ジェノベーゼ
住んでいる地域の雰囲気を「地域柄」と言う。
私がかつて住んでいた地域はどんよりして、いつも曇り空のような雰囲気があった。空は快晴なのに、黒い雨水が垂れた壁が街の湿度を空へと逃さない。
片足のゴールデンレトリバーに、墓に居座るシュナウザー。親が自殺してイジメを受ける同級生に、不良に「イジメないで」と手紙を書いた知的障害者。こちらを覗く大きなヒキガエルに、爆発したナメクジ。
団地の1室には黒蠅の群。
藪からはヘビと変質者。
ため池では毎夜、異音が。
私が住んでいた地域では、こんな事がよくあった。違う地域に引っ越してから、それが普通ではないと知った。
今回は、そんな街で暮らしていた私とその家族に起きた奇妙な話「ジェノベーゼ」を話そうと思う。
ある日、ご機嫌な母は「ジェノベーゼ」を作った。翡翠色のパスタは遠目から見ても、とても美しく、美味しそうだった。
イスを引いて席に座り、テーブルに置いてあるフォークを手に取った。そして、ジェノベーゼと向き合った私はある異変に気づいた。
ジェノベーゼの上に羽虫が数匹乗っているのだ。皿に盛られてから、まだ数分しか経っていない。それなのに数匹の羽虫が乗っている。
私は母に「パスタに虫が乗ってる」と伝えた。すると母は、「取り除いて食べたらいいやん」と、換気扇の下でタバコを咥えながら答えた。
確かにそれはそうなのだが……、やはり気分は良くない。そんな不満を口に出そうと思ったが、母のめんどくさい性格を思い出し、不満を飲み込んだ。
私はしぶしぶ、羽虫を取り除く作業に取り掛かった。
羽虫の中には、ひっくり返っているものや、足を痙攣させているもの、ソースに身体を絡め取られ足をバタつかせているもの。そして、すでに死んでいるもの。
そんな生々しくも、表情豊かな羽虫たちが翡翠色のパスタの上で死んでいた。それを見た私は、「(公園の地面みたい……)」と思ってしまい、徐々に食欲が無くなっていくのを感じた。
しかし、初め見た時よりも羽虫の数が増えてるような気がした。数匹と思っていたが、取り除いてみると12匹もいたからだ。
見間違いだったのかも知れない。そう思いながら、パスタをフォークに巻き付けていると、「フワッ」と何かが皿の縁に落ちてきた。
羽虫だ。
さっき取り除いた羽虫たちとまったく同じ姿の羽虫だ。そんな状況に戸惑っている私の鼻先に追い打ちをかけるかのように、「カサッ」と何かがかすめた。
鼻先を触って下を向くと、太ももの上で足をバタつかせている羽虫がいた。
ギョッとした私は天井を見上げた。
天井には無数の黒い点があった。黒い点が天井を埋め尽くすほどに広がっている。私は目が悪く、はっきりと姿形は見えなかったが、状況を考えると、天井にある黒い点は間違いなく羽虫だった。
私は立ち上がり、「天井にめちゃくちゃ虫がいる」と呟いた。その呟きに反応した父が天井を見上げると、「うわ、本当や。気持ち悪っ!」と言って、せわしなく窓を開け、急いで殺虫剤の置かれている方向に向かっていった。
母いわく、窓は締め切っていたはずだが、開けていたとしても、家の中にこんなに虫が入ってくるものなのか不思議に思った。
その日から、ジュノベーゼを見ていない。母が作らなくなったのもあるが、私の中で「ジェノベーゼ」とと羽虫が結びついてしまったのもある。
ジェノベーゼは美味しい食べ物なのだろうか。
あの日のジェノベーゼは、殺虫剤が降り掛かった疑惑があって食べられなかった。
今でも緑色の食べ物を見ると、虫が落ちてきたあの日の記憶がフラッシュバックする。
あの無数の虫たちは、たまたま家に入ってきたのだろうか。それとも奇妙な街に住んでいるから、こういった奇妙な現象に遭遇するのだろうか。
私には分からない。




