第3話「もう一人の初心者」
「……今の、もう一回……」
日高は呟くように言った。
さっきの感触が、まだ手に残っている。
軽く振っただけなのに、ボールが“当たった”あの感じ。
(いけるかもしれない……)
もう一度構える。
深呼吸。
力を抜く。
そして――振る。
ブンッ――
――スカッ。
「……」
「……」
「惜しいっすねぇ!」
「どこが!?」
北がケラケラ笑う。
さっきの一打は完全にまぐれだった。
現実が、すぐに戻ってくる。
「まぁそんなもんだ」
伊坂は興味なさそうに言った。
「でも今の感触、忘れるな」
「……はい」
日高は小さく頷いた。
さっきの一打。
あれだけが、唯一の希望だった。
その時だった。
「おい日高ぁぁ!!」
聞き慣れた声が、練習場に響いた。
振り向くと――
「平さん!?」
そこには、汗だくで走ってくる平の姿があった。
息を切らしながら、打席に駆け込んでくる。
「お前……先に始めてんじゃねぇよ……!」
「いや、俺も無理やりで……」
「俺もだよ!!」
平は地面に手をつき、肩で息をする。
「北に呼ばれて来たら……“ついでに打っていきましょう”って……」
「それ完全に同じ流れです……」
二人は顔を見合わせた。
そして同時にため息をつく。
「いいじゃないっすか、同期初心者ってことで」
北がニヤニヤしながら言う。
「仲良く上達してくださいよ」
「いやその前に帰りたいんですけど」
「もう遅いっすねぇ」
「ほら」
伊坂がクラブをもう一本放り投げた。
平が慌てて受け取る。
「お前も打て」
「いやいやいや無理ですって!!」
「いいから振れ」
「だから初めてなんですって!!」
「知るか」
「理不尽!!」
だが結局――
平もボールの前に立たされることになった。
日高はその様子を横で見ていた。
(平さんも同じくらいだろ……)
そう思っていた。
だが――
「……いくぞ」
平は、妙に真剣な顔をしていた。
さっきまでの慌てた様子とは違う。
しっかりと構える。
体重を乗せる。
そして――振る。
――カキン。
乾いた音。
ボールは、真っすぐではないが、しっかり前に飛んだ。
「……え?」
日高は思わず声を漏らした。
自分より、明らかに“当たっている”。
「おお、当たった!!」
平は嬉しそうに笑った。
「やればできるじゃねぇか俺!!」
「いや普通に当ててません!?」
「運だ運!!」
そう言いながらも、明らかに嬉しそうだった。
(……負けた)
日高の中で、小さな感情が芽生えた。
さっきまで“同じ側”だと思っていた。
だが今――
ほんの少しだけ、差がついた気がした。
「もう一回いくぞ!」
平は続けて振る。
――カキン。
また当たる。
方向はバラバラだが、とにかく前には飛んでいる。
「ちょっと待ってくださいよ!!」
日高は焦った。
「俺より上手くないですか!?」
「知らん!!なんか当たる!!」
「なんでですか!?」
「知らん!!」
「体重だな」
伊坂がぽつりと言った。
「そっちは当たり負けしてねぇ」
「……当たり負け?」
日高は自分のスイングを思い出す。
軽く振って、たまたま当たった一球。
それ以外は、ほとんど当たっていない。
「お前は逃げてる」
「……え?」
「当てようとして、止めてる」
伊坂の言葉は、いつも唐突だった。
「振り切れてねぇ」
「……」
「怖いんだろ」
図星だった。
当てることばかり考えて、思い切り振れていない。
ミスを恐れている。
「でも平は違う」
伊坂は平を見る。
「バカだから振り切る」
「誰がバカですか!!」
「褒めてる」
「褒めてない!!」
だがその言葉に、日高は何も言い返せなかった。
(……振り切る)
日高はクラブを握り直す。
もう一度、構える。
今度は――
当てようとしない。
ミスを恐れない。
ただ、振る。
深呼吸。
そして――
振る。
ブンッ――
――カキン。
音が鳴った。
ボールが、高く上がる。
さっきより、少しだけ遠くへ。
「……!」
日高の目が見開かれる。
「いいじゃねぇか」
伊坂が小さく言った。
その瞬間――
「まぁ、まだまだですけどね」
横から声がした。
振り向く。
さっきの少女だった。
冷たい目で、こちらを見ている。
「それ、たまたま当たっただけです」
「……」
「再現できなきゃ意味ないですよ」
はっきりと言い切った。
日高は言葉を失う。
「橋本だ」
伊坂がぼそっと言う。
「高校生だが、そこらの大人より上手い」
「……マジですか」
「インターハイレベルだ」
(……レベルが違う)
日高は理解した。
さっきの一打で浮かれかけた自分が、少し恥ずかしくなる。
「でも」
橋本は少しだけ間を置いた。
「今のスイングは悪くないです」
「……え?」
「ちゃんと振れてたんで」
それだけ言うと、また自分の練習に戻っていった。
(……悪くない)
その言葉が、頭に残る。
隣では、平がまたボールを打っていた。
相変わらずバラバラだが、とにかく振り切っている。
(負けたくない)
その感情が、はっきりと形になった。
日高は、もう一度構えた。
ゴルフは、ただのダイエットのはずだった。
だがこの瞬間――
“勝ちたい”という感情が生まれた
それが、
すべての始まりだった。




