02 声の主
この場所を見つけてから一年間、誰も来なかったこともあり三日月は「ここはきっと忘れられた場所なんだ」と、ずっと勝手に思い込んでいた。
(ど、どうしよう……もし先生とかだったら怒られるかも?)
動揺する気持ちを落ち着かせるためにも、ゆっくり元の方向へ身体を戻すと、階段に敷いた可愛い水玉柄のお気に入りシートに正座で座り直した。それから手に持っていたランチボックスを横に置き、しばらく目を閉じて気持ちを鎮める。
するとある場面が頭の中に、ふわんと浮かんだ。
そして、ハッ! とする。
「うぅ……」
小さい後悔の声。
その理由とは――。
(知らない人の前で、わたしは大きなお口で、サンドイッチをー!!)
三日月は両手で頭を抱えると「あぁぁぅぅ」と言いながら項垂れ始めた。声をかけられたあの瞬間(美味しそうに食べるね……)が頭の中でぐるぐると回っている。考えただけで恥ずかしいと身体の体温はみるみる上がり、見なくても自分の顔が赤くなっていくのが分かった。
(恥ずかしいよぉ! どうしよぅ……)
消したくても消せない「はむっ!」な姿。そう、時間は戻せないのである。この状況をどうやって切り抜けたらいいのか? と逃げたい気持ちを隠すように両手は頬へ。すると、柔らかな声で話しかけられた。
「今日は、優しい陽光だね」
「んぁえっ?! あ、そ、そうですねぇ! あははぁ」
(お願いです、そっとしておいて下さいー!)
そう思いつつピンク色に染まる頬に手を当てたまま、再度後ろを振り返る。温かな太陽の光が眩しく、目を閉じてしまった彼女が次に見た視界には。
「うわぁッ!?」
(こ、声の人がぁ!)
驚き思わず大きな声を出してしまった三日月。なんと声の主が、屋上扉前の踊り場からこちらへ向かって、階段を降りて来ていたのだ。
「あぁ、ごめんね? また驚かせてしまったみたいで」
「あ……」
(わぁ)
今まで屋上扉から差し込む光でよく見えず、声だけ聞いていると女の子なのか、男の子なのか? どちらか分からなかった。しかし近付き目の前まで来たその人影がはっきりと姿形になった今、三日月は認識する。
(なんて綺麗な、男の子)
細身でスラッとして姿勢の良い彼の立ち姿は、とても好印象。瞳が合えばついつい見つめ、惹き込まれていくような感覚だ。
――出会ったばかりの彼から、なぜだろう。
(目が、離せない)
艶のある綺麗な黒髪は少しだけくせ毛で可愛く、落ち着いたトーンの声は高めで優しい。背は三日月よりも十センチ程高く、深海のような蒼色の瞳と、銀の細フレームの丸眼鏡は白い肌によく似合っている。
何よりその、端整な顔立ちに――。
「わたし……」
(見惚れてしまうのです)
「ん? どうかした?」
その三日月が送る視線に気付いた彼は、優しく声をかけた。平和な気分にさせてくれる安心感のあるその声は彼女の心をゆっくり、現実世界へ引き戻していく。
「ぁ、あぁいーえいえいえ! 見とれ……って! ちが、すみませんです」
新たな動揺の種を、自分で蒔いてしまったことに後悔をする。しかしもう頭の中はフワフワと浮かぶ雲のように真っ白で、おかしな言葉と動きで答えていた。
あたふたする三日月の姿を見ながらフフッと微笑んだ彼は、小さな囁くような声で、彼女へある許可を求めた。
「ここ、僕も一緒に座っていいかな?」
「え……」
まだ残る恥ずかしさと、言葉にならないドキドキで彼女の思考は停止。
「嫌……かな?」
その表情に眉尻を下げ少し困り顔の彼を見て、両手をぶんぶん!
「あ、あぁー! どうぞどうぞ……と、いいますか、ここはわたし一人の場所ではないので。あの、お気になさらずご自由に」
相変わらずの人見知りで、さらに緊張して話せない自分が嫌になりながらも、奮起し目を瞑りながら懸命に答えると、彼はまたフフッと笑む。
そして、なぜか? 彼女の隣に座ってきたのだ。
(えーっと、なぜだろう? 隣に座っているような気が……ここの階段広いのにぃ? 座る所はいっぱいあるのですが。あのぉ、お兄さぁーん?)
そんな言葉を心の中でツッコミながらふと彼を見つめる。その時、気付く。彼は少しだけ距離を取り、隣の隣ぐらいに座ってくれていることに。
(あ……初対面の人が苦手だって気付いて。気遣ってくれてるのかな?)
「なんだか、申し訳ない気が」
そう呟き、また彼を見てしまう。
その柔らかな雰囲気の綺麗な横顔に、再び瞳を奪われるようだ。
「ん?」
視線に気付かれたのだろう、彼は目を細めフフッと笑いかけてくる。いよいよ恥ずかしさもピークに達し、黙っていると彼から話し始めた。
「君、ここにはよく来るの?」
「え、あ……と」
不意に話しかけられ、また少しビクッとしてしまう。いくら人見知りとはいえ、こんな反応ばかりしていると失礼になる、と反省する。
そう、頭では解っているのだ。
だが結局、言葉はまとまらず口籠ってしまった。
(どうしよう……)
この時、単純に「はい」とだけでも答えられたなら。そう思う反面、自分が一人でいる時間を、一人で落ち着ける――“居場所”を。
――誰にも、知られたくなくて。
(とは言え、今こうして知られているのですが)
少し長めの間があいた後やっと「そう、ですね……」と、言葉少なに返答した。すると彼はまた優しい声で「そっか」と明るく言い、続けて話す。
「僕は、一週間前に転校してきたばかりでね。色々と学内を探検していたんだ」
そして彼は三日月に向かって眩しい笑顔でニコッ! 優しい表情を向ける。
(探検って!)
なんという可愛い例えなのだろう。しかしそんなこと思っただなんて口が裂けても言えないと思いながら、気付けば三日月にも笑みが零れていた。それから少しずつ、彼女の心は解けてゆく。
「それで今日、こんなに素敵な場所を見つけて喜んでいたところだった」
「わ、分かります。わたしもお気に入りの場所なので。賑やかな所が、なんだか苦手で……でも、ここにいるとなぜかとても落ち着くのです」
やっとの思いで話す彼女の言葉に「僕も静かな所が好きだよ」と、彼は答える。
温かく優しい光が射し込む、静かな屋上扉前の階段で、初めて会った二人。
少しずつ言葉を交わし、和やかな雰囲気のまま話は弾む。そしてあっという間に時間は過ぎ、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴った。
「あ、そろそろ……」
「うん、そうだね」
彼の声色はまるで透き通った水のように、彼女jの心奥まで潤す。そしてゆっくりと、心身に沁み入るのだ。
――どうしてかな? 心がポカポカして温かい。
「じゃあ、先に行くよ」
「ぅはあ、はい」
三日月の心には、氷のように眠る冷たい感情がある。その心をじんわり溶かすように、不思議な感覚を感じた時間。
(そういえばわたし、普通に話せてたかも)
いつもであれば、初対面の人には挨拶を交わすだけで精一杯な三日月。
二人でいた時には気付けなかったこと。
彼女は自然と、自分の考えや気持ちを彼に話せていたのである。