01 出逢い
――時間は経ち。
光の森キラリで生まれた可愛い女の子はのびのびと成長し、十四歳になると森を離れ月の都へ。そこで王国屈指の魔法科があり、優秀な生徒が集まるという学園へ、彼女は通い始めた。
入学してから、早一年。
彼女は平穏な日常を送っていた。
ふわぁっ……。
「ふわ~ひらひらぁ~! 桜の花びらって、可愛くて綺麗でいいなぁ」
美しい桜並木道を気持ち良いと歩きながら思いきり両手を広げ一人、空を仰ぐ。春の穏やかで暖かな風が桜の花びらをひらひらと躍らせ、悪戯にさらってゆく。
瞳を閉じてそよ風の音を聴いた。その音色に合わせるように花びらと一緒に舞う精霊たちの喜びを感じながら、弾む足取りで前へと進む。
「太陽の光はぽかぽかだし、このぐらいの気候が一番気持ちいいよねぇ」
ご機嫌、満面の笑みでそう呟いた。
――彼女の名は、セレネフォス=三日月。
光の森キラリの守人――望月と元王国騎士である雷伊都の、目に入れても痛くない大切な一人娘である。
「んー! なんだか今日は、とても良い日になりそう」
そうして大きく伸びをすると、いつも立ち寄るお気に入りの場所へと、向かった。
◇
トタン、トン、トタン……。
階段を上る足音がなぜか今日はいつもより耳に響いて、聞こえる。そんなことを思いながらルンルンと上っているといつの間にか目的の場所へと到着。
タンッ!
「着~いたっ」
そこは屋上へ向かう階段の六階、屋上扉前。
お気に入りの場所=三日月の居場所、なのである。
時計を確認するとちょうどお昼時。
彼女は持ってきていた少し大きめのランチバッグから花柄の可愛いシートを取り出すと、丁寧に階段へ敷く。そこへゆっくり腰掛けると、揃えた足を伸ばし、くつろぎ始めた。
「あったかぁい」
(静かで、心地良い)
屋上扉から届く太陽の光は、ぽかぽか。まだひんやりとした風も吹くこの季節、その暖かさでホッと頬は緩み、表情は自然と笑顔に変わる。
「はぅ~、やっぱりここは良いところだよねぇ」
落ち着くなぁとまた大きく両手を広げ、伸びをする。お昼休みや放課後の一人でいられる時間、彼女はいつもここでのんびりと過ごすのだ。
――子供の頃から一人でいることが多かった。だから人気のない、こういう静かなところがやっぱり落ち着くから好き。
一人時間を過ごせる場所を求めて探し歩いたのは、一年前の放課後。
学内の色んなところをこっそり散策して回った。自分がゆったり、のんびりとした時間を一人で過ごせる場所を、見つけるために。
そして数日後、ようやくこの階段を発見した。
色々と思うことはあったが、まず何と言ってもここは六階。それに通常使用していない階段を用もなくわざわざ屋上前まで上がって来る人はいないと思い、恐らく誰も来ないだろうというのが決め手だった。
そんな三日月が、一人で時間を過ごす場所に決めた理由がもうひとつある。
「なんだろうなぁ。いつもここに来ると」
(この場所に来るとなぜか心が安らぎ、とても落ち着くの)
――今日のように、よく晴れた日には。
季節問わず輝く太陽の光が気持ち良く、心を満たす。不安なことがあった日も、ここにくればあったかポカポカと安心させてくれる。
――暗い、曇り空の日でも。
静かで落ち着いた空気が流れていく。それは、悲しみや寂しさではない。穏やかで、優しい気持ちになり、自分自身と向き合うことができる。
――どうしようもない、雨の日も。
沈んだ気分になるかと思いきや、ここに来ると雨音は素敵な音楽に聴こえ三日月と共に過ごす精霊たちも喜び、リズムを取って踊り始める。
(そう。ここは不思議な場所でもあって……)
「うん。理由なんてない。やっぱり私は、ここが好き!」
ふと、上を見上げた三日月。
本心では階段のもっと先へ行きたい、扉越しに見える屋上へ出て、どんな景色があるのかを見てみたいと、わくわくとした好奇心を心に秘める。
しかし簡単そうに思えるその願いだが、叶えるのは本当に難しい。
屋上扉には安全のため、厳重な魔法による施錠がされている。そのため普通の解除魔法で開錠することはまず不可能。
解っていても、目の前には屋上へ続く階段と入口があるというのに、出られないのはとても残念だと、いつも差し込む光に目を細めながら眺めていた。そして一言「いつかは……」とそんな叶わぬ願いを小さな声で呟きながら、クスクスと笑う。
しかしそんな微かな希望を夢見ている、この時間も。
(結構、好きだったりして!)
もう一度ゆっくりと瞳を閉じ、屋上扉から届く陽光を感じながら休憩をした後、ふぅ~っと一回深呼吸。伸ばしていた足を元に戻す。
「んっ! そろそろお腹がすいてきました」
再びランチバッグをごそごそ……ランチョンマット代わりのハンカチを敷き、持ってきたお弁当箱を取り出した。
「ウフフ、じゃーん!」
誰もいない場所、気兼ねなく盛り上がってしまう。
しかし階段に響き渡る自分の大きな声で反射的に口へと両手を当てた。少しだけ恥ずかしくなったのである。
(まぁまぁ! ここには私しかいないから、ネ?)
「大丈夫、ダイジョブ~」
ランチボックスは大好きな猫ちゃん柄、これもお気に入りだ。ルンルン気分で蓋を開けた三日月の、今日の昼食は――。
「じゃーん! 本日のランチはぁ、サンドイッチなのです。にゃはッ」
嬉しさで頬はピンク色に染まり、ワクワクと飲み物を準備する。三日月は毎朝その日の気分でお弁当を作ってくるのが日課でこの日は、大好物のトマトレタスたまごサンドを作っていた。
「せ~のぉ、いっただっきまぁ~す」
大きく開けたお口で「はむっ!」と一口、頬ばる。大好物というだけでもテンションは上がり、さらに美味しい! その表情はもう、笑顔にしかならない。
「ん~美味しい」
そして少し苦めのカフェオレを飲む瞬間、彼女はいつも――。
「はぁぅ幸せだぁ~」
素直な気持ちが、言葉になって溢れ出てくる。
『美味しい』と『幸せ』、そう言わずにはいられない。
そんな一人ランチを満喫していると、突然! 飛び上がるような出来事が起こる。
ガタンッ!
「……ふふっ」
「んっ? エッ」
(えっと、何だろう?)
後ろの方から、するはずのない物音。と、同時に何か(誰か)が微かに笑う声まで聞こえたような気がした。三日月の背筋はゾワッと震え、サンドイッチを持つ手が固まる。
「えぇ……と、気のせいだよね?」
もしも人がいるのなら、と聞こえるくらいの小さな声で呟いてみた。聞こえないのか、応答がない。やはり誰もいないのか? しかし、そう信じたい気持ちよりも人の気配がしている怖さの方が、勝っていた。しかしこのままじっとしていても、何の解決にもならない。
(よ、よしっ!)
恐怖心を必死で抑えつつ三日月は勇気を振り絞ってゆっくりと、振り返った。
――そこには。
「ふ……は、あうきゅっ!?」
(ぎゃー! 誰もいないはずの屋上扉前の踊り場に、ふわっと座る人影がぁー!?)
驚きすぎて思わず、変な声を上げてしまう。
するとその人影は振り向いた三日月に気付き、話しかけてきた。
「こんにちは。それ、美味しそうだね。と、いうよりも、美味しそうに食べるね」
「え、あ。そ」
(まさか、ここに人がいるなんてぇー)
予想だにしない出来事に動揺が、隠しきれない。そしてそれ以上に驚きで言葉が出てこなくなってしまった。その三日月が慌てる様子に謎の人影は少し笑った声で、話を続ける。
「ふふふっ。驚かせてしまったかな? ゴメンね」
「ほ……、い、ぃぇ」
驚きと人見知りが重なり目が回るようだ。
彼女の声はフェードアウトしていく。
自分でもよく分からない、感情。
シーン……――。
この状況が怖いのか、恥ずかしいのか。とりあえず今どうしてこんなことになっているのか? もう何が起こっているのか訳も分からずに、静止状態だ。
するとその沈黙を破ったのは謎の人影。三日月のことを心配したような声で、話しかけてきた。
「君、大丈夫?」
「ぅはっ! え? ハイ、あの」
「そう? それなら良いんだ」
ふわ……。
「――」
(え?)
瞬間、優しい声と光。
流れた風は三日月の頬に柔らかく触れるように、ふわりと通り過ぎる。
「か、ぜ?」
(桜並木の、優しい風みたいな……)
聞こえてきた声に、逆光で見えないはずの表情が、まるで微笑んでくれているように感じられ、差し込む光を背に、輝いていた。
――なんだか、とても不思議な感覚。
そして、この人物の存在は。
三日月にとって生涯忘れられない、大切な記憶のひとつとなる。