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神々の黄昏 ― Vaterland ―  作者: sakura
IX ヘルヘイム
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7 光る目

 研究所の医務室で眠りについてしまった少女は。どれほどの時間がたってからか、ふと目を醒ました。

 骨折をしてからというもの、表向きは彼女自身の身分を証明するための親衛隊情報部の所属を示す腕章は身につけてはいないでいる。マリーが親衛隊に所属するSDであるということは、その身分を証明するにしろ、しないにしろ危険が伴うことには代わりがない。前者の場合はよち直接的な危険であることに対して、後者の場合は彼女の存在が敵対者に露見した際における周囲の被る被害だ。よりわかりやすく表現するならば、女性SDが存在していることによって、無差別に国家保安本部の女性職員がテロリズムの標的とされる形になるだろう。

 それはそれで組織にとっては、それなりに大きな痛手となる。

 室内に物音がしないことを確認したマリーはそっとベッドから足をおろして、小さな溜め息をついて立ち上がる。それほど広くはない医務室は、丁度席を外したところなのかマリー以外の者はいない。

 サンダルをはいて部屋を出たマリーはしんと静まりかえった廊下の空気に数秒考え込んでから首を傾げると踏み出した。

 開け放たれた廊下の窓の外。

 降り注ぐ夏の日差しを受け止めて木立が風にゆれている。

 そんな穏やかな光景に、マリーはそっと片目を細めてからシェレンベルクの招かれているだろう応接室へと向かって歩きだした。

 新型爆弾のことなど説明されたところで、マリーにはさっぱり理解できない。

 だから彼女は研究室で行われている実験や、理論構築などには興味がなかった。

 時計を身につけていないから、時間がどれほどたったのかはわからないものの、まだ屋外が日の光に満ちているということは、時間の経過を彼女に確認させるには充分だ。

 眠ったせいか吐き気とひどい睡魔は落ち着いたような気もする。

 足音もたてずに歩を進める彼女は、前方から歩いてくる白衣姿の男に目を留めた。マリーは特別な感慨もなく相手を見つめているだけだが、男のほうはマリーに対して訝しいものを感じたようだった。

 どうしてドイツ少女同盟(BDM)に参加しているような年齢の少女が、ウラン・クラブの推進する新型爆弾の研究所にいるのか。

 そう言いたげだ。

「……君は?」

「シェレンベルクはどこ?」

 問いかけられた質問に答えずにマリーは自分の疑問を相手にぶつける。

 シェレンベルク、という名前に男はわずかに考えるような所作を覗わせてから、マリーの胸元に留められたルーン文字の「SS」というスカーフピンに、黙り込んでから顎をなでる。

「シェレンベルク?」

 SDの個人の名前まで覚えていられないが、確か、午後にベルリンの国家保安本部からそれなりの大物情報員が来訪するらしい、という話しは聞いていた。

「君はヘル・シェレンベルクの被保護者かなにかかね?」

 いまひとつ要領を得ていない男が疑問系で聞き返すと、少女の方も何事か考え込むような表情になった。

「マリー、目が醒めたのか?」

 そのとき若い男の声が飛ぶ。

「シェレンベルク……!」

 金色の長い髪は三つ編みにされているが、横になっていたせいかわずかに乱れている。ナチス親衛隊のフィールドグレーの制服を身につけた青年の手に中には、さわやかな新緑のトップハットがあった。

「あぁ、そのままでいい。体調はどんな様子だ?」

「少し良くなったわ」

 にこりと笑った少女に大股に歩み寄った若い親衛隊上級大佐は、少女の横に立っている博士に「ハイル・ヒトラー」と敬礼をしてから腰を屈めるとマリーに耳打ちした。

「今日は、国家保安本部(RSHA)が、このようなところにどのようなご用件でいらしたのです?」

「我が国において、新型兵器の開発は最高機密にも関わる問題です。ですが、その開発計画はおそらく連合国に一部漏洩しているものと思われており、これらの問題に対する協議のためにベルリンから馳せ参じた次第です」

 さも相手を尊重するようなシェレンベルクの言葉に、白衣を着た男は両手をポケットに突っ込んだままで聡明な眼差しに光を閃かせる。

「我々が、情報を漏らしている、とでも?」

「いいえ」

「……ほう? しかしあなたの意図は理解しかねますな」

 まるで腹の探り合いだ。

「博士たちを疑っているなどとんでもないことです。我々、国家保安本部はこの国防軍最高機密の保持と、秘密の遵守のためにそのための技術を提供して差し上げようかと思い、来訪したのです」

「しかし、あなたは言ったではありませんか。連合国に我らの研究成果が漏洩している可能性がある、と」

「確かに申し上げました。しかし、あなたがたが秘密を意識的に漏洩しているかと言われれば、それは違うとだけは申し上げます」

 静かにシェレンベルクは、白衣の男に向かってそう告げた。

「仮に、情報を漏洩している者がいるとすれば、それは我が党が政権を獲得したばかりの頃に亡命したユダヤ系の科学者たちではないか、とわたし個人は想定しています」

 科学者たちは、多くの者が鋭い先見の目を持っている。

 組織の中枢には楽観論をもとに適当なことを言う者もいるが、シェレンベルクは至極理性的な部分でユダヤ系の学者たちのことを見極めていた。

「しかし彼らはドイツが原子力開発をはじめる前に亡命しているではないか、情報を流出させることなど可能だと思うか?」

「どこの国の学者たちは誰も優秀な人間ですし、そこに国境は存在しません。アインシュタイン博士がノーベル賞を受賞されていることも、ドイツのカイザー・ヴィルヘルム研究所には多く優秀な学者が名前を連ねていたことも、周知の事実。そう考えれば、各国の学者たちは多かれ少なかれ似たような結論にたどり着くことでしょう」

 口から出任せを言っているのか、それとも本心なのかわかりにくいシェレンベルクの言葉に、白衣の男は言葉を失った様子でじっと考え込んだ。

「つまり、敵も同じように原子力開発をしている、ということか?」

「それはわかりません。国家保安本部にはそこまで正確な情報は収集されておりませんが、少なくとも、ドイツが考えつくようなことを、敵が考えつかないと思うのはうぬぼれにすぎないとわたしは思っております」

 ドイツが開発を進める新型爆弾と似たようなものを、連合国が開発しているという可能性を考えるならば、戦いはおそらく新型爆弾のぶつけあいになるのかもしれない。

 白衣の男はぞっとするように肩を揺らしてからシェレンベルクと、その隣に立っている少女を言葉もなく凝視するだけだ。

 そこが敵地であっても、ドイツ国内であっても結果は焦土になるだろう。

 それがわからないわけではない。

「ですが、敵が強力な力を持っているだろうと考えれば、我が国がやはり強大な力を持つと言うことは、その使用に対する抑止力になるだろうと考えます」

 大きすぎる力を振るえば、後に残されるものは煉獄にも似た焦土の世界。

 全てを飲み込む力だ。

「人があって国があるのです。少なくとも、ナチズムではそう考えます。人に多大な犠牲を強いた国は、もはや国家ではありえない」

「……それは、どういう」

 どういう意味かと言いかけた男の視界でふと金髪の少女が、退屈をしたのかシェレンベルクの袖を軽く引っ張った。

「失言がすぎました、こちらの所長と話しは終わりましたので我々はこれで失礼いたします」

 なにが失言だったのかとまでは言わずに、シェレンベルクはかつりとブーツの踵を打ち鳴らすとナチス式の敬礼をして白衣の男に背中を向けた。

 ――失言がすぎた。

 それははたしてどういう意味だろう。

 相手は国家保安本部の情報将校だ。

 一見しただけでは全く計算していないように見えても、おそらく全てが計算のうちと考えたほうが良いだろう。つまるところ、彼が言いたいことを裏の裏まで考えると、それは恐ろしいことを想像させられた。

 国家保安本部には、国外、国内の諜報部、及び刑事警察と、国家秘密警察、さらに国内の出版物の摘発などの多種多様な部署がその支配下に置かれており、彼らは巨大な網のようにドイツ国内、そして占領地区へと監視の目を張り巡らせている。

 万が一、彼らの機嫌を損ねでもすれば、自分の身の上には不幸が降り注ぐことになるだろう。

 彼が連れた少女は結局何者だったのか、とか、彼の目的は何なのかとか。そんな疑問ばかりが残るが、とりあえずシェレンベルクの告げた連合国での情勢が気にかかるところだった。

「焦土と化す、か」

 もしくはそうなのかもしれない。

 敵地を焦土にするために、彼ら科学者たちが日々原子力の研究に勤しんでいる。

 白衣のポケットに突っ込んだ煙草を取り出しながら、思考に沈む込もうとした彼はふと視線を感じたような気がして床から顔を上げた。

「……――」

 シェレンベルクに連れられた少女が、顔を向けて男を見つめている。

 青い瞳がにこりと笑った。

 ひらひらと手を振られて、男は自分の顔からざっと血の気がひくような思いを味わった。

「マリー?」

「なんでもないわ、シェレンベルク」

「君の体調を考えると今夜は一晩こっちに泊まったほうがいいかもしれんな」

「大丈夫よ」

 交わされるふたりの仲の良い兄妹のような会話が遠ざかっていく。



  *

「……国家保安本部が、強制収容所の経営について探りをいれている、だと?」

 眉をひそめたのは五十歳になったばかりの男だった。

 頭ははげ上がっていて、その鋭い瞳はどこか残忍さをたたえているようにも見えて印象的だ。

「だが、ラインハルト・ハイドリヒは死んだではないか」

 ハイドリヒはかつて、強制収容所の利権を巡ってテオドール・アイケと凌ぎを削っていた。

 それを、親衛隊経済管理本部の長官、オズヴァルト・ポールは知っている。

 ハイドリヒとアイケの確執はともかくとして、国家保安本部長官を務めたラインハルト・ハイドリヒは暗殺された。

 権力に対して果てしなく強欲な男の死は、多くの政府高官たちを安堵させる結果になった。

 武装親衛隊のヨーゼフ・ディートリッヒなどは、ハイドリヒを心の底から嫌悪していたから、「やっとあの男がくたばったか!」と吐き捨てたらしい。もっとも、いくら剛胆を旨とするディートリッヒと言えど、ハイドリヒが生存していた頃は表だって批難することなどできはしなかったのだが。

 第三帝国の首切り役人――彼はそう恐れられた。

「まさかカルテンブルンナーがそんなことを言い出したのか?」

 国家保安本部の長官になるような男のことを、誰もが好ましいとは思わない。なぜなら、そこが悪魔の巣窟とも呼べるからである。

 新たに国家保安本部に就任したオーストリア出身のエルンスト・カルテンブルンナー。かつてはハイドリヒや、秩序警察(オルポ)の長官のクルト・ダリューゲなどに多くの権限を制限された男。

 いつもどこか苛立たしげな表情をたたえて、権力の座に返り咲くことを企んでいた。

 その男が推進しているらしいドイツ国内における特権階級的なユダヤ人たちの強制移送に関する件は、収容所を管轄するポールの頭を悩ませる結果となっている。

 ――当に、強制収容所の”処理能力”は限界を超えている。

 今後、東方制圧と西部からの移送を考慮すると現在でも限界を超えているところに、どうやって対応していくかということは大きな問題となっていた。

「わかりかねます、閣下」

 オズヴァルト・ポールの階級は親衛隊大将で、階級的には国家保安本部長官のカルテンブルンナーと同等に渡り合えるだけのものを持っている。

 しかし、移送を担当しているのが国家保安本部である以上、その移送先でもある強制収容所ではその移送プランに対して否を唱えることなどできはしない。つまり、否と言えない以上はポールの権限の及ぶ範囲で”作業”の最大の効率化を図らなければならないのだ。

 国家保安本部が親衛隊経済管理本部に対して何の探りを入れているのかは不明だが、どちらにしたところで問答無用の逮捕権を有する国家保安本部が動いているとなれば、気持ちが良いものではない。

 国家保安本部(彼ら)が罪のでっち上げに得意としていることは、多くの親衛隊高級指導者たちの知るところだった。

 その長官がハイドリヒからカルテンブルンナーに変わったところで、組織の体制そのものに変化が生じることなど期待しないほうが良いだろう。

 なによりも、国家保安本部の背後には優等生的であることを親衛隊に希望する、ナチス親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーがいる。カルテンブルンナーがヒムラーを焚きつけてなにをさせるかと思うと、それがオズヴァルト・ポールを不安にさせた。

 強制収容所の効率的な”処理”を推進できなかったことを理由に、何らかの罪に陥れるつもりだろうか……。

 ポールはデスクについたままで無意識に灰皿の上に置かれた葉巻に指を伸ばしながら、眉間を寄せた。

 ――国家保安本部。

 かつて金髪の野獣と呼ばれた男が統括していた警察組織。その悪意の塊のような組織が、どうして今さら親衛隊経済管理本部に対して動きを見せたのか。

 ポールは視線を彷徨わせたままで考え込んだ。

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