第4話「逃げられない誘い」
――カキン。
日高の打球が、また前に飛んだ。
さっきより、ほんの少しだけ真っすぐに。
(……当たってきた)
確信はない。だが、手応えはあった。
隣では、平が豪快に振り回している。
――カキン。
――ゴスッ。
――ブンッ。
「なんで当たる時と当たらん時の差が激しいんだよ!!」
「俺に聞かれても!!」
二人とも、ひどい有様だった。
だが、それでも――
さっきよりは“マシ”になっている。
「……で」
その時だった。
伊坂が、急に口を開いた。
「今週末、空いてるか」
「え?」
「いや、まぁ……空いてますけど……」
日高は少し考えてから答えた。
予定があるような生活ではない。
平も同じだった。
「俺も空いてますけど……」
「よし」
伊坂は頷いた。
「コンペ出るぞ」
「……は?」
時間が止まった。
「いやいやいやいや」
日高は首を振る。
「今、なんて言いました?」
「コンペだ」
「いやそれは聞こえてます」
「じゃあいいだろ」
「よくないですよ!!」
「俺ら今日初めてですよ!?」
日高は必死に訴える。
「ルールも知らないんですよ!?」
「覚えりゃいい」
「一日で!?」
「やればできる」
「精神論!!」
横で平も顔を青くしていた。
「いや無理でしょ……さすがに……」
「無理じゃねぇ」
伊坂は即答した。
「無理だと思うから無理になる」
「それっぽいこと言ってますけど無理ですって!!」
「大丈夫っすよ」
軽い声が割って入る。
北だった。
「ちょうど人数足りてなかったんで」
「グルじゃないですか!?」
「いや偶然っす」
「絶対違う!!」
日高は頭を抱えた。
(終わった……)
ゴルフを始めたばかりで、いきなりコンペ。
しかも逃げ場なし。
「ちなみに」
北はさらっと言った。
「もうエントリーしときました」
「は?」
「名前、書いときました」
「は?」
「キャンセル料かかります」
「は?」
日高と平は、完全に固まった。
「逃げたら金払え」
伊坂が淡々と言う。
「あとクラブ没収」
「いや元々持ってないですけど!?」
「じゃあ二度と触らせねぇ」
「それはむしろ助かる――」
「それでもいいなら帰れ」
日高は黙った。
頭の中で、森元の言葉がよぎる。
「痩せたらカッコいい」
(……このまま逃げるのか?)
ゴルフは、ただのダイエットのはずだった。
軽い気持ちで始めた。
できなくてもいいと思っていた。
でも――
さっきの一打。
そして、平との差。
橋本の言葉。
(……逃げたら、終わる気がする)
「……やります」
気づけば、口が動いていた。
「お?」
伊坂が少しだけ口元を緩める。
「どうせなら……やります」
日高はクラブを握り直した。
手が、少し震えている。
「俺も……やる」
横で、平も小さく言った。
「ここで逃げたら、絶対後悔する気がする……」
「決まりだな」
伊坂はそれだけ言った。
「ちなみにどんなコンペなんですか……?」
日高は恐る恐る聞いた。
「普通のだ」
「一番怖いやつ!!」
北が笑いながら補足する。
「アマチュアのオープンコンペですね」
「誰でも出れるやつです」
「ただ――」
「ただ?」
「普通に上手い人、めっちゃいますよ」
「……」
「あと、西さんも出ます」
「西さん?」
その瞬間だった。
練習場の奥で、鋭い音が響いた。
――パァンッ!!
日高は思わず振り向いた。
そこにいたのは、一人の女性だった。
長い髪をなびかせ、綺麗なフォームで振り抜く。
ボールは、一直線に空を切り裂く。
(……また、あの人だ)
さっきコースで見た、あの一打。
同じ人だと、すぐに分かった。
「この辺じゃ有名ですよ」
北が言う。
「大会でもよく上位に入る人です」
「……勝てるわけないじゃないですか」
日高は思わず呟いた。
「勝つ必要はねぇ」
伊坂が言った。
「……え?」
「まずは、立て」
「立つ……?」
「逃げずに最後までやりきれ」
伊坂の声は、いつもより少しだけ低かった。
「それだけで、十分だ」
日高は黙った。
勝つとか、負けるとか。
そんなレベルじゃない。
まずは――
逃げないこと
それが、最初の戦いだった。
「……やります」
もう一度、日高は言った。
風が吹いた。
練習場のネットが、わずかに揺れる。
ゴルフコンペまで、あと3日。
準備期間、ほぼゼロ。
逃げ場、なし。
こうして――
日高の“戦い”が、本当に始まった。




