シンデレラはハッピーエンドを望まない ~王子ルート回避したら、執着が重すぎる隣国王族に捕まりました~
義母は今日も私を見ない。
義姉たちは今日も私を使う。
それでも私は、今日も穏やかだった。
前世に比べたら――ここは天国なのだから。
「灰、掃いておきなさい」
「洗濯はまだ? 遅いわね」
はいはい、と心の中で返事をしながら、私は黙って頷いた。
――うん、平和だ。
そう思ってしまう自分に、最初は戸惑ったものだ。
でも今でははっきり言える。
前世に比べたら、ここは天国である。
前世の私は、いわゆる“スーパー長女”だった。
兄弟は多く、親はいつも不在。
食事の用意、洗濯、掃除、弟妹の世話、学校対応。
それを全部、誰にも褒められず、当然のように押しつけられていた。
今世ではどうだろう。
家族は三人。
家事は三人分。
夜はちゃんと眠れる。
自分の時間も、少しだけある。
意地悪?
冷遇?
正直に言えば――ツンデレのツン程度だ。
「まったく、役立たずね」
と義姉に言われても、心の中で私は数えている。
(この人、今日は三回しか嫌味言ってない。少なめ)
比較対象が悪すぎるせいで、感覚が完全に壊れていた。
私は灰を払い終えると、こっそり自分の部屋に戻る。
部屋と言っても屋根裏に近い小部屋だけれど、鍵があるだけで奇跡みたいなものだ。
机の引き出しから内職道具を取り出す。
刺繍。単純作業。集中できる。
(今日も少し、貯まるかな)
へそくりは着実に増えていた。
自由に使えるお金があるというだけで、人生の幸福度は跳ね上がる。
夕方、用事を言いつけられたついでに街へ出る。
私は必ず、同じ屋台に寄る。
「いらっしゃい、今日は揚げ菓子が出来立てよ」
パン屋の娘さん――彼女は街で一番の人気者だ。
余ったパンを安く譲ってくれたり、新作を試食させてくれたりする。
私は彼女が大好きだった。
「今日の、ください」
「はいはい、ちょっと多めね」
袋の温かさに、胸の奥がじんわりする。
(ああ、幸せ)
王子様?
ドレス?
舞踏会?
そんなものより、今はこの揚げ菓子の方が重要だ。
だから――その夜、突然現れた“魔法使い”を見たときも、私は首をかしげただけだった。
「あなたは、舞踏会へ行く運命にあるのです」
「え、遠慮します」
即答だった。
「……え?」
魔法使いの方が戸惑っていた。
「いえ、今の生活で十分幸せなので」
「不幸では?」
「全然」
私は揚げ菓子を思い浮かべながら、にこやかに答えた。
「人生、もうだいぶ上向きです」
魔法使いは長い沈黙のあと、深いため息をついた。
「……せめて、料理だけでも見に行きません?」
「行きます」
食べ物は別だ。
舞踏会。王宮は眩い光に包まれ、人々の笑い声と音楽で揺れていた。
私はその中に立ちながらも、心は全く別のところにあった。
(まず、あのチョコレート……どうやって持ち帰ろう)
舞踏会の豪華な食事は、私にとってただの戦利品だった。
王子だの王宮だのは、頭の隅にちらりとあるだけ。
魔法使いは私の横で眉をひそめている。
「王子に見つかるのよ?」
「はい、でも大丈夫です」
私は豪華な料理の皿を見つめながら答える。
頭の中は、ガラスの靴よりもデザートに集中していた。
そして、その王子が現れた。
赤いマントに金髪、まるで絵画から抜け出したような王子だ。
「踊りませんか?」
いや、踊らない。
私は断る。
「結構です。自分は大丈夫です」
王子は少し困惑したように眉を上げる。
でも、そのそっけなさに興味を持ったらしく、何度か誘いを続ける。
結局、私は渋々踊ることになったが、頭の中は「どうやってデザートを隠すか」でいっぱいだった。
踊りが終わると、魔法使いはそっと私を見守る。
でも、私はすぐに逃げ出す。
ガラスの靴を一つ落としながら。
翌日、王子は必死で靴の持ち主を探し回った。
城の使用人、街の貴族、果ては農村にまで確認を取る。
しかし誰の足にも合わない。
その間も私は、屋台で揚げ菓子を楽しんでいた。
幸せ――そして自由。完璧な日常が戻ってきた。
でも、王子が探しているのは私ではない――それはまだ誰も知らない。
私はパン屋の娘に近づき、秘密の計画を伝えた。
「お願い、あなたを“シンデレラ”に仕立て上げたいの」
彼女は驚いた顔をしたが、私の目を見るとすぐに納得したようだった。
私は笑顔で言う。
「あなたなら、幸せになれると思う」
パン屋の娘は、少し戸惑いながらも楽しそうに準備を始めた。
靴を合わせ、振る舞いを練習し、笑顔を完璧に演出する。
私は満足そうにうなずく。
彼女の幸せが、私にとって一番大事だから。
王子は見事に騙された。
靴はぴったり。
笑顔のパン屋の娘を前に、王子は心を奪われてしまった。
私はそれを遠くから眺めながら、こっそり笑う。
(ふふ、見つかるはずない)
だが、舞踏会の片隅、もう一つの視線があった。
隣国の第二王子――大国の王族で、各国を回遊している頭の切れる男。
彼は身分や容姿で擦り寄る女性にうんざりしていた。
今も独り身。
一度目をつけた相手には、愛情を激重に注ぐタイプ。
釣った魚は大事にする。
舞踏会でも、私は気づかぬうちに彼の視線に捕まっていた。
でも私はまだ、揚げ菓子に夢中。
魔法使いはその夜、遠くから私を見て言った。
「なるほど……王子を振り切ったと思ったら、そっちは“逃げ道のない相手”じゃない」
肩をすくめて去っていく。
面白いものを見せてもらった、とでも言いたげに。
私は揚げ菓子を口に運び、幸せそうに笑う。
王子から逃げ切ったつもりだが、知らない――
シンデレラはまだ、
自分が王子から逃げ切った代わりに、
もっと厄介で、
ずっと手放す気のない男に
目をつけられたことを知らない。
王宮の光は遠く、街は静かに夜を迎えた。
私は屋台で、今日も揚げ菓子を楽しむ。
日常、自由、完璧な時間。
隣国王太子は、気づかれぬよう少し離れた位置で、静かに私を見守っていた。
でも、それもまだ、私の世界には届かない。
平和、自由、幸福――
そして、これから訪れる少しだけ危険な未来。
シンデレラはまだ知らない。
王子を避けて自由を手に入れたつもりで、
「逃げることを許さない男」に目をつけられてしまったことを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「不幸そうに見えて、本人はわりと満足している」
そんなシンデレラを書いてみました。
王子やハッピーエンドから少し外れた選択を、
面白いな、ありだな、と感じていただけたら嬉しいです。
読後に少しでも、にやっとしてもらえていたら嬉しいです。




