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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XI 偽典
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12 思考形態の一例

 第六局特別保安諜報部の親衛隊上級大佐であるヘルベルト・メールホルン博士と、統計学者のリヒャルト・コルヘル博士を中心に二、三、七局の局員とで構成された強制収容所に関わる情報分析チームの途中報告を受けて、実際に捜査に当たる国家秘密警察局のハインリヒ・ミュラーと刑事警察局のアルトゥール・ネーベは、今後の捜査方針についての話し合いを行っていた。

 もちろん現場に高官自ら乗り込むわけではないが、メールホルンから上げられる分析結果を見る限り事態は思う以上に深刻であると両者は睨んでいる。

 腐敗は強制収容所によっては所長クラスにまで及んでいるものと思われ、そうなると法的処分を受けるのは相当数になるだろう。

 そしてその捜査の全体の指揮をとるのは刑事警察の幹部候補である若い親衛隊判事のコンラート・モルゲンである。

 メールホルンとコルヘルの情報分析をもとにして、モルゲンは的確な捜査の陣頭指揮に当たり、その細やかな捜査網は逐一の違法行為を見逃さない。

経済管理本部(WVHA)がどこまで抵抗してくるか。それが問題だな」

 自分の顎を手のひらでなでてから、ゲシュタポ・ミュラーはテーブルの上に広げられているファイルをじっと凝視する。

「我らが長官閣下、が、先方と話しをつけたのではあるまいか?」

「だが、ポール大将としては面白くはないだろう」

 ネーベの言葉に応じたミュラーは書類から視線を上げて指摘する。

 ナチス親衛隊という組織に、政治的理念を持っていない人間が多数いることは他でもないミュラー自身がよく知っていた。

 彼自身ですらそうなのだ。

 一度は自分自身のありようを見失いかけたが、それもこの数ヶ月で霧が晴れたような感覚に襲われた。

 自分が行使している権力がなんなのか。

 それを見失いかけていた。もちろん、国家秘密警察における自分の立場もよくわかっている。そして、彼の危機感をかつてのラインハルト・ハイドリヒが利用したこともわかっている。

 ヒムラーとハイドリヒは、ハインリヒ・ミュラーを利用したのだ。

 全て仕組まれていることも、薄々わかっていて、それでも彼らの権力にどうすることもできないままでいたこと。

 自分の権力と命を守るために、彼は保身に回らざるをえなかった。

 そんな彼だからこそオズヴァルト・ポールの苛立ちも理解できないわけではない。では、どうしてポールがそれほど国家保安本部に苛立ちを隠せずにいるのかという、そこが問題だ。

 突き詰めて考えれば、国家保安本部と経済管理本部の間には深すぎる確執があり、それは国家首脳部が声高に突き上げる「再定住計画」に端を発している。そして、この再定住計画に関する各組織の対応が異なることが問題なのだ。

「ゲッベルスにしろ、ヒムラーにしろ玉虫色な意見を適当に言っているだけだろう。おかげでこちらが振り回される羽目になる」

 玉虫色、というミュラーの言葉にネーベが無言のまま表情も変えずに片眉だけをつり上げた。

「あちらには生産維持のために”労働力”を無駄にするな。こちらには自然的絶滅の推進。どちらが奴らの本音やら」

 侮蔑するようなミュラーに、刑事警察局長はファイルの書類に視線を落としながら小首を傾げた。彼も国内諜報局長のオットー・オーレンドルフ同様、東部戦線で行動部隊を展開して「パルチザン」の掃討作戦を指揮した身の上だ。

「だが、ヴァンゼーでの決定事項もあるだろう」

 ネーベの指摘にミュラーはフンと鼻を鳴らす。

「確かに、今年の初めに行われた会議では随分と突っ込んだ話しもあったが、現実的な話しとして”部分的ユダヤ人”などを含めれば膨大な数に上る。これらを”効率良く”処分することが実質的に可能かどうかなど、冷静に考えれば誰だってわかるはずだろう」

 もっとも、ハイドリヒはやるつもりだったようだが。

「……それについては疑問が残るが」

 ミュラーに対してネーベがそう告げると、ゲシュタポを指揮する男は鋭い眼差しを刑事警察局長に向ける。

「……と、言うと?」

「ミュラー局長は国家首脳部が玉虫色だと言うが、それについてはハイドリヒも同じではないか? しかも、国内の警察権力の全権を握っているという意味では最もタチが悪い種類の。それはミュラー局長もわかっていることだろう?」

 ラインハルト・ハイドリヒは圧倒的な権力を振るって、部下たちの忠誠を要求した。ネーベやミュラーだけではない。聡明でずるがしこいシェレンベルクですらもハイドリヒにアキレス腱を晒さざるをえなかった。

 本当にラインハルト・ハイドリヒが一一〇〇万人ものユダヤ人を殺戮することが可能であるなどと考えていたのだろうか? 世界中にどれだけのユダヤ人が存在しているか。それを少し考えればわかるだろうに。

「わたしが東部戦線で処理した”パルチザン”はおおよそ四万五千人。オーレンドルフ中将が十万人ほど。それが約半年の”成果”だ。一一〇〇万人という数字がどれほど途方もないものか、ミュラー局長にわからないはずがないだろう」

 いずれ「計画」そのものが破綻する。

 ネーベはそう言っているのだ。

「では、どうするというのだ。我々の権限ではどうにもならんではないか」

 不愉快極まりないが、正しいネーベの言葉にミュラーは憮然として眉間にしわを寄せると言葉を返す。

 国家首脳部が政策を転換しない限り、中間管理職でしかない自分たちは任務を遂行する以外に道はないのだ。

「だからこそ、今の長官閣下がどう事態を受け止めているかが問題になるのだろう」

 エルンスト・カルテンブルンナーと、ラインハルト・ハイドリヒは違う人間だ。確かにカルテンブルンナーは、より強引な手段を用いて「再定住計画」を推進しようとしているが、実際、彼の本心がどこにあるのかなどミュラーもネーベも知りはしないのだ。

 強制収容所はキャパシティを大きく越えはじめており、そうした意味でも労働力にならないのであれば処分すべきとは思う。だが、今後の政策転換を考えた場合、それがはたして正しい方法であるのかというところにネーベの疑念があった。

 かつてヨーロッパ諸国は海外に多くの植民地を持っていた。

 今もそうだ。

 その政策に対して、反旗を翻したのは極東の島国――大日本帝国だ。彼らの動きはともかくとして、その主張には耳を傾けるべきところもあるのではないか。ネーベはそう思った。

 もちろん、人道的な意味合いからではない。

 思考のひとつのパターンとして、だ。

 おそらくシェレンベルクや、国防軍情報部の高官たちも大日本帝国の主張に聞くべきところがあるとは思っているだろう。

 ――思考とはひとつではない。

 もしくはそれら全くの思考形態から、意外な解決策が見つかるのかも知れない。異民族の思考回路を理解するということはひどく難儀なことではあるが、それでも分析することは決して無意味なことではないだろう。

「興味深い人物がいることを知っているか?」

「……興味深い?」

「二年前だったか、在リトアニア大使を務めていた杉原氏(ヘル・スギハラ)という人物だ」

「そういえばそんな人物がいたな」

 同盟国との関係悪化も恐れずに自分自身の信条に従って、本国とも、ソビエト連邦とも、そしてドイツとすらも戦い続けた日本人――杉原千畝。

「彼は自分の意志を貫いた立派な人物だ」

 溜め息をつくようにアルトゥール・ネーベはそう評した。そして、多くの罪なき人々が杉原の綴ったビザによって殺戮を免れ第三国へと出国することができたのである。それがドイツにとってどんな結果をもたらすかは別として。

 自分自身の心に従うことができるというのはどれほど強靱な精神力か。

「どんな男なのだろうな」

 ぽつりとネーベがつぶやいた。

 本国もソビエト連邦も、同盟国も。全てを敵に回してまでただひとりペンを取って戦い続けた日本人。

 まるで伝え聞いた「サムライ」のようだ。

 そこまで考えてから、ネーベは唇の端でかすかに笑った。

 迂闊に言葉にすることはしないが、もしも、と彼は思う。自分に「チウネ・スギハラ」ほどの強靱(つよ)さがあればなにかを変えることができたのだろうか? と。

「まぁ、そんなことはとりあえずどうでも良いが、モルゲンの捜査報告書によると、ルブリンの所長を務めていたカール・コッホの”一味”は無法者集団のようだな」

 表情を改めたネーベは、コンラート・モルゲンの報告書に目を通しながらうなると、ミュラーが椅子の肘掛けに片手をついた。

「声のでかい連中に、親衛隊長官が振り回されなければ捜査は順調にいくだろうが、そういった連中はほぼ確実にでしゃばってくるだろうな」

 それをどう押さえるかが問題だな。

 ミュラーは厳しい眼差しのままでそう言った。

「声が大きければなんでも思い通りになると思っている」

 不愉快そうなミュラーの言葉にネーベはいろいろなことを考えたらしく瞳を曇らせた。

 権力者の大声によって、捜査が中断させられることはよくあることだ。権力者(彼ら)は自らの利権のために法律さえねじ曲げる。

「諜報部長のふたりは多忙だろうが、彼らに支援を要請しては?」

 諜報活動は彼らの十八番である。少なくとも警察官たちよりはずっとうまく立ち回るだろう。

「……ふむ」

 ネーベの提案にミュラーは相づちを打つとじっと考え込んだ。

「確かに妙案だが、オーレンドルフ中将も、シェレンベルク上級大佐も別件で手一杯なのではあるまいか?」

「シェレンベルク上級大佐はともかく、オーレンドルフ中将については普段の業務の延長だろう。それほど負担になるとは思えないが。それに、首脳部(やつら)の尻尾を捕まえる仕事なら、古参闘士のオーレンドルフ中将が喜んで飛びつきそうじゃないか」

 わずかに意地の悪い響きを滲ませるネーベの台詞に、ミュラーは数秒ほど考え込むとやがて視線を上げて書類をファイルに戻すと深く頷いた。

「つまり、こちらが仕事をしやすいように政府高官共を囲い込もうというわけか」

 どちらにしたところで再定住計画についての政策が組織によってばらばらでは、まとまる話しもまとまらない。強制収容所の浄化問題も解決しなければならない問題ではあるが、政府首脳部の意志の確認も重要な問題だ。

 その結果次第で国家保安本部の立ち居振る舞いにも影響が出てくる。

 問題が沈静化した時に「あれは国家保安本部が勝手にやったことです」などと責任を押しつけられてはたまらないのだ。

 行く行くは自分の進退問題にも影響するだろうから、先手を打たなければ始まらない。

「賭けになるだろうが、回すべき所には手を回しておかねばならんな」

 思いもがけず冷静なミュラーに、ネーベはファイルを片手にして立ち上がると小さく頷いた。

「オーレンドルフ中将にはわたしから持ちかけてみよう。それでよろしいか?」

「もちろん」

 ネーベとオーレンドルフは共に行動部隊として苦々しい思いを共有している。そうした面からもオーレンドルフに対する工作はネーベが適任だろうとミュラーは考えた。

 なにせ、彼自身は行動部隊の指揮をとってはいないのだから。

「では、これで失礼する」

 そう言い残すとネーベはミュラーの執務室から出て行った。 

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