64 文化交流会2日目~考え事~
時刻は、午後五時半。
まだ外は明るく、綺麗な夕陽が見えている。
噴水のすぐ近くにある、天蓋とカーテン付きの可愛いプリンセスベンチでうたた寝をしてしまった三日月は、眠りの中で見たいつもとは違う光景と、突然聞こえてきた声が頭の中でぐるぐると回る。
(きっと、わたしが忘れてしまっていることがあるんだよね)
「暗闇の中……悲しい色と……あの景色が……」
それが何だったのか?
(今なら思い出せそうな気がするのだけれど)
彼女の夢が見せる記憶のページは、一秒一秒流れ時が経つにつれ、ぼんやりと靄がかかってゆく。まるで何モノかに隠され、邪魔されているかのように。
「そういえば……」
(目覚めてからすぐに、聴こえた声)
「あの『月の加護』って、どういう意味だったのかなぁ」
最近見るようになった、悲しい気持ちを呼び起こす夢。そんな三日月は、幼き頃に起こった事件の記憶が戻ったわけではない。しかし、噴水広場のうたた寝で触れた空気に、何かを感じていた。
「はぁ……いーっつも夢の内容は起きたらすぐに忘れちゃうし、さっきの声も、聞こえたと思って振り返ったのに誰もいないし……」
ちょっぴり頬を膨らました顔で、ぶつぶつと独り言を呟きながら歩き進む。
「あーもしかして、あれは『空耳』?!」
いや、そんなはずはないことくらい彼女が一番よく解っている。なぜなら急ぐ彼女の足取りを止めさせ、悩ませるくらいに明瞭な声だったからだ。
「うーん」
しかし結局、いつもと同じでだんだんと夢の記憶と光景は消えてゆく。もうこうなってしまうとどうしようもない。諦め気分な三日月は結局、モヤモヤした気分のまま、ふと顔を上げる。
すると。
「ん、あ、出口?」
あっという間に、噴水広場の出口近くまできていた。考え事をすると周りが見えなくなってしまうのは彼女の注意すべき癖である。少し反省しながらゆっくりと振り返り、自分が歩いてきた道を見つめる。
(なんだかんだでのんびり休めたし、可愛いベンチで心地よい時間を過ごせた)
そう、それが一番印象に残ったことであり、彼女はその素直な思いを自然と口にしていた。
「神秘の水精霊様。素敵な時間を過ごさせていただきありがとうございました」
――“ぽちゃん……”
「えっ……」
(水の、音?)
三日月のお礼の言葉に反応したのか?
遠くでキラキラと光の精霊たちが楽しく遊んでいるのが見える。美しい水面に浮かぶように触れ、踊る精霊の姿は一瞬で目を奪われた。
「なんて、綺麗なの……あ、でも」
名残惜しくも先を急ぐ彼女は輝く精霊と水の和音を奏でている噴水へ、再び感謝を込め丁寧にお辞儀をすると、噴水広場の出口へ向かう。
(あぁ、やっぱり時計着けてくればよかったなぁ)
誰しも時間が分からないと、落ち着かずそわそわするものだ。しかしそんな心配はいらなかったようで、そこから少し歩くと、最初に通ってきた輝くひまわりのアーチが見える場所まで、無事に到着出来た。
「やっぱり、クラスのみんなも舞踏会に出るのかなぁ……」
(あっ、そういえば)
――星様も、上流階級のお坊ちゃま……だよね?
「じゃあ出なきゃいけないんだねぇ。お相手は……って! なに考えてるの、わたしってば?!」
ふと、セルクのことを考えていた自分が信じられない。頬を染め立ち止まった彼女が頭をぶんぶん振り心を鎮めようとしていると、誰かが声をかけてきた。
「噴水広場は、お楽しみ頂けましたか」
「ひ――っ(誰ッ!?)」
背中に響いたのは、心地良い中音域の声。突然のことにビクッとした三日月は、ゆっくり視線を後ろへと移す。
「……」
「……」
無言で向き合う。相手はニコニコだ。ひとまず彼女も愛想笑いに努める。
「驚かせてしまい申し訳ありません。一つご案内を、と思いまして。こちらのドームは午後十一時まで開いており、外が暗くなりますと、噴水周りのライトアップがなされ、これもまた神秘的で綺麗です。どうぞ、お時間ありましたら、ぜひ」
「……はい、ありがとうございます。では、失礼します」
「えぇ、またのお越しをお待ちしております」
顔をよく見ると、この大きなドームへ太陽たちと入る際、入口にいた受付の男性だと思い出す。その品格ある雰囲気と笑みに何となく緊張しつつも、お礼を言った彼女はササっとその場を後にした。
「はぁ……」
(なんだろう。悪い人じゃなさそうだけれど、ちょっぴり変な気分)
「びっくりしちゃったからかな」
噴水広場から出ると、周囲の動きが早く感じられ、急に空気の流れも変わる。
「そうそう、わたしも急がなきゃ!」
(この流れに乗っかって、早くドームを出ちゃおう!)
三日月は周囲の慌ただしい様子を横目に、目立たぬよう通り過ぎる。
(……夜はもっと、幻想的なんだろうなぁ)
さっき案内された今夜限定の素敵な催し。なぜか、その噴水広場の美しいライトアップの話がふと気になり始め、頭から離れなくなる。それから、文化交流会一日目から起こった様々な出来事を思い出し、再びぼーっと歩いていた。
てくてくてくてく…………。
(太陽君とユキトナ様のダンスは、絶対見たい!)
「でもなぁ……」
(始まるまで、どこにいようか)
てくてくてくてく…………ドンッ!
「んきゃうッ!」
「おっ……と」
「あわわわぁー、すっすみませんッ!」
(あぁぁ、わたしってば! よそ見しちゃってた。たいへんだぁ)
考え事に集中するあまり、彼女は思いっきり人にぶつかってしまった。
「申し訳ありません! あの、お怪我はないですか」
「あぁ、大丈夫だよ」
「本当に、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げ、お詫びをする三日月。
「いや、君こそ大丈夫かい?」
「は、はい。だいじょ……ぅ」
――エッ。
彼女は頭を上げる一瞬で視界に入った“記章”を見つめ、硬直する。
「考え事かい?」
「ひょッ?!」
なにやら深刻な顔に見えたのか? ぶつかった相手は怒ることなく、逆に三日月を気にかけた。だが話しかけられた本人はというと、緊張しすぎて上手く声が出ず、言葉にならない。
「おや、どうしたんだい?」
「ぃぇ、あの、う……」
――三日月がぶつかった相手。
ここまで彼女が緊張してしまうのには、初対面ということの他に理由があった。なんとその人は、学園の中でも偉い方とされる【最高位紋章】の記章を付けていたのだ。そしてすさまじく強い、独特のオーラを放つ。
しどろもどろになる三日月の緊張が伝わったのか。話は早々に切り上げられる。
「今回は何事もなくて良かったですが、よそ見をしないで、きちんと前を向いて。気を付けて歩きなさい。可愛い生徒に、怪我をしてほしくはないですからね」
「はい、気を付けます」
そして再度、深々と頭を下げる。
「はは、そこまでしなくても怒ってはいないから。そうそう、人にぶつかるとは余程のことだろうね。何か悩みや困ったことがあれば相談にきたまえ」
「いえ、そんな、あの」
「私はこの学園の理事を務める者だ、遠慮はいらない」
(ひょ、ひょえぇぇーッ)
「いえ! め、滅相もございません!」
――さ、最高位……しかもまさかの理事様!!
三日月は大変な方にぶつかってしまったなと、心底猛省する姿に理事は笑うと、薄暗くなり始めた空を見上げ、ぽつり。
「今宵の“月”は、とても美しく輝くだろうね」
「?」
「そうだね。あれは、綺麗な――“三日月”だ」
「つ……き?」
そして笑みを浮かべた理事は少し腰をかがめ、彼女の耳元で静かに囁く。
『君の顔は覚えておこう』……と。
そうして意味深な言葉と表情を残し、理事はスーッと風のように去って行った。
(えーっと、どういうことだろう)
「んぁぁ、ダメだぁ」
この出来事で、三日月はますます考え悩むことが増えてしまう。
バタバタバタ……。
(あ、いっけない)
そうこうしているうちに、周りの雰囲気がさらに慌ただしくなってきているのに気が付く。そろそろ、夜に開催される舞踏会の最終準備が始まったようだ。
「舞踏会って、中央広場であるんだったよね」
(ここは、絶対回避しますっ!!)
何としても舞踏会への参加を避けたい三日月は、人目につかない裏道を通り、どこか安全な所に、身を隠そうと考えた。
(安全なトコロ……って、うーん?)
この『道』の選択が思わぬ結果を招いてしまうなどと、彼女は夢にも思っていないのだ。




