11 結論と推測
強制収容所総監のリヒャルト・グリュックス親衛隊少将及び武装親衛隊少将を召喚した経済管理本部長官のオズヴァルト・ポール親衛隊大将は、自分と席を共にしている大して年齢の変わらない男を見やってから内心で首をひねった。実のところ、ポールはグリュックスがもっと強硬に、親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーの指令に反論を繰り広げるものと思っていたからである。
しかし、グリュックスは強硬に反対するどころか、強制収容所が経済管理本部に正式にその管理が移管されることについても、またその身分が武装親衛隊から一般親衛隊として扱われることについても、特にこれといった反論を告げるべきでもなく、ヒムラーの命令を受諾した。
だが、彼が特に反論をしなかったからと言って、ヒムラーに対して絶対服従の精神がグリュックスの中にあるわけでもないだろうとポールは思っている。もちろん、ヒトラーに対しても、である。
個人への忠誠などポールには関心がない。
ひとつオズヴァルト・ポールが気にかかっていたことと言えば、グリュックスがかつて、テオドール・アイケの部下の部下であったことだろうか。カリスマ的な強烈な影響力を持っていたのは、なにもラインハルト・ハイドリヒだけではない。
現在は武装親衛隊で、装甲擲弾兵師団を率いる男――テオドール・アイケもまた、ハイドリヒとは異なる意味でカリスマ性を持っていた。
強烈な個性を持つ人間ほど、そういった意味で良くも悪くも人の視線を引きつけさせるをえない魅力のようなものを持っているのだろうか?
とりとめもなくグリュックスのどこか冷静なとも言える表情を眺めながらオズヴァルト・ポールは思わず毒気を抜かれた。
「わたし――一個人としましては、ポール大将の言われるように改革は必要な時期に来ていると考えています」
自分の頭で考え、自分の口でものを言う。
それが当たり前のことだ。そして、組織の一部であるならば、そうあって然るべきだ。けれども、今までグリュックスの視界はまるで靄に覆われたようにどこか暗澹としていたこと。
自分でも自覚などしないままに、視界も耳も覆われていた。
自由を奪ったのは他者なのか、それとも他者に追従しようとした自分なのか。それは今のグリュックスには判断できない。それでも、彼は稲妻に打たれたように気がつかされた。
いつしか自分の五感が覆われていたことに。
それは愚かな盲従でしかない。
そんなことを考えているグリュックスに、ポールは椅子の背もたれに深く体を預けてから頷くと口を開いた。
確かに次代とは移ろっていくものだ。社会そのものの変化に対応して「人」もまた変わっていかなければならない。それを見誤れば、時として大きな損失を支払うことになるだろう。
そういった時期に直面していると、オズヴァルト・ポールは経営管理の責任者のひとりとして考えていた。
「しかし、アイケ大将は”そのように”は思わんのではないかね?」
問いかけるように告げられて、グリュックスはソファに腰掛けたままで表情を変えることもせずに片方の眉毛をつり上げる。
テオドール・アイケの部下でこそあったが、グリュックスはアイケではない。なにからなにまでアイケに迎合する理由などどこにもないのだ。
まるで誘導尋問だな。
うんざりとしながらリヒャルト・グリュックスは軽く左右にかぶりを振ると、どこか厳つい眼差しをわずかに細めてからほほえんだ。
不快な気分が胸の底へと降り積もる。そんな不愉快さに強制収容所総監のリヒャルト・グリュックスは息を吐き出すようにしながらそんな思考を振り払う。
彼は未だにグリュックスがアイケの影響下から抜け出せていないのではないか。そう勘ぐっているに違いない。しかし、そんなことを勘ぐるだけ無駄なことだ。
溜め息混じりにグリュックスはそう思う。
そうして長く息を吐き出してから、彼はオズヴァルト・ポールに視線を放った。ポールの考えはともかく、グリュックスにもグリュックスなりの考えがあって行動をしている。かつての上官がいかに強い影響力を持っていたとは言え、そんなことを理由に勘ぐられたとあってはたまったものではない。
「何を疑っているのかは知りませんが、わたしにはわたしの考えもあります。ポール大将」
「……ふむ、そうかね?」
どこか揶揄するような響きを含んだ声でポールが相づちを打つと、グリュックスは小さく肩をすくめてみせる。
「なるほど、まぁいい」
そんなグリュックスの様子になにやらひとりで納得したらしい様子のポールは、ひとり頷いてから言葉を続けた。
「しかし、”親衛隊長官閣下”の言い分ももっともではあるが、問題の監査機関が国家保安本部と法制局ではな。随分と締め付けが厳しくなりそうだ」
ぼやくような彼の声に、グリュックスは顔色を変えない。
リヒャルト・グリュックスにしてみれば、カルテンブルンナーがハイドリヒと同様に狡猾で優秀であるかどうかはともかくとして、国家保安本部も。そして、経済管理本部長官のオズヴァルト・ポールも同様に、深い信頼を置ける相手ではない。
彼らは三者三様に、利己的なのだから。
皮肉めいた考えを巡らせていたグリュックスは「ですが」と言いながら、ポールの言葉に異論を唱える。
「ポール大将、仮に強制収容所の監査の全てを経済管理本部でまかなうようなことになれば、経済管理本部の一部の業務が滞る結果となるのではありませんか?」
どちらにしたところで面白くない。
それはグリュックスにとっての現実だ。
そうであるならば。
至極冷静に彼は両者の関係を天秤にかけて見極めた。「どちらにしたところで面白くない」のであれば、答えは簡単だ。
――共食いをさせておけば良い。
冷徹なほど現実的にそう考えて、グリュックスはひとり掛けのソファの肘掛けを軽く右手の人差し指でたたきながら応じると、ポールが流し見るように視線を流した。
「……フン」
ポールが鼻を鳴らす。
確かにグリュックスの言う通り、ゲシュタポや刑事警察の捜査官、加えて情報将校らを擁する国家保安本部の人員と、経済管理本部に所属する官僚の数では根本が違っている。専門外にも甚だしいが、つまるところ捜査などの地道な現場での活動は国家保安本部のお家芸とも言える。
彼らは捜査の専門家だ。
「グリュックス少将がなにを計算しているかは知りたくもないが、確かにもっともな意見だ」
独白するようなオズヴァルト・ポールの言葉に、グリュックスは腕を組んでから目の前のテーブルに投げ出されたままのファイルに視線を放った。いずれにしろ、今後のことを考えると、強制収容所が単独で行動を決定することはできなくなる。そういうことならば、強制収容所の管理を巡って争うような形となっている組織を互いに共食いにさせておくのが最良だ。
そうすれば、時にグリュックスの側から彼らに干渉することも可能だろう。
ハインリヒ・ヒムラーの決定は、強制収容所で実質的な管理を行っている看守たちにとって大きな痛みを伴うが、それでも尚、そのトップに君臨する責任者としてグリュックスには最良の選択を取るべき責任があった。
「少将の言うように”我々”には選択肢が少なすぎる」
経済管理本部のオズヴァルト・ポールの執務室を辞したリヒャルト・グリュックスは、待機させていた車に乗り込むと、窓の外を見つめたままで鼻から息を抜く。彼が気に掛けているのはポールのことでもなければ、カルテンブルンナーのことでもない。
グリュックスが最も気に掛けていたのは、もっぱら現在の第三SS装甲擲弾兵師団「髑髏」の師団長を務めるテオドール・アイケのことだった。おそらくアイケはグリュックスの判断を良しとしないだろう。
アイケがハイドリヒと戦って守り抜いた強制収容所の独立を、グリュックスが台無しにしたと思うかも知れない。
しかし、それでも時代は変わっていく。
だからこそ、指揮官のひとりとしてその流れを見極めなければならない。
そしてそれは結果的にアイケの守ろうとしたものを守ることにつながるのかもしれない。
「……アイケ大将は我慢ならんだろうが」
ぽつりと口の中でつぶやいて苦く笑う。
頑迷に主張しても無意味なこともある。時には柔軟に対応することも大切なことだとリヒャルト・グリュックスは、彼の元を訪れた小さな少女に教えられた。
年齢的にはグリュックスの半分にも満たない、まだまだひよっこだ。
「子供というものは、どうにも礼儀を知らん」
恐れも知らない。
礼儀も知らない。
だからこそ彼女は率直に彼を見つめた。
オズヴァルト・ポールの指示に従って追い返そうとしたグリュックスに対して、少女は一枚上手だったのか「武装親衛隊の総司令官」とも言えるハンス・ユットナーに連れられて、くじけずに彼の元を訪れた。
よほど彼女にとってグリュックスと面会することは重要なことだったのだろう。
――礼儀を知らない? 本当に?
独白のような自分自身の言葉をグリュックスは内心で繰り返すと、首を傾げながら車窓の外に視線を放つ。
本当に彼女が礼儀知らずだったのか。その疑問をグリュックスはじっと黙り込んだまま考えた。
マリア・ハイドリヒ――マリーが仮に礼儀知らずであったとしても、彼女の傍に控えていたのは武装親衛隊のエリート部隊である第一SS装甲擲弾兵師団「アドルフ・ヒトラー親衛隊」に所属していたというベテランの秘密工作員だ。
過去にはラインハルト・ハイドリヒの片棒を担ぎ、多くの秘密作戦に従事した。そんな男がマリーの行動に対して苦情を申しつけないはずがない。武装親衛隊のエリート部隊に身を置き、ハイドリヒの実働部隊と呼ばれた男が、それらの上下関係を知らないわけがないのだ。
そう考えれば、彼女の行動はおそらく最低限の礼儀が保たれていたはずだ。いかに彼が彼女よりも階級が低いとは言え、それでも年齢は少女よりも上であるのだから。
多すぎる矛盾点の重なりの隙間に真実が見えてくる。
要するに、彼女は「処罰されることのない」ぎりぎりの一線で、自分の立ち位置をうまくコントロールしているのかも知れない。
もしくは、誰かが彼女をコントロールしているのだろうか。
「いずれにしても、アイケ大将から怒りの電話が舞い込んできそうだ」
大きな青い瞳に真摯な光を浮かべていた金髪の少女の顔を頭から振り払ってから、現実的な問題について考えはじめたグリュックスは、さてどうしたものかと思いながら、再び息を吐くと、後部座席の扉に寄りかかったままで視線を窓の外に投げかけた。
*
「ですから」
神経質な眼差しのまま、リヒャルト・コルヘルはその地位の高さにしては簡素な革張りの椅子に腰掛けている親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーに対して、思わず声を高くした。
「親衛隊長官閣下、わたしは今後も親衛隊に入るつもりはないと申し上げたはずです」
捜査に協力する前にすでにそう告げたはずだ。
コルヘルは強く言い放つ。強制収容所に関係する捜査が一段落して、ヒムラーのところに呼び出されたかと思ったら執拗とも思える親衛隊への勧誘だった。元々、コルヘルには親衛隊に入隊する気が全くない。
「しかし、コルヘル博士……」
蚊の泣くような声で子供のように言いつのるヒムラーは、むっつりとしたリヒャルト・コルヘルの不満げな眼差しに見据えられて閉口してから黙り込む。
「……申し訳ない。今、わたしが言った事は忘れてくれて結構です」
胃の辺りを片手でさすりながら、ヒムラーは溜め息をつくと眉尻を下げてから、視線をうろうろと辺りに彷徨わせた。そうしてコルヘルの機嫌を取ろうとするように言葉を綴る。
「先ほどの話しはなかったことにしていただきたい。ただ、博士の気が変わらなければ、今後もわたしの業務の補佐をしていただきたいのですが……」
ヒムラーの発言は、語尾に行くにしたがって小さく細くなっていく。小心者の小役人そのものの態度にコルヘルは、憤懣やるかたないといった様子のまま腕を組んでから目の前に座っているヒムラーを凝視する。
「長官閣下はわたしの研究を評価してくださっていますので、ご要望とあらば協力を惜しむつもりはありません。もちろん、条件としては親衛隊への勧誘を今後もしないという方向でお願いいたしたく……」
「もちろんそのつもりだ、博士」
ヒムラーの指揮するナチス親衛隊に今後も所属するつもりがない。その意志をはっきりと示すコルヘルの発言を親衛隊長官は二つ返事で了承して、再び腹部を手のひらでさすった。
「今回の捜査への協力は、わたしも大変感謝しています。その、今後も博士のお力を拝借できればありがたく思います」
堅苦しいハインリヒ・ヒムラーの言葉をリヒャルト・コルヘルは会釈で受け流すと、いくつか言葉を交わして退室した。
強権を発動したものの、ヒムラーは各所から今後舞い込むだろう膨大な苦情を想像すると胃も痛くなるというものだ。
執務机の上にある電話の受話器を取って、つながった先の男の名前をヒムラーは呼んだ。
「ドクトル・ケルステン、わたしだ……」
ヒムラーの溜め息は深く大きくなるばかりだった。
――ラインハルト、”君”がいてくれたらこんなにもわたしが苦労しなくてすんだのに、と。




