訪問 (1)
ジンに豪語した私は、まずクローゼットへ行ってジンのために買っておいたひざ掛けを取り出し、彼の肩に掛けてあげた。設置したプラネタリウムのほかに、あと何を持ってきたっけ。
「あ、これは絶対なきゃダメよね」
ミニ温風機を取り出して足元でつけるのも忘れない。そして毛布を一枚ジンの膝の上に掛けてあげた後、離れの電気を消してジンの傍へと近づいた。寒かったのでぴったりと隣に座り、肩に掛けてあげていたひざ掛けを一緒に被った。かなり大きめのひざ掛けだから、二人で入っても余裕がある。事前準備を終えた私がプラネタリウムをつけると、小さな部屋いっぱいに美しい星たちが散りばめられた。
「ふふっ。ジン、どう? 本物の星空には敵わないけど、それなりに風情があるでしょ?」
私の問いかけに、ジンは何も言わずに虚空を見つめていた。何も言ってはくれないけれど、拒まないところを見ると悪くはないみたいだ。
(ルームライト代わりに持ってきて正解だったわね)
プラネタリウムは去年、友達に誕生日プレゼントとしてもらったもので、引っ越してきてからはよく使っていたのだけれど、少し飽きてベッドの頭元に置きっぱなしにしていたやつだった。私の部屋でも十分に美しい光景を映し出してくれていたけれど、離れは家具もなく窓も小さいせいか、プラネタリウムがより鮮明に壁紙を塗り替えていた。
小さな部屋の中に満ちた星座と、温かいぬくもり。そして、楽しい遊び道具。なんだか子供の頃に作った秘密基地を思い出して、自然と笑みがこぼれた。
そういえば……物凄く小さい頃、おばあちゃんの家の中で特にこの離れが好きだった記憶がある。あまりに幼い頃だったから、ジンの姿を見ても怖いとか不気味だという感情より、不思議で面白いと感じていた気がする。あの頃もこの部屋は秘密基地みたいで、よくここに忍び込んでいたっけ。
(あの時は何をして遊んでたかしら?)
ジンは幼い私の姿を覚えているのだろうか? 子どもの頃からジンがここにいたのは確実なのだから。気になった私はプラネタリウムから視線を下げ、ジンを見つめながら尋ねた。
「ジン。昔のことなんだけど……うーん、25年くらい前かな? その時、私がこの部屋に来てたの覚えてる?」
私の質問を聞いているのか、いないのか。虚空を凝視しているジンは無言だった。聞いてくれると思って始めた話ではなかったため、私は気にも留めずに言葉を続けた。
「私ね、昔からこの部屋でこういう風に遊びたかったの。おばあちゃんが、ここは『御人形様』がいらっしゃる部屋だからダメだって言うから残念だったんだけど。今になってようやくできたから、なんだか……ものすごく楽しい」
昔の私が見たら、どんな顔をするかしら? 驚くかしら。羨ましがるかしら? どうであれ、子供の頃の夢が叶ったようで誇らしい気持ちになる。
ここにいるのが体温のない人形ではなく、恋人だったらもっと良かったんだろうけれど、まあ……それは私が努力したからといって叶うものでもないでしょうしね。
(ジンのお世話をするなら、いない方がかえって好都合だったりもするし。仕方ないわ。ジンで満足することにしましょう)
プラネタリウムを眺めて少しの間。綺麗なものは綺麗だけれど、退屈なものは退屈なので、私は持ってきたタブレットで動画配信サイトを開いた。ジンが映像を見るかは分からないけれど、興味があれば見るだろうと思い、購入したまま観ていなかった映画を再生した。ちょうどジャンルがスペースオペラな作品だったため、部屋の雰囲気と実によく合っていた。布団にくるまったままタブレットで映画を観ると、没入感が半端ではなかった。窓の外に朝陽が昇っていることにも気づかないまま映画を鑑賞していた私は、エンディングクレジットが流れてからようやく顔を上げた。
「うぅ……」
うつむいたまま映像を観ていたせいで、首がちょっと……いや、かなり痛い。痛む首をぐっと押さえた私は、小さな窓の向こうから差し込む眩しい日差しに気づき、時間を確認した。8時14分。
「わあ、もうそんな時間……完全に未来へのタイムマシンね」
朝陽も昇ったことだし、そろそろ今日の仕事を始めなきゃ。今日は朝からやることがたくさんある。駐在所へ行って正木さんに情報を共有しなきゃいけないし、家に押し入ってきた慎一と久しぶりに遊んだりもしなきゃいけないし。ジンが出歩いてくれたおかげで洗濯物も増えたから、洗濯もして……。
「よし。さっさと片付けて、午後には慎一と酒を飲もう。ジン、おいで」
やるべきことの順番を決めた私は席から立ち上がり、ジンをソファへと移動させた後、広げていた布団と毛布をてきぱきと片付けた。荷物を母屋に持って帰ろうかとも思ったけれど、ここに置いておいた方が次もまた使える気がして、部屋の隅にまとめておくことにした。次はもっと厚い布団と……みかんと……別の星座のファイルもダウンロードして来よう。
ジンと一緒に遊べるものができたことと、お気に入りのアジトを見つけたという事実がかなり嬉しい。片付けをすべて終えた私は、時間を確認してからジンに尋ねた。
「ジン。私、今から刑事さんに会いに行くんだけど、あんたも来る?」
私としてはジンがついてくるだろうと予想していたため、勝手に飛び出していく前にまず尋ねてみたのだった。けれど、私の質問にジンは何も言わず、虚空に視線を向けているだけだった。うーん……?
「ジン?」
「……」
「目を開けたまま寝てるの? それとも、どこか具合が悪いの?」
ジンが話をしないことなんていつものことだとしても、私の問いかけにここまで反応がないのは、なんだか薄気味悪かった。
「ジン?」
この子、急にどうしちゃったのよ? 訝しく思った私は彼の肩に手を置いた。核心に触れるような服の生地越しに感じられる感触に、思わず手を離した。え?
「あら?」
慣れているといえば慣れているし、奇妙といえば奇妙な。見覚えのあるプラスチックの感触に、私は手を持ち上げて彼の頬にそっと触れた。プラスチック特有のなめらかな冷気が指先に広がった。
「なによ、これ……」
さっきまでとは妙に違う肌の感触に、私は身を屈めてジンと視線を合わせた。光を吸い込むような黒い瞳はそのままであったが、その奥には私の姿が少しも映っていなかった。これは……。
(人形に戻った……いや、この子は人形なんだから戻ったわけじゃないんだけど……なんて言えばいいのかしら……)
省エネモード? この場合は放電された状態と言うべきかしら? 動かなかった普段のジンの姿に、当然のものを見ているはずなのに、どこか違和感を覚えた。急にどうして放電しちゃったの? 振り返ってみれば、さっきから動きが変ではあった。なんだかギクシャクした感じだったし、ソファに移す時も人形のそれと同じだった。本当に人形に逆戻りしちゃったの? もしこの子がこのまま完全に動かなくなったら、どうしよう。
(ううん、違うわ。そもそもこの子が動くこと自体が災いの兆候だって言われてたじゃない。動かなくなったってことは、危険なことが終わったって意味かしら? でも……)
さっきまで一緒にいたのが、ただのプラスチックで作られた人形に過ぎないのだと認識すると、複雑な心境だった。とても言葉を続けることができず、ジンをしばらく見つめていたけれど、昨日も朝にはジンが動かなかったことを思い出し、なんとか複雑な心を落ち着かせた。
(そうよ、午後には起きるかもしれないし。ここで時間を無駄にしていたらジンも喜ばないわ。まずは今日の仕事をこなしましょう)
どこか釈然としない気持ちを心の片隅に抱えたまま、私は外出のために母屋へと向かった。




