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売れない男、ついに純文をあきらめる? ー非鹵史(ヒロシ)ー

 ハンパな生き方で作家を目指すも一向芽が出ぬ男がまたいい加減な動機でラノベでも書こうかと思うもそれも当然うまくいかず・・・



 純文学って、何だろう。

 純粋な文学? 

 そんな言葉、聞いたことないけど、意味としては、そんなもんだろう。じゃ、他は不純文学か? んなわけない。


 ・・・・・・何で、そんなしょーもない、どーでもいいこと考えてんだ? わからん。


 勉強が嫌いで、二浪して入った大学は一年生のときに辞めた。

 僕の進学のために散財(そう、まさしく散財という結果になった。笑いごとではない。笑っちゃうけど)してくれた両親はブチ切れて「自分で生きろ」と突き放し、僕への生活支援を止めたが、まあ、当然だろう、親は無限のATMではない。

 僕が親なら、そんなガキはボコしてる。いや、三年ぐらい十八時間労働、かつ、無休暇で働かせて弁償させる。


 何とか地方都市で週十九時間のバイトして、月々だいたい手取り八万円くらい。三万円のアパートに住んでも、光熱水費と食費と国保と年金払ったら何も残らない。切り詰めるところは節電と食費か。洗濯など週一水洗いだ。


 そういう状況で純文、書いてる。大学辞めたのも、書く時間が欲しかったからだ。好きなことに専念したいからだった。結局、さほど変わらない結果となったが。


 で、赤貧洗うが如し、って感じになったわけだが、この惨めな(?)自分のていたらくを私小説として書けば、サマになりそうと言えなくもないけれども、むろん、そんな甘い話はなく、そんなに簡単なら、日本中、私小説だらけで誰も読まない。

〝事実〟を、延々書いた短い小説が毎年数千上梓されて、いったい、誰が読むか?


 ちなみに、純文の本道が私小説みたいな空気感の時代もあったが、そんなのバカだろう。

 久米正雄は自分の書くものは事実・真実であると言い、トルストイの『戦争と平和』を偉大であるが、偉大な作り話だ、と言い切った。久米正雄氏の私生活など知らない僕らにとっては、トルストイ翁の名文の方がよほどリアルだ。誰もが感じているのに書こうと思いつけないことを最も簡単に書き尽くす、凄い。まじリアル。永遠の純文学。


 純文で認められようと思うと、文学誌の新人賞に応募するのが、王道だろう。

 昔のエンタメ系の大家たちは出版社に持ち込んでいた。

 編集者に読んでもらって、ダメ出しされて、それを十年続けて、プロになれる人は成り、なれない人は(そっちが多い)なれずに終わっていたようだが、今はそんなことされては編集者には迷惑だろう。

 寡聞にしてそういう話を、純文デビューにおいて聞いたことはない。賞への応募ではない、という意味で、投稿、というパターンは聞いたことがあるが。

 数十年前、当時はまだ学生だった今では誰もが知る有名作家は投稿して掲載され、翌年、芥川賞を受賞している。稀有な例だ。


 文章というものは、何と言うか、人に読まれる文章というものがあって、どんな名文でも、甚深で荘重な文でも、深い哲学であっても、複雑精緻で壮大な物語であっても、人をつかむとは限らない。


 読まれる才が自分にはないのだと悟り諦め、小説家志望を辞める人は少なくない。でもさ、独り小説を書き続けることは誰の迷惑にもならないんじゃないか。

 だから、僕は辞めない。何でダメなの?


 投稿サイトというものがいくつもある。こういうものができて、軽く十年以上、老舗なら二十年以上は経つであろうけれども、僕は最近、認識し、ドキドキしながら、投稿した。結果は悲惨なもので、PVペイジビューがほとんどつかない。


 ただ、文学賞と違って、すぐに結果がわかる。文学賞は半年以上待たなければ、結果がわからない。一次選考も通過しなければ何もリアクションなしで終わりだ。

 投稿サイトはダメならダメな様子がまだ見える。しかも、少なくとも複数の人に読まれる。文学賞なら下読みの人に読まれて、一次選考を通過しなければ、それでジ・エンド。虚しい。


 というわけで、僕は投稿サイトに切り替えた。

 相変わらず読まれない。どうしたら、読まれるのかな。

 何て考えているうちに、何となく、ラノベも書いてみようかなと思うようになる。何で純文だったんだろう? 今思うとよくわからない。この世には「書きたい小説と書かなければならない小説がある」という。僕の祖父の言葉だ。プロレタリア作家だったが、彼の本はとうの昔に絶版になった。


 思えば、そんなことが小説を書く動機だったのかもしれない。幼い頃は絵描きか漫画家になりたかった。今も好きだが、ただ、興味関心があるだけだ。


 投稿サイトに書いても、全く読まれないという、ぼんやりとした悲哀と絶望感に浸ってて酔い痴れながら、ふっと思う。冒険者のパーティの物語を描いてみようかなと。売れたいからとか(そもそも、売れるわけもないが)、王道だから(だから逆に目立たない)、とかではない。

 今まで、あまりにありふれ過ぎているテーマだから、避けていたけど(そういうのも純文崩れの矜持か?)、むしろ、それゆえ、やってみたくなった。

 例えて言えば(良過ぎる例えだが)、エドガー・アラン・ポーの『天邪鬼』みたいなもんだ。『黒猫』もその類だろう。


 でも、それほど暗い狂気めいたものでもなく、相変わらずのいい加減さで、どういうのが楽しいだろう、などと呑気に考えていた。

 仲間とか、生き生きと描けるといいのかな。などとと。


 仲間か。僕にもいたな。少年時代。会いたくなった。


 というわけで、今年は実家に帰ることに決めた。両親には「もう四年も帰っていないが、正月の墓参りくらいさせて欲しい」と懇願してみた。今どきの親って、もろいモノだ。「仕方ない。墓参りだけは赦す」と強がっていた。


 実家に帰れば、昔の仲間に会える、と言うのは、多かれ少なかれあることかもしれないが、僕の場合は特別だ。


 実家は真言宗の龍儼眞睿(りゅうごんしんゑゐ)寺。住職は百七歳の高祖父だ。凄いことだけれど、曽祖父九十歳と祖父七十二歳と父四十九歳が継がないから、やるしかない、ということらしい。ずっとやってる。でも、矍鑠(かくしゃく)として元気なことは確かだ。

 ちなみに、睿という文字は歴史的仮名遣いにおいても「えい」と表記するが、なぜかわざわざ「ゑゐ」としている。理由はわからない。今見ると、使われない文字なので特別感があるけど、当時は普通なので、特別感はないと思う。


 とにもかくにも、昔からなので、とやかくいう人は村にはいない。周辺に住む人々は、みんな檀家だし。龍儼眞睿寺は地域の菩提寺なのだ。

 小学校の同級生は全員、檀家の家の子で、中学時代の同級生も、三分の一くらいは檀家の家だ。もっとも、小学校は一年生から六年生まで百四十人くらいだが。いや、今はもっと少ないかな。廃校になったら、こどもたちは、どこへ行くんだろ。寂しくもある。


 だからかな、盆と正月には、人が来る。同級生がかなりの確率で、墓参や初詣に来る。

 そこで、ゲットすればいい。

 網を張った蜘蛛の気分で待った。




 網を張って掛かった獲物は・・・きみょうキテレツな提案?!

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