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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
XI 偽典
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5 謀略の担い手

 簡単な昼食を済ませてからプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセを出たシェレンベルクは、その日の半日を使って武装親衛隊の作戦本部(FHA)長官ハンス・ユットナーと、親衛隊本部長官ゴットロープ・ベルガーを訪ねた。

 彼が国家保安本部の執務室に戻ってきたのは夜のとばりに辺りが包まれはじめた時刻である。

「失礼します、シェレンベルク上級大佐」

 かつりとブーツの踵を鳴らしたゲシュタポのラルス・シュタインマイヤーが彼の執務室へと入ってきた。

「どうした?」

 数冊のファイルをカバンから机の上に出して内容を確認しているシェレンベルクはちらと視線を上げて、勤勉な元刑事警察を見やるとわずかに考え込んでからファイルを揃える手を止めた。

「マリーのことか」

 国家保安本部内でマリア・ハイドリヒがマリー・ロセターであるということを知るのは、シェレンベルクとシュタインマイヤーだけである。

「はい」

 表情を変えることもなく問いかけたシェレンベルクに対して、短く応じたシュタインマイヤーは小脇に挟んでいた薄いファイルを差しだした。

「こちらはわたしが現在”捜査している事件”の中間報告になります」

「……なるほど」

 差しだされたファイルを受け取ったシェレンベルクは、内容を確認してから顎に手を当てると改めて目の前に立っているラルス・シュタインマイヤーを見やる。

「外務省には思った以上に裏切り者がいそうだな」

「……――」

 シェレンベルクの言葉にシュタインマイヤーは答えない。

 実際のところ、ヴァルター・シェレンベルクという男が本当にそんなことを思っているかなど、シュタインマイヤーの理解できるところではない。かつては国家秘密警察(ゲシュタポ)の諜報機関を指揮した若い司令官は、前国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒが死んでからは最も頭が切れる男と言えた。

 そんな彼が「想定外」だと言ったところで誰が信じるだろう。

 もちろんハイドリヒの狡猾さと、そしてヴァルター・シェレンベルクのそれとでは質が異なるものではあるのだが。

 ハイドリヒの狡猾さが圧倒的な力で押しつぶすものに例えられるならば、シェレンベルクの狡猾さはもっとスマートで、けれども最も陰湿だ。

「この報告書は、もちろんミュラー中将にも提出しているのだろう?」

「はい、そちらは”コピー”になります」

 シェレンベルクの確認に応じたシュタインマイヤーはかすかに眉をひそめてから口を開いた。

「敵が外務省となれば、外務大臣を含めた先方は全力でこちらに対抗しようとしてくるはずです。ゲシュタポの強権を発動すればなんら問題はありませんが、しかし、この場合、問題は禍根を残すこととなり、国内にいらぬ問題を残すことになるのではありますまいか」

 至極冷静なシュタインマイヤーの言葉に、シェレンベルクは少しだけ考えてから椅子に深く座り直した。

「大尉の言っていることもわからなくはない」

 外務省を敵に回すと言うことの危険性を、シェレンベルク自身もよく理解していた。

 幸いなことは、先日、空軍総司令官であり国家元帥でもあるヘルマン・ゲーリングの調査局フォーシュンス・アムトを摘発した後、ゲーリング自身が調査局の詳細を他機関に漏洩しなかったことだ。

 もちろん、そんなことを広言すればゲーリング自身の権威と、名誉の失墜を免れることはできないわけであるから、彼が事件の詳細を訴えるわけもない。

 ゲーリングは、敵にする相手を間違えたのだ。

「だが、”外務大臣閣下”は、我々が”なに”を手中にしたのかを理解していない。シュタインマイヤー、もしも捜査に邪魔が入るようならこちらでなんとかしてやるから好きにやれ」

「お言葉はありがたいのですが……」

 言いながらシュタインマイヤーが苦笑する。

 邪魔が入るならなんとかすると言われても、シュタインマイヤーの上官は、敵性分子排除部のフリードリヒ・パンツィンガーであり、その局長のハインリヒ・ミュラーだ。

 元はゲシュタポに所属しており、ラルス・シュタインマイヤーと同じゲシュタポの諜報部員として活動していたとは言え、どこまでシェレンベルクの権力がシュタインマイヤーの捜査の助けになるというのだろう。

 今のところは、まだ外務省は国家保安本部が彼らを捜査していることは気がついていない。しかし、ドイツ国内にあって情報組織はひとつではない。

 ――結局のところ、足の引っ張り合いだ。

 それがシェレンベルクには苦々しい。

「心配するな、うまくやってやる」

 考えた事は顔に出すこともせずにシュタインマイヤーに告げたシェレンベルクに、ゲシュタポの捜査官は執務室を出て行った。

 改めて時計を見るとすでに夜の七時を過ぎている。

 黙り込んだままでファイルをめくった彼は、タイプライターで打たれたアルファベットを眺めながら無意識に自分の腹部に手をやった。

 マリーではないが、自分が休暇をとらなければならないことは誰でもなくシェレンベルク自身がよく知っていた。けれども休む暇などどこにあるというのだろう。世間は、ドイツの内側も、そして外側をも含めて謀略に満ちている。

 先日、非公式に国防軍情報部(アプヴェーア)の長官であるヴィルヘルム・カナリスのもとを、東部に情報網を展開している東方外国軍課の課長――ラインハルト・ゲーレンが訪れたという情報をシェレンベルクはすでにつかんでいた。

 ゲーレンは生粋の諜報屋だ。

 シェレンベルクらの国家保安本部とは違って、ただ一心にドイツ軍を”健全に”維持するための情報活動に専念している。

 そんなラインハルト・ゲーレンの姿勢は情報将校としてあるべき姿だと、シェレンベルクは感心していた。なにより、信頼できる行動部隊を持ち、さらに彼らの活動に対して無二の信頼を国防軍が抱いているということはどれほど羨ましいものだろう。

 もっとも、その国防軍そのものは、参謀本部の反ヒトラー陣営のあるおかげから、アドルフ・ヒトラーの覚えが悪く、両者の間に生じた決定的な亀裂はドイツの国防的な意味にあって重要な意味を持っていた。

 それが敵に知られる事になれば、それほど遠くはない未来、重大な問題を引き起こすかも知れない。

 どちらにしたところで、国内の情報組織の一部を高く評価している一方で、ヴァルター・シェレンベルクは連合国側の情報組織も同様に高く評価していた。普段、ベルリンで情報収集活動と秘密作戦の指揮を執っているシェレンベルクが、他国の諜報員と接触することはなまなかなことではない。

「外務省をうまくまるめこむことができればな……」

 唇だけでつぶやいた彼は再び物思いに沈んでしまった。

 自尊心が強く、高慢ちきなヨアキム・フォン・リッベントロップを丸め込むには、少々卑劣な手段も必要であるのかもしれない。

 翌日、相変わらず大量の仕事を抱えているシェレンベルクの元を国内諜報局長のオットー・オーレンドルフが訪れた。ちなみに、オーレンドルフがシェレンベルクよりも仕事を抱え込んでいないわけではない。彼も彼で忙しいはずなのだが、最近では東部戦線で行動部隊アインザッツグルッペンの指揮を執った男の表情にも随分と余裕を感じられたように思えた。

 精神的な活力を取り戻しているからか、彼は東部戦線に赴く以前と同じように精力的に仕事をこなしている。

「聞いたか? シェレンベルク上級大佐」

「なにをです? 中将」

 問いかけに問いかけで返したシェレンベルクにオーレンドルフがにやりと笑う。

「ゲッベルスが、リッベントロップに接触をとろうとしているらしい」

「……あぁ、あちらは随分と”親衛隊長官閣下の部下”に業を煮やしているらしいとのことですからね」

 主に彼らが業を煮やしているのは、諜報部の動向で、要するにオーレンドルフとシェレンベルクに対してその矛先が向けられている。かつては直接、ハイドリヒが憎まれ役を買っていたのだが、その当人が暗殺されて以来、矛先は諜報部の責任者たちに向けられることになった。

 もっともオーレンドルフに至っては、それ以前からもやり玉に挙げられていたことは確かだったから、政府高官たちの抗議も慣れっこと言った様子で、飄々と彼らの態度を受け流している。

 オーレンドルフにしてみれば、頭の足りない愚か者など恐れるに足らない存在で、ハインリヒ・ヒムラーですらも大した存在ではなかった。

 彼にとって重要なことは、ヒムラーでも、政府高官でもない。

 見据える先にあるはずのドイツの未来だけだ。

「宣伝省の大臣閣下も確か”独自の”情報網をお持ちでしたね」

上級大佐(オーバーヒューラー)も知っていることとは思うが、ゲッベルスは頭が切れる。シャンパン商人は大した男ではないから御すのは容易だが、ゲッベルスはそうもいかんぞ」

「わかっています」

 オーレンドルフにソファを薦めたシェレンベルクは、女性秘書にコーヒーを頼んでから大きな扉を閉めた。

「ところで、中将」

 そこで一旦言葉を切った。

「中将は国内諜報に関するエキスパートです、その中将の目からみて、アメリカとイギリスの御同類の方々についてどう思われますか?」

 問いかけられてオーレンドルフはタバコに火をつけると少しだけ考える。

「……実態は知らんが、それなりに頭の切れる連中だと思っていいだろうな。上級大佐(オーバーヒューラー)が仕掛けた例の作戦を実行した党員がアメリカの索敵網に引っかかったそうじゃないか」

 ドイツ系アメリカ人医師の動向がアメリカ諜報部の指先に触れた。

 それはすでにシェレンベルクもアメリカ国内に潜り込ませていたスパイから情報を得ている。外務省に勤務する友人からの話では、どうやら問題の感染症は同盟国である日本の展開する東南アジア戦線にも波及している問題らしく、日本の軍隊と医師団が頭を抱えているらしいということだった。

 もっとも、日本側の動きに対してはシェレンベルク自らが裏をとったわけではなかったから、正確性に欠ける情報であるとは思っている。

 これは近いうち、そちらに通じる人間に接触を持つ必要もありそうだ。

 それにしたところで、アメリカが本気でイギリス領であり「死の村」と恐れられた医師一家の住む地域を捜索するとはとても思えない。

 そこには未だに悪魔が住むと恐れられているのだ。

 かつて天然痘が流行し、そのために地域に住む人間は治療の遅れから半分近くが死んだ。生き残った者の多くも天然痘の保菌者として細々と生活している。そんな恐怖にさらされる村を誰が捜査するだろう。

「とりあえず、そちらの件についてはわたしも情報を収拾しております。ところで、中将? 仮に外務大臣閣下や宣伝大臣閣下を骨抜きにするとして、我々に可能なことだと思われますか?」

「……ゲッベルスとリッベントロップ、か」

 オーレンドルフは国内にある多くの著名人たちの弱みをその手に握っている。それをシェレンベルクは知っていたがあえて問いかける形をとった。

 わずかばかりでしかないが、年上で頭の固いオーレンドルフの立場を立てる姿勢をシェレンベルクが見せる。そんな年下の諜報局長の態度に、フンと鼻を鳴らしたオーレンドルフは片目を細めてからシェレンベルクを見ると口を開きかける。

 丁度そのとき、女性秘書がコーヒーをいれたカップを運んできて、オーレンドルフは口を閉ざしてしまった。

 室内に、コーヒーの香りが広がった。

「これは珍しいな、本物のコーヒーとは貴重品じゃないか」

「先日、スイスでアイルランドの友人に会いまして、そのときにお土産にもらったんですよ」

 耳に心地の良い笑い声を上げたシェレンベルクに、オーレンドルフは頷いてから改めて話しを戻した。

「奴らの弱みだけじゃないな。”あいつら”の腐りきったところなどいくらでも追及できる。それを奴らは今まで権力を笠に着て握りつぶしてきただけだからな。それができない状況を作り出してやれば、いくらでも追い込むことは可能だ」

 人間にはひとつやふたつの弱みはある。

「そんなことよりも面白いネタがある」

 皮肉げに唇をつり上げたオーレンドルフは、カチャリと小さな音をたててコーヒーカップをソーサーに戻すとひどく面白そうな光を瞳にたたえる。

国家元帥(ふとっちょ)閣下のことだが、最近、手持ちの美術品をあちこちの美術館に”無償で”寄贈しているらしい。それと、これも非公式な記録で機密情報だが……」

 あぁ、いや、機密というほど大したものじゃないな。

 オーレンドルフはそう付け加えて笑った。

「だいぶゲーリング(でぶ)の体重が減ってきたらしいぞ。元帥付きの医師からの情報だ」

「それは面白いですね……」

 笑い話以外の何物でもないオーレンドルフの台詞にほほえんだシェレンベルクに、国内諜報局長はさらに言葉を続けた。

「あともうひとつ。武装親衛隊に面白い奴がいるというのは聞いたか?」

「聞いています、第一SS装甲擲弾兵師団――アドルフ・ヒトラー親衛隊所属のオットー・スコルツェニー中尉。今は確か補給所勤務をしているはずです」

「さすがにその手の話しの情報は早いな」

「お互い様です」

 オーレンドルフもシェレンベルクも同じように諜報部のトップを務め一手に情報を握っているのだ。

 年齢は三四歳でオーストリア出身の大男だ。

 彼の経歴をシェレンベルクは面白いと思った。

「スコルツェニーの件は、明日にでも調べようかと思っています」

「なるほど、忙しいというわけか」

「えぇ……、それなりに」

 そうしてオーレンドルフにシェレンベルクはそっと微笑を返した。

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