闇の黎明
この度は、このリンク?を開いて下さりありがとうございます。
前々から書きたいと思っていた中華風ファンタジー!
しっかり、深くまで設定を考えて作ったものです!
いつもは短編を書いていたので、こんなに凝った設定を考えたのは初めてで、とても疲れました…。
最後まで読んでいただけると、とても嬉しいです!
「モーユエン、口にご飯粒がついてるわよ。貴方ったら、本当に食べるのが好きなんだから」
星空がきらきらと輝く夜空の下で、赤く光る提灯が、町を賑やかに照らす。白に金色の刺繍のついた、高級そうな服をきた女性、シェンリンが、片手に複数の荷物を持ったモーユエンの頬を手拭いで拭く。
「…別に、好きってわけじゃないです」
「もう、そうやって嘘ばかり」
手を口に添えてふふ、と笑うシェンリンは、町を歩いたら皆振り返るほどの美人だ。そんな彼女はここ、スイシュー国の姫君である。
スイシュー国の元首は、性別問わず、皆「国王」や「陛下」と呼ばれている。今は、シェンリンの父親が国王と呼ばれているが、数年経てば、その座は一人娘のシェンリンが継ぐことになり、彼女もまた、「国王」や「陛下」と呼ばれることになるだろう。蓮の花が象徴であるスイシュー国の王族は、代々五行思想を元とした力が、遅くとも六歳までには出現し、その中でも水の力を持つ王が多かった。その中でもシェンリンは、五行思想の中で最も珍しいと言われる金の力の持ち主だった。
彼女が持つ金の力は、何もないところから様々な金属を生み出すことができる能力で、そのためか、スイシュー国の財政は以前よりも豊かになった。そのため、王族・貴族は金を好み、庶民は銀を好むといわれている。また、スイシュー国は自然豊かな国で、至る所に、さまざまな種類の草花が咲いていた。
切れ長で、頭の良さそうな顔立ちのモーユエンは、そんなシェンリンの護衛で、一件物静かそうに見えるものの、煽られれば相手にとんでもない罵声を浴びせ、酷い時は、シェンリンが止めない限り相手を殴り続ける、血気盛んな男だ。
「姫様、姫様! うちの肉まんはどうですか? 美味いですよ!」
「ありがとう、店主さん。でも私たちは、もう行かなくてはいけなくって」
シェンリンは微笑みを浮かべて優しくそう言った後、顔を隠すように笠を傾け、モーユエンを連れて町の奥へと進む。
シェンリンが訪れた町は、スイシュー国の城があるすぐ近くにあり、人が多く、とても栄えている。麗しいシェンリンの容姿は、スイシュー国の民では知らない人がいないほど有名だが、混雑した通りで笠をかぶっていれば、滅多に見つかることはない。
少し歩いて、ふと足を止めた店は、華やかな通りからは少し離れた場所にある、どこか懐かしさを感じる骨董屋だった。
「姫様は、本当にこの店が好きですね」
「ええ、大好きよ。とってもね」
シェンリンがそう言うと、何を思ったのか、モーユエンは耳をほんのりと赤くさせる。
「いらっしゃいませ、姫君」
店の中には、数々の陶器や刀剣などが棚に並べて置かれており、壁には絵画がずらりとかけられている。扉の開く音が聞こえたのか、店主が暖簾をめくって部屋の奥から出てきた。この店は、シェンリンが古くからよく行く骨董屋であり、店主とは良好な関係だった。
「今日は何をお求めで?」
「そろそろ母の生誕日だから、かんざしが欲しくて…」
「それなら、いいものがありますよ。少々お待ちください」
そう言うと、店主は物を取りに行ったのか、部屋の奥へと消えていった。店内に展示されている骨董品をゆったりと見て回りながら、シェンリンは家族との会話を思い出す。
「シェンリン。私の可愛いシェンリン」
シェンリンは、幼い頃はよく泣いていた。六歳になっても、能力が現れなかったからだ。
部屋の隅で膝を抱え、めそめそと泣いているシェンリンを、母はひょいと持ち上げて優しく言った。
「シェンリン、そんなに泣かないで。能力が現れなくても、貴方は私の可愛い娘よ」
「でもね、お母様。私しってるの。みんなが、私に『しつぼう』してるって。お父様も、本当はそうなんでしょ? 口ではあんなこと言ってるけど、目が怖いもん」
シェンリンがそう言うと、母は驚いたように目を丸くした後、ふふふ、と笑い始めた。
「貴方ったら、本当に可愛い子ね。お父様は目つきが悪いから、そう見えるだけよ。それに、誰も貴方に失望してないわ」
「どうして、そんなことが言えるの?」
「貴方はね、人の心を和らげる才能があるの。お母様やお父様、それにモーユエンだって、その力にとても助けられてきたし、貴方に支える侍女たちだってそうよ。能力なんかがなくったって、貴方はとっても立派なの」
「そうだぞシェンリン。何も泣くことはない。誰もお前に失望していないよ」
いつの間にか部屋に入ってきた父が、母の腕の中からシェンリンを抱き上げ、高くかかげる。
「お前は私の、…私たちの、自慢の娘だ」
そして四年後、シェンリンが十歳の頃、満開の桜が花びらを落とす中で、シェンリンは金の力を発現させた。
「……姫様」
「…っ、どうしたの? モーユエン」
しばらくの間、物思いに浸っていると、部屋の隅にいたはずのモーユエンが、いつの間にかふらりとシェンリンの方へ近づき、ぴったりと背後に寄っていた。耳元で自分を呼ぶモーユエンとの距離に少し胸を高鳴らせながら、シェンリンは小さな声を聞き取れるように耳を澄ます。
「…この店から、僅かにですが、いつもとは違う香りがします」
「……あら、そうかしら」
モーユエンにそう言われ、シェンリンはくんくんと匂いを嗅いでみるも、よく分からなかった。その瞬間、店の外の方からガシャンガシャンっと、立て続けに何かが割れる乾いた音が聞こえた。
「外の様子を見てきます! 姫様はここでしばらくお待ちくださいっ」
そう言うと、モーユエンは持っていた荷物を、早く、それでいて丁寧に床に置いた後、急いで店の外へと走って行った。シェンリンはそんな彼の後ろ姿を眺めながら、ふとあることに気づいた。
店主が戻ってくるのが、やけに遅いのだ。暖簾の奥からは、特にガサゴソと物を探している様子はなく、ましてや人の気配を感じない。
「……店主さん?」
試しに声をかけてみるも、返事はなかった。シェンリンは背中に一筋の汗を伝わせながら、一歩、また一歩と近づいて行く。護衛をつけているものの、シェンリンはいざとなれば一人で戦える、強い女性だった。(流石に、モーユエンよりは劣るが…。)彼女の金の力は特に戦いに対して強く、手からはいつでも銀色に輝く滑らかな剣を出すことができた。
「姫様、ありましたよ」
緊張感で張り詰めていた空気が、突如暖簾をめくって現れた笑顔の店主によってかき消される。
「…姫様、そんな顔をなされてどうしたのですか?」
「あぁ…。いえ、なんでもないの。無事ならよかったわ」
びっくりするのと同時に、店主が無事でよかったという安心感がシェンリンの心を占める。
「ならいいのですか…。あぁ、これが先ほど言っていたかんざしです」
そう言って店主がシェンリンに差し出したのは、木でできた箱に入った、赤く美しいかんざしだった。桃色で見事に掘られた花の飾りには、うっすらと金箔がかけられている。
「すごく綺麗だわ…。ありがとう」
シェンリンがその箱に手を添えた時だった。箱を持っていた店主の手が、いきなりシェンリンの手首に伸び、ガシッと力強く掴んだ。ギリギリと、腕から音がなりそうなほどの力に、シェンリンは思わず顔を歪める。
「…っ、店主、さん…?」
自分の両手首を掴む手から、視線を店主の顔へあげると、そこにあったのは、常に穏やかな笑みを浮かべている店主の顔ではなく、まるで鬼のような形相の、若い男だったのだ! 艶やかで滑らかな黒髪は、顔を隠すように乱れていて、髪の隙間から覗く2つの目は、禍々しい光を宿していた。
「掴んだ…、掴んだぞ!」
その男はいつの間にか持っていた手拭いを、すごい勢いでシェンリンの鼻と口に強く押しつける。途端に甘ったるい匂いがシェンリンの鼻をさし、脳がくらくらと揺れる感覚に襲われる。モーユエンが言っていた、いつもと違う匂いとはこのことだったのだ!
あまりに咄嗟の出来事だったため、シェンリンはなす術なく、膝からその場に倒れる。ふと男の後ろを見ると、暖簾の奥に、見覚えのある姿が血溜まりの中で倒れていた。それこそが本当の店主だったのだ! 血溜まりが広がる速さからして、シェンリンたちが店で骨董品を見ている間に、何者かが静かに店主を襲い、店主に化けてシェンリンを襲ったのだろう。
「…姫様、外には割れた複数の壺が落ちていただけで特に何も……、っ姫様! 貴様っ、姫様を離せ!!」
外の様子を見てきたモーユエンが、店へと戻ってきた。倒れているシェンリンを見て、モーユエンは目の色を変え、腰に下げていた剣に手をかけて男の方へと走り寄る。
「モーユエンよ、一足遅かったな」
男は、嘲笑を含ませた低い声でそう言うと、札を取り出しボソボソと何かを唱えた。すると、複数の炎が高く燃え上がり、床に円を描くようにしてシェンリンと男を包む。それは炎のはずなのに、木でできた店に燃え移ることはなく、シェンリンにも熱く感じなかった。しかし、モーユエンには熱く感じるのか、はたまた怒りからか、額にはうっすらと汗を浮かばせ、顔を真っ赤にして男をきつく睨む。そして躊躇なく手を伸ばして、いつの間にか男に横抱きされていたシェンリンを掴もうとした。しかし、炎の中には小さな結界が貼られているのか、その手はバチっと弾かれてしまう。
「姫様っ!!!」
少しすると炎は次第に小さくなっていき、そこに、シェンリンと男の姿はなかった。店には、店主の死体と、モーユエンだけが取り残されたのだ。
*
「……リン、……シェンリン!」
どこからか名前を呼ぶ声が聞こえて、シェンリンは頭がガンガンと痛むのを我慢して目を開ける。頬にひんやりと冷たく、硬い感触がした。
「お母様…、お父様…!?」
「シェンリン…、よかったわ。無事なのね」
シェンリンから少し離れたところに、母親と父親が上半身、足首、手首をそれぞれ縄で縛られて、お互いに支え合うように座っていたのだ。身を捩って近づこうとするも、シェンリンも同様、縄で縛られていて上手く動けず、その場でうねうねと動くことしかできなかった。
一度深呼吸をして、あたりを見渡す。光沢のある艶やかな赤い床に、見えないほど高い天井。柱には、龍や鳳凰が空へと向かって飛んでいる様子が、金の塗料で描かれている。薄暗くも、美しく広い部屋の中で、一つの蝋燭が不気味にゆらゆらと揺れていた。なんとここは、スイシュー国の城のすぐ近くにある建物で、普段はあまり使われていない、宴を開くためだけの場所だった。
「…シェンリン」
水の力を使える現国王である父親が、こめかみに冷や汗を垂らしながら、シェンリンの名前を呼んだ。
「……今、なぜか私は能力が使えないんだ。お前は使えるか?」
その言葉を聞いて、シェンリンは手から剣を出そうとするも、いつものようにすっと出てこなかった。何かに封じ込まれているような、奇妙な感覚。それ以外にもどうにか能力を使おうとするも、全て上手くいかなかった。
「……いえ、使えません。これは一体…」
「間抜けかお前らは。背中にある札が見えないのか?」
すると唐突に、強弱のついた若い男の声が響いた。声のした方に顔を向けると、蝋燭が照らす光の中から、男の顔が浮かび上がってきた。暗いこともあり、ちっとも気づかなかったが、なんとそこには男が突っ立っていたのだ。真っ直ぐでくせのない髪は、後ろに一つで束ねられていて、死んだ魚のような目は、長く量の多いまつ毛を際立たせていた。服装は地味で平民のようだが、その姿は人の目を引き寄せるだろう。なんの感情のない顔から、先ほどの抑揚がついた声を出しているとは、とても想像できない。
シェンリンはその男の言葉を聞いて、自分の背中に目を向ける。すると、少しだけだが、薄汚れた札が貼ってあるのが見えた。赤黒い筆跡で、何か文字が書れているものの、はっきりとは見えない。
「貴様っ! 何者だ!」
「何者? お前なんかに名乗りたくないね。だが、少なくともお前よりは年上だ。言葉を慎め若造」
その言葉に、三人は混乱した。年上? 若造? 今目の前に立っている男は、シェンリンと同じ歳か、少し上に見える。そんな男が、四十は超えたシェンリンの父親より、年上だと言うのだ。つかの間の沈黙が流れると、男はこめかみに左手の中指と人差し指を当てると、霊力を使って誰かと会話する素振りを見せた。
霊能力は、代々王族が受け継いでおり、それによって、強い能力を発揮する。一応、王族でない者も霊力を使うことができるが、どんなに厳しい修行をつんでも、王族を勝ることはない。
そのため、シェンリンを攫った時に出た炎は、明らかに王族のものだ。シェンリンは考えた。攫った男と、今ここにいる男は全くの別人。しかし、繋がりがあるのは確かで、攫った男は、五行思想に含まれる火の力を持つスイシュー国の王族だと! だが、現在のスイシュー国の王族は、父と母と、そしてシェンリンしかいないはず……。…いや、もう一人いる。まさか、「彼」が、生きているのだろうか…? でも、「彼」は…。
「さてと、そろそろ時間だ。最後に言い残すことはあるか」
男がそう言うと、蝋燭を下に置き、腰に下げていた朱色の天然石の装飾が施された剣に手をかける。
「っ、それは去年シェンリンに贈ったものよ!」
「なぜ貴様がそれを持っている!」
シェンリンはこう見えて、剣が好きだった。貰った剣は数多く、それらは全て、城から少し離れた場所にある、「剣華倉」という名の建物に保管され、厳重に警備されている。男が持っている剣も、そこに保管されていたはずだ。
「…はぁ。話すだけ時間の無駄か」
呆れたようにため息をついた男が、ゆっくりと鞘から剣を抜いた。こいつはきっと、剣華倉の警備を突破して、気に入った剣を盗んだのだろう。蝋燭の光を受け、剣身が鮮やかに赤く輝いた。
「何をする気だ!」
そう叫び終わったのとほぼ同じタイミングで、縛られていた父親の胸がざっくりと斬れ、血が勢いよく吹き出した。
「あなたっ!」
「お父様!!」
父親はどさっと後ろへ倒れ、小さな呻き声をあげる。血が溢れ出して止まらない。着ていた服は、すぐに真っ赤に染まっていった。
「あぁ…、あなた、あなたっ。死んではいけないわ…、どうか目を閉じないで!」
母親が父親の側へ寄り、大粒の涙を瞳からこぼしながら、震える声でそう言った。
「泣くことはないだろう。あなたも、すぐそちらへ行くことになるのだから」
男はそう言った後、その声に振り向いた母親の胸の中心を、音もなく剣で貫いた。
「…っ、あ……」
「お母様! お母様ッ!!」
数滴の鮮血が、シェンリンの顔に飛び散る。体を貫かれた母親は、剣が抜かれるとすぐに、父親の体の上に倒れた。シェンリンは顔をぐしゃぐしゃにしながら、精一杯両親の元へ近づこうとする。
「おぉっと、貴方は駄目だよ、シェンリン。近づいてはいけない」
すると、男に服をぐいっと引っ張られ、元いた場所よりも遠くに投げられた。
「貴様…っ、よくも私の両親を…ッ!」
「貴方はそこで見ていなさい。見ているだけでいい。どうせ貴方は、それしかできないのだから」
男は返り血を拭いながら、シェンリンを指差してそう言うと、剣を鞘に納め、颯爽とした足取りのまま部屋の奥へと消えていった。少しすると、投げられたこともあり、お札がはがれ、シェンリンは縄を解くことができた。
「お母様ッ! お父様ッッ!!」
シェンリンは男の言葉を無視して、急いで両親の元へと駆け寄る。父はもうすでに生き絶えていた。無理もない、切り裂かれていた胸からは、内臓が剥き出しだった。
「……シェン、…リン…」
うつ伏せになった母親が、最後の力を振り絞ってか、シェンリンの方に体を向ける。
「お母様!」
シェンリンは母を片手で抱き寄せ、もう片方の手で、頬へと伸ばされた手を包み込んだ。
「…シェン、リン……。私たちの…、愛しい子……。…どうか、……強く、生きて」
一粒の涙を流してそう言ったあと、母親はゆっくりと瞼を閉じた。
「……お母、様…?」
シェンリンがそう呼びかけるも、母親がもう一度目を開くことはない。
「嘘…、いや、お母様っ、お父様ッ。私を…、置いていかないで…っ」
シェンリンは我慢するように、声を抑えて涙を流した。「うっ、うぅ…」と、途切れ途切れの弱々しい声が部屋に響く。しばらくすると、シェンリンは誰かに手刀されたのか、首筋にほんの少しの痛みを感じ、気を失った。
*
「……陛下、大丈夫ですか? 先ほど、顔色が悪いように見えましたが」
「大丈夫よモーユエン。心配しないで」
王位継承の儀式を終え、真っ赤な衣装に金色のきらきらとした髪飾りをつけたシェンリンは、侍女たちに着替えを手伝ってもらいながら、すだれの外にいるモーユエンに返事をした。
シェンリンの両親が殺された事件…、「王家暗殺事件」が起きてから、約ひと月。シェンリンはスイシュー国の王となった。罪人を捜索しているものの、見つかる気配はこれっぽっちもなかった。あまりにも見つからないため、庶民の人々は、「シェンリンだけが生き残っているのは不思議だ」「早く王になるための自作自演」「精神がおかしくなり幻覚を見ただけでは」など、シェンリンを疑うような声が多かった。しかし、それがシェンリンの耳に届くことはなかった。彼女を気の毒に思ったモーユエンが、これ以上シェンリンの心に傷をつけてはならないと、細心の注意を払っていたからだ。
着替え終わったシェンリンは、スイシュー国一面を見渡せる露台へ移動し、新鮮な空気で肺を充した。城の目の前にある大きな通りは、いつも通り多くの人で賑わい、皆が笑顔を浮かべている。
この世界に存在するそれぞれの国は、国王が張る結界によって守られている。結界の外は奇界と呼ばれる森が広がっており、そこには妖魔奇怪がうじゃうじゃといるのだ。国王が結界を張るには、常に集中して霊能力を意識的に出さなければならないが、それは精神的にも肉体的にも過酷なため、大体の国は、純度の高い水晶に、自身の霊能力を保存して結界を張っている。しかし、それは国王の精神状態に酷く影響される。国王が取り乱し、とても心を痛めれば、水晶にヒビが入り、同様に結界にも穴が空いてしまうのだ。
シェンリンの父親は、剣で胸を引き裂かれ、息絶える直前でさえも、心を折ることはなかった。そのため、水晶は割れることがなく、保存されていた霊能力によって結界が壊れることもなかった。
シェンリンは服の中に忍ばせておいた札を手に取り、じっと眺める。あの事件の後、両親の死体に倒れていたシェンリンは、血眼になって探していたモーユエンによって見つけられた。あたりに人の姿はなく、お札も、父親の背中に貼られていた一枚しかなかったらしい。それはすでに血まみれになって、書かれていたはずの文字はもう見えなくなっていた。
「…一人で、抱え込まないでください、陛下」
シェンリンから少し離れたところにいたモーユエンが、彼女の後ろ姿を寂しげな眼差しで見つめながらそう言った。
「今回の件は…、護衛である私が、度々いく場所だからと油断したせいです。あなたは悪くない。だからどうか…っ」
「ありがとう、モーユエン」
シェンリンは取り出していたお札を再び隠し、モーユエンの方に体を向ける。
「貴方は、私を励ましてくれているのね。とても嬉しい....ありがとう。でも、あれには私にだって非はある。金の力を持っていながら、目の前で両親が殺されるのを見ていることしか出来なかったもの...。...でも、一時的にだけれど、この件について考えるのはもうやめにしましょう。今一番大事なのは、この国を守ること。私はそのために、全力を尽くすわ。もちろん、罪人を許すわけではないけどね」
「……陛下」
にこやかにそう言ったシェンリンを見て、モーユエンは少し安心したのか、ほんのりと表情を緩ませた。二人の間に穏やかな時間が流れる。しかしそれは、一人の侍女が勢いよく扉を開く音によって壊された。
「陛下っ、陛下!! 大変ですッ!!」
侍女は、乱れた息を整えることなく、顔を青くしたまま、大きな声でこう言った。
「ルーロン村が…っ、ルーロン村がッ、火事にっ!!」
*
ルーロン村とは、スイシュー国の端の方にある村で、国の食を支える畑が、たくさん集まった場所だった。自然豊かな場所で、どこか人の心を安らがせるルーロン村は、人も多く住んでいた。
「これは……、なんて酷い…」
急いで駆けつけたシェンリンとモーユエンは、あまりの光景に唖然とした。緑なんてものは一つもなかった。多くの家屋は黒い木材と化してそこら中に倒れ、畑は真っ黒な塵の山になっていたのだ。そして、村の一番奥にある食糧庫は、つい先ほど火が燃え移ったのか、凄まじい勢いで燃えていき、まだ燃えていない周りの家にまで焼き尽くす勢いだった。
「陛下っ、陛下! お助けください!」
すると突然、ルーロン村に住む女が一人、人々の間を縫ってシェンリンの元へ駆け寄り、服にしがみつきながら言った。
「息子がっ! 息子がまだあの中にいるのです!! 友達と隠れん坊をするからとあの中に…っ!! あぁっ、どうかお助けくださいっ!」
そう言って涙を溢しながら女が指さしたのは、今まさに燃えている食糧庫だった。シェンリンは霊能力を持っている。しかし、人間であることには変わらない。あの中に入れば、確実に負傷するだろう。下手をすれば、命を落とすかもしれない。だが、子供の命がかかっている以上、その女の頼みを断ることは出来なかった。
「…分かりました。必ず私が、貴方の子供を連れて帰ってきましょう」
シェンリンは女の手をぎゅっと掴み、瞳をまっすぐに見つめてそう言った後、食糧庫へと走って向かっていった。
「陛下、私も行きます!」
そんな彼女の後を、モーユエンは急いで追っていき、シェンリンの横に並んでそう言った。
「危険よモーユエン! 貴方は民の収集を…」
「私の使命は陛下、貴方を守ることです! ここでもし貴方が命を落としたら、私はどんな思いをして生きていけば良いんですか!?」
語気を強めてそう言ったモーユエンに、シェンリンはあらがうことができず、「好きにしなさい」と言って、二人で食糧庫へと入っていく。
「これで大丈夫さ。陛下とモーユエン様が二人で入っていくのだから、君の息子さんは助かるよ」
中に入る直前、村人がそう言った声が、シェンリンの耳に小さく入ってきた。
食糧庫の中は、想像していたよりも大きく、広かった。入ってすぐの左右の棚には、野菜だと思われるものが勢いよく炎に焼かれていた。あまりの熱さに、視界が歪んで見える。パチパチと火花が散り、音を立てて柱が倒れていく。通路は本来、人三人が並んで歩けるほどの広さだが、炎が高く燃え上がっているせいで、とても狭く感じた。
「陛下、煙に気をつけて」
モーユエンの言葉に、シェンリンはハッとして口を手で覆った。
「……ねぇ、モーユエン。子供の泣き声が聞こえない?」
足を進めながらそう言われ、モーユエンが耳を澄ますと、微かだが、子供の泣く声が聞こえてきた。なんとか床に足場となる場所を探して、声が聞こえる方へと向かっていく。
「! 見つけました! 陛下、子供はあそこにいます!」
そう言ってモーユエンが指をさしたのは、なんと天井の梁の部分だった。子供が泣きながらしがみついている場所は、まだ燃えてはいないものの、周りが炎に囲まれていて、今にも崩れ落ちそうだった。
考える暇も無く、シェンリンは何も言わずに床を少し走った後、身を翻させて壁に足をつき、二、三歩歩くと、宙を回転して梁の上に静かに着地した。足が炎に焼かれ酷く痛むも、そんなことを気にしている暇はなかった。
「坊や、大丈夫?」
シェンリンの身のこなしに目をまんまるにした子供は、こくんと頷いた。
「私たちが助けに来たから、もう安心してね。ほら、こっちにおいで。怖くないから、大丈夫」
シェンリンは穏やかな声でそう言って、梁にしがみついていた子供を抱き寄せた。
「お姉さんに、ちゃんと掴まっていてね」
そう言って、シェンリンは子供をしっかりと抱いたまま、床へと飛び降りた。
「陛下!!」
飛び降りたシェンリンを、モーユエンはなんなく抱き止めた。霊能力を使ってある程度衝撃を防いだため、お互いに怪我をすることはなかった。しかし、それの風圧からか、激しく燃えていた柱のうちの一つが、ぐらりと倒れシェンリンたちの方へ倒れてきていたのだ。しまった、と思いながらシェンリンは体を硬くし目を閉じるも、柱にぶつかる衝撃も、炎で焼かれる熱さも感じなかった。そっと目を開けると、倒れてきていたはずの柱は、複数の小さな木の破片に分かれ、パラパラと床に落ちていった。なんと、モーユエンが腰に下げていた剣を素早く取り出し、柱を細かく切り裂いたのだ。
「モーユエンったら、凄いわね。あんなに太い柱を、一瞬のうちに小さく…」
「…まぁ、陛下の護衛を担当するのですから、これくらい出来て当然です」
興味なさそうにそう言うモーユエンの耳は、ほんのりと赤く染まっているように見えた。このままの方が早く出れると考えたのか、モーユエンはシェンリンを抱えたまま、走って食糧庫の出口へと向かって行く。これで、一件落着。そう思った時だった。
子供の手から何やら赤色の丸いものが落ち、床に転がる。
「っあ! 僕のお手玉がっ!」
「坊や、動かないで!」
なんと、それは子供が大事にしていたお手玉だったらしい。出口の直前だというのに、子供は強い力でシェンリンの腕から転がり落ち、お手玉が落ちていた場所へと走って向かう。
「坊や!! 何をしているの!!」
シェンリンはそう言いながらモーユエンの腕から離れ、子供の元へと駆けていく。
「僕の父ちゃんの大事な形見なんだ…。よかったぁ、お姉ちゃん、ここにあったよ」
そう言って子供は、お手玉をシェンリンに見せるように片手をあげ、笑顔でそう言った。無事そうな子供を見てホッとしたシェンリンは、こっちに来るよう子供に手招きした。
「そうね、よかったわね…。では、早く外へ出ましょう? ここは危ないわ」
「うん!」
そう言って子供がシェンリンの元へ駆け寄った。その瞬間だった。数丈もないシェンリンと子供の間に、根本が焼き尽くされ立っていられなくなった柱が、倒れてきたのだ。こちらに向かっていた子供が、柱の下敷きになりそうになる。
「危ないッ!!」
そう言って、すんでのところでシェンリンはなんとか子供を柱の奥に押し出し、下敷きになるのをなんとか避けた。食糧庫が焼けたことで生まれた塵が舞い、シェンリンはごほごほと咳き込む。
「陛下! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたモーユエンの手を借りて、シェンリンは口を裾で押さえながら、「大丈夫」だと言い、立ち上がる。すると、柱の向こう側から、先ほどの子供が大泣きをしている声が聞こえてきた。
「……急いで、坊やを!」
シェンリンはハッとした様子で轟々と燃える柱の上を飛びこえ、子供の元へと向かった。すると、その子供は、さっきの倒れてきた柱の衝撃で、左腕に炎が燃え移っていたのだ!
「あぁ、なんてこと! 早く治さなければ…っ」
そう言ってシェンリンは子供を抱きかかえ、もう一度柱を飛び越えようとするも、足に上手く力が入らない。不思議に思って自分の足に目をやると、いつのまにか焼けこげた靴は、塵と自分の血が混ざり、恐ろしい赤黒い色に染まっていたのだ! シェンリンの足は、柱を飛び越えた際に、とっくに限界を迎えていたのだ。
「陛下! 大丈夫ですか? …少し、失礼しますね」
シェンリンに続いて、急いで柱を飛び越えて来たモーユエンが、シェンリンの背中と膝裏に腕を差し込み、同じように柱を飛び越えた後、今度こそ、食糧庫から出たのだった。
「陛下が出てきたぞ!!」
一人の村人が大きな声でそう言ったのと同時に、心配そうに食糧庫を見つめていた人々がモーユエンに抱きかかられたシェンリンの元へ集まってきた。その間も、子供はまだわんわんと泣き喚いている。
「子供を離して!! 泣いてるじゃないのっ!!」
助けを求めた女が、シェンリンの腕から子供を奪い取る。ついさっきまでは左腕しか炎に包まれていなかったのに、今では火は体全体まで広がり、顔にも少し燃え移っていた。
「あぁ…、あぁぁぁあ!」
「誰か! 水を持って来いっ!!」
近くにいる人々は、察しがよかったのか、すでに水の入った桶を手に持っていて、それを勢いよく子供に向かってかける。火を消すのには十分な量の水だ。しかし、その炎は消えるどころか、ますます激しく燃え上がり、ついには子供の顔までも覆い尽くした! 子供は、さらに大きな声をあげて泣き叫ぶ。
「これは…、霊能力による、炎だわ……」
「足が痛むから」と嫌がるモーユエンをなんとか説得して、ゆっくりと降ろしてもらったシェンリンは、燃え盛る炎を見つめながら、額に浮かぶじっとりとした汗を拭った。
「霊能力による炎…? そんなわけありませんっ、あれほどのものとなれば、炎を使っているのはスイシュー国の王族…」
「陛下!!」
眉を顰めてそう言ったモーユエンの言葉を遮って、子供を抱きかかえた女が、シェンリンの元へと駆け寄ってきた。
「陛下! これは何かしらの霊力を使った炎なのでしょう!? 王族である陛下なら、この炎を消せるはずですよね?」
女は、なんとか原型を留めている黒焦げの子供をシェンリンの前に差し出した。それからは、微かに呻き声が聞こえる。シェンリンは顔を歪めた。スイシュー国の王族は、水の力を持つ者が多い。現に、シェンリンの父親も水の力を持っていた。しかし、シェンリンはどうだろうか? 彼女が持っているのは水の力ではなく、金の力だ。水を出すのは相当難しい。けれど、幼い頃から鍛錬は積み重ねていたため、もしかすると、水は少量出せるかもしれない。
「っ、分かりました」
シェンリンはそう言って右手を前にかざし、水が出るよう願いながら、手に霊能力を送る。すると、シェンリンの手のひらに、小さな、水でできた玉が音もなく現れ、そこから、破れた風船から中の空気が出てくるように、水が流れていく。しかし、しばらく水が流れた後、その水の玉はすぐに消えてしまい、シェンリンはもう水を出すことができなくなったしまった。そんな少ない量で子供を覆う炎を消せるわけがない。火は少し弱ったように感じたが、変わらず燃え続けていた。
「っ、陛下? なぜそれだけの水しか出さないのですか…? まだ子供は燃え続けています! もっと水を…っ!」
「陛下が持っているのは金の力だ! これ以上水は出せない!」
シェンリンに詰め寄る女から庇うように、モーユエンは二人の間に立ってそう言った。金の力を持つ者が、少量だけでも水を出せたことは、実際は素晴らしいことだ。彼女の才能は、卓越していると胸をはって言えるだろう。しかし、こんな状況下ではそんなことを言えるはずもない。モーユエンの言葉に酷く絶望した女は、「そんな…!」と言い、膝から崩れ落ちて子供を強く抱きしめた。その拍子で、子供の体はぼろぼろと崩れていき、やがて炎は消えていた。不思議なことに、その炎が女に燃え移ることはなかった。
一部始終を見ていた人々が、ひそひそと小声で何か話しながら、顔を顰めた。
「……助けてくれると、言ったじゃないですか…」
項垂れていた女が、ふと口を開いてそう言った。
「貴方はそう言ったのに、炎を消すこともできず、目の前でただ子供が無惨に焼かれていくのを見ただけ! それで国王が務まるのですか!? 金の力は凄いもののはずなのに、なぜ貴方は子供さえも助けられないのですか!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、女はシェンリンに飛びつこうとする。それを周りの人々が抑えるも、女の悲痛な叫びは収まることはなかった。
「何故ですか!? 何故息子は助からなかったのですかっ!? 何故水をかけたのに、炎は消えなかったのですか…ッ」
地面に顔を埋めながらそういう女を、気の毒に思ったのか、いつのまにか出来ていた人集りは、シェンリンの方に視線を向けた。
「…あれは、状況から判断するに王族が霊能力でつけた炎だよな…?」
「前国王が生きていれば、状況は変わったかもしれないのに…」
「所詮、陛下の持つ金の力は、貴族の暮らしを良くするためだけで、俺ら庶民の命は救えないんだな」
小さく囁かれた声が、シェンリンの心を深く刺す。
私は、何も出来なかった。あの時と…、両親が殺された時と、同じように。今度こそは救えたと思ったのに、結局火を消すことは出来ず、目の前で、小さな命が消えていくのを…、ただ、見ていることしか出来なかった。
*
「シェンリン陛下、大丈夫ですか?」
「あぁ、すみません。わざわざ時間をあけて頂いたのに…」
上の空だったシェンリンを心配そうな眼差しで見つめる、爽やかな顔立ちの青年。彼は、古くからスイシュー国と付き合いのあるルウホワ国の国王、ジーウェイだ。口をつけていた湯呑みを机上におく動作には気品が溢れ、外から差し込む光が、彼の淡い薄墨色の瞳を虹色に照らした。いつ見ても、彼の瞳は美しい。儚げで薄い顔立ちの彼は、光が当たると虹色に輝く瞳によって、なんとも人離れした華やかさが添えられている。そんな彼とは対照的ともいうべきか、今のシェンリンの瞳は前ほどの輝きを宿すことなく、加えて目元にはうっすらと隈が浮かび、どこか顔色が悪く見えた。子供を助けるためにと、炎で包まれた食糧庫へ入った際に焼かれた足は、出血が酷く、熱で溶けた靴とほぼ一体化していたが、モーユエンが霊力を使って綺麗に引き離してくれたおかげで、今ではなんとか元通りに戻り、じんじんと痛むものの、歩くことはできた。
「そんなそんな、どうか気にしないでください。私が貴方と話をしたくて、無理を言ったのですから。…貴方のご両親と、そしてルーロン村の火事のこと、哀悼の意を表します……」
ジーウェイは長いまつ毛を伏せて、悲しげな表情の浮かべてそう言った。
ルーロン村の火事から約半年。村を包んだ炎は、中々消えることはなかった。食糧庫から炎が燃え移り、残っていた家屋全てを焼き尽くし、ひと月が経ったところでようやく自然と鎮火したのだ。
「……恐れ入ります。しかし、国をより良くするためには、これらの出来事に耐えなければならないことだと思うのです。王になった以上、さらに酷いことが私を待ち受けているかもしれないですし……。これもきっと、私自身に与えられた試練……、そう思って、日々精進して参ります」
シェンリンが真っ直ぐな瞳でそう言うと、ジーウェイは一瞬驚いたような顔をした後、ふ、と困ったように眉を下げて、微笑みを浮かべながらシェンリンに優しく声をかけた。
「素晴らしい心意気だと思います。好きですよ、僕は。そういう考えって。…今のスイシュー国を収めるのは、正直とても大変でしょう。シェンリン陛下は、王になってまだ一年も経っていませんし」
そう言うと、ジーウェイは椅子から腰を上げ、ルイホワ国の中で一番大きな剣の稽古場が見える場所へと移動した。ルイホワ国の王族は、超人的な剣術を持ち合わせて生まれ、貴族や庶民がどんなに修行をしたとしても、その剣術に敵うことはない。そして、王族に生まれた証として、「唐菖蒲」の花を象徴するあざが、体のどこかに現れるのだ。シェンリンも、何度かジーウェイの剣術は見たことがある。しかし、彼女からすれば、ジーウェイよりもモーユエンの剣術の方が、美しく、動きが洗練されているように見えた。もちろん、そんなことは誰にも言ったことはないが…。
「……僕は、シェンリン陛下と歳は近いですが、国を納めた時間は貴方よりも長い。何か困ったことがあったら、なんでも聞いてくださいね。いざとなったら、戦略的な結婚でも、なんでもしますよ」
「もう、ジーウェイ陛下ったら。そんな冗談はよしてください」
温かな日の光が二人を包む。しばらくの間談笑を楽しんでいると、ジーウェイはふと思い出したように、顎に人差し指をあて、「あ、そうだ」と口にした。
「そういえば、貴方の護衛であるモーユエン殿がいるでしょう? 彼について、貴方に話しといたほうがいいと思った事がありまして…」
最後まで読んで頂きありがとうございます!
初の小説投稿! 週に1回、2週間に1回というペースで、頑張って投稿していきたいと思います。
自分が今まで考えてきた中で、一番複雑な話にする予定です!
ご愛読よろしくお願いします!




