『徳』が可視化された社会
「いいね」やフォロワー数が価値になる今の世の中って、ちょっと息苦しいよな。もし、それがもっと進んで、「良いこと」そのものが数値化されたらどうなる? そんなディストピア一歩手前の話。
そのシステムが導入された日、世界は変わった。
「徳政システム」。政府が鳴り物入りで始めた国民総幸福度向上計画だ。全国民の頭上に、半透明のメーターが浮かぶようになった。その名も「徳メーター」。
ゴミを拾う、お年寄りに席を譲る、ボランティアに参加する。そういった「善行」を積むと、メーターの「徳ポイント」が上昇する。逆に、ポイ捨てをしたり、悪口を言ったりするとポイントは下がる。
このポイントは社会生活の全てに影響した。高徳者はローンの金利が優遇され、人気レストランに優先的に案内され、就職にも有利に働く。逆に低徳者は、公共サービスの利用を制限されるなどのペナルティが課せられた。
僕は鈴木、しがない会社員だ。僕の徳メーターは、いつも平均より少し上、といったところ。目立つのが苦手で、人知れず道端のゴミを拾ったり、野良猫に餌をやったりする程度の、ささやかな善行しか積んでこなかったからだ。
社会は、露骨な「善行アピール」で溢れかえった。カメラの前でしか席を譲らない若者。SNSで「#徳活」とタグ付けして、見栄えのいいボランティア活動を投稿するインフルエンサー。彼らの徳メーターは、青天井で上昇していく。
さらに、システムには「徳いいね」機能が搭載された。他人の善行を見て「素晴らしい」と思ったら、スマホで「いいね」を押す。すると、自分の徳ポイントが0.1ポイントだけ相手に送られるのだ。これは、善行の奨励と社会の潤滑油になるはずだった。
だが、人間はいつだってシステムの穴を見つけ出す。
やがて「徳乞食」が現れた。駅前で「病気の母のために徳を分けてください!」と叫び、同情を引いて「いいね」を稼ぐ者たちだ。さらに悪質な「徳カツアゲ」も横行した。低徳者の集団が、高徳者を路地裏に追い込み、「いいね」を押すまで解放しないという新手の犯罪だ。
世界は、善行で満ちているはずなのに、誰もが他人の徳メーターを監視し、疑心暗鬼に陥っていた。息苦しい社会。僕は、そんな世界に嫌気がさしていた。
ある冬の日の夕方、事件は起きた。
僕が帰宅途中に通りかかった雑居ビルから、黒い煙が上がっていた。火事だ。
現場は騒然としていた。野次馬がスマホを構え、高徳インフルエンサーたちが「危険です、下がってください!」と叫びながら、その様子を生配信している。彼らのメーターは、その「人命救助(の呼びかけ)」によって、リアルタイムで上昇していた。
その時、悲鳴が上がった。
「子供が! 三階に、まだ子供が取り残されているんです!」
炎は勢いを増し、もう消防隊でも突入は困難な状況だ。インフルエンサーたちは顔を見合わせ、誰も動こうとしない。彼らの行動は、常に損得勘定に基づいている。リスクが高すぎるのだ。
僕は、気づいたら走り出していた。
野次馬の制止を振り切り、黒煙渦巻くビルの中へ飛び込む。熱い。苦しい。だが、構わなかった。
三階の奥の部屋で、泣きじゃくる女の子を見つけた。僕は彼女を抱きかかえ、燃え落ちる梁から身を挺して庇いながら、必死で外へと脱出した。
ビルから転がり出た瞬間、僕は意識を失った。
次に気づいた時、僕は担架の上にいた。頭上の自分の徳メーターが視界に入る。ポイントは、危険を顧みず他人を助けたことで、皮肉にも「自己中心的行動」と判断されたのか、ほとんどゼロに近かった。
だが、僕の周りを取り囲んだ人々は、スマホを僕に向けていた。彼らは、インフルエンサーたちに向けていた冷たい視線とは違う、尊敬の眼差しで僕を見ていた。
ピッ。ピッ。ピピッ。
無数の「徳いいね」が、僕に送られてくる。僕のゼロだったメーターは、見たこともない速度で上昇し始めた。
朦朧とする意識の中、僕は広場の大型ビジョンを見た。ニュース速報が流れている。
『速報:徳カツアゲで逮捕されたインフルエンサー、〇〇氏の徳ポイント、マイナスに転落』
そして、その隣に表示された、リアルタイムの全国徳ランキング。
一位は、爆発的に数値を伸ばした、見ず知らずの僕。
そして二位には、全く無名だった一人の老婆の名前が躍り出ていた。テロップにはこうあった。
『英雄的行為を「最初に発見」し、「いいね」を押したことで、ボーナスポイントを獲得』
ああ、そうか。
結局、この世界は何も変わらないのだ。
システムは、今度は「本物の善行」を投資対象に変えただけだ。名もなき英雄を見つけ出し、最初に「いいね」を押すことが、新たな徳稼ぎの手段になった。
僕の善意は、結局、新たな欲望の火種になったに過ぎない。
僕の頭上に輝く、膨大な徳ポイントは、ひどく空虚に見えた。
結局、システムで人を良くしようったって、人間はそのシステムの穴を見つけて悪用するんだよな。皮肉なもんだ。でも、それでも誰かのために動くヤツがいるから、世界はギリギリ保たれてるのかもしれない。