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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XIV ユートピア
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14 滑車の回る音

 形式的には特別保安諜報部は国家保安本部国外諜報局に属する一部署ということになっている。しかし、実態は多くの国家保安本部首脳陣の知るところだ。

 形の上では国家保安本部、そして親衛隊全国指導者個人幕僚本部に所属している。

 しかし、カルテンブルンナーがそう言っているように、彼女の指揮する特別保安諜報部は、諜報部とは名ばかりの逮捕権限をも所有する親衛隊全国指導者ライヒスヒューラー・エスエスの特別遊撃部隊である。

 カツリと踵を打ち合わせる音を鳴らして、アルフレート・ナウヨックス親衛隊少尉は上官であるヴァルター・シェレンベルク親衛隊上級大佐の執務机の前に立った。

「ハイル・ヒトラー! 失礼いたします、上級大佐殿(オーバーヒューラー)!」

 年齢は一歳しかかわらないというのにこの階級差はなんだろう。

 アルフレート・ナウヨックスは、一方的にシェレンベルクから見下されてでもいるようなものを感じて内心で溜め息をついた。

 ナウヨックスよりも一歳年長のヴァルター・シェレンベルクは、立ち回りもうまく頭の回転も速い。社交的でいつも穏やかな笑顔を浮かべている上官に、ナウヨックスは内心でどう考えているかはともかくとして表情を改めた。

「ハイル・ヒトラー」

 応じたシェレンベルクは、目の前に立っているナウヨックスを見上げるようにしてから、一度睫毛を揺らめかせた。

「どうした、ナウヨックス少尉」

 彼の任務のひとつはマリーの護衛でもある。

 もちろん、所属する下士官や兵士たちを統率するのも彼の任務ではあるが。

 しかし、インテリのベストやヨスト、そしてメールホルンでは彼女の護衛の任務には不適格であるし、マイジンガーも同様だ。

 戦場での秘密作戦などに従事した経験を持つナウヨックスは若く、直接部隊を指揮した経験からも鑑みるとマリーを託すには都合が良い。

 そんなナウヨックスがシェレンベルクの前に現れた。

「なにかあったのか?」

 ちらりと視線を上げた彼が、再び書類に視線を戻したシェレンベルクはさらりと低い音をたててサインをすると、紙面をテーブルの横にどけてから机上で両手の指を組み合わせた。

「おそらく、上級大佐殿のところにはゲシュタポから情報もあるかとも思われますが、先日、ハイドリヒ少佐殿を自宅に送り届けるときに駐車場まで歩いていた時に、どうやら尾行をされていたようです」

「……尾行?」

「はっ」

「……ふむ」

 簡潔なナウヨックスの報告を受けて、シェレンベルクは沈黙した。

「それで、それをベスト中将とヨスト少将に報告は?」

 咎めるようなシェレンベルクの台詞に、ナウヨックスはわずかに迷うような表情を見せてから「まだであります」と答えた。

 確かに特別保安諜報部の上下関係は少なからず特殊なところがある。

 部署長はマリーで階級は親衛隊少佐。その補佐官は親衛隊中将と親衛隊少将だ。さらに、部署長であるマリーの上官が親衛隊上級大佐であるシェレンベルクとなれば、どこに報告をすれば良いのか、ナウヨックスがわからなくなってもやむを得ないだろう。

「まぁいい、それで、尾行されていたようだ、というのは?」

「確信はありませんが、その時点で本官はハイドリヒ少佐殿をお連れしておりましたので、上官に危険を晒すわけにもいかず様子を窺っていた次第であります」

「勘、ということか」

 戦場で危険と向かい合ってきたアルフレート・ナウヨックスの感じたものを看過することはできない。

「……申し訳ありません」

「いや、いい。それよりも、尾行されていたということはわかったが、今のところマリーに危険は及んでいないんだな?」

「もちろんです。すぐに車に乗りましたし、万全を期して少佐殿の車は防弾ガラスのものに変更しています。ですが……」

「自宅の警備、か」

 言いよどむナウヨックスにシェレンベルクは、その先をさらうように続けると年齢の変わらない前線指揮官の青年はひとつ頷いた。

「はい」

 なにせマリーの年齢が年齢だ。

 ナチス親衛隊の血気盛んな青年たちを警護に当てるわけにもいかない。別の意味で不安が大きい。

 ミュラー辺りに選抜させれば良いのだろうが、なにぶんゲシュタポのミュラーはマリーを目の中に入れても痛くないと思われるほどかわいがっている。そんな彼が事態を知ったらややこしいことになりかねない。

 目の前で、背中で腕を組み合わせるようにして立っているナウヨックスをよそに考え込んでいたシェレンベルクは、口元に手を当ててから眉をひそめている。

 マリーの警護に必要な人間。

 その存在に考えを巡らせた。

「わかった、それはこちらで手配しよう。トイレと風呂と着替え以外、マリーから目を離すな。ベスト中将とヨスト少将には事の子細はわたしから伝えておく。ナウヨックス少尉は今後も変わらず任務を継続するように」

「承知いたしました!」

 シェレンベルクの支持を受けてナウヨックスは再び軍靴の踵を打ち鳴らすと、国外諜報局長の執務室を出る。そして、一方でヴァルター・シェレンベルクのほうは目の前からどけた書類に視線を向けながら小首を傾げた。

 彼の職務は、ありとあらゆる可能性を考慮して要人のひとりとして、他国の要人と接触するばかりではない。彼の指揮下にある多くの諜報部員たちの報告に目を通し、諜報活動にかかる資金などを決済することも仕事のひとつだ。

 そしてだからこそ彼は国内外にあってありとあらゆる情報に精通している。

「ナウヨックスでは力不足、か」

 ぽつりとつぶやいた。

 確かに、彼は戦前から多種多様な特殊作戦に従事した生粋の秘密工作員であるが、そんな彼にすら手に余る。おそらく、さすがの彼も自分の上官を手込めにしようなどとは考えないだろうが、それでも自らナチス親衛隊員たちの性的な悪行の数々を知っている身の上としては、まだ若いナウヨックスなどに危機感のない少女を預けるのはどうにも気が進まない。

 もちろん、ヴァルター・シェレンベルク自身が女性関係が潔癖なのかと尋ねられれば、「潔癖だ」などと言うことはできないだろう。

 そうした意味では、愛妻家の空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは大したものだ。よくもまぁ、ひとりの女性を生涯かけて愛する気になるというものだ。

 鼻で笑うように考えてから、シェレンベルクはそこで意識を切り替えた。

 自分の主義主張はともかくとして、とりあえずマリーを預けるに信頼に足る相手を探さなければならない。四六時中彼女の横についていても、絶対に彼女に手を出したりはしない相手。

 ――……それは誰だろう。



 しばらくして、国内諜報局長のオットー・オーレンドルフ親衛隊中将の執務室を訪れたシェレンベルクは手土産にしたコーヒーを「お裾分け」にと手渡しながら、執務室に据えられたソファに腰を下ろして穏やかに話し出す。

 ゲシュタポと刑事警察から受けている報告と、そして先ほどナウヨックスから上げられた報告だ。

「……ほぅ」

「どうです? 国内諜報局(そちら)にはなにか新しい情報は入っておりませんか? オーレンドルフ中将」

 ほぼ対等な言葉使いのシェレンベルクのことをオーレンドルフは特に気になる様子でもなく首を傾けた。

「別に面白い情報というわけではないが、スイスのアメリカの情報局の動きが忙しないらしいということは噂で聞いたな」

「それはわたしの耳にも入っています」

 順番としては先にシェレンベルクの耳に入って、それがさらに国内の諜報活動を行っているオーレンドルフの耳に届いたというのが正しいところだろう。しかしそれについては、シェレンベルクは言及しない。

 そんな順番など彼にとってはどうでも良いことこのうえない。

 いずれにしたところで、国内の情報を統括するオーレンドルフの耳には巡り巡って入る話しだろう。

「それで、問題のマリーの警護についてどうするのだ?」

 逆に問い返されて、シェレンベルクはコーヒーカップを手にしたままで肩をすくめた。

「それを悩んでいるのですよ、中将」

「おまえが悩むとは珍しいな」

「買いかぶりすぎです、わたしも普通の人間です」

 普通の人間、というところを強調したシェレンベルクに、その言葉に対しては反応を見せずにオーレンドルフは一人がけのソファの肘掛けに頬杖を突いて言葉を探す。

「マリーを預けるに信用に足る男、か」

「ナウヨックスにはこれまで通り警護に就かせます。ですが、さすがに自宅にまでとなりますと、少々心配なので……」

「なるほど」

 確かに、ナウヨックスはこの年、三一歳になる。

 まだ二十代に毛が生えたようなものだと考えれば、十代の少女を預けるには気が重い。シェレンベルクはそう言いたいのだろう。もっとも、オットー・オーレンドルフにしてみれば、そんなことを言っているシェレンベルク自身も、ナウヨックスとは一歳しか変わらない三二歳だ。しかも、女たらしという意味ではシェレンベルクのほうがタチが悪いだろう。

「しかし、シェレンベルク。君も似たようなものだろう?」

 オーレンドルフに告げられてシェレンベルクは朗らかな笑い声を上げた。

「ご安心ください、ベーメン・メーレン保護領のダリューゲ上級大将閣下にも言われましたが、どうにもあんなにヤセギスの子供は恋愛対象外ですから」

 子供。

 そう一蹴したシェレンベルクの瞳を探るように見つめてから、オーレンドルフは鼻から息を抜くと頬杖を突いたままでそんな彼に応じた。

「しかし、一緒に居ればそれ以上の感情が芽生えてもおかしくはないだろう?」

「いやはや、前妻の時はハイドリヒ夫人にはめられましたからね。さすがにあのときは青くなりましたが、それ以来不用意な恋愛には神経を使っていますよ」

「つまり社内恋愛は遠慮中、ということか?」

「……親衛隊内の恋愛は、ですかね」

 静かに、そして冷ややかに笑うシェレンベルクにオーレンドルフはなにかを言いたそうな顔をしたが結局なにも言わずに話題を変える。

 親衛隊内の恋愛と言ったところで、親衛隊婦人補助隊と親衛隊は厳密には異なる組織であり、親衛隊の女性士官となればマリーひとりしか存在しない。仮にマリー絡み以外で親衛隊内部での恋愛関係が発生するとなれば、それはヒムラーやヒトラーが毛嫌いする同性愛ということになる。

 ごく一般的な性的嗜好しかないシェレンベルクなどにしてみれば、男性同士にしろ、女性同士にしろ同性愛などの、性的特殊嗜好などは正直なところぞっとしないが、特に他人(ひと)の好みには口を出そうとは思わない。

 人に押しつけたり、人の迷惑にならなければ良いのではないかとも思うが、なにせ突撃隊の幕僚長だったエルンスト・レームが同性愛者だったらしいという根も葉もない噂が、アドルフ・ヒトラーとハインリヒ・ヒムラーの嫌悪に拍車をかけたのかもしれない。

 ヒトラーにしろヒムラーにしろ、若干の差異はあるものの女性には”それなり”に潔癖だ。

 ――しかし、おそらくヒトラーとヒムラーの場合はゲーリングのように女性に対して一途なわけではなく、もしかしたら男性的に自信がないだけなのではないだろうか。

 アドルフ・ヒトラーとハインリヒ・ヒムラー、そしてヘルマン・ゲーリング。

 彼らは傍目には同様に女性に対して潔癖に見えるかも知れないが、シェレンベルクの目にはどうにもそれぞれが異なる性質であるように映っていた。

「どうだろう、マイジンガーを身辺警護につけては」

 オーレンドルフの意外な提案に、シェレンベルクはコーヒーカップをテーブルに置きながら腕を組んだ。

「マイジンガー大佐ですか……」

 禿げ頭で威圧的な。

「……あの男は鼻持ちならないが、マリーには”ぞっこん”だ。俺の見る限りマイジンガーがマリーに手を出すとは思えんな」

 国内諜報局長のヨーゼフ・マイジンガーに対する評価にシェレンベルクはややしてから頷いた。

「それもそうですね、彼なら適任かもしれません」

 マイジンガーは高圧的で独りよがりな面も多々あるが、マリーのことを気に入っている様子はシェレンベルクにも疑いようがない。

 なによりもマイジンガーは一九三九年の対ポーランド戦における、アインザッツグルッペンの指揮官代理としての迅速な行動と命令、には定評がある。ついでに言えばその冷徹な彼の決定のために、ベストやミュラーなどからは嫌悪の対象でしかないようだが。

 それだけではない。

 マイジンガーには自ら陣頭指揮を執って作戦を決行するだけの行動力もある。

「万が一、マリーにいかがわしい真似でもしたらそのときは容赦しなければいいだろう」

「そうですね、念のため彼女の自宅に盗聴器も仕掛けましょう」

 シェレンベルクの計画に、オーレンドルフが頷いた。

「そういえば、先日、シュトレッケンバッハ中将がマリーと一緒に仕立て屋に行ったらしいぞ」

「あぁ、コートを作りにいったらしいですね」

「わたしも細君に子供の時に着ていたお下がりで良いからなにか譲ってもらえないかと聞いている。冬物の服は金がかかるからな」

「そうですね……」

 マリーはそれなりにかわいらしい顔立ちをしているから、流行遅れの服を着ていても様になる。加えて自分が他の少女たちのような最先端の流行の服を着ていなくても気にならない様子だった。

 この戦時下で、いくらひとり暮らしの親衛隊少佐の給料だからといって冬物の衣服を全て新品で揃えていたら金などいくらあっても足りはしない。

「一応、ヒムラー長官閣下も親衛隊のコートの制作を考えているようですが、どうなることやら……」

 親衛隊のコートとは言っても、そもそも男性用で、それをマリーのために作ると言うことは根本的にデザインが変わってくる。

 成人男性と、成長途中の少女では体格が全く異なるのだから。

 おそらく、そうなると親衛隊の制服を請け負う業者がマリーのためだけに一着のコートをデザインし直さなければならないということになるだろう。

「しかし、なんだな。親衛隊のコートなんぞ、マリーに着せたところでかわいくもなんともないぞ」

 オーレンドルフの真っ当な評価にシェレンベルクは苦笑いを浮かべた。

「いえいえ、そうとも限りませんよ。もしかしたら馬子にも衣装というやつでなかなか似合うかもしれません」

 どこか皮肉めいたシェレンベルクの言葉に、オットー・オーレンドルフは機嫌良さそうな笑い声を上げた。

「ヒトラー・ユーゲントを卒業したばかりのガキが親衛隊の制服を着たような感じになるのか」

 それはそれでかわいいかもしれない。

 オーレンドルフが想像したものをシェレンベルクも想像して、つられるようにふたりの諜報局長は笑いあうのだった。

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