表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XIV ユートピア
169/410

2 猜疑心の欠落

 親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官カール・ヴォルフ大将に続いてヒムラーの執務室から退室した武装親衛隊の高級指導者の面々は、会議の延長のような会話を交わしながら視線の先にベルベットの腕章を身につけた少女の存在を認めて足を止めた。

 初対面となるテオドール・アイケが、がわずかに眉をひそめながら鼻の頭を押さえている少女を興味深そうに見つめていると親衛隊作戦本部長官のハンス・ユットナーが親しげな声をかけた。一方で、そんな気安い声色に、武装親衛隊装甲軍団司令官はわずかに不愉快そうな表情をたたえてみせる。

「やぁ、マリー。今日はヒムラー長官に用事かね?」

 マリーには世間一般的な礼儀作法しか、今や期待していない作戦本部長官はつい先ほどまでの厳しい眼差しとは打って変わって温厚な光を瞳に浮かべていた。そんなユットナーにマリーと呼ばれた少女はニッコリと笑って「はい。ユットナー大将、こんにちは」とあいさつを返す。そんなマリーとハンス・ユットナー。そしてアイケとハウサーの姿に、さっと顔色を変えたのはマリーの背後に控えるようについていたアルフレート・ナウヨックス少尉だ。マリーの方は、そんな青年の様子に気遣いを見せる様子もなく親しげにユットナーと言葉を交わしていた。

 そんなふたりの様子にテオドール・アイケはひどく胡散臭そうな眼差しのままで鼻を膨らませる。

「”それ”はヒムラー長官の隠し子かなにかかね? ユットナー大将」

 もちろん一応女性関係には「潔癖な」ハインリヒ・ヒムラーに、こんなに大きな隠し子がいるわけもないことはアイケも知っている。ちょっとした悪い冗談だ。そしてアイケの口の悪さも知っているユットナーのほうは「まさか」と言いながら肩をすくめた金髪の少女を手招いた。

 その辺のドイツ人少女たちと比べると、少々儚げで、どこか不健康そうに見え、ヒムラーの好む「健康なドイツ人女性の卵」にはとても見えない。

 そんな不躾なことを考えているアイケの耳にハンス・ユットナーの声が響いた。

「ハウサー大将とアイケ大将にご挨拶をしなさい、マリー」

 どこの父親発言だ、とアイケは内心で苛立たしさを禁じ得ないままでむっつりと少女とユットナーを見つめていると、目の前のヤセギスの少女はドイツの一般的な少年少女らのようにナチス式の敬礼をするわけでもなくぺこりと頭を下げる。

 父親の小言のひとつも受ける子供のように、頭を下げてから金髪の少女はそろりと覗うように強面(こわもて)のふたりの武装親衛隊高級指導者を見上げた。

「マリーです」

「彼女は国家保安本部(RSHA)と、親衛隊全国指導者個人幕僚本部に所属する情報将校のマリア・ハイドリヒ親衛隊少佐だ」

 ユットナーの紹介にアイケの表情がますます厳しさを帯びる。

 いつの間に親衛隊は女子供のままごと遊びの場になったのだ、とでも言いたげだ。

 もっとも、それもいつものことだ。

 国家保安本部の情報将校として、少女が配属されるなど親衛隊も全く落ちた物だと考えるアイケは、ふとキラキラと輝く青い瞳に見つめられていることに気がついて眉間のしわを深くした。

「国家保安本部と個人幕僚本部の所属と言うことは、つまりカルテンブルンナーとヴォルフの部下だと言うことか?」

 ことさら突き放すような口調でアイケが告げると、ハンス・ユットナーが応じるよりも、少女のほうが大きく頷いて「はい(ヤー)」と告げた。

「……――親衛隊少佐シュトゥルムバンヒューラー?」

 一応口に出して彼女を呼んでみる。

 しかし小声で少女の階級を呼んだだけで、結局それ以上言葉を続けることができずにテオドール・アイケは黙り込んでしまった。それからしばらく考え込んでから、もう一度マリーに呼び掛ける。

お嬢さん(フロイライン)……?」

 初対面の少女に、なんと呼び掛ければいいのかアイケは迷う。

 何度か口の中で「親衛隊少佐シュトゥルムバンヒューラー」と「お嬢さん(フロイライン)」という言葉を繰り返しているアイケに、パウル・ハウサーは口を開くとつけつけと告げた。

「なに、別に”マリー”で良かろう。アイケ大将」

 不機嫌さをも滲ませるようなハウサーに、アイケはわずかに困惑した瞳のままで目の前に立っている少女を見やる。しかし、困惑も垣間見えるとは言え、取り繕うような憮然としたアイケの表情に、片やの少女は特別物怖じする様子もなければ「子供のように」彼を見つめていた。

 第三SS装甲擲弾兵師団「髑髏(トーテンコップフ)」の司令官となれば、武装親衛隊の兵士たちですら緊張感を隠すことができない相手でもある。かつて強制収容所総監を務めた恐ろしさをも秘めた男。

 自分を見つめる男たちの内心を知ってか知らずか、悪意のない瞳でニコニコと微笑している少女の眼差しに改めて気がついたテオドール・アイケは、言葉を探すようにして視線をさまよわせた。

 少なからず動揺したのだ。

 彼女の眼差しに。

 彼は今まで、その強面と乱暴で粗雑な態度と物言いのために、子供からそんな眼差しを向けられたことなどなかった。大概「怖いおじさん」としか認識されていないというのに、今、ハンス・ユットナーの隣に立っている少女はそうではない。

 天使のように愛らしくアイケに向かってほほえんでいる。

 そんな彼女の様子に、彼はユットナーとハウサーの手前、恫喝するわけにもいかずたじたじと軽く奥歯をかんだ。

 今まで子供の相手など面倒臭いものだとしか思わなかった。

 いつもそうだ。

 彼が怒鳴りつけるまでもない。テオドール・アイケの鬼のような形相に、子供たちは怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。しかし、目の前のマリーは怖いものなど知らないとでも言いたげな眼差しで彼を見つめて小首を傾ぐ。

 不意に少女は自分の鼻をこすってから眉をしかめた。

 そんな彼女の反応にすぐに気がついたのはハンス・ユットナーだ。右手の平で自分の体のあちこちを押さえている少女が痛みをこらえているようにも見える。そんなマリーの様子に(いぶか)しく思いながらユットナーが少女の背後に控えているアルフレート・ナウヨックスに視線を投げかけると、緊張した面持ちで、つい先ほどカール・ヴォルフと顔を合わせた時に廊下の壁に激突したのだという「事件」を教えられた。

「……ふむ」

 説明された内容にパウル・ハウサーは頷いてから、ぎろりと少女を見下ろした。ハウサーの視線に大きな青い瞳をそちらに向けたマリーに武装親衛隊装甲軍団司令官は鼻から息を抜くと目尻を下げた。

 彼女はハウサーの部下たちである兵士たちではない。

 正確に言うと情報将校と言うにも毛が生えたようなものなのかもしれない。そんなマリーに対して行動が不注意だと指摘することもなにか的外れな気がしてハウサーは無意識に少女の肩に手のひらで触れた。

 彼の部下たち――長身の兵士たちとは全く異なる、儚げで華奢なマリー。

 情報将校らしい鋭さにも欠け、不思議な空気をまとっている少女の柔らかな空気感はハウサーの気勢を大いに削いだ。

「ここは子供の遊び場ではないだろう」

 批難する口調ではなく、穏やかにハウサーが告げるとマリーは目を丸くして睫毛を揺らすと瞬きを繰り返す。

 孫娘ならばこんなものだろうか。

 少しだけハウサーはベックの気持ちがわかったような気がして片手を腰に当てると、笑い声を上げてからアイケを見やる。

「その様子だと結構な勢いで壁にぶつかったのだろう。相当痛かったのではないかね?」

 ――彼女は何者だろう、という頭を巡る疑問とは裏腹に口をついてでたのはそんな問いかけだった。

「少し痛みますけど……、大丈夫です」

「女の子が顔に傷を作っては取り返しのつかないことになりかねん、もう少し注意深く行動しなければユットナー大将も気が休まらんぞ」

 ハウサーの言葉に、ユットナーが眉をつり上げた。

「どうしてそこでわたしの名前が出てくるんです? ハウサー大将」

 抗議するようなハンス・ユットナーに対して、パウル・ハウサーは「おや、心配ではないのかね」と言葉を返す。

 世間話へと変わっていくユットナーとハウサーのやるとりに、テオドール・アイケはマリーにかける言葉を見つけられないままふたりの同僚と、小さな少女を交互に凝視していた。

「どうにもヒムラー長官の隠し子というわけでもなさそうですな」

 結局、アイケがつぶやいたのはかなり時間が経過してからで、内容と言えば当たり障りのないものだ。

 顔立ちから見るに、ヒムラーの血を引いているわけでもなさそうだ。ついでに言えば、ハウサーやユットナーの血縁というわけでもなさそうな金髪碧眼の少女に対して感じた既視感にアイケは呟きながら首を傾げた。

 名前はマリア・ハイドリヒ。

 そうなると彼女はアイケのかつての政敵であったハイドリヒの血縁ということになるのだろうか。

 そういえば、ラインハルト・ハイドリヒの姉が同じ「マリア」だったと言うことを、ふと思い出してからやはり納得いかぬと思考を巡らせた。

 ラインハルト・ハイドリヒの直近の血縁者にあたる「マリア・ハイドリヒ」では、そもそも年齢が異なるし、まだ存命中だったはずだ。さらにラインハルト・ハイドリヒの子供たちとも年齢はだいぶ異なる上、マリアや、さらにラインハルト・ハイドリヒの弟のハインツの血縁者とも違う気がする。

 いくら荒くれ者のテオドール・アイケでもそれくらいの計算はできる。

 そうなると今、アイケの目の前にいる十代半ばの少女であるマリア・ハイドリヒは何者なのだろう。

「彼女はかの国家保安本部の前長官、ラインハルト・ハイドリヒの遠縁の娘らしい」

 アイケの疑問を読み取ったように、国家保安本部、国家秘密警察と国内諜報局が提出した報告書のままにハンス・ユットナーが告げると、彼は考え込んだままで「あぁ」と内心で相づちをうった。

 彼女の瞳は「彼」に似ている。

 アイケが最も嫌悪した、ラインハルト・ハイドリヒの持ち物に、よく似ていた。

 柔らかで穏やかな印象は、ラインハルト・ハイドリヒの持っていた鋭利な刃物のようなそれとは全く異なっていたが、それでも瞳の色だけをとればまるで彼の瞳をそのまま移植したように、そっくりそのままだ。

 こんなことが本当にあって良いのだろうか……?

 まるで悪い夢に捕らわれたようにテオドール・アイケは思考の深淵に沈み込んだままで無意識に片手を伸ばす。

 唐突なアイケの行動に、ハンス・ユットナーとパウル・ハウサーはぎょっとしたように言葉を飲み込んだ。

 目の前の少女の頬に分厚い手のひらで触れたアイケは渋面のままでマリーをじっと見つめると、そのまま彼女の顔かたちを辿るように指を滑らせて頬を辿る。目の淵に指先がたどり着いて、まるでえぐり取ろうとするかのように彼の指が動こうとしたときに、やっとハンス・ユットナーの声が叫ぶように飛んだ。

「……アイケ大将!」

 まだ未婚の少女に馴れ馴れしく触れるなどあってはならない。

 その辺の性欲の盛んな若者たちであるならばともかく、自分たちは分別のある大人であるという自負がユットナーにはある。そして、アイケの指の動きが、少女を性的な意味で誘惑するようなものではないと察していても、不穏に動く彼の指の動きに不安を感じた。

 そんなことがあるわけもないが、アイケはマリーの瞳をくりぬいてしまうのではないかと、そんな恐れを感じたのだ。

 そしてそんなハンス・ユットナーの心配をよそに、マリーはアイケの右手をとってそっと頬をその手にすり寄せるとふわりと花の香りを感じさせる春の風のようにほほえんだ。

「わたしの目、そんなに気になりますか?」

 長い睫毛が揺れる。

 全ての深淵を覗き込もうとする者たちを逆に捕らえ、そうして離さない怪物の瞳。

 青く、湖沼の底を思わせて全ての探索者を虜にする。

 アイケの無骨な指先が、少女の白目に触れた。

 そっと優しく。

「……――マリー」

 掠れた声でアイケはやっと少女の名前を呼び掛けた。

「はい?」

「……いや、なんでもない」

 言葉が見つからない。

 そうしてマリーの白目を撫でるように触れていたアイケはやっとその指を離してから、大きな溜め息をついた。

 今、その青い瞳の所有者はラインハルト・ハイドリヒではない。弱々しく、首をくくれば数秒で命を絶てるだろう痩せた少女。

 警戒心のかけらもなく、アイケに目玉を触らせた少女は男たちの中でそうして笑った。圧倒的に、そして希有な存在感を目の前の男たちに見せつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ