42 文化交流会2日目~癒しとは~
◇
「……ん」
(いい、香り)
大好きなフレグランスに誘われるように、三日月は心地よい気分で目を覚ます。
寝ぼけ眼で少しずつ光を取り込んでゆくその瞳は一瞬煌めき、いつもの『色』に戻った。そしてぼんやりと目に映る天井――そこは見慣れた自分の部屋ではないということに気付く。
(ここは、どこ?)
どれくらいの時間が経ったのだろう。
頭はぼーっと思考は鈍く、まだ少し身体が重い。
寝起きだからか、それとも大会で魔力消耗をし過ぎたせいなのか? どちらにせよ、今の彼女にその訳を考える余力はない。なぜなら起き上がるのすら億劫なほどの脱力感で、正直何もする気が起きないからである。
しかしどこかで見たことのある景色と雰囲気に、三日月はホッと深い安堵感に包まれていた。
“ふわっ”
「あ、これって」
(すごく、好きな香り)
「珈琲……」
そう呟くと、再び瞼が閉じる。このまま眠ってしまいそうだなんて思いながら、穏やかな空気に三日月の心身は完全にリラックスモード。
夢と現実の間をふらふらとしている感覚で、ふと――さっき見た天井が、頭の中で再生される。
「ん?」
(ちょっと待って。キラキラの光が溢れる天井に、ぷかぷか、ふわふわ浮かんでいる可愛い精霊さんたちがたくさんいる……ココって)
そう、三日月は気付いてしまった。
「まさかぁぁーッ!?」
がばっ!
つい数秒前まで感じていた身体の気だるさも忘れるほどの、大変な事態に。
「おやおや? ふっふふふ……月さんビックリ! お目覚めのようですねぇ」
どこからだろう。少し遠くから聞き覚えのある優しい声が、三日月の耳へと聞こえてきた。
「あ~、あの、はぅ」
(えーん!)
穏やかな安心感に満たされていたこの場所は、信じられないことに、大会前お邪魔したラフィールの部屋であったのだ。この衝撃的な出来事に飛び起きた三日月は思わず大きな声を出し、それが先生のいる部屋まで聞こえクスクスと微笑されてしまう。
(はぁ、もう~やだぁ)
恥ずかしい~とリンゴのように真っ赤になった彼女は、ベッドに正座状態で布団をかぶり顔を隠す。心の中では「落ち着こう」と呟いて目を瞑った。
そして、考える。
『今日わたしは、魔法アーチェリー大会の会場にいて無事競技を終えて、先生も応援で来てくれていて、その後は、あれ?』
(うーん……)
「思い出せません!」
テヘッ!
しかし自分がここにいるということは、おそらく解除した魔力を使い果たし気を失ってしまったのだろう。結果的に、周囲へ迷惑をかけたことには変わりないのだという結論に至る。
(あぁ、せっかく【鍵】の使用許可をもらえて、これまでの魔法訓練の成果を確認できる初めての機会だったのになぁ)
「そういえば、結果もどうなったのか、な……って、いーやいやいやいや! そんなことよりも、わたし! どうしてラフィール先生のお部屋にいるの?!」
ぼそぼそと独り言を言い再び自分の行動や状況分析をするべく、布団から顔を出した三日月は、もう一度この部屋へ来るまでの記憶を辿ろうとする。
「えーっと。予定通り大会に参加して、攻撃が無事終わってから、『成功したぁ、わーい!』って、舞い上がって喜んで。そしたら急に矢が飛んできて、ユイリア様を助け……うーん? 助けた……助けれたんだよね? あれぇーもぉー」
どうやらまだ、混乱しているらしい。
それでも一生懸命に思い出そうとした三日月だったが、自分が今なぜここにいるのか? この大きな謎が解けない。悩み続けた結果「ダメだぁ~」と、しょんぼり落ち込む。
「ふっふふ、どうしたのですかぁ? 可愛いお顔が台無しですよ~」
「うっわぁ!!」
「フフ! 月さん、眉間にしわが寄るくらいの困った顔で考え込んでいますが」
「い、いえ! なんでもありません」
悩んでいた三日月。いつの間にか自分の真横に来ていたラフィールの存在に気付いておらず、耳元で囁かれた美声に驚き動揺してしまう。
「そうですか~? ふむ」
「はい~、えっへへへ……ふぅ」
(それにしても。先生はいつもと変わらない。明るくて優しい、透き通った声で)
――なんだか、落ち着くのです。
「ラフィール先生……あの」
「まぁまぁ、月さんもお年頃ですし~色々とありますよねぇ、うんうん」
「あ、いえ、そういうことでは」
「もぉーそんなに無理して言わなくても良いのですよ~。それに、初の魔法大会を頑張って終えて、とてもお疲れでしょう?」
「は、はぁ……」
(えぇホントに。先生はいつもと変わらない、ですよネェ)
「特製の珈琲は、モカを入れましたからねぇ♪ ささっ、さささぁっ! ゆっくりと、あちらのお部屋へいらっしゃいな~」
ウキウキ嬉し楽しそうにそう言い残し、颯爽と出ていくラフィールの背中を半眼で見送る三日月だが、その時ふと思う。
「そっか、珈琲の……この独特な甘い香りは、モカだったんだぁ」
(いつも自分で入れるコーヒーとはまるで別物。香りがぜんぜん違う)
「わたしが入れても、こんなにフルーティーで、甘い香りはしないもの」
――みゅみゅみゅ! 珈琲好きがゆえの悩みであります。
三日月はまた、はぁ~と溜息をつく。
モカと言ってもブレンドが主流な月の都では、色々と種類があるのだが、しかし。学生である彼女が使う豆は当然お手頃価格で、比較的飲みやすさを重視したもの。それでも、ここまで差が出るのだろうかと『やはり豆が違うのか、それとも挽き方か』と項垂れる。
「何でも出来るラフィール先生って、本当にすごいよぉ……」
(そういえば『いい香り~』って目が覚めた。わたしもいつかは、美味しい珈琲や紅茶を入れられるようになりたいなぁ)
瞳キラキラと感激している彼女の元へ、新たなる声が近付く。
“んきゃっきゃっきゃーう♪”
何やら楽しそうな雰囲気である、その正体は。
ガ、チャー……。
「「うひゅひゅ~」」
ばったぁーん!!
(ハイッ! これはどこかで、いえ、毎日のように聞いている音ですねぇ)
「にゃー! みっかっじゅきぃ~♪」
「みゅー! おっはっにゃあ~ん♪」
双子ちゃんの元気ぱわぁ! で、三日月の心は、ぱぁっと花が咲いたように明るくなる。
「あはは! 一応、おはよう……なのかな? あっ」
(いやいやー待ってぇ! ここはわたしのお家じゃないんだよぉー)
「二人とも、ここではあまり騒がしくしちゃ、って。ん?」
んたたたたーッ!
(あ、出ていった)
「もぉ。メル・ティルってば。落ち着きないなぁ」
でもそこが可愛いのだと、いつもと変わらない無邪気な双子ちゃんのおかげで救われた彼女の心。頬は緩み自然と柔らかな笑みがこぼれた。
と、三日月は双子ちゃんの驚き発言を耳にする。
「「ねぇねぇねぇ~、ラッフィー♪」」
「エッ」
(いや、ちょっと待ってお二人さん? 今、先生のことを“ラッフィー”と言いませんでした?)
――それはダメでしょおー!
「はぁ~い、御嬢様方? どうなされましたか~」
「メルルはオレンジジュースがいい~!」
「ティルはアップルジュースがいい~!」
「かしこまりましたぁ♪」
(え、え、何? その陽気な返しと、いつもの~的に慣れた感じ! どういうコトにゃのぉ?!)
――色々と理解が追いついていきません!
「さてさて、太陽さんも、モカでよろしいですか?」
(んえっ!?)
ふと、聞こえてきた話し声。
「いえ先生、お気になさらず! 自分の事は、銅像とでも思っていただければ」
「あらまぁ。太陽さんは変わらず面白い御方ですネ。ではでは甘々なモカで♪」
「お、おもしろ……はっ、恐れ入ります!」
(ほえぇぇ、太陽君もここにいたのぉー?)
「ていうか、なんだかんだで、和気あいあいな雰囲気……」
三日月は寝かせてもらっていたベッドの上から後ろを振り返る。すると、部屋の扉前で姿勢良く立つ、まるで番人のように凛々しい顔つきの短髪赤毛、立派な体格の男の子が目に入った。
(あっ、違った。二十二歳な太陽君は、やっぱりお兄様と言うべきでしょうか?)
「んっ、しょ」
ゆっくりと起き上がり、ふわふわの絨毯に足をつける。彼女は声が聞こえてくる隣の部屋へ向かおうと扉に手をつき、ふと顔を上げると部屋の前にいた太陽と目が合う。
「よぉ、月。お疲れさん」
いつもと変わらない、少年のようなニカッと白い歯を見せた笑顔。
(太陽君も、いつも通りだ)
そしてふらつく三日月の足元を心配し、スッと手を添え支えながら一緒に歩き始めた太陽の姿は、急に少し大人びて見え始める。
「あ、ありがとう、太陽君」
「おうよ、気にすんなや」
(いつもと違う……真面目な表情のせい? でも、そうだよね。六つも年上なんだもん)
三日月は、自分がラフィールの部屋にいることにまだ驚きを隠せずにいた。しかし目が覚めてすぐ、メルルとティル、そして太陽も近くにいてくれて、自分は『一人じゃない』ことが、幸せに思えてくる。
その後すぐ、バスティアートの案内で別の部屋へ入ると、三日月はふかふかのソファへどうぞと促され座った。
すると待ってましたぁ~! と言わんばかりに走ってきたメルルとティルが、ぱふっ! 二人の細く小さな腕が三日月の両腕に巻き付いて、ギューッと包み込まれる。
その温もりが何気に嬉しく、笑いながらメルルとティルの顔を交互に見つめ声をかけた。
「あはは~どうしたのぉ?」
「「みっかじゅきぃーしゅきー♪」」
(きゃー愛の告白をされちゃったよぉ~? なぁんて)
「うふ! ありがとぉ。わたしもメルルとティルのこと、大好き~」
幼い頃からずっと、家族同然で過ごしてきた二人からの、その独特な愛情表現にいつも三日月は恥ずかしくもあり、嬉しくもある。
そしてなぜかこの日は、一段とその熱い思いが込み上げて、頬は桃色に染まり、瞳が潤んでいた。
次第に疲弊していた彼女の心と体はポカポカと温かくなり、心奥から力が湧いてくる。
(月さんと二人の繋がりは、より強くなっているようですねぇ)
「どんなに強い能力や魔力を持っていようとも、敵わないものがある……」
ラフィールはしみじみと、独り言のような小さな声で微笑む。その言葉に、真面目な太陽は反応し慌てて答え始める。
「滅相もございません、ラフィール先生はこの学園――いやっ! 王国でも名高く、力のある上級魔法師様であります。あれだけの攻撃をした後の疲弊した三日月さんも、あのように完全回復しており、その回復魔法を近くで拝見できた自分は、大変感銘を受けておりまして――」
懸命に話す太陽の姿にラフィールは一瞬、目を丸くした後、吹き出す勢いで笑った。
「ふっフフフ! ありがとう、太陽さん。君は本当に素直で真面目な方ですねぇ。 月さんのお友達が、あなたのような立派な“騎士さん”で、私も安心です」
「は……い、あの?」
「ふふふっ♪ でも、私が言う『敵わない』というのは、少し違うのですよ」
「先生、それは?」
「あの二人をご覧なさい」
“んっきゃあー♪”
「みっかじゅきぃーるん」
「げんきなるなるりるぅ」
(……そうか、メルルとティルは)
「そうです。あの子たちは今、何の力も使っていない。しかし月さんの心身は癒され、幸せの波動で満たされている」
それを聞いた太陽はハッと、気付く。
「本当の力とはすなわち。能力や魔力では敵わない、超えられない領域が存在するのではないかと。頭で考え戦うだけでは成し得ない、言葉だけでは説明しきれない何かが、きっとこの月世界にはあるのでしょうね」
ラフィールは幸せそうな表情で目を細め、三日月とメルル・ティルの三人に優しい眼差しを向ける。
「そう……ですね。自分も、そう思います」
(俺はこのルナガディアに来て、学園の皆に出会って。メルルとティル……月に出会えて。その心を学んだ気がする)
落ち着いた、静かな声で返事をする太陽。
その場をそっと離れたラフィールは、扉の外へいたバスティアートへと目配せする。
「魔力ではない、……か」
太陽がこの一年と少しの間、いつも学園では一緒に過ごしてきた仲良し四人。
(その力ではない、メルルとティルの“何か”を感じる時が、これまで確かにあった気がするな)
太陽自身もまた、メルルとティルに日々『癒されていた』のだと感じた瞬間が、あったのだった。




