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第33話:嘔吐するほどの


「う……げぇ……」


 手に塗れた血が取れない。その鮮烈な赤がアキラにとって罪状の証明らしい。今彼女は家に帰ってトイレで吐いていた。とっさのことでカーマを殺したはいいが、そこに覚悟が乗っているわけではなく。結果、一人の人間を殺したという事実は、彼女を苛んでいた。俺にしてみれば自業自得なのだが。


「アキラ。どうかしたのかい?」


 親が心配そうにアキラを見る。言えるわけがないだろう。人を殺したなど。その事をどう言おうか彼女は悩んで、だが襲い来る吐き気で胃液を戻す。このまま家のトイレに引きこもっていても問題は解決しないのだが、襲い来る吐き気にえずくだけがアキラに出来る精一杯だった。


「殺……した……」


 カーマを殺した。あの後怖くなって逃げて来たけど、カーマを殺した事実はすでに実際に存在して。彼女にとっても突発的ながら確実に殺意があって殺したのだ。とてもではないが受け止めきれる範囲を超えている。過剰なストレスからくる吐き気を抑えつつ、胃腸薬を飲んで何とか抑えて。そうして手の平に付いている血を洗い流し。心配してくる家族におざなりに返答した後。 


「これでよかったんです」


 誰とも知れぬ虚空に、アキラはそう呟いた。


 泥棒猫を排除した。だからこれはいい事。彼女にとって、それはある種の真理で。とてもではないが伏見ネバダが須藤カーマと同棲するなんてことを容認するわけにはいかず。結果カーマを殺して心の安寧を得た。このまま俺が家に帰ったら、そこでカーマの死体を発見することまでは想像できるだろう。その上でアキラを犯人だと悟るのも容易い。そうするとアキラは殺人で捕まる。もちろん成人ではないから少年事件になるのだが、それでも彼女にとっては人生が捻じ曲がる特異点だろう。


 そしてその結果何が起こるのか。ソレを俺は知っている。


 ピンポーン。


 なので、俺はインターホンを鳴らした。


「ああ、はい」


 少しやつれているアキラの親御さんが客対応してくれて、俺が「アキラいますか?」と聞くと、いるけど元気が無いと言ってくる。彼女に対する心配は真実で、却下ン視(サイドシーイング)が見るに、親御さんはアキラに複雑な感情を持っているらしい。ただ、このまま追い詰められるとアキラは自殺してしまう可能性があるので、俺はそれを止めに来た。


「ネバダ……くん……?」


 親御さんに案内されて、アキラの部屋に。そうして歓迎されるとは露ほども思っていないが、俺はアキラと面会した。


「ひ……ぃい……ッッ!」


 その俺を見て、悲痛の表情になるアキラ。涙をこぼし、言い訳を浮かべ、だがその言い訳が片端から消えていく。アキラは俺を恐れていた。俺の部屋でカーマを殺してから、俺を恐怖の象徴に据えていた。


「ごめ……なさい……ゲェッ……ッ」


 謝罪しつつ、溢れ出る吐き気に口元を押さえる。女の子としては俺に嘔吐を見せるわけにはいかないのだろう。俺は何とも思わないのだが。


「大丈夫か?」


「だい……じょう……ぶ……」


 ぅう……とさらに気丈に吐き気を抑える。


「まぁそう怯えるな。別に怒っているわけじゃ無いから」


「今日は……何してたの?」


「休日で部活」


「ネバダくんの、部屋は見た……?」


「まだ見てない」


 俺の目では、という条件は付くが。


「ごめ……な……さい……」


 ボロボロと泣くアキラ。その謝罪に何の意味があるのかは、俺には悟れなくて。けれどカーマを排除しないとアキラには未来が無かった。俺を独占するという我儘のような幼稚な感情を成立させることが出来なかった。だから殺した。これは犯罪心理としては酷く平凡だ。邪魔だから殺す。そもそも邪魔だと思っていないものを殺すのは、もうちょっと特異な殺人鬼だけだ。彼女には該当しない。


「大丈夫だから」


 部屋の隅で、俺に怯えるアキラを見て、俺は彼女を抱きしめた。


「安心しろ」


 出来るはずがないと知っていながら、それ以外に言えることはなく。


「でも……私……私」


 人を殺した。それは確かに事実で。だから俺がここに来たのだ。


「大丈夫だ。お前は何も悪くない」


「本当……ですか?」


「俺に限っては……と注釈は付くが」


「でも……」


「だから安易に自殺するな。俺はそれが一番許せない」


 ナイフはある。自殺する覚悟もある。だが自殺されては、俺にはどうしようもない。せめて先手を打とうということで、俺は今アキラの家に来ている。


「大丈夫なのか? アキラ……」


 そして心配している親御さんも関わって、なんとか彼女をなだめる。このまま死なれても困るという意味で。


「ありがとうございました」


 そうしてなんとか落ち着いた彼女を部屋において。親御さんは俺にお礼を言いながらコーヒーを出してくれた。インスタントだが。


「何があったとか聞いていますか?」


 親御さんが俺に聞く。


「いえ。別に」


 なので俺もあっさりと答える。


「……?」


 心配だから常闇家を訪ねたのではないのか、と。まぁその通りなのだが、俺が経緯を知ったのは、ある意味では説明が不可能なことで。


「まぁその内、吐き気も収まるでしょうし。彼女が自殺しないように見ていてあげて下さい」


「それはもちろん……」


 親としては可愛い娘には心配してしまうのだろう。


「じゃ、俺は帰ります」


 コーヒーだけ飲んで、そうして常闇家を去る。一応監視用にハエを一匹おいているが、その監視もどこまで意味があるものか。とりあえず突発的な自殺を抑えただけでもファインプレーだろう。


「ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方。ネバダくんは私の味方」


 その監視の中で、狂ったように呟くアキラ。俺が大丈夫だと言ったから、つまり俺が味方だと錯覚したらしい。まぁ敵ではないのは事実だが。


「大丈夫。ネバダくんも私を愛してる。カーマを殺したくらいで嫌いになったりしない。私は正しい。間違ってない。ネバダくんのことを一番愛してるのが私なんだから」


 誰に向かっての演説なのかは、この際論じないとしても。


「ぅ……げぇ……」


 自分を納得させるために必死で理論を構築して、だが人を殺したという圧倒的な事実に、吐き気が収まることはなく。自分への言い訳と殺人への罪悪感に焦がされながら、そうして彼女は最悪の夜を迎えるのだった。


「大丈夫かね……アイツ」


 俺がアキラを気遣わなければ、そのまま死んでいた可能性は高い。とはいえだ。そのまま死なれても後味が悪いのは俺の方で。どうすっかね。


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