04 ランチ
ある日突然、三日月の前に現れた、不思議な雰囲気を持つ彼。
――『美味しそうに食べるね』
その穏やかで温かみのある声は、澄んだ美しい小川のようにさらさらと流れ、三日月の心奥に沈む氷を優しく溶かすように、沁み入ってくる。
(あの、落ち着く声や言葉が……)
「どうしてかな。ずっと頭から、離れない」
◇
大きな口を開け、はむっ! とサンドイッチを頬ばる瞬間を、不思議な彼に目撃されてから、早一ヶ月。
三日月お気に入りの場所(居場所)である屋上扉前の階段へ、週に何度か彼は来るようになった。そしてランチ時間を何度か一緒に過ごしている間に、彼女は自然な笑顔になり、話せるまでの距離感になっていた。
(それでも、まだやっぱり……慣れきってはいない~というのが本音なのです)
彼の方は、というと。優しい気遣いはもちろん、三日月がどんな反応や受け応えをしていようとも、変わらず穏やかな表情で話す。
初めて会った日に三日月の歯切れの悪い口調やぎこちない様子で、人見知りだというのが伝わっているのだろう。彼は座る場所も毎回同じように、少し距離を取る。
(隣の隣……ぐらいなのは、変わりませんが)
そんなことを考える三日月の顔を、今日も横目で見つめながらニッコリと微笑み、楽しそうに質問を始めた。
「今日は、何を召し上がるのですか?」
「あっ、えっと今日は、ですね。か、可愛いうさぎちゃんクリームパンです!」
(はぅ~……話し始めが一番ドキドキするよぉ)
一言一言、答えるだけでも緊張が顔に出てしまう。
「おぉ~なんと見事なうさぎちゃん。これも自分で作っているのですか!?」
「は、はい、子供の頃からパンが大好きで。色々と作るようになりまして……」
(あ、あれ? なんだか、すごい嬉しそう)
ほんの少し、いつもよりも滑らかに話すことができ、ホッと胸を撫でおろした三日月。今日は二人の間に流れる空気が、軽く感じられた。
「すごい! こんなに綺麗に焼けるなんて……僕もパンは、大好きですので」
「エッ? あ、えへへ。ありがとうございます。パン好き、一緒ですね」
彼との会話は、こうしたランチの中身を聞くことがお決まり台詞のように始まり、やり取りする。これがいつものことなのだ。その三日月が毎日手作りで持ってくるお弁当に、彼はとても興味津々で聞けば『すごい!』と言い、感動する。おかげで毎回『何を作ってきたのか?』と、聞かれるのが楽しみになっていた。
「本当に! 料理が出来るのもすごいことだけど、こんなに可愛いパンを家で焼けるとは、とても素敵な趣味だよ」
「え? あ……ありがとう、ございます」
――褒められた? って、趣味?
もともと趣味のない三日月は、彼の言葉でふと気付く。
(お料理は好きだし、これが『趣味だ』って、言ってもいいのかな?)
そして日々、ただただ好きで手作りしているだけの料理について、色々と聞き楽しんでもらえるのは、嬉しい。
(すごい! と、いつも言ってもらえるのは、素直に嬉しいのです)
彼と話す話題。
そのほとんどが毎回こんな感じで食べ物のことばかり。互いに「食いしん坊だね」と、いつも笑い合っていた。
「あ……」
ふと、なぜかあの日の光景が――初めて彼に会った、あの日の出来事を。
「……(恥ずかしい)」
自分で自分の「はむっ!」を思い出し、顔は真っ赤っか。
頬は熱くなる。
(大きなお口、開けてたんだよねぇ)
そう思いながら隣に座る彼の顔を、チラッと見る。そして無意識に溜息をつきながら、唇はへの字になってゆく。
するとそれに気付いた彼が少しだけ首を傾げ、声をかけた。
「どうしたの? 何かあった?」
「えッ! な、何でもないー何でもないですよぉ。あっはははぁ」
(いけない。目が合ってしまった!)
逸らす間もなく彼と目が合い、さらに恥ずかしさが倍増した三日月は、とてもじゃないがこれ以上の会話は無理だと、顔すら合わせられなくなる。
その気持ちを知ってか知らずか。
彼は珍しく揶揄い口調で笑み、話しかけてくる。
「ふふっ、ねぇ」
「は……ぁひ(はい)?」
「今日は『はむっ!』と、食べないの?」
「んにゃふっ! な、にゃんで、そ、そそ」
(そんな! 考えてることが分かるというのですかぁー!?)
考えていたサンドイッチのことを言われ、まるですべてお見通しと言わんばかりな彼の表情は柔らかく、またふふっと笑う。
そして優しく、綺麗な深い蒼色瞳を三日月と合わせる。
(うわぁ! そのキラキラした瞳は、反則ですよぅ)
「ふふ……」
「なッ! えーっと、た、食べますよぉ。お腹すいていますので」
どぎまぎ答えた三日月は、ペーパーナプキンでクリームパンを取り、顔の火照りを落ち着けるため少しの間、瞳を閉じてじっとしていた。
すると――。
「そうか、なるほど分かりました」
「わ、分かったって。んんっ? あの、えっと」
(まだ、顔の火照りが落ち着かないー)
瞑るまぶたの向こうで、彼女はその声の主から発せられる温かく優しい視線を感じる。続けて彼は、問いかけてきた。
「うさぎちゃんが可愛すぎて、クリームパン、食べられなくなっちゃったのかな?」
「――!」
結局気持ちを落ち着けるどころか、また自分の顔が赤くなっていくのを感じる。その反応を見て彼はまた、悪戯な表情でクスクスと笑っていた。
(揶揄わないでぇー!)
心の中でそう思いながらも、りんごのように赤くなった両の頬を――顔を、両手で隠す。
「そんなに笑わないでください!」
「ふふっ、ごめん、ごめんね? でもなんだか、可愛くて」
「か……かわっ、ぅ」
そんな言葉をさらっと言ってしまう彼に、戸惑う三日月。
その姿に――。
「ふふっ……」
(また『ふふっ』と、笑っている)
(とても楽しそうに、笑っている)
――これは、絶対に! 揶揄われているぅー!!
「もぉー!」
ぷんっと顔を背けた三日月に、彼の言った「可愛い」の言葉が浮かぶ。
(だ、だいたい男の子なのに、そんな『うさぎちゃんが可愛すぎて』という表現を出来る彼の方が、うさぎちゃんクリームパンよりも可愛いのでは?)
「怒った顔も、可愛いです」
「うぅぅー」
(だからぁー、揶揄わないでくださーいッ!!)
そう心の中で叫ぶ、ほっぺはポカポカ真っ赤な三日月であった。