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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XVI 大海嘯
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13 丑三つ時

「どう思うかね?」

「はぁ……――?」

 なにか気にかかる事でもあるのか、ハインリヒ・ヒムラーは苛立たしげな様子で経済管理本部(WVHA)長官のオズヴァルト・ポールに問いかけた。

「どうと言われましても……」

 このナチス親衛隊にしては異端の経営者然とした男は、豪勢なソファに腰を下ろしている親衛隊長官を見つめてから腕を組み直す。

 親衛隊長官ともなれば多忙なのはやむを得ない。あちこち走り回っている彼は夕方も遅くなってからポールのもとを訪れた。同時に呼び出されたのは強制収容所総監のリヒャルト・グリュックスとブーヘンヴァルト強制収容所長であるヘルマン・ピスターだった。

 先日のヒムラーの鶴の一声によって、いくばくかの反対と抵抗という障害はあったものの、強制収容所の看守たち身分は正式に武装親衛隊から一般親衛隊へと変更された。

 これによって肩をおろしたのは武装親衛隊を指揮する親衛隊作戦本部長官ハンス・ユットナー親衛隊大将である。第三SS装甲擲弾兵師団――髑髏(トーテンコップフ)の師団長である、テオドール・アイケはかつて自分が築き上げた強制収容所の看守たちの地位が剥奪されること――別に階級が変わるわけではないのだが――に、最大限の抵抗を示したが、結局ヒムラーは頑として首を振らなかった。

 気の弱いヒムラーにしては珍しいことだった。

 誰かの入れ知恵でもあるのだろうか。多くの者がそう勘ぐったほどである。

「ホリア・シマは危険な男です。それを長官閣下はご存じでいらっしゃるはずですが」

 ポールが返答に困っているとリヒャルト・グリュックスがそう応じる。

「わかっている。だから、君たちの”意見”を聞いているのだ」

「……意見、ですか」

 ヒムラーに言われて、グリュックスはそう答えながら首をすくめたくなるのをぐっとこらえて応接室の天井を見上げた。

 腕を組んで厳しい顔をしてしまっているポールは黙り込んでいる。

「長官閣下、連中……――いえ、シマは危険すぎる男です」

 暴走しかねない。

「シマの手綱をとることができれば可能だとも思うのだが、どうだろう」

「お言葉ですが、閣下」

 希望的観測で言葉を放つヒムラーにブーヘンヴァルト強制収容所長であるヘルマン・ピスター大佐が口を開いた。

「収容されている連中の性質を考えると、わたし個人としましては釈放など言語道断です」

「わかっている。だからこそ彼らはブーヘンヴァルトにいるのだ」

 わかっている。

 そう言ったヒムラーにポールが視線をやった。

「つまり状況が変わりつつある、ということですかな?」

 急速にドイツを取り巻く状況が変わっていることは、ポールも肌で感じ取っていた。それでも、危機的な状況を完全に拭い切れたわけではないが、以前よりは随分とましな事態に落ち着いている。

 戦況が逼迫(ひっぱく)すれば、困窮するのは国内なのだ。

 そうした観点からしてみれば、できるだけ早く戦争が終結してくれたほうがポールとしてもありがたい。ついでに親衛隊内部に発令されたユダヤ人を含めた異民族問題に対する命令が、一本化されると尚ありがたい。

 とりとめもなくそんなことを考えながら言ったポールに、ヒムラーは小さく頷いた。額に冷や汗が浮かんでいるのは、彼が小心者であるという性質を捨てきれないからだろう。いつも、誰に対してもおどおどとしている。

「どちらにしろ、彼らを言いくるめて”作戦”に駆り出すことができれば、あるいは北アフリカ戦線の状況を好転させることができるかもしれん」

「ですが、連中は所詮ただのならず者ではありませんか」

 無抵抗な人間たちを虐殺する程度にしか能がない。

 そんな犯罪者たちを野に放つことは反対だった。

 思うとおりに彼らが動くとも限らない。

「……それはそうなのだが」

 もしやなにも目算も立てずに話しを経済管理本部に持ち込んだのではなかろうか。ちらりと頭をかすめた考えは口にはせずにポールは腕を組み直してから「うーん」とうなり声を上げた。

 計画を持ちかけてくるのはポールとしては一向に構わない。

 構わないのだが、ここまで考えなしの計画ではたかが経済管理本部長官のオズヴァルト・ポールにはどうすることもできはしない。

 これが自分より地位が低い人間であれば「なにか有効な計画を立案して出直してこい」と門前払いも可能なのだが、親衛隊長官相手ではそうもいかない。そんなわけで、やれやれと溜め息をついてからポールは一同を見渡した。

「それで、長官閣下。特に考えなしというわけではありますまいが」

 そう言ってヒムラーの発言を促してやるくらいがせいぜいだ。

「……思うのだが」

 笑わんでくれよ。

 そう付け加えてヒムラーはローテーブルを見つめてから何度か口を開きかけて、ようやく言った。

「確かにシマは危険な男だ。だが、危険だからこそ使えるとも思うのだが……」

 要は彼を押さえつけられる男がいればいいのだろう。

「それで、シマをなにに使おうとおっしゃるので?」

「ヨーロッパ南部では、ユダヤ人移送計画がなかなか滞っている。東部の方は余り問題がないがな」

 どちらかと言えば、東欧や中欧のほうがユダヤ人の人口も多数を占める。それゆえに東欧、中欧ではユダヤ人に対する偏見が強いとも言えた。そんな東欧諸国の反ユダヤ主義の急先鋒とも言えるのが、ホリア・シマの率いた強烈な反ユダヤ主義政党だった。

「シマに、ラテンのユダヤ人移送計画を推進させようというわけですかな?」

 ルーマニアにおけるシマの率いる鉄衛団の暴虐振りは記憶に新しい。ホリア・シマほどの強烈な反ユダヤ主義者となればフランスのヴィシー政権とウマが合わないのではなかろうかとも思うが、そのあたりの見通しはどうなっているのだろう。

 シマによってラテン地方のユダヤ人を殺戮されてもポールとしては困るのだ。

 彼らは重要な労働力だ。

「しかし、シマ……、ですか」

 暴れ馬を御せることはできるのだろうか。

 えてして上層部というものは無理難題を押しつけてくるものだが、それにしたところで無理難題にも程がある。深々と溜め息をついたポールはグリュックスを見やってから小首を傾げた。

「どう思う? グリュックス中将」

「奴を制御できる人間がいれば、ですな」

 ホリア・シマにとって外国人であるドイツ人の命令などはたして聞くだろうか?

 そもそもルーマニアの首相――イオン・アントネスクが手を焼いたくらいなのだ。シマの凶暴性など知れている。おそらくルーマニア国王にも彼を制御することなどできはしない。

 まだ若いからこそシマは活力に溢れていた。

「そういえば、ルーマニアと言えば、外相閣下が訪独されていると聞いておりますが、その旨を打診してみてはいかがですかな?」

 ポールが告げるとグリュックスが首を傾げた。

「アントネスク外相閣下か……」

 国家保安本部に所属している若者ふたり組が見物に行ったらしい、という話しは噂で聞いた。

 若者ふたり組――その発起人(言い出しっぺ)のシェレンベルクは、単にミハイ・アントネスクの情報を集めに行っただけなのだろう。彼の行動は全てが計算され尽くしている。

「アントネスク外相にシマを押さえてもらおうというわけですか?」

 グリュックスが問いかけるとポールが左右に首を振る。

「いや、無理だな」

 狂犬――ホリア・シマ。

 彼を徹底的に押さえつけることができる人物など思いつかない。要するに打つ手がないというところだが、いっそのこと全ての計画を移送の全責任を負っている国家保安本部ゲシュタポのアイヒマンに押しつけてしまってもいいのかもしれない。

 もっとも小物のアイヒマンにシマが制御できるなどとは、グリュックスもポールも思ってはいないが、無理難題の解決に頭を使うのはどうにも気持ちが良いものではない。

 すっきりしない。

 そんな感想を抱いたピスターは鼻から息を抜いた。

 ポールとグリュックスなどと比較して、自分には全く発言権がないし、ヒムラーもまともに取り合うことなどしないだろう。

 ――お偉方だけで勝手に話しをしていればいいものを。

「もちろんそんなことは不可能だと思っているが、なにか手立てを知っているかもしれん」

 相変わらずヒムラーの考えなしの発言に、ポールは「どうでしょう」と答えながら、すでに場の雰囲気に飽き始めているピスターを見やってから提案した。

「このようなところで、推論ばかり並べていても無意味です。長官閣下ライヒスヒューラー・エスエス、ピスターはもう帰してもよろしいのではありませんか? 決定事項を彼に伝達すれば良いだけのことです」

 所長であるピスターがいつまでも、管理する強制収容所を離れているわけにはいかない。

「……それもそうか」

 高官同士の話し合いにピスターがいたところで意味はない。

 ポールの言葉に納得したヒムラーが、ブーヘンヴァルト強制収容所長にその場から退室を許可した。

 失礼いたします、と言い残して三人の親衛隊高級指導者たちの前をヘルマン・ピスターが辞したのを確認してからポールはソファに座り直した。

「シマの危険性はともかくとして、ルーマニアの機嫌を損ねるような事態になるのは好ましいとは思えません」

 アントネスク政権は、クーデターを起こすきっかけになったシマの鉄衛団に好意的なものは感じていないはずだ。そして、そんなクーデターの原因になったシマを釈放するようなことになれば、ドイツとルーマニアの関係に亀裂をいれかねない事態となるのは明らかだった。

 周りは敵ばかりだ。

 そして、なによりもナチス親衛隊がヒトラーに無断で動くようなことになれば、突撃隊の二の舞になりかねない。

 絶対に、それは避けねばならなかった。少なくとも、それだけはヒムラーとポール、グリュックスも意見を同じくしていることだ。

 外交的にも、国内の力関係としても好ましくない。

 ナチス親衛隊の独断だけで動くわけにもいかないし、ただでさえ外務省とはぎくしゃくしているというのに余分な亀裂をいれることにもなりかねない。どちらにしたところでナチス親衛隊にとって問題が山積みだった。

「わかっている」

 ヒムラーがポールの言葉にムッとしたようにつぶやいた。

 どうしようもないことが多すぎる。

「もしくは、シェレンベルクがアントネスク外相に接触したのだとすれば、そこからなにか手立てが見つかるかもしれん」

「だといいのですが……」

「ともかく、もう少し検討してから連絡することにしよう」

 絶対に思いつきで話しを持ってきたなと、げんなりしながらポールとグリュックスは経済管理本部から出て行ったヒムラーを見送った。

「どうなりますことやら」

 言ったグリュックスにポールが応じる。

「……しかし、思ったよりもヒムラーがまともに機能している」

 冷徹にも感じられるポールの言葉。

 ほとんどの人間がヒムラーに忠誠を誓っている訳ではない。たまたまナチス親衛隊という組織がドイツ国内で権力の中枢に接近するためには都合が良いだけの話しだった。

「誰かが彼に入れ知恵でもしているのでしょうか、長官閣下オーバーグルッペンヒューラー

「かもしれん」

「ハイドリヒの亡霊が?」

「……亡霊なぞただの妄言だ」

 いるわけがない。

 こんな科学が発達した時代に。

 亡霊などがいるとすればとっくに好奇心旺盛な科学者たちが解明しているだろう。

 ハインリヒ・ヒムラーという男に強い影響力を与えていた初代国家保安本部長官にしてベーメン・メーレン保護領副総督――ラインハルト・ハイドリヒ。

 彼はすでに鬼籍(きせき)に入っている。

 ――亡霊など、いるわけがない。

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