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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XV 方舟
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1 新たなる風向き

 ドイツ空軍第二航空艦隊アフリカ方面空軍第二七戦闘航空団に所属するハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉は渋面を越えて、苦虫を噛みつぶしたような表情を隠せないままで自分の上官のひとりでもある第二航空艦隊司令官アルベルト・ケッセルリンク空軍元帥を前にして、内心うんざりとしながら大きな溜め息をついた。

 ちなみにマルセイユの前に立っているケッセルリンクもまた、若いパイロット同様にうんざりとした顔をしている。

 マルセイユの視界の向こうには、なぜか遠目に他のふたりの空軍元帥が映りこむが、そんなことよりもとりあえずの問題は目の前に立っている自分にとっての最上級の上官だ。

 今に始まったことではないが、最近は新型の戦闘機に乗り換えるようにとの命令を”しつこく”せっついてくる。しかもとうとうご本人自ら登場した。

 言ったところで命令無視を繰り返すマルセイユも頑固であるが、言うことを聞かないとわかっていてそれでも命令を繰り返すケッセルリンクもまた頑固なことこの上ない。

 当のマルセイユ本人は「この爺さん、そろそろ命令を諦めてくれんもんかな」と内心期待してはいるのだが、ケッセルリンクはケッセルリンクで自分を曲げるつもりはないようだ。ついでに毎度のように命令無視を繰り返すマルセイユは相変わらずのように、命令無視のために独房に放り込まれているが、そんな状況でも当人は飄々としていた。

 マルセイユにとって大事なことは、上官の命令などではない。

「しかしですね……」

 ぶっきらぼうにつぶやいた青年パイロットは、直後に自分の頭の上で轟いた雷のような怒号に首をすくめる。

「とにかく! 君は我が第二航艦のエースパイロットだ! 君のためにわざわざ新型を導入したのだ! 異議は認めん、早急に現在の乗機から新型に乗り換えたまえ!」

 頭ごなしの命令にマルセイユのほうはあからさまに不愉快と不服に満ちた瞳を上官に向ける。これだから現場の苦労もわかっていない上官は話しにならない。

 ここまで強硬な命令を受ければ、それを受け入れないわけにもいかない。

 ……――まぁ、普通はそう思うよな。

 マルセイユはフンと不機嫌そうな瞳を隠すこともなく鼻を鳴らした。

 見事にやんちゃ坊主そのままの不良パイロットの姿に、雷を落としたアルベルト・ケッセルリンクはしばらく沈黙してから巨大な吐息をつく。

「閣下の命令でもお断りです」

 横を向いて目をそらし、ケッセルリンクの命令など聞く気もないといった様子のマルセイユに顎を上げた。

 どれだけ激務を命じられても受け入れられる。

 それが戦時下にある軍人の役割で、戦闘機に乗ることは戦闘機パイロットの誇りなのだ。空を飛び、敵の戦闘機を落とすことこそ彼の義務だった。

 しかしどうしてもマルセイユには、ケッセルリンクを含めた上官たちの新型への乗り換えについての命令は受け入れることができなかった。

 別にオカルトじみた理由などではない。

 もっと明確な理由が存在している。

「元帥閣下は現場をおわかりになっていらっしゃらない」

 不服そうな彼の言葉にケッセルリンクは神経質そうに片方の眉毛をつり上げながら、自分の半分の年齢にも達していない若い青年を見つめてくる。

「現場をわかっていないとはどういう意味だ」

「……いえ、もちろん閣下は第二航艦の指揮官でいらっしゃいます、しかし、閣下は新型機のカタログスペックばかりしか見えていらっしゃらない。確かに、わたしの現在の乗機であるフリッツと比べれば優れた機体かもしれません。ですが、パイロットの間で噂されていることもあります」

 新型戦闘機”グスタフ”は、エンジン不良が深刻だ。

 空の上でもしもエンジンが止まったらどうする? 多くのパイロットたちがそのために命を落としたように、その犠牲になるのは自分だ。

 ならば、信頼できる性能の現行機で良いではないか。

 それがマルセイユの頑とした意見だった。

 自分の意見を曲げるつもりもないマルセイユの耳に、ふと明るい笑い声が響いたのはそのときだ。

 東部戦線の酷寒のロシアの地で活躍した第四航空艦隊司令官、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン空軍元帥。

 コンドル軍団に従軍していた頃から自ら鍛え上げた爆撃隊を率いて東部戦線ではソビエト連邦軍相手に文字通り獅子奮迅の戦いを演じて見せた。

 まさに”猛将”。

 興味深そうな眼差しをマルセイユがリヒトホーフェンに投げかけていると、若い空軍元帥はよく響く声で「君の噂は聞いている」と言った。どうにも自分の素行不良を自覚しているマルセイユは「どうせろくでもない噂だろう」と思ったが、上官の手前、一応空気を読んで黙っている。

「……はぁ」

 曖昧な相づちを打つマルセイユに対し、東部戦線での作戦がとりあえず大被害を出す前に終結した安堵感からかリヒトホーフェンは少しばかり機嫌が良さそうだ。

 間の抜けた戦闘機パイロットの返答に、眉間を寄せているアルベルト・ケッセルリンクの存在に気がついたらしい、少し遠くから距離を保って立っていた戦闘機総監のエアハルト・ミルヒ空軍元帥がゆっくりと歩み寄ってきて三人のやりとりに割って入る。

「君のような腕の良いパイロットがいてくれるとだいぶわたしの部隊も戦力的に助かるのだが」

「……リヒトホーフェン元帥の部隊には爆撃隊が集中して配備されているだろう」

「あの暴れん坊共を手のひらの上で転がせる将軍がいるとは思えませんが」

 確かに、リヒトホーフェンは手ずからドイツ空軍の爆撃隊を育て上げた。そんな彼に対する評価は空軍内でも折り紙付きだ。

「マルセイユ大尉、その話は……」

 ケッセルリンクとリヒトホーフェンの気楽な会話を尻目にミルヒが歩み寄ると口を開いた。

 空軍総司令官――ヘルマン・ゲーリングの信頼も厚いエアハルト・ミルヒ。

「その話しは、どの程度信頼性がある噂なのかね?」

 穏やかに問いかけたミルヒに対して、マルセイユは肩をすくめてみせる。

「信頼性なんて、パイロットの本官が知るわけもありません、閣下」

 所詮パイロットと整備兵たちの噂話の(たぐい)だ。素っ気なく切り捨てるような物言いのマルセイユに、ケッセルリンクとリヒトホーフェンは眉をひそめたままで考え込んだ。

 問題が決してひとつだけではないことを、アルベルト・ケッセルリンクは知っている。

「……なるほど」

 マルセイユの無礼な言葉使いにそれほど気を悪くした様子はないが、黙り込んでしまった三人の元帥を前にしてハンス・ヨアヒム・マルセイユは内心「まずったかな」とも考えるのだが、今さら言った言葉をなかったことにするわけにもいかない。

 人生、やり直しはきかないのだ。

 軽率すぎる自分の性格に、我ながらあきれると軽く頭をかいてから小首を傾げる。そしてそんな自分の性格をいまさらどうしようもなく、やや開き直りのようなものを感じつつ、互いに顔を見合わせている三人の空軍の重鎮をしげしげと眺めやった。

「ケッセルリンク元帥」

 ちょっと、と手招いたミルヒに、ことさらに溜め息をついたケッセルリンクはマルセイユに対して追い払うように片手を肩の辺りで振る。

 「行ってもよい」というアルベルト・ケッセルリンクの所作に、青年パイロットは一礼した。

 先日、ケッセルリンクと陸軍元帥のエルウィン・ロンメルは国防軍総司令部への急な打診のためにベルリンへ戻っていたらしい。そして、そうかと思えば今度はベテランの爆撃隊を率いる第四航空艦隊司令官のヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン空軍元帥と、多忙極まりない戦闘機総監のエアハルト・ミルヒ空軍元帥を伴って前線基地へと戻ってきた。

 いったいベルリンではどんな話し合いが持たれたのだろうか。

 一介の戦闘機乗りのマルセイユには知った事ではないが、ここまで大きな動きがあった以上はなにかしら重大な取り決めが行われたのであろう。

 なによりも、気にかかる噂がある。

 人の口から口へと伝わる噂でしかなかったから真偽のほどは、はたして定かではないが、凱旋したばかりの東部戦線に展開していた第四航空艦隊の地上部隊と航空部隊がそれぞれ再編成が行われて移動をはじめたらしい、というものだ。そうした噂が仮に事実であるとすれば、ベルリンへ行っていたケッセルリンクがリヒトホーフェンを伴って前線基地を訪れたことは、わからないでもない。

 しかし、もっとわからないのはミルヒの存在だった。

 マルセイユにはその真意がわからなかった。

 ちらりと肩越しに振り返って三人の元帥を見やってからマルセイユは目を伏せる。

 以前、行われた欧州大戦のエースパイロットと名高いマンフレート・フォン・リヒトホーフェン――レッド・バロンと呼ばれた男の従弟、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン。自身もエースパイロットである。

 正真正銘の猛将で、スペイン内戦に従軍した頃から参謀将校として爆撃隊の指揮を執った。そんな彼が手ずから鍛え上げた地上攻撃部隊の存在は、一応、マルセイユも知っていた。

 ポーランド戦、フランス戦、そしてイギリス戦と、鈍足の急降下爆撃機は空を駆った。

 そして、北アフリカ戦線においても、急降下爆撃隊の護衛は戦闘機隊にとって重要な任務のひとつだったのだから、マルセイユが知らないわけはない。

「護衛の任務は退屈なんだけどな」

 しかし、鈍足の急降下爆撃機だからこそ、敵の戦闘機に狙われるのである。

 そういえばとマルセイユは思い出した。

 リヒトホーフェンが展開した東部の急降下爆撃隊には優秀なパイロットも数多くいたらしい。

 現状、北アフリカ戦線に展開する急降下爆撃機の数は少なすぎる。敵の本拠地に集中的な爆撃を仕掛けるにしてもとにかく数が足りないのだ。なによりも本来、急降下爆撃隊の多くは第四航空艦隊の東部における長大な戦線を支えるために派遣されており、アフリカ方面に展開される急降下爆撃機の数は恐ろしく少ない。

 このため、北アフリカ戦線において一機も消耗させてはならないほど状況は逼迫していたのだ。そしてそれ故に、マルセイユらの戦闘機隊は大きな負担を強いられた。

 彼らの乗るメッサーシュミットの戦闘機と比べれば、急降下爆撃機の代名詞とも呼ばれるユンカースのJu87(シュトゥーカ)は余りにも遅すぎる。そんなシュトゥーカに合わせて飛ぶだけでも大変な苦労を強いられるのだ。

 加えて相手は英米の卓越した技術を持つ戦闘機乗りであり、戦闘機だ。

 空軍司令部は、対英戦で学習したのではなかったのか……。

 苛立つように考えながら、マルセイユはフンと鼻から息を抜いた。

 どちらにしたところで、考えても仕方がない。

 昨年の末に当時の戦闘機隊総監であったヴェルナー・メルダースが事故死した後に、同任務についたアドルフ・ガラントが相当、空軍司令部を相手に奮闘しているらしいという噂はマルセイユの耳にも届いている。

 別に、そんなガラントに義理立てするわけでもないがマルセイユはマルセイユなりに自分の任務を全うするだけのことだ。

 そのために自分が自分の命を守るためにも必要なことならば、彼は一切妥協するつもりはない。たとえ、そのために独房に放り込まれたとしても、である。

 どちらにしたところで、リヒトホーフェンの率いる爆撃隊が北アフリカ戦線に大々的に投入されるという意味合いは大きなものだ。もしかしたら、これは戦闘機隊も大きく拡張されるのではないだろうか。

 そうすれば自分ももう少し楽ができるだろうに。

 そんなことを考えてマルセイユは、自分をアルベルト・ケッセルリンクの小言から救ってくれた戦闘機総監に少しばかり感謝して再度肩をすくめると遠くから手を振っている自分の乗機の整備兵に軽く肩の上で手を振って見せた。



  *

「敵がアカじゃなくなるのは正直残念だが……」

 さも残念と言わんばかりの言葉を重々しく吐きだした騎士鉄十字章を受賞した急降下爆撃機乗りを前にして、後部機銃手を務める青年はタバコをくわえながら小首を傾げた。

「生き残って終戦を迎えられたんだからめでたいことじゃないですか」

「そりゃそうだが、スターリンはまだ生きているんだろう!?」

「……行方不明らしいな」

 ハンス・ルーデル空軍中尉の言葉に応じたエルウィン・ヘンシェル兵長はライターでタバコに火をつけてから、煙を吸い込んでぷかりと吐きだした。

 器用に吐きだした煙は円になる。

「タバコは体に悪いぞ?」

「そうは言いますがね、中尉。タバコと酒くらいやらないとやってられない時だってありますよ」

 揶揄するようなヘンシェルの言葉に、ルーデルはちらりと頭上に視線を上げた。現在、彼は部隊を率いて北アフリカ方面の第二航空艦隊に所属する基地に移動中だ。

「いいじゃないか、また飛べるんだ」

「そりゃ”中尉殿”はパイロットですからね」

 つきあわされる俺の身にもなってください。

 嫌み混じりの後部機銃手の台詞にルーデルは明るく笑い声を上げた。

「なんだ、ヘンシェル。おまえは俺以外の奴と飛びたいのか?」

「運が良い奴なら誰でもいいですよ」

 どうせ複座の急降下爆撃機は後部座席のほうが危険性が高いことは決まっている。

「俺は運が良いぞ!」

「知っています」

 ぞんざいに応じながらヘンシェルは青い空を見上げると、急場凌ぎで作られた仮設基地で敵に襲撃されることもない安全な頭上を見上げた。

 昨年はひどい年だった。

 寒さと、飢えと。

「……それなのに、俺たちは戦争が終わったと思ったらまた次の戦場に回されるんですよ」

 ちょっとは休暇のひとつも寄越せっていうんだ。

 ぼやく後部機銃手にルーデルは苦笑いした。

 ポーランドでも、フランスでも、イギリス戦でも。上官にも恵まれず、悔しい思いばかりしてきた。自分が心を傾け、最も向いていると思った急降下爆撃機に乗れずに涙を呑んだことも覚えている。

 ほんの数年前のことだ。

「……俺は、もう少しシュトゥーカに乗っていたい」

 地上部隊の兵士から手渡された水筒に入った水を口に運びながら、ハンス・ルーデルはぽつりとつぶやいた。

「中尉殿がそう言うなら、もう少し自分があなたの相棒を務めましょう」

 立ち上がりつつ、数歩、歩きながらそう告げたヘンシェルにルーデルは大きな薄い唇に笑みをたたえて差しだされた手を掴んで自分も立ち上がる。

「つきあえよ、相棒」

「えぇ」

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