仏師
住んでいる地域の雰囲気を「地域柄」と言う。
私がかつて住んでいた地域はどんよりして、いつも曇り空のような雰囲気があった。空は快晴なのに、黒い雨水が垂れた壁が街の湿度を空へと逃さない。
片足のゴールデンレトリバーに、墓に居座るシュナウザー。親が自殺してイジメを受ける同級生に、不良に「イジメないで」と手紙を書いた知的障害者。こちらを覗く大きなヒキガエルに、爆発したナメクジ。
団地の1室には黒蠅の群。
藪からはヘビと変質者。
ため池では毎夜、異音が。
私が住んでいた地域では、こんな事がよくあった。違う地域に引っ越してから、それが普通ではないと知った。
今回は、そんな街に住んでいる私の叔父についての話だ。
親戚に、木彫りの仏像を彫り続けている叔父がいる。
仕事として彫っているわけではない。正月のような明るい日でも、薄暗い部屋に籠もって、ずっと仏像を彫り続けている。
まったく喋らず、笑わない。
とても不思議な叔父だ。
◇
初めて叔父を見たのは、幼少期のお正月だった。
車に揺られて着いた場所は、静寂と陰湿な空気が漂う異様な家だった。敷地から伸び出ている枝は小刻みに揺れ、何かに枝を伸ばそうと足掻いているように見えた。
大きな門をくぐると池が見えた。池を跨ぐように掛けられた石橋の下では、無数の鯉が泳いでいる。道路にはみ出していたあの枝は、庭の隅に植えられた、柳のように枝を垂らした大きな木のものだった。
玄関の戸を開けると、廊下の先から明るい声が聞こえた。「明けましておめでとう!」と、廊下の突き当たりから、叔母が顔を出した。
叔母はそのまま私に顔を向け、「叔父が二階にいるから、お年玉をもらってきなさい」と言った。
それを聞いた両親は、「もらってきなさい」と私に言うと、靴を脱ぎ捨てて叔母のいる部屋へ向かっていった。
玄関にぽつんと残された私は、見知らぬ叔父に1人で会いに行くことになった。
2階に上がる階段を見上げると、そこは明かりがついておらず、ひどく暗かった。
辺りを見回してスイッチを見つけたが、子供の私には手が届かなかった。諦めて、階段の1段目に足をかけると、とても冷たかった。暖かい灯りに包まれた玄関とは異なる世界のような、一種の拒絶を感じる冷たさだった。
私は手すりにしがみついて、1段ずつ、2階へと向かっていった。
2階の廊下も真っ暗だった。階段の上の格子窓から差し込む光が、ぼんやりと廊下を浮き上がらせている。
「(暗くて嫌だな……)」
そんなことを思っていると、ふいに「コトッ……シャリシャリ」という音が聞こえた。一番奥の部屋からだ。
私は薄暗さに怯えながら、その部屋へと向かった。
引き戸を開けると、部屋の中央に青い背中があった。
叔父だ。
「明けましておめでとうございます」と言うと、叔父は顔を少し動かし、こちらを確認するかのように見たあと、何かを指さした。
指さされた方向には、荒々しく作られた、ささくれだらけの机があり、お年玉袋が並べられていた。
私は自分の名前が書いてある袋を取ると、
お礼を言うために叔父の背中と向き合った。
丸まった青い背中。
叔父は私の方をまったく見ない。
部屋を見回すと、木彫りの仏像が叔父を取り囲むように、たくさん並んでいた。
大きな仏像に、小さな仏像。
どの仏像も、叔父をじっと見つめていて、まるで『桃太郎』に出てくる、亀を取り囲んでいじめている悪い人たちのように見えた。
叔父は青い背中で色褪せた緑の畳に座り、茶色い仏像たちが叔父を見つめている。
そして、それを見ている私。
みんな、同じ部屋にいるのに、
違う世界にいるみたいだった。
私は叔父の背中に「お年玉ありがとうございました」と伝えた。叔父は何も言わず、手元の木を紙のような物で擦り続けていた。
私は部屋を出た。
なんとなく、もう二度と会わない気がした。
◇
この叔父は祖父の兄にあたるのだが、祖母からは「気味が悪い」と言われている。いわゆる「視える人」でもある祖母は、叔父の纏っている雰囲気を不吉と感じているらしい。
こうして思い返してみると、あの部屋には80体以上の仏像があった。部屋の隅から壁に沿って、何重にも叔父を取り囲んでいた。
叔父は何をしようとしていたのだろう。趣味にしては、取り憑かれているように見える。
あの日以来、叔父には一度も会っていない。
亡くなったという話は聞かないから、今もあの部屋で、仏像を彫り続けているのだろう。
何のためなのかは、分からない。




