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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XV 方舟
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12 指揮官の資質

「失礼いたします」

 きびきびとした声が聞こえて、国外諜報局長ヴァルター・シェレンベルク親衛隊上級大佐は壁に掛けられている時計を見直してペンを置く。面倒臭そうに、執務机の片隅に置かれていたブロッターをとると、サインした書類の上から押しつけるようにして青年は入ってきた男を見やる。

 そうして革張りの椅子に深く座り直したシェレンベルクは息をついてから、腹の前で両手の指を組み合わせる。

 ありがたいことに、と言うべきだろうか。

 マリーの日々の相手をしているのは特別保安諜報部の首席補佐官と次席補佐官だ。どういった経緯(いきさつ)で、彼らがその地位に抜擢されたのかはシェレンベルクも知りはしない。

 なにせ命令を下したのは親衛隊全国指導者、ハインリヒ・ヒムラーだ。さらに言うなら、ヒムラーは自分の副官とも言える親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官のカール・ヴォルフ親衛隊大将にも、ベストとヨストの異動の理由を告げていないらしい。しかし、気まぐれで気が弱い彼を動かしたものがなんだろうと、ヒムラーの中でなにかしらの変化が起こっていたと考えるほうが妥当なのかもしれない。

「時間通りだな」

「……はっ」

 相手は自分よりも年長者だ。

 しかし、ラインハルト・ハイドリヒの下でエリート街道を邁進してきた彼は、自分よりも年上の部下など今まで山ほど使ってきた。だから今さら相手の年齢如きで、シェレンベルクがうろたえることはない。

 ナチス親衛隊は時間に正確だ。

 下っ端は知らないが、少なくともシェレンベルクの関知する範囲内では。

 ちなみに中には例外も存在していて、その例外というのが「マリー」である。

「それで、どうだ? 例の部隊の訓練の進み具合は」

「まずまずですね、まぁ、当初はどうなることかと思いましたが」

 身分はナチス親衛隊中尉及び、武装親衛隊中尉及び警察中尉である。

 状況はどうなっているかと問いかけられて、目の前の大男は低く口元に笑みをたたえるとそう告げた。

 オットー・スコルツェニー親衛隊中尉は、自分よりもはるかに上の階級の相手に、飄々とした表情のままで応じるとわずかに眉間にしわを寄せた。

 イギリスの特殊部隊(SAS)や、国防軍情報部に付属するブランデンブルク師団と同様に特殊作戦を遂行するための部隊の設置をシェレンベルクは強く希望していた。

 国外の諜報活動には危険がつきまとう。

 そうした事態に直面したときに潜入した数人の諜報部員ではどうすることもできないこともあった。

 だからこそ、ヴァルター・シェレンベルクは特殊部隊の設置を望んでいた。

 ちなみにスコルツェニーが頭を抱えた「当初の事態」というのは、特殊部隊の隊員としての募集に「英語ができること」という項目があったのだが、これがひどかったらしく、イエスとノーを言える程度の英語力の者も多く志願してきたらしい。

 さすがにこれには、報告を受けたシェレンベルクも失笑した。

「上級大佐殿のように国境近くの街で育てば多国語に慣れ親しんでいるものでしょうが、なかなか内陸部の人間はそうもいきませんので」

 スコルツェニーの説明に、シェレンベルクは「なるほど」と相づちをうった。

 ヴァルター・シェレンベルクの生まれは、フランス国境付近のドイツ南西部、炭鉱や製鉄業で栄えた街――ザールブリュッケンだ。そのピアノ製造業者の末の息子として生まれた。そんな境遇で育った彼はごく当たり前のように多国語の洗礼を受けて、ごく当たり前のように理解できる子供として成長した。

「まぁ、わたしが多くの言葉を話せることは大したことじゃない。スコルツェニー中尉、それで例の件に関する部隊の選抜はできているのか?」

「はい、すでに完了しております。未だ、部隊としては未熟でありますが、その中の特に際立って優秀な連中の一個分隊ほどならなんとか……」

 シェレンベルクの要請によって、武装親衛隊や国防軍を含めて広く特殊部隊への志願を広報してまだ一ヶ月半ほどだ。部隊の仕上げなど全くできていないと言っても良いだろう。そんな状況下でも、部隊を束ねるスコルツェニーはシェレンベルクの強硬な要求に「(ナイン)」とは言わなかった。

 このオットー・スコルツェニーという男は、余程の馬鹿なのか、それとも余程肝が据わっているのかどちらなのだろう。そうシェレンベルクは思ったが、実際は後者であるようだ。

 落ち着いた眼差しをたたえている、しかし凶暴さは隠すことをしない男。

「では”作戦”は決行できるな?」

「可能です」

 きっぱりと言い放ったスコルツェニーは、シェレンベルクを見返してからにやりと唇の端を歪めて見せた。

「だが、わたしはまだ貴様の腕を完璧に信用したわけではないことを忘れるな。結果があってこそだ」

「承知しています」

 経過に意味がない、ということではもちろんないが、結果が出ないというのはもっと意味がない。

「まだ部隊としては未熟ですが、奴らが信頼できることを本官は証明してみせます」

 きっぱりと言い放つ強い瞳。

 シェレンベルクは目の前の長身の男をしばらく見つめてからフンと鼻から息を抜いた。

「行動で示せ」

 長い沈黙を挟んでからシェレンベルクはスコルツェニーにそう言った。

「ところで、スコルツェニー中尉」

 話題を変える。

「その話とは別に、貴官を含めた”ストックホルム”の護衛部隊についてだが」

 ストックホルムという言葉にスコルツェニーはぴんと背筋を正した。

 「作戦」に関して、スコルツェニー自らが行動するわけではない。部隊を指揮するオットー・スコルツェニーにしてみれば、自ら鍛え上げた部隊を信じて結果を待つしかできないのだ。

「……そちらの部隊の選抜も進んでいるな?」

「もちろんです」

 シェレンベルクのストックホルム行きの護衛こそ、スコルツェニーの危機管理能力を問われるものだ。

 おそらく、とスコルツェニーは考える。

 国外諜報局長のヴァルター・シェレンベルクは自分がストックホルム訪問の機会を使って、スコルツェニーの指揮官としての能力を試そうとしているのだろう。

 どこまでも抜け目のない男……――。

 スコルツェニーは内心で、今ひとつおもしろくないな、と思った。そもそも彼を特殊部隊の指揮官として選抜したのはシェレンベルクらしいということだ。だというのに、彼自身が注目したスコルツェニーにも信頼を置いていない。

 しかしシェレンベルクが一九三九年以前から諜報部員として行動していたことを考えれば、そんな彼の考え方も至極当然だろう。

「ひとつ伝えておくが、”君ら”が護衛するのは、正確に言えばわたしではない」

「……――と、いうと?」

「連合国のスパイに目をつけられている女の子だ」

「女の子?」

 女の子という言葉に、スコルツェニーは視線を天井に上げると思考を巡らせる。

 国外諜報局には、親衛隊唯一とも言える女性情報将校がいること。主に訓練場で過ごすことが多く、プリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに出向くことがほとんどないオットー・スコルツェニーはまだ出逢ったこともないが。

「足りない頭で考えるだけ時間の無駄だ、中尉」

 ぞんざいなシェレンベルクの言葉に一瞬だけムッとしてから、スコルツェニーは憮然と息を吐き出した。

「上級大佐殿のように、わたしは頭の回転が速くはありませんので」

 スコルツェニーが自虐的な台詞を口にすると、シェレンベルクは口元で皮肉げに笑ってから穏やかな瞳のままで軽やかに笑った。

「そう自虐的にならなくてもいい、中尉も一応知識人の端くれだろう」

「しがない学士ですよ」

「しかし学士は学士だ」

 大学を卒業しているという時点ですでに、一般的な民間人とは一線を画している。全ての者が高等教育を受けることができる時代なわけではないのだ。

「そんなことを言ってしまったら、国家保安本部(RSHA)のオーレンドルフ中将も”ただの学士”になってしまうではないか」

「……まぁ、人にはいろいろ事情がありますから」

 そう言ってスコルツェニーは肩をすくめてみせると言葉を続ける。

「それで、問題の女の子というのは? 写真くらいはストックホルムに行く前に見せていただけるんでしょうな?」

「君らが護衛するのはこの子だ」

 極秘、とスタンプの押された書類が持ち出し禁止のものであるのは一目瞭然だ。黒いファイルに挟まれたタイプライターで打たれた書類に鳩目された写真。

「失礼します」

 言いながらスコルツェニーはファイルを取りあげる。

 一九二六年生まれの十六歳。金髪に青い瞳が印象的な少女がツバの大きな白い帽子を胸に抱えて笑っている。骨折をしたときに撮影された写真なのか、彼女は左腕を吊っている。

 ひらひらと揺れているかのような躍動感溢れる写真に、スコルツェニーは一瞬目を奪われた。

 難があるとすれば少々、いやかなり痩せすぎであることか。

 しかし年頃の少女に対して魅力がないと言ってしまうのも礼に欠けることを、一応スコルツェニーもわかっていたから「なかなか笑顔が魅力的ですね」と言うにとどまった。

「マリア・ハイドリヒ親衛隊少佐。一応、君よりも階級は上だ」

「ほう?」

 自分よりも年下で階級が上の人間などいくらでも見てきた。

 いまさらそういった人間がひとりふたり増えたところで、スコルツェニーにはどうでも良い。

「見ての通りの子供だからな。大人の道理が通じない。仮に危険が迫っているときは少々乱暴な手段を用いても構わん。ふらふらその辺をほっつき歩くことはないだろうが、子供だと思って多めにみてやってくれ」

「……子供ですか」

 十六歳という年齢を考えると、スコルツェニーはなぜか頭痛のようなものを感じてこめかみを押さえた。

 こまっしゃくれて、少しだけ大人びていて、自分ではもう子供ではないと勝手に思い込んでいる子供の存在。

「特別保安諜報部の執務室にいるだろう、会いたければ行くといい。連絡のほうはわたしからしてやろう」

「……はぁ」

 ぺらりと音をたてて紙をめくったスコルツェニーは、それほど長くはない書類を一通り読んでから、再び鳩目された写真を凝視した。

 ファインダーの向こうで笑っている彼女。

 どんな気持ちでこの写真を撮影したカメラマンはシャッターを切ったのだろう。

 そんな野暮なことを考えていると、スコルツェニーはシェレンベルクの呼びかけで我に返った。

「スコルツェニー中尉?」

「失礼しました、お返しいたします」

 カッとブーツの踵を鳴らして姿勢を正したオットー・スコルツェニーは執務机の向こうに座っている若い諜報局長に視線を戻す。

「彼女と話しをしていくか? と聞いているんだ」

「いえ、結構です」

 はっきりと断ってからスコルツェニーは、意識を切り替えると「では、これから午後の訓練がありますので」と言い置いて、プリンツ・アルブレヒト・シュトラッセを立ち去った。

 そして、執務室にひとり残ったヴァルター・シェレンベルクは、マリーの個人ファイルを手元に戻しながらその写真を見つめる。

 裾の長いサマードレスを身につけて笑っている。

 確か、カメラマンの後ろにはヴィクトール・ルッツェが笑顔で立っていた。

「こっちを向いて笑うんだ」

 ルッツェがマリーにそんな言葉をかけていて、どこの子供の撮影会だと、そのときはシェレンベルクも思ったものだ。

 病的なとも言える華奢な手足をいっぱいに伸ばして。マリーは強い日差しの下で長い金色の髪を鬱陶しげに手で持ち上げていたものだ。

 親衛隊や党の広報活動でもないのに、マリーを撮影したがる親衛隊広報部のカメラマンは、暇を見てはマリーのところを出入りしていて、最近ではすっかり首席補佐官のヴェルナー・ベストが機嫌を悪くしたらしい。

 思い出してから、シェレンベルクは黒いファイルを閉じると机のひきだしへと戻した。



 ――舞台は整った。

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