69 文化交流会2日目~世界~
◇
「では月さん、くれぐれもお気をつけて」
「はい! ありがとうございました」
その後、三日月は元気いっぱいの笑顔でお礼を言うと、ラフィールと別れた。
三日月が裏道へ来た理由――夜会(舞踏会)の参加をなんとか回避したかったという話を聞いたラフィールが、今回は笑って許してくれたとはいえ、交流会の開催で、王国内外から多くの人々が学園内の催しを見るため来場しているこの期間。当然ながら厳戒な安全対策がなされているが、しかし。
すでに辺りは薄暗くなっていた裏道を、彼女が一人で通っていたことについては厳重注意――「危ないからやめましょう」と、常に危険を予想した行動と警戒心を持つよう念を押された。
(ラフィール先生はとても優しくて、厳しくて。そしてかなりの過保護なのです)
よほど心配だったのか。
さらにラフィールはわざわざ、外灯があり安全が確認できた場所まで、彼女を送ったのだった。
「送ってくださるなんて。ありがたいけれど……お忙しいのに、わたしの勝手な行動のせいで本当に申し訳なかったのです(反省)」
(でも、まさか両親からわたしのことを頼まれていただなんて、知らなかったぁ)
入学前の面接試験で、学園始まって以来の強い力を持つ子だと言われた三日月はその後、魔法実技の授業について、クラスメイトとはまったく違う特別メニューを、別の場所で受けている。その指導をする先生が、自分の親と連絡を取り合い方針を話し合っていたとしても、何らおかしくない。
「はふぅ~……夜は涼しいですねぇ」
それからしばらくして、三日月は周りに集まってきた可愛い精霊たちと、穏やかな風を感じながらのんびりと歩いていた。
「そういえば……」
(最近、ずっと賑やかだったなぁ)
ふと、考える。
思いもよらない出来事ばかりが起こった、この数日間。いや、セルクと出会ったあの日から、彼女の環境は変化したように感じる。
「なんだか今年の交流会は大変だったけれど、結構楽しかったかも」
(メルルとティル、ユイリア様にメイ。それから……)
「太陽君の秘密も、明かされちゃって? うっふふ」
そう。
他にも色々あった、あり過ぎた。
彼女は心も体も頭の中も、正直疲れたなと目をつぶる。しかしなんだかんだ、大勢の人たちと素敵な時間を過ごせたということが、今は素直に喜べていた。
それでも。
「んーっ! やっぱり。こんな風にゆっくりな“ひとり時間”が、わたしには気楽で必要なのかも……」
太陽たちと別れてから、歩いた道。こうした静かなひとり時間が、もしかしたら寂しく感じる? と、珍しい感情を持っていた。
だが実際、今は寂しくない。
むしろ彼女の気分は上々だ。
その足取りは、スキップしてしまいそうなくらいに軽い。
「はぁ~キレイ」
すっかり暗くなった空を見上げ、呟く。
ふと、頭の中を過ぎったのは――。
――『今宵の“月”は、とても美しく輝くだろうね』
ついさっき、よそ見をしていてぶつかった、理事の言葉だった。
「今夜の月は美しく……かぁ」
ゆっくりと瞬きをして、再び夜空に視線を送ると見えてきた星屑に、想う。
「いつもよりもずっとキラキラしてて……」
夜も天気は晴れ。
澄んだ空に瞬く星は、普段以上に輝いて見えた。微笑みながら少し首を傾げた彼女。すると不思議なことに、今ここにはいない理事の声がどこからか聴こえてくるような感覚になる。
――『そうだね。あれは、綺麗な――“三日月”だ』
「綺麗な三日月かぁ……うふ! 理事様、わたしも“三日月”なんです! なーんちゃって」
知っているはずないのにね〜と、ちょっぴり大きな独り言に周りをキョロキョロ、恥ずかしくなる。
(理事様は、きっとお月様が好きなのね)
去り際、初対面の三日月にわざわざこの日の月夜について話すくらいだ。今宵の月には、きっと特別な何かが――意味ある月夜なのかもしれないと、最高位紋章の記章を付けた偉い方の心を推察しながら彼女は再び微笑んだ。
「それにしても本当に。今夜は綺麗な月……」
(わたしもこの夜空でキラキラ煌めく星と、美しく輝く三日月のように……)
彼女は『皆の心へ光を与えられるような大人に成長したい』、そんな想いを心奥で呟く。それは誰にも聞こえない、自分だけが知る心の声――想い。
それからまた、ゆっくりと歩みを進める。
「うーん。今から、どこ行こう」
今、彼女が歩いている場所は中央広場と違い、人はまばらで休憩しているような人ばかり。雰囲気は落ち着いていて悪くないが、出店はもちろん、座れそうなベンチも空いていない。太陽たちの参加する夜会が開催されるまでの待ち時間をどう過ごそうかと、三日月は行き先を決めかねていた。
(このまま歩いていてもなぁ……)
「あッ」
(そうだ、決めたッ!)
――いつもの場所♪ わたしの大好きな、あの場所へ行こう!
◇
彼女が目指したのは、日々ひとり時間を満喫している場所――あの階段だ。
タン、タン、タン……。
屋上扉前の六階、お気に入りの居場所。
ゆっくりと階段を上る自分の足音が、高く響いて聞こえてくる。思えば暗くなった時間(夜)に、ここへ来るのは初めてだなと、三日月の心は恐怖よりも、なんだかワクワクして高鳴る心臓音を感じた。
(明るい時間に来る時と、別世界にいるみたい……)
もうすっかり慣れた階段の一段一段を踏みしめて、彼女はあっという間に屋上扉前の定位置に到着する。
「ふぅ~」
建物内はまるで時が止まったかのような、驚くほどの静寂に包まれていた。
「おっと、そうそう♪」
そして三日月は、ひとり時間をいかに有意義に過ごすかということに関して、とても準備が良いのである。
持ち歩いているバッグの中には小さめのピクニックシートを常に持参。ちなみにこの日は、広がる草原で空には星と月がキラキラと刺繍された、可愛い絵柄のシートだ。それをいつも通り、上から三段目に敷き、ゆっくりと座った。
(静か……賑やかな所も楽しいけれど、わたしはやっぱり、まだ苦手なとこあるし)
「やっぱりここが、一番落ち着く」
(でも、急に、なんだかちょっとだけ寂しい気が)
「っ! て……なっ、なぁーんて、ネ?」
気のせい気のせいと、彼女は思いきり羽根を広げるように、うーん! と伸び伸び。すると緊張感いっぱいで凝り固まっていた心身の力が抜けてゆく。そして気持ちいいーと、後ろにのけぞった。
「はふぅ、なぁんか不思議な景色……」
――逆さの世界だ。
伸び伸びして、ゆっくりと開けた瞳に広がる視界で、逆さに映った屋上扉。差し込む淡い光が穏やかで、その癒しの力を受けるように心は温もりに包まれ沁み入ってくる。
――月光。
三日月はしばらく、その光をぼーっと眺めていた。
すると。
「おや? 偶然だね」
「っ……ふぇ?」
――あ。
見覚えのある光景に、彼女は目を疑った。
月の光は三日月とは思えないくらい、満月よりも明るかった。おかげで太陽の逆光のように、人影がその目に写る。
――あの日と、同じ。
聞き覚えのある声。
落ち着いたトーンで、少し高めの優しい……声。
(わたしの心は、やっぱりポカポカするの)
「星様……」
「うん?」
「……」
まるで。
ふと寂しいと感じた『心の声』が届いたかのように、彼は彼女の前へと現れた。
「ふふっ……そんなにビックリしなくても」
そしていつものように、彼は微笑む。
三日月はセルクに気付いた瞬間、自分でも分かるほどに顔が火照ってしまい、心臓の鼓動は聞こえるくらいにドキドキと音を立てる。
「あ、ぅ……え、あの、どうして、ここに」
三日月が困っていれば、どこからともなく駆けつけ助けてくれる。昼休みはここで、楽しく話したり、ランチをしたり……いつも親切で仲良くしてくれるセルクに、彼女は心から感謝していた。
――それでも、彼は上流階級のお坊ちゃまなのだろうということに、変わりはない。
そう、今夜は文化交流会二日目。
一年の中でも大きなイベントとされる舞踏会が催される日だ。それに彼が参加しないはずがないと、三日月は幻でも見ているかのように目を見開き、驚きを隠せなかった。
そんな彼女の考えを察したのか、セルクは真剣な表情で口を開く。
「前にも話したけれど、僕は賑やかな場所が苦手だ。人が多く集まるイベントは、昔からあまり得意ではなくて……ましてやダンスなんて。将来の僕には必要ないと逃げ回って、よく子供の頃から叱られていたよ」
「えぇっ! 星様が」
(逃げ回る……小さい頃の星様が……想像するだけで、なんだか可愛い)
「うん。そう、僕は……」
そこまでで一度、口を噤んでしまう。いつもはなんでも流暢に話す彼が、言葉に詰まったのだ。初めての状況に三日月は眉尻を下げ心配そうに見つめる。その視線にハッと気付いたセルクはいつものように優しく目を細め笑むと、話を続けた。
「僕は、ずっと。幼い頃から、周りとは違う特殊な訓練を受けてきた。だからかもしれないが。“戦い”――に関連のない事柄については、全く興味がないと言ってもいい」
「……」
(『戦い』――いつかは起こるかもしれない、【悪】との戦闘……ということ?)
その点は同じく、三日月も幼い頃から両親から厳しい訓練を受けてきた。が、しかし今、目の前でそれを語るセルクの一語一語からは、彼女が経験してきたよりもっと深く、苦しく、ズンと潰されるような重さをも感じさせる。
表情や声色はいつものセルク。
それでもどこか違和感を感じる三日月は、彼が言葉を選びながら慎重に話しているという印象を受け、そしてそこには、蒼い瞳の奥に揺らぐ暗い表情が垣間見えたのだ。
「あぁ、少し話が逸れてしまった、ごめんね。なんていうか、僕は夜会に参加したくないという話で、それでここへ逃げてきたんだ」
セルクはそう言うと、ははっと笑う。
「そう……だったのですね」
(夜会から逃げてきたのは、一緒なのだけれど。わたしみたいに、ただ出たくない! という、子供っぽい理由とは違う気がして)
――もっと、別の意味があるように思えてならない。
三日月は珍しく、真剣な顔で考え込む。
(月……キミにはそんな顔、似合わないよ)
――ずっと、いつも、笑っていてほしい。
セルクは困り顔で心の中でそう呟く。
すると急に、彼の周りから心地よいそよ風が吹き、彼女の頬を撫でた。
瞬間――少し重くなりかけていた空気が一変、ふんわりと柔らかな雰囲気に屋上扉前から階段までが包み込まれてゆく。
「え、あ……」
クスッと笑いながら、セルクは屋上扉前から階段を下りてくる。
「では」
「?」
それから彼女が頬を真っ赤にしてしまうような言葉を……いつものように、さらりと発するのだった。




