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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XI 偽典
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8 もうひとつの疑惑

 ――SSには技術的な訓練を受けた特別な任務を達成できる”人材”が必要である。

 武装親衛隊の司令部に出頭した大男は、目の前の高級指導者がそう告げるのを注意深く聞きながらかすかに片目を細めた。少なくとも、補給所の”退屈な”任務よりはましだろうが、「技術的な訓練」を受けた「特別な任務」を達成できる、とはどういうことだろう?

「オットー・スコルツェニー中尉」

 呼び掛けられて大男――スコルツェニーは姿勢を正すと踵を打ち合わせて直立の姿勢を取った。

「はっ……」

「お偉方の計画しているこの部隊を成功に導ければ、イギリス人共の鼻をあかしてやることも可能だ。どうだ、やってみるつもりはないか?」

「……それは、即決しなければならない問題でしょうか?」

 スコルツェニーはなるべく感情の揺れを感じさせないよう注意を払いながらそう言った。

「いや、即決ではくてもいい。一週間時間をやる、その間に答えをくれればいい」

承知しました(ヤヴォール)!」

 右手を斜め上に上げてナチス党の敬礼をしたオットー・スコルツェニーは、上官の前を辞して司令部を出ると宿舎への帰路につきながら思考に沈んだ。

 現在、彼の所属する第一SS装甲擲弾兵師団「アドルフ・ヒトラー親衛隊」は機械化歩兵師団からの完全な機甲師団に編成替えをするためにフランスのノルマンディー地方で、徹底的な訓練を行っている。スコルツェニーの仕事は、そのための作業ではあったが、そんな地味な任務をスコルツェニーはじっと我慢していた。

 そこへ来て司令部への出頭命令である。

 武装親衛隊がノルマンディーで装甲師団への編成替えをしている間に、ソビエト連邦を相手に展開していた東部の戦場は随分と戦況が変化して、事実上ドイツの勝利で終わったらしい。

 なんでも第六軍を指揮したフリードリヒ・パウルスは上級大将に昇進したが、お偉方の昇進などスコルツェニーには興味がなかった。彼にとって苦々しいのは、戦争が終わってしまうことによって、自分が昇進するためのチャンスが激減するということだ。

 顎に大きな手を当ててから小首を傾げた。

 そういえば、東部で空軍(ルフトヴァッフェ)の指揮に当たっていた空軍元帥、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは一足先に帰国したらしい。

 もっとも、いずれにしろスコルツェニーにはなんら関わりのない話しではあるのだが。

 とりとめもなくそんなことを考えたスコルツェニーは大きな溜め息をついた。

 上層部は「すぐに決めなくても良い」とは言ったが、実質的には拒否権などないに等しいのだ。

 このまま補給所の退屈な任務を続けるか、それとも火中に飛び込むか。

 オットー・スコルツェニーにはその二択しか存在しない。

 ならば、と彼は思う。

「そうならば、選択肢などないだろうに」

 憮然とした。

 自分の左肩を軽く片手で叩いてから、彼は長く息を吐き出すと空を見上げる。

「やれと言うならやってやろうじゃないか」

 ぽつりと体力の衰えはじめた親衛隊中尉は口の中で独白する。そうして言葉にしなければ覚悟ができなかった。

 そもそも司令部も、三四歳の彼の体力が衰えはじめていることは知っているはずだ。それでも尚、スコルツェニーに声をかけてきたということは、その裏側になんらかの思惑があると考えてもいいだろう。

 けれども、そんなものは一介の親衛隊中尉でしかないスコルツェニーにはわからない。それでもひとつだけわかっていることがあった。それは、スコルツェニーの中にある半ば無謀とも言える野望を彼らは利用しようとしているということだ。

 相手に自分の心理状態を読まれているというのは面白くないが、それがチャンスであるならばあえて手のひらの上で転がってみるのも悪くはない。

 そこまで考えてから、スコルツェニーは唇を歪めた。

 眉をひそめて不敵に笑う。

 まだ自分は運命に見放されてなどいない。戦う方法は残っているのだ、と。



  *

「今回の”勝利”は本当に勝利などと呼べるものだと思うかね?」

 親衛隊作戦本部で、パウル・ハウサー親衛隊大将は長官を務めるハンス・ユットナーにそう告げた。

「……ハウサー大将はどのようにお考えですか?」

 プロイセン軍人出身の生粋の将校はユットナーの穏やかな、だけれども鋭い眼差しに見つめ返されて長い足を組んだ。

 パウル・ハウサーは、ナチス親衛隊の中の武装組織を戦闘部隊としてのエリート集団にたたき上げた立役者でもある。そんな彼に誰もが敬意を表していたし、一目置いている。作戦本部長官ハンス・ユットナー大将もまた例外ではない。

「わたしは、貴官の意見を聞いているのだ」

 遠慮もなくそう言い返した彼は現在、親衛隊装甲軍団指令を務めている。

 親衛隊装甲軍団――その大軍団を構成するのは、第一、第二、第三、第五SS装甲擲弾兵師団が含まれる。まさにエリート部隊の名にふさわしい。

「失礼いたしました」

 ハウサーに不機嫌そうな言葉を返されて、ユットナーが苦く笑う。

「そうですね、わたし個人としては、これはたまたま得た勝利だと思っております。もちろん、パウルス上級大将やリヒトホーフェン元帥が力不足だと言っているわけではありませんが……」

 そもそもハウサーだけではない。

 ハンス・ユットナーもハウサー同様に国防軍出身の親衛隊将校だ。その古巣である、国防軍に敬意を表しないわけはない。

「別に、奴らの心情にまで気遣う必要はない。軍事行動において重要なことは勝つか負けるかだけなのだからな」

 ユットナーの気遣いを一蹴してからハウサーは考え込むように首を傾げる。

「しかし、的は射ているな」

「……ありがとうございます」

 リヒトホーフェンにしろ、パウルスにしろ、優秀な将軍であることには違いない。だからそんな彼らが力不足であるということはないのだが、いかんせん最大の脅威となるのは深すぎる泥沼のようなソビエト連邦の国土だった。

 いかに優秀な将軍であっても、ソビエト連邦の国土と、そして最大の敵とも呼べる気象まではいかんともできるわけがない。

「戦場ではいつなにが起こっても不思議ではないが、あのタイミングでソ連のクーデターが起こったというのも気にかかるな」

 ハウサーの言葉にユットナーが深く頷いた。

 もちろん、敵であるソビエト連邦で起こったことだから、同情してやる義理もなければ、心配してやるつもりもかけらもないわけだが。

 おかげで、昨年のバルバロッサ作戦が失敗に終わったものの、なんとか二年目の冬が来る前に対ソ戦を片付けることができたとも言えるのだが……。

 ――本当に終わったのだろうか?

 ハウサーは口にはしないがそう考えた。

 へたにそんなことを口にでもすれば「敗北主義者」であると国内の戦争賛成派から批難をされることは目に見えている。安易な発言が危険であるとわかっているハウサーは、へたなことを口にすることはない。

「そうですね、彼らにとっても諸刃の剣だったと思うのですが……」

 ドイツとの戦争が終わってからクーデターを起こしても良かったのではないか、とハンス・ユットナーは指摘した。

「まともに考えれば二正面戦争が危険なことは誰だってわかるだろう。だが、敵はあのスターリンだからな」

 二枚舌のソ連人。

 その二枚舌のおかげでポーランドの裏を掻くことができたわけだが、それをわかっているからこそハウサーら、武装親衛隊の首脳陣を含めて「ソ連人は信用ならない」と思うのである。

 二正面戦争と言えば、ドイツも同じなのだ。

 昨年のバルバロッサ作戦が立案、実行される前にドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の総司令官を務める、国家元帥ヘルマン・ゲーリングがアドルフ・ヒトラーに対して、ソビエト連邦との戦いは反対であるという態度を表明した。

 ゲーリングの思惑がどこにあるのかは別として、それは正しい主張であると多くの関係者にそう思わせた。

 その年の秋まで散発的に続けられていた対英作戦において、空軍の戦力は大幅に消耗しきっていて、東部戦線に対する深く食い込むような攻撃に耐えられるような状況にはなかったのだから。

 そうして、一九四一年の作戦は事実上失敗に終わり、一九四二年を迎えた。

 東部と西部では未だに激しい戦いが続けられており、大西洋でも海軍が地道な海上の通商破壊作戦を行っていた。国防軍の三軍はどこも火の車だった。そんな状況をハウサーらが知らないわけはなかったし、それが国防軍の失態だと楽観的に眺めていたわけでもない。

 彼らの失敗はいずれ自分たちにも降りかかってくるだろう事態なのだ。

「そういえば、アフリカの天然痘はどうなったのだ?」

ドイツアフリカ軍団(DAK)の兵士にも一部、患者が出たようで、現在アフリカ方面に医師団を派遣して治療中とのことです。水際で国内に持ち込まれるのは防がれたような感じになっているそうです」

「それは朗報だな。しかし、国家保安本部の連中も余分なことをしてくれたものだ」

 天然痘がドイツ国内に持ち込まれてしまっては、それこそ大変な事態になるだろう。国防軍参謀本部総長のフランツ・ハルダーが激怒するのも無理はない。

 コントロールできない兵器など本来使われるべきではないし、使ってよいはずがない。兵器とは人の手の内で扱える範囲でなければならない。もしも、コントロールできないものを解き放てば、それは敵も味方もなくただ全てを飲み込むだろう。

「……国家保安本部と言えば、ゼップから聞いたのだが、なんだ。いつから警察が子供のままごとの場所になったのだね、ユットナー大将」

 今さらのように思い出したとでも言いたげなハウサーに、ユットナーは「子供のままごと」という彼の言葉に一瞬だけ考えてから、子供の存在に思い至って相づちを打った。

「なかなか聡明な子供ですよ。少々無礼ですがね」

「……――」

 ユットナーの好意的な言葉を耳にして、ハウサーはあからさまに機嫌の悪そうな目つきになるとソファから勢いよく立ち上がると、コツコツとブーツの踵を鳴らして窓辺へと歩み寄る。

「金髪の貧相な少女だというのは聞いたが、そんな子供が親衛隊員として名前を連ねているというのは、武装親衛隊の隊員たちの士気に関わる。そう思わんかね?」

「……とは言っても、”彼女”の登用についてはなんでも、親衛隊長官自らの命令だということですから」

 さらに彼女のバックに居るのは、親衛隊全国指導者個人幕僚本部長カール・ヴォルフ大将と、国家保安本部長官エルンスト・カルテンブルンナー大将である。

「それに彼女は、国家保安本部の伝統でもある”真価の発揮”をしたそうで、すでに国家保安本部(RSHA)内部では地位を認められつつあるそうです」

 ――そんな彼女が束ねるのは、ナチス親衛隊の知識人部隊とも呼べる特別保安諜報部。ヴェルナー・ベストを筆頭に、優秀な頭脳が揃えられていた。

「カルテンブルンナー大将は、彼女をあまり有名にはしたくないそうです」

 噂ですがね。

 そう言って微笑したハンス・ユットナーに、パウル・ハウサーは「そうだろうな」と言葉を返す。

 ヨーゼフ・ディートリッヒが言うほどの「貧相な少女」と言うのであれば、おおかた予想はついたし、それが本当ならば――おそらく本当なのであろう――問題の士官の安全確保のための問題も出てくるというものだ。

 軍隊や警察組織で女性が嫌われる傾向にあるのはこのためだ。

 女性がひとりいるというだけで、そのためにその女性を守るために余分な護衛が必要になる。ならばいないほうがましである、というのが一番わかりやすい考えだ。それでなくても女性は月経なぞという面倒臭いものがあり、長期の作戦には不向きであるのだ。

 そう考えれば、国家保安本部に女性将校が存在しているということが組織外に公然の秘密となるような事態になれば、多くの危険が伴うことは明白だった。

「女が戦場にしゃしゃり出てくるべきではないという総統閣下の意見はもっともだ」

 ハウサーの言葉に、ユットナーは言葉もなく目を伏せる。

 彼の言うことは当たり前のことだった。

 国家保安本部に所属する少女のために、厳重な警護体制が敷かれていることは否めない。それが親衛隊長官のヒムラーの命令であるにしても、傍目には理不尽なことこの上ない人事とも言える。

 彼女を守るために、戦える親衛隊員たちが何名か引き抜かれた。

 それが事実なのだ。

 けれども、と一方でユットナーは思った。

「しかし、ハウサー大将。彼女は希有な才能を持っているとわたしは見ております」

「才能?」

 誰かの意見にも振り回されず、また誰の権力も恐れなければ、社会に潜む危険も顧みない。それはなによりも彼女自身を危険にさらすことではあるが、恐れを知らないと言うのは、不穏極まりない社会の中にあって貴重な才能だとハンス・ユットナーは考えていた。

「ユットナー大将がそこまで言う子供であれば一度は顔を合わせてみたいものだが……、現実など期待するだけ無駄なことが多いのもまた事実だな」

 ことさらにこき下ろすような言葉を続けたハウサーに、ユットナーは困った様子で微笑してから立ち上がると執務机の引き出しから一冊のファイルを取り出した。

「……こちらが、親衛隊全国指導者個人幕僚本部から送られてきた彼女のファイルです。ご覧になりますか?」

 差しだされたファイルを受け取ったハウサーは、その中に鳩目されているカラー写真を眺めるや否や怒らせていた肩をがっくりと落とした。

「なんだ、この緊張感のない写真は……」

 とても公的な身分証明書の写真とは思えない。

 背中かから回された両腕に体を抱きしめられて、にこにこと笑っている金髪の少女は自分の手で回された腕にしがみついている。

 彼女の後ろに見えるのはカーキ色の制服だったから突撃隊の隊員なのだろうが、階級章などを見る限りそれなりの高官で、ハウサーが脱力しても無理はない。

「この後ろにいるのはもしや、突撃隊の幕僚長のヴィクトール・ルッツェか?」

「その隣はわたしの兄(マックス)ですね」

 付け足された言葉に、ハウサーはファイルを閉じるとユットナーに無造作に突き返すと、機嫌悪そうなままで再び頭を左右に振った。

 ルッツェに背後から抱きしめられて笑っている少女と、そんなルッツェの隣にいる参謀長のマックス・ユットナー。

 階級はどちらも突撃隊大将である。

「くだらん……」

 ハウサーの低い声がそうしてユットナーの執務室に響くのだった……。

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