今宵は無礼講にて
「皆様、お揃いでいらっしゃるかな?」
鳥居から一本道をぼうっと照らす提灯の先に見える、本殿から一人の声がして参りました。
今宵は無礼講で御座います。
「私が、昨晩見た不思議な御話でも御一つ如何で御座いますか?」
私は、とある茶屋でそう、話しかけられたのである。
その女が、見た、というのは、稲荷神社へ参拝に行ったときに起こったことであった。
普段は、明かりもつけられず、人も滅多に来ない里の外れにある稲荷神社。
その本殿に、煌々と明かりが灯され、ゆらゆらと人の影が揺れております。
周りの、鬱蒼とした鎮守の森を照らしだす、その光もそれに合わせるかの如くゆらりゆらりと揺れるのです。
その様は、実に妖しく、人の住む場所からはるか遠くへ離れてしまった場所に感ぜられました。
本殿の障子越しに見えるその人達は、なにやら酒盛りをしているように見えます。
いくら人足途絶えた神社であれど、本殿で酒盛りなど無礼極まりなきこと。
一つ、注意しようと、私は本殿の戸に手をかけたので御座います。
しかし、そこで私はあることに気がつきました。
ゆらりゆらりと揺れるそれらの頭には、まるで獣の耳の様な三角がついているのです。
そう、まるで、人の形を成した、狐のように見えました。
私は、ちょっとした出来心で、その狐達の話に耳をそばだててみることに致しました。
声が小さくて、はっきりとは聞こえませんでしたが、ぽそぽそと話していることは大体理解することが出来ました。
そこまで、ほとんど息をせずに話しきった女は、ほぅ、と一息、息をすると、また話し始めた。
「皆様、御揃いでいらっしゃるかな?」
渋い、老人の声がそう呼び掛けると、狐の影は揃ってゆらりゆらりと揺れておりました。
それから、若い娘の声で
「今宵も、稲荷の方々にお集まりいただき、真に有難うございます。さて、今宵は私と、隣の稲荷様との婚礼もさせて頂きます・・・・・・。本日は、ごゆるりと。」
と。
なにやら、昨晩の酒盛りは、どこぞの稲荷神社の方が嫁がれる際の宴であったようでございまして・・・。
女はそこまで言うと、口をつぐんだ。
「しかし、お稲荷さんが嫁がれるなぞ、聞いたことがありませんでして」
女は、そう言うと、ため息混じりの息をしながら、続きを話し始めた。
若い娘が話し終わると、影たちは、一層ゆらりゆらりと揺れ、小太鼓の様な音の拍手を打っておりました。
それから、綺麗な女の声で、
「今年は、如何様なる手で、人間を驚かしてやりましょうか」
と、揚々とした口ぶりで聞こえて参りました。
どうやら、稲荷の狐様は年に一度集まって、人を術で驚かす、ということをしているようなのです。
それで、その夜は、前日の宴と狐様の嫁入りの宴を同じにして、開いていたようなので御座います。
その後も、何を言っているのかは分かりませぬが、鈴の音の様な声の者、かさりかさりとした、落ち葉を踏みしめた様な音の声の者、様々な声の者たちが、話しているようでした。
そして、しばらくの沈黙の後、初めの老人の太い声で、
「今宵は無礼講で御座います。」
と、聞こえました。
そこまでは、良かったの御座います。
けれど、私はその声のあまりの恐ろしさに驚き、本殿の戸の前から、降りる階段を駆け下り、あろうことか、声をあげてしまったのです。
その途端、本殿の戸が横に、スッっと開き、中が見えました。
本殿の中には、狐の面を被った人の形を成したものたちが座りながら、私を睨んでいたのです。
されど、それが、人では無いことは、雰囲気で分かりました。
しばらく、その稲荷様達と目を合わせることになったのですが、一人が立ちあがると、
「邪魔をしおって…忌々しいのぉ…」
と言い放ち、周りの者たちも、ゆらりゆらりと揺れながら、
「そうだ、そうだ」
と言っているのです。
私は、少し頭にきたものですから、稲荷様に向かって、
「参拝に来ただけです!忌々しいなどと言われる筋は御座いません!」
と叫んでおりました。
すると、立ちあがった稲荷様が、口元を少々歪めたようで御座いました。
そう思うと、同時に、バーーーーーーーーーーーンという大きな音が響き、今まで煌々としていた本堂の明かりは消え、鳥居までの道を照らす提灯が微かに揺れているだけなのです。
私は、ふっと、心細くなり家まで走って帰りました。
「されど・・・」
と女は続ける。
「本堂にいた稲荷様達の姿が、実に美しく見えたので御座います。出来る事なのであれば、もう一度見てみたいと思うほどに。」
と。
私が、なんと返すか考えていると、女はふっと笑って、立ちあがった。
「では、旦那さん。私は、御先に失礼いたします。」
そう言うと、銭を置いてすたすたと歩いていってしまった。
それにしても、妙な話を聞いた、と思い団子を片手に考えに耽ろうとすると、女が振り返って、こう叫んだ。
「その稲荷とは、この里の外れに御座います!興味が御有りなのであれば、行って見られて下され!それと、嫁入りには御気をつけて!」
そこまで言うと、またすたすたと行ってしまった。
私は、それを見届けてから、団子の銭を置くと、女とは逆の方向へ歩き出した。
女が言ったように、ぜひ、その稲荷神社を見てみたいと思ったのである。
だが、最後の嫁入りが分からない。
私はもう妻子がいるし、娘も、もう嫁いでいる。
はて、と思いながら歩いていると、いままで目の端に映っていた農民の姿が見えなくなっていた。
いつのまにか、村の外れまで来ていたようだ。
少し、あたりを見渡すと、少し先に赤い鳥居が見えた。
何故か、そこだけ異様な空気があるような気がして、息をのんだ。
それから、私は鳥居をくぐる。
すると、急に拭いていた風がなくなった。
早速、狐かと思いつつ、本殿に進んでいくと、はたり、はたりと雨粒が落ちてきた。
けれども、空はいたって青く晴れていた。