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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
IX ヘルヘイム
102/410

9 アドルフ・ヒトラー親衛隊

 収容所の番人たち。

 ドイツ国内外に設置された「強制収容所(KL)」の。噂程度に聞こえる話しでは、一般親衛隊員たちの多くが、戦場で命のやりとりをしている武装親衛隊員らとは事なり強制収容所の管理官として”快適な”生活を送っているらしいということだった。

 もっとも、彼にしてみれば自分の身がいくら安全であったとしても、強制収容所などの鬱屈した空気など吸いたくもない、というところが本音である。

 かなり斜に構えた、そして穿った見解であることは自覚しているが、それでも考えはじめると苛立たしさを禁じ得ないのは若さ故なのかもしれない。そんな自分の青さに眉をひそめてから小さな舌打ちを鳴らした。

 彼は昨年のバルバロッサ作戦の折り、師団の一部としてソビエト連邦に転戦し、一九四二年の七月が終わる頃になって現在はノルマンディーで部隊の再編成のために連日の訓練に勤しんでいる。

 ――暢気なものだ。

 まるで自嘲するようにヨアヒム・パイパーは口元を歪めてから暗がりの中、ごろりとベッドの中で寝返りを打った。

 つい一ヶ月ほど前まで彼が繰り広げていた戦争がまるで嘘のようだ。

 もちろん、彼が毎日のように受けているのは軍事訓練であって、それは戦争という巨大な魔物の息づかいさえも感じさせられる。

 なによりも苛立たしく感じるのは、戦場で行動を共にしていた国家保安本部の存在だった。

 彼らも名目上は武装親衛隊の隊員たちがそうであるように、警察関係者としてナチス親衛隊に名前を連ねている。

 同じ親衛隊。

 けれども、それは”本当”に?

 ベッドに横になったまま、暗い消灯後の天井を睨み付けたままで、彼はじっと思考の淵に沈み込む。

 処罰する者と、される者。

 考え出せばきりがないとわかっていて、考えてしまうことをやめられない。

 なによりも、自分程度の前線指揮官が考えたところで埒もあかないことはわかっている。それでも、まるでひたひたと忍び寄るように彼らのもとに流れてくる噂に、ぞっとするものを禁じ得なかった。

 国家保安本部が主導する行動部隊アインザッツグルッペンがなにをしたのか。

 パイパーは自分が「軍人」であり、人殺しを仕事としていることは否定をしない。パイパーが殺しているのは、同じ軍人であり兵士であるはずだった。しかし国家保安本部の率いる警察部隊がなにをしているのかと尋ねられれば、それに対して彼は正確に答えることなどできはしないだろう。

 少なくとも、パイパーらが最前線でソ連兵の相手をしている間、警察部隊とも呼ばれるごく小規模の行動部隊アインザッツグルッペンは、国防軍や武装親衛隊の背後に蠢くパルチザンの掃討にあたっていると聞いていた。

 そして彼らの「行動」があればこそ、自分たちは背後を気に掛けることもなくただひたすらに前方へと向かって突撃できるのだと。

 国防軍を中心とした主力部隊が前進している後背に情け容赦のない警察部隊が控えている。それは、ポーランド戦が始まったころから、ドイツ軍がとってきた作戦だった。

「アインザッツグルッペン、か……」

 噂程度でしかパイパーは知らない。

 一部、その隊員は武装親衛隊からも引き抜かれているということだったが、幸いなことにヨアヒム・パイパーの知人には悪い噂しか聞かないアインザッツグルッペンに転属になった者はいない。

 もっとも悪い噂、とは言っても、せいぜい「心臓に余り良くない任務」であるといった程度の話ししか、パイパーは聞いていないのだが、どちらにしたところで戦場に軍人でも兵士でもない「警察」が我が物顔で闊歩しているというのは邪魔なことこの上ない、と彼は思った。

 もちろん警官部隊とは言っても、同じ武装親衛隊の第四親衛隊警察装甲擲弾兵師団は別である。彼らも現在は正式な武装親衛隊の師団で、先のバルバロッサ作戦にも参加していた。

 悪名高いゲシュタポや、刑事警察、そして諜報部隊を主力としたドイツの実質的な治安維持組織である国家保安本部(RSHA)。そこは、ナチス親衛隊のエリート部隊としても有名だった。

 これも噂であるが、恐ろしく頭の切れる知識人(インテリ)たちの巣窟らしい。軍人家庭で育ち、当たり前のように軍人となったパイパーには想像もつかない世界だ。

 そんなとりとめもないことを考えながら、やがてヨアヒム・パイパーは眠りに墜落していく。連日の訓練に疲労困憊だ。

 眠らなくてはいけない……。

 訓練が明ければ、また新しい戦場が彼を待っているのだから。


 それからしばらくして、ヨアヒム・パイパーは師団長のヨーゼフ・ディートリッヒの笑い話を耳にする機会があった。

「しかしベルリンで会った女の子が、国家保安本部の部隊の隊長だと聞いたときは驚いたがね」

「……どういうことだ?」

 豪快に笑うディートリッヒに対して、ひどく不愉快そうに眉間を寄せたのはパウル・ハウサー親衛隊大将だ。

 どちらも強面だが、ディートリッヒは部下から厚い信頼を受けており、またハウサーも武装親衛隊の父とも言える指揮官だった。ハウサーがいたからこそ現在の武装親衛隊があると言ってもいいだろう。

「なに、ユットナーのところに報告つでに行ったときにな、カルテンブルンナーとベストのふたりがいてな。そのふたりにつれられて女の子がいたんだが、これが先だって行われた総統閣下の周囲の敵性分子の摘発の指揮を執った隊長らしくてな」

「親衛隊は子供のままごとの場ではないぞ」

 ふたりの優秀な法学博士でもある警察将校に連れられた十代半ばほどの少女のことを他意もなく説明するディートリッヒに悪気はなさそうだが、それを聞いているハウサーの機嫌は見る間に悪化していくのが、なにげなく眺めていたパイパーにも見て取れた。

 ディートリッヒは直情的な男だが、情に厚く部下に信頼もされている。

 悪気はないのだろう……。

「そんなことを俺に聞くな。そもそもユットナーの奴だって、どういういきさつでその子が親衛隊……、SDに所属しているのかなど知らんだろうからな」

 武装親衛隊と一般親衛隊は同じ組織であるように見えて、実のところそれなりの隔たりが存在している。

 こと国家保安本部ともなれば随分と武装親衛隊とはかけ離れた存在となる。

「なにやら裏がありそうな話しだな」

 腕を組んだハウサーが、ぎろりとディートリッヒを見やると上背の低いエリート部隊の指揮官は、そんな眼差しもどこ吹く風と行った様子で悪びれもせずに笑顔を浮かべていた。

 現在、国家保安本部の新長官に就任したエルンスト・カルテンブルンナー親衛隊大将――当時はまだ中将であり、国家保安本部長官に就任する前であるが――と、パリの民生本部長官を務めていたというヴェルナー・ベスト親衛隊中将。この大物ふたりに連れられた異質な少女。

 第一親衛隊装甲師団「アドルフ・ヒトラー親衛隊」の指揮官、ヨーゼフ・ディートリッヒが親衛隊作戦本部のオフィスで見かけたという金髪の少女の存在。

 それがハウサーの琴線に触れたようだ。

「しかし、上級大将オーバーストグルッペンヒューラー。そういった話しを余り軽々しくするものではないと思うが」

 ディートリッヒの話をまとめると、彼が親衛隊作戦本部で見かけた少女は国家保安本部でそれなりの地位を得ているということになり、さらにそれらを鑑みるとやはりそれなりに高い地位にいるだろうということが想像できる。

 つまるところ、武装親衛隊の士官、及び下士官たちの士気にも関わるだろう重大な問題だ。

「気になるならベルリンに行ってみるといい。どうやらプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに国防軍や外務省の連中が大きな顔で闊歩しているせいで人事局長……、シュトレッケンバッハ中将が渋い顔をしているそうだからな」

「……ほう」

 自分たちがノルマンディーで再編のための訓練に終われている間に、魔窟とも呼べるプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセで大きな動きがあったというのはパウル・ハウサーにとっても興味深いことだった。

 確かに親衛隊情報部と犬猿の仲とも言える国防軍情報部(アプヴェーア)や外務省情報局のINFⅢが出入りしているなど、国家保安本部の人事局長からしてみれば面白くもない事態なのであろう。

「そういえば先のローテ・カペレの摘発と、ゲーリングの調査局に対するSD共の懐柔にはどうも問題の諜報局の暗躍があったらしい」

 国家保安本部の諜報部を束ねるのはふたりの若い法学博士だ。

 ひとりはオットー・オーレンドルフ国内諜報局長。そしてもうひとりは、オーレンドルフよりもさらに若い、ヴァルター・シェレンベルク国外諜報局長だった。

 共に頭の回転の速い若者で、ことオーレンドルフに至っては昨年の東部戦線でアインザッツグルッペンを率いて”パルチザン”の掃討作戦にあたっていたのは、武装親衛隊の中でも比較的有名な話しだった。

「あの諜報局か……」

 ナチス親衛隊という組織の中でも、エリート中のエリートとも呼べる男たち。

 人のことを言えたものではないが相当後ろ暗い仕事もやっているらしい。

 要するに、味方であっても彼らに対して絶対の信頼など置くことができないと言うことだった。

「それで、その女の子と狸共の巣窟がどう関係あるのだ?」

「ユットナーから聞いた話だが、問題の女の子はどうやらヴァルター・シェレンベルクの部下らしい」

 名前はマリア・ハイドリヒ、階級は現在のところ親衛隊少佐シュトゥルムバンヒューラー

 国家保安本部国外諜報局の下にある特別保安諜報部の部長で、彼女を補佐するのはそうそうたるメンツである。

「言ったろう、ユットナーのところに行ったときに、ベスト中将と会った、と」

 確かにディートリッヒはハウサーに、カルテンブルンナーとベストと顔を合わせた、と言った。

「パリで民生本部長官を務めていたベスト中将が、今はその女の子の首席補佐官を務めているらしいのだ」

 なんともきな臭い話しに、ハウサーはいよいよ眉間を寄せると沈黙をしたままで腕を組み直した。しばらく無言のままで考え込んでから、ディートリッヒをじろりと眺める。たった十六歳の少女が部長であり、親衛隊少佐という責任ある地位についているというのは、ハウサーにしてみれば面白い話しではない。

「そうか」

 ややしてからそれだけつぶやいたパウル・ハウサーは険しい表情のままで、ディートリッヒに別れを告げるとそうして部下を連れてその場を立ち去った。ふたりの高級指導者の会話はそこで打ちきりとなったため、ヨアヒム・パイパーはそれ以上の情報を知るよしもない。

 ただ、なにやら国家保安本部にこれまでの先例からは考えられないような動きが見られたというだけしかつかみ取ることができなかった。

 ちなみにパイパーが耳をそばだてていたというのもあったが、なにせディートリッヒが隠し立てするつもりはないらしく、大声で話すものだから話の内容が周囲に丸聞こえでパウル・ハウサーがいくら声音を落としてみても全てが徒労となったために、最終的にいろいろと諦めた結果となった。

 そういったわけで、パイパーもディートリッヒの話が正確に聞こえたという次第だ。

 おそらく、とヨアヒム・パイパーは思う。

 ヨーゼフ・ディートリッヒにしてみれば、声をひそめて話すような内容ではなかったから特に意識をしなかったのだろう。彼は豪快で、ざっくばらんなところもあるが決して分別をつけられない男ではない。

「しかし、国家保安本部に女の子とはな」

 相変わらず豪快に人の良い笑いを浮かべているディートリッヒは数フィート離れたところで話しを聞いていたパイパーに向かって言葉を投げかけた。

「ゲシュタポに女の子ですか? 閣下」

 問い返したパイパーにディートリッヒが肩をすくめた。

「ベスト中将か、カルテンブルンナー中将の隠し子かと思ったがそうでもなかったから驚いたもんだ」

 口の悪いディートリッヒにパイパーは苦笑した。

「ですが閣下、ベスト中将に似ればそれなりに可愛らしいんじゃありませんか?」

「かもしれんな」

 部下の軽口に、軽口で返したゼップ親父(パパ・ゼップ)は、パウル・ハウサーが立ち去った方向を肩越しにちらりと眺めてから、改めてヨアヒム・パイパーを見返した。

「東部は混沌としているらしいからな、とっとと再編を終えて駆けつけてやらねばな」

「そうでありますね」

 そう告げたディートリッヒの表情は固い。

 いくら戦っているのが国防軍の兵士たちであっても、同じドイツ人だ。彼らが倒れていく姿を見て心穏やかでいられるわけがない。だからこそ、同じ戦場に駆ける立場であるからこそ、彼らを助け出さなければと思うのだ。

 混沌とした戦場で、友軍を見捨てることなどできるわけがなかった。

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