なことは任務の最中には特に考えたりしませんが、そうですね」
どうでもよさそうな眼差しのまま呟いた彼は唇でタバコをくわえてから、じっと初冬の空を見上げた。
「武器の扱いも知らんど素人の子供を狙って外すっていうのは、腕が良いとは言えませんな」
そう言ってからちらとスコルツェニーの抱いている少女の頭を眺めた。
ちなみにシェレンベルクも、周りの人間に対して余分なことを言いふらしているわけではない。つまるところ「ど素人」の子供というのは、あくまでもマクナリー個人の私見である。
「おそらく、ベルリンでかぎ回っていた奴らの仲間かとは思いますが、そのあたりについては捕まえてからでないとなんとも言えませんね」
ベルリンで国家保安本部の周囲をかぎ回っていた人間たちの仲間。
「なるほど。スコルツェニー中尉は捜査を続けてくれ」
「承知しました」
ヴァルター・シェレンベルクがそんなやりとりを部下たちと交わしていると、ようやくその場に現れたフォルケ・ベルナドッテ伯爵が、訝しげな眼差しを青年士官に向ける。
「これはいったいどういうことだね?」
「お騒がせいたしました、閣下」
前置きをしてからシェレンベルクは少しばかり困った様子で小首を傾げる。
たった今までの態度とは全く異なった慎ましやかな彼の対応に、ベルナドッテは視線を長身の下級士官の腕の中の少女に投げかけた。
「……君の愛人、というわけでもなさそうだが?」
「そうした意味」で、肉体関係を結ぶには発達不良の、とも思える華奢な少女。マントを身につけていても尚華奢に見えるのは、それだけ痩せているということだろう。ちなみに痩せているということは、北国の人間にとっては余り好ましいことではないとベルナドッテは思う。
いつ飢饉が襲うかもしれない土地柄で、体力に欠けるのは考え物だ。
ナチス党の方針に賛成するわけではないが、健康的とも思えない少女がいくらかわいらしくても余り美的だとは思えない。
「彼女は、本官の部下です。閣下」
「ふむ」
ナチス親衛隊に女性士官がいるというのは初耳だった。
片手で顎を撫でながらしげしげとマリーを観察しているベルナドッテに、ヴァルター・シェレンベルクはもっともらしい説明をした。
「どうやら彼女がベルリンでは狙われることが多く、安全確保のためにも今回はわたしの使節団に同行させております」
「……――」
ナチス親衛隊唯一の女性将校。
それなりにもっともらしい説明を受けたベルナドッテは特に反論を口にするわけでもなく、無言を貫いたままで華奢な少女を見つめたままだった。
もちろん、そんなベルナドッテの反応があることなどシェレンベルクはすでに予想の上だ。フォルケ・ベルナドッテがマリーの立場に対して不信感を持つことも計算に入れた上で行動している。
「それにしても、危険な目にあっているのであれば、そうした立場から解任することのほうが利にかなっていると思うのだがね」
「どちらにしろ、ラテンの連中の考えることは同じです。任務から外されようと外されまいと狙いをつけてくることは知れています。でしたら、安全確保の必要があるのではないかと考えております」
一度、国家保安本部に関わった以上、フランスの地下組織――マキはどこまでもマリーを狙ってくるだろう。おそらく、彼女の存在も地下組織の抵抗活動家たちのところから流出したのだろう。
写真のこともそうだ。
――おそらくマキでしょうな。
それがマクナリーの見解であり、シェレンベルクの見解だ。
「……こんな子供相手に躍起になってまで報復行動に出るだろうか?」
「閣下、戦争とは残酷なものです」
素っ気ないほど冷静に、ヴァルター・シェレンベルクはそう告げた。
戦争とは、残酷で冷徹だ。
占領下の土地ではまだ十歳程度の子供たちが、地下組織の手先として使われることもままあることを、シェレンベルクは知っている。
だからこそマリーが国家保安本部の一員と知れば、誰もがアキレス腱として狙ってくることもわかりきっていた。
明確なシェレンベルクの台詞に、言葉を失ったフォルケ・ベルナドッテはそれから長い間、シェレンベルクとスコルツェニーを前にしてなにか考え込んでいる様子だった。
「わたしは……」
掠れたベルナドッテの声が響く。
「……わたしは、こんな世界は間違っていると思うのだ」
子供が狙撃で殺されるような世界があってはならない。
そんな世界に誰がしてしまったのだろう。
「戦争の真の被害者は、兵士ではありません」
ベルナドッテの言葉を追いかけるようにして、シェレンベルクはそう告げた。
「戦争の被害者とは、常に弱者なのです」
抵抗する力も持たない子供や女、年寄りたちが犠牲になる。そしてそれは自然の摂理として当然の成り行きであることも。シェレンベルクにも、ベルナドッテにもわかっている。
自然界では弱いものは生きていく権利などありはしない。
常に強い者だけが生き残る資格を持っているのだ。
シェレンベルクの言葉に、ベルナドッテは何度も「わかっているのだ」と呟いてから、そうして長い溜め息をついた・
*
銃撃を受けたことによって強い錯乱状態に陥りかけたマリーが、泣き叫びかけた一瞬はオットー・スコルツェニーのやや乱暴な一撃によって回避された。かなり容赦なく殴られて意識を失った彼女は、それからしばらくしてからホテルの一室で目を醒ました。
ちなみにシェレンベルクは全てをスコルツェニーから説明されなくても察していて、それは正しい判断だったと考えていたから、スコルツェニーの危機回避策について咎めることはない。
女子供が泣き叫んで暴れることのほうが余程迷惑極まりない。
「目が醒めたか」
金色の睫毛を震わせて、瞼をあげたマリーは耳に馴染んだ男の声に枕の上でそっと首を回す。
「まだどこか痛むか?」
「……首が痛いわ」
無意識に腕を伸ばして起き上がろうとしたマリーは、首に走った痛みに顔をしかめてから小さく悲鳴を上げた。
「無理はするな」
「ううん、大丈夫よ」
シェレンベルクの腕に抱き起こされたマリーは手刀を振り下ろされた首の痛みに何度も眉をひそめてからそのたびに溜め息をつく。
「ちょっと痛いだけ」
スコルツェニーに殴られたことについては触れずにシェレンベルクは、優しく少女の首筋を手のひらで撫でてやってからその青い瞳を覗き込んだ。
「まだ動けそうなら、次の訪問先に連れて行くが、どうする?」
「行くわ」
にこりとマリーが笑う。
今のところ、マリーは狙撃されたことよりもスコルツェニーに殴られた首のほうが気にかかるらしく、何度も細い指先で触れて首を回しては痛みにキャンと子犬のような悲鳴を上げた。
一瞬のことだったから誰に殴られたのかもわかっていないのかもしれない。
「君を狙った奴らのことは、部隊で追っているから心配いらん」
「そうなの?」
そう言われて見れば、撃たれたんだっけ?
いまひとつ要領を得ない言葉をシェレンベルクに返しながらマリーは、わずかに痛む頬を指先で触れた。
キーン・マクナリーの言うところの腕の悪い狙撃手だったということで、奇跡的に銃弾が頬をかすめる程度ですんだため、大した処置もしていない。
「でもわたしを連れてきて良かったでしょ?」
ニコニコとマリーは、シェレンベルクの胸中を知ってか知らずかそう言った。
「……――”それもそうか”」
サイドテーブルの上の乗った灰皿にタバコを押しつけてもみ消したシェレンベルクは、ベッドサイドに足をおろした少女を見守りながら、部屋の扉をノックする音に肩越しに視線を滑らせる。
「ベルナドッテ伯爵閣下がおいでです」
スコルツェニーの声だ。
「お通ししろ」
「はっ」
こつりと靴音を響かせて精悍な顔立ちの近衛将校が室内へと案内された。
清楚なスカートの裾を指先で直してやりながらシェレンベルクは、再びベルナドッテに礼儀正しく一礼する。
「彼女は、マリア・ハイドリヒ。親衛隊少佐です」
「マリーです」
小首を傾げてベルナドッテににっこりと笑った彼女は、どうも貴族――上流階級に対する礼儀を知らないようだ。
上官のヴァルター・シェレンベルクとは大きな差だ。
少女のことを観察しながらフォルケ・ベルナドッテがそんなことを考えていると、マリーは首を手で押さえてから「あ、痛……っ!」と悲鳴を上げて飛び上がる。
「無理をするなと言っている」
ベルナドッテの考える通り正真正銘のプレイボーイらしいシェレンベルクは、悲鳴を上げた少女を自分の腕の中に優しく抱き込みながら「失礼いたしました」と丁寧に、スウェーデンの外交官に会釈した。
手のひらで優しく少女の首を撫でてやる青年にしがみついてその胸に顔を埋めてしまっている華奢な少女と彼は、さながら歳の離れた兄妹のようにも見えた。
「大きな怪我をしなくてなによりだ」
マリーのそんな様子を認めてからベルナドッテはそう言うと、シェレンベルクと二言三言交わして会談場所となったホテルを立ち去った。
おそらく、自分の目と鼻の先で襲われた少女の無事を確認もせずに帰途につくということは、ベルナドッテの道義的に許されなかったのだろう。
そんな形式張ったものなら必要ないのに、と思いもするがそこはやはり二国に跨る情報戦の一角だ。
常に状況を主導していなければならない。
知る限りの全ての事象を、手の内にすることこそが重要だ。
「感じの良い人ね」
「そうだな」
フォルケ・ベルナドッテのことをマリーはそう言った。
「上級大佐殿」
仲睦まじい兄妹のようにも見えるふたりに、オットー・スコルツェニー中尉はどう声をかければ良いものかと困惑しきった顔のままで呼び掛けた。
「どうした」
「少佐殿を襲った連中ですが、やはり外務省の関係者のようです」
「わかった。まぁ、そんなところだろうな」
冷ややかなほど冷静にシェレンベルクがそう言うと、スコルツェニーは手元の報告書に視線を落としながら口を開いた。
「どうやら大使館を通じて情報が漏れたようです」
「間抜けなシャンパン商人だ」
吐き捨てるように小さく独白してから、シェレンベルクはマリーを腕の中に抱きながら、ゆっくりとした歩調で歩きだすといくつかの指示をスコルツェニーに飛ばした。
「午後は予定通り、大日本帝国の小野寺陸軍大佐のもとを訪ねる。あとは、大至急盗聴の危険性がない海外へつながる回線を確保しろ。ただし、外務省は信用するな」
「承知しました! 上級大佐殿!」
使節団の人間が狙撃されたというだけでも大問題であるはずなのに、指揮を執るシェレンベルクは驚くほど冷静でそれがスコルツェニーのシェレンベルクに対する評価をさらに高くする要因となった。
彼は決して外見だけではない。




