70 文化交流会2日目~慣れないこと~
◆
――優しくて、温かい声。
白くて綺麗な肌に、艶のある黒髪で少し長めの前髪。
海のように深い蒼色の瞳。
見え隠れする、悲哀の表情。
そして。
(やっぱり、感じない)
三日月は、出逢ってからずっと不思議に思っていた。
それはセルクから、力(能力・魔力)をほぼ感じないこと。
しかし、まったく、何ひとつ感じないという訳ではない。
そう、あの日。
一瞬だけ感じたのが、“モノクロ”の景色だった。
思わず口にした、その出来事に。
――『時が来たら話す』
(星様は、そう言ってくれていたけれど)
彼が放つ存在感。
そして『時空の波音』が聴こえてきそうな雰囲気。
(でも感じない、力)
それはまるで。
未知の世界と言われる――見えない深海のようだと、彼女は思った。
そして静かに、瞳を閉じる。
(……深い、深い、海の底)
海の深い場所にも届く、青い色の光。
でもいつか、その青い光も届かなくなってしまう。赤色も、青色も、同じように暗く、深海ではすべてが黒くなって見えなくなるのだろうか。
◆
そんな想像をしながら三日月の瞳が月明かりを受け入れると、その視界に潤んだ蒼色の瞳が映る。その美しさは、何度会ってもぼーっと見惚れてしまうのだ。
ゆっくりと階段を下りてくるセルクを、座ったまま体を傾け目で追っていた三日月の瞳はキラキラと煌めく。彼はそんな彼女を眩しそうに見つめ笑むと、目の前に立った。そして、昼の太陽とは違う光――柔らかな月の光を浴びながら、『では』の後を話し始める。
「改めまして。麗しき『織姫様』」
「んにゅッ!?」
突然の言葉に驚いた三日月の口から出たのは、可笑しな声。同時に心の中では様々な気持ちがぐるぐると回る。
ーー ☆ 心の声ぐるぐる ☽ ーー
た、たしかに今日は『七月七日、七夕』で。
わたしのお誕生日……ですが!
お、織姫様って!?
そんな風に呼ばれたことは一度もなくって。
生まれて初めてで……ひ、ひめって。
言われたこと、ないのですーッ!!
ーー ☆ 心の声、尽きる ☽ ーー
「はぅ……」
三日月は、自分の顔と耳が真っ赤っかに火照っていくのを感じ、恥ずかしすぎると呟きながら、目の前に立つ彼とは目を合わせられずにいる。そんな思いをセルクは知ってか知らずか。
「こちら、ご一緒しても?」
と、爽やかに。
対して動揺気味な彼女は、頑張って声を絞り出す。
「ぅは、ハイ! ここはわたし一人の場所ではないので。あの、お気になさらず……って」
――あれっ?
(このやり取り、初めてここで星様に出逢った時と同じ。でも、あの時とは、何かが違う)
「ふふ、ありがとう、織姫様」
「はゅッ! ほ、星様……その、織姫さま……というのは、ちょっと」
(やっぱり恥ずかしすぎますー!)
「お気に召しませんでしたか?」
「あーわわわわ! いえ、そのような意味ではぁ……なくて……そのぉ」
「では、なんとお呼びしましょうか?」
(星様! いつも通りで良いのです)
穏やかに微笑みながら、彼はどう呼んでほしいかを彼女に問う。しかしもちろん三日月からは、何も言えず黙ってしまった。
さらに、りんごのように赤くなった頬を、彼女は自分の両手で隠す。
するとセルクが「では、今夜だけ“内緒の愛称”にしよう」と、嬉しそうに次の呼び名を提案した。
「そうですねぇ……では――“月姫様”はどうでしょう?」
なぜか丁寧口調で話すセルクの声は弾んでいるが、それが逆に彼女の心をまた緊張させてゆく。
「あ、えっと。いつもと一緒で、おねがいします!」
「そうですか、それは残念……」
「えっ」
(残念……なんだか、悲しそう?)
少しだけ眉を下げ、寂し気な表情を見せたセルクを心配したのも束の間。彼はすぐに笑顔を浮かべ、再び彼女の緊張が一気に解けるような台詞を口にする。
その時に差し伸べられた手のひらは、ふわっと優しく三日月の方へ。
「ほ、ほし、さま?」
「やはり、特別な日に相応しくしたい……なぜなら僕にとって、本日の主役は【三日月】だから」
「――ッ!」
(うぅーまたわたしが言われ慣れてない言葉を、涼しいお顔でサラッとぉー!)
「うん、決めた。月姫様とお呼びします」
(もぉーお返事なんて無理です。言葉出ないし、お顔も見れない、恥ずかしいです~、ほっぺたが燃えそうです! もぉーダメデス!!)
「フフッ」
(月は、本当に可愛いな)
「あ、あの、ひとまず、どぉぞ星様……こちら、お座りくださぃましぇう……」
セルクが心の中で呟いた言葉はもちろん三日月には聞こえていない。それでも、彼女の頭の中は恥ずかしさでグルグルパニックだ。しどろもどろになりながらも何とか絞り出した彼女の声は裏返り、だんだんと小さく、身体も縮こまる。
「ありがとうございます、月姫様」
右手を胸に当て挨拶をする彼。その立ち姿に彼女の鼓動はドキッと高鳴る。
(星様はいつだってキラキラして。笑顔が眩しいのです……)
優しく笑い答えたセルクは、フェードアウトしていった三日月の声量に合わせるように、小さめの声で囁く。そしていつもと同じで少し間を空け、隣へ座った。
(心臓が……ドキドキして止まらない!)
夜の階段が静か過ぎて、自分の鼓動音が周囲に響いているように感じる。その心音がセルクに聞こえてしまわないかと心配な三日月は目を瞑り、胸に手をぎゅっと当て抑えると、浅い深呼吸で心を整えた。
(最近のわたしは、やっぱりおかしいのです)
しばらくして。
二人の静寂に溶け込む穏やかな月の光と、澄んだ空気。
聞こえてくるのは、微かな風音。
その時間はゆっくり、ゆっくりと、穏やかな波のように流れゆく。
――あっ。
(星様の艶々の黒髪と横顔が、淡い月明かりに照らされて……)
『素敵……』
(男の子なのに。すごい綺麗なお顔立ちをしていて、羨ましいくらい)
彼女の瞳は隣に座る彼へと向き無意識にそう呟くと、頬を染め視線を落とす。
――そう。
(君の美しいホワイトブロンドの髪が、月の光に同調しているようで……)
『綺麗だ』
(その潤んだ瞳も。君の姿すべてが輝いて、この星空よりも美しい)
彼もまた、彼女の横顔に見惚れ、聞こえないほどの小さな声で呟き、想う。
静かに過ごすこの時間が、お互い心地よい存在であるということを、改めて気付かせた。
「月姫様」
「ふぁ、はぃ星様。どう、したのですか?」
背筋が伸び、なんとなく丁寧口調になる。
その様子に、セルクは嬉しそうに笑う。
「……わ、笑わないでください」
「笑ってないさ。ただ……可愛いな、と。ふふ」
「――っ! もぉ……」
(慣れない、いつまでたっても、慣れません!)
少しだけ頬を膨らませた三日月だったが、彼とパチッと目が合うと、一緒になって笑ってしまった。するとセルクが、思わぬ言葉を発した。
「月姫様。これから、良かったら一緒に……外へ出てみませんか?」
「お外……ですか?」
(ということは、やっぱり星様は舞踏会に行かなきゃいけないのかな。それとも、どこか別で、行きたい場所がある?)
丁寧口調のままのセルクから言われ、迷う三日月の心奥には『ゆっくりと落ち着けるこの場所でこのまま過ごしたい』との思いがありまた、それが本音だ。気持ちを隠しきれない彼女の表情は、少々困り顔になるが、しかし。
それでも、彼からのせっかくの誘いを断りたくはなかった。
(星様には、いつも色々とお世話になっているし……太陽君とユキトナ様のダンスも見なきゃだし)
どちらにしても、時間になればまた外に出る。そう思いしばらく葛藤した末に決意した彼女は、明るい笑顔で「ぜひご一緒させてください」と返事をすると、すぐに敷いていたシートをテキパキと片付けた。
「お待たせしました」
「いつもながら、片付けるのが早いね」
「い、いえ。こういうのは慣れていますので」
「ゆっくりしていたのに、すまない」
「そんな! お誘いいただき嬉しいです」
「ありがとう、月姫様」
「う゛……い、ぃぇ……(その呼び名には、慣れませんー)」
何事も、続けていけば慣れるもの……でもないかもしれない。




