26 文化交流会2日目~優しさ~
「そちらの角を曲がったら、お部屋の前に水晶で出来た“猫の置物”がありますの。そこがラフィール先生のお部屋ですわ」
「分かりました! 本当にありがとうございました」
「いいえ、私の方こそ。偶然とはいえお会いできて、お話が出来て良かったわ。ありがとう、月ちゃん。またお会いしましょう、ネ」
優しいお姉様方は、ひらひらと手を振り来た道を戻ってゆく。三日月はその美しい後ろ姿に深々とお辞儀をすると、教えてもらった部屋の方へと歩き出した。
◇
角を曲がり三日月の姿が見えなくなるのを確認したアイリたちは、文化交流会の会場へと向かう。
「ねぇ……ミラク」
「はい、アイリ様」
「まさか、こんなところで長年憧れた【月の者】に会えるなんて! 私、夢のようですわ」
(それにしても、今日顔見知りになれるだなんてねぇ)
「これも“運命”かしら」
ポツリと呟いたアイリの声は、側にいるミラクにだけ聞こえる。談笑しながら先を歩く他数人のお姉様方には聞こえていない。
「さぁて、皆さん。今日は、後輩生徒を観察する日ですわよぉ♪」
「アイリ様! 観察ではなく、監視でございます!」
ミラクは、アイリがワザと言っている間違い発言に、毎回呆れながら注意、訂正をする。
楽しい文化交流会だが、はしゃぎ過ぎる生徒は必ずいる。何かあってからでは遅いので、生徒の安全を守る見回り監視役を、アイリ達はここ三年務めているのだ。
「嫌ねぇ~ミラク。そんな顔しないで。私はただ、純粋に喜んでいるだけよ」
「それは、そうなのですが」
「さぁ~! 行きましょう」
「はぁ……まったく」
アイリが一番信頼している付き人のミラクは幼い頃からの長い付き合い。臆せずに何でも言い合える仲の良い関係であるが、一応上下関係が存在する。それでも、怪訝な表情で注意を促すミラクの言葉など知らんぷり。こうして気にも留めていないアイリの態度に、ミラクは毎回深い溜息がでるのだ。
「まぁ! アイリ様ったら、ウフフ」
「本当に、ご冗談ですの? おほほほ~」
他の取り巻きお姉様方は、アイリのご機嫌を損ねないように気を配る。これがいつもの流れであった。
「ミラク、怒っているの? ゴメンナサイねぇ。でも『人材の発掘に目を光らせている』という意味ですのよ。あぁ、たのしみだわぁ~」
「……アイリ様、お気を付けください」
「えぇ、分かっているわよぉ♪」
(ほーんと楽しみ! 素敵な一日になりそうね。んふふ)
アイリはとてもご機嫌、軽快な足取りで一番前を歩く。
上流階級のお姉様方はその後ろに続き、交流会の話題は尽きない。
騒動のお坊ちゃま、カイリだけでなく、姉のアイリまでもが三日月に対して、何かを思っているようでに含んだ言い方をしている。
そしてこの日――文化交流会二日目である七月七日に、偶然出会った三日月のことを【月の者】と表現したアイリ。
その意味を知るのは、ミラクだけである。
◇
(えーっと、この角を曲がって)
一方、三日月は、お姉様方に教えてもらったラフィールの部屋を目指し、息を整えながらゆっくりと歩いていた。
「ねこちゃん、ねこちゃん♪」
(今日は、良い人たちに出会えて良かったぁ)
優しく親切、綺麗なお姉様方に会えたことを、心から嬉しく思っていた。
「はぁ、わたしもあんな風に、素敵な女性になれたらいいなぁ」
なんて、憧れてしまう。
しかし、急には大人になれない。三日月は自分の手のひらを見つめながら「背伸びせずに、の~んびりと色んなことをお勉強して、いつかはお姉様方みたいに……」と呟き、頬をピンク色に染めながら自分が大人になった姿を想像し、浸る。そして気付けば【水晶猫さん】の置物がある、部屋の前へと辿り着いていた。
「ラフィール先生、いらっしゃるかな?」
その時、ハッ! と、三日月は思い出す。連絡もせずに、いきなり来てしまったことを。
(あーそうだったぁー! どうしよう)
「きっと、お忙しいだろうなぁ」
でも、もうここまで来てしまった。少しだけでも時間をいただけないか、話を聞いてもらえないか、とお願いしてみようと、意を決し心の準備を始めた。
――「フゥ…………」と深呼吸、気持ちを落ち着かせる。
「よしっ!」
いよいよ気合を入れ、部屋の扉を叩こうと手を出した次の瞬間!
「はぁーい♪ どちら様ぁ~?」
「うーっワァー!!」
あるはずのない後ろからの声に、三日月の両手はぶんッと後ろに、くるくる回り飛び上がる。驚きで、そのまま倒れ尻餅をついてしまった。見事、アニメ的なビックリ仰天を見せてくれた教え子の反応に、イタズラ大成功と言わんばかりの顔で「あっはははは♪」と大笑いをしている。
そう、まさにこの人が三日月に魔法を教育している先生――【ラフィール】だ。
「しぇ、しぇんせー! まだわたし扉コンコンってしていませんよぉー!!」
(心の準備も出来ていません!)
「(ニコニコニコニコ♪)」
それなのにぃー! と、止まりそうだった心臓を抑えてさする彼女の表情を見るラフィールは、にっこにこと、とてーも楽しそうに……満面の笑みでッ!
「ぅ゙…………んんー」
(とっても楽しそうですネ。まるで、メル・ティルがイタズラした時と同じお顔してますよぉーっ!?)
「あれれ? そうでしたか……では! 扉コンコン。やり直しますかっ♪」
「もぉぉー先生!」
「あぁーフフっ、ごめんごめん。いやいや~あまりにも思い詰めたような表情をしているので、ついつい……」
(ついつい……の後はなんでしょう? 「揶揄いたくなって」でしょーかぁ?!)
「それで~、急にどうなさったのですか~?」
「その、魔法の、えーっと。ご、ご相談したいことがあって、勇気を出して来たんですーっ!」
(て、あっ……)
両手で口を押さえた三日月。
順を追ってきちんと説明して、真面目に落ち着いて話そうと思っていた。それなのに勢いで「悩みがあります!」と、先に言ってしまったのだ。
するとラフィールは、また楽しそうな声と表情でその思いに応える。
「まぁ、なんと! 月さんがご相談ですか~♪」
そうですかそうですか、いいですねぇ~と、笑いながら寄ってきた。
「うっ……どうして笑うのですかぁ?!」
恥ずかしさから、三日月はぷくーっと頬を膨らますとラフィールは両手のひらを合わせ、自分の左頬にピトッとくっつける。そして綺麗な顔が、左斜め三十五度傾き「ゴメンネェ~」と謝るのだ。
片目を瞑り、「ウフフ」と言いながら。
普段から、こんな感じのゆるゆるなキャラクターのラフィールは、大好きな飛躍魔法の技術を駆使し、音もなく、ふわふわりと突然、どこからともなく現れる。
(先生って、もしかして背中に羽でもあるんじゃないか? って思う時がある)
しかし、これが授業となったとたん――。
***
『何をやっているのですか! 切り替え切り替え!! 遅い、しっかり』
『うへぇー!! はぁいいい!』
『どこを見ているんです!? 魔力にばかり頼らない!』
『はっ、はぃぃぃいいい………ひぇぃええーッ』
***
今のゆるキュラな姿とは真逆と言っていいほどに、とても厳しい鬼上級魔法師に変身するのだ。
(これが泣きそうなくらいの過酷な訓練をする時もあるのですよぉ)
「ラフィール先生ー?!」
(わたしがプンプンして! パタパタしている手を、はいはーい♪ と、上手くかわしてくれちゃってぇー!)
――これもなにかの"訓練"? なのデショウカ。
(うぅ、遊ばれているような気がする)
しかし後に、三日月は冷静にこの時のことを思い出す。考えてみれば、深刻な顔をして悩んでいる自分のことを気遣い、話しやすいようにしてくれたのではないか? 笑って場を和ませたのではないか? と、ラフィールの優しさに気付く。
――この時のわたしは余裕もなくて、必死だった。
「もぉ、いいです」
三日月の機嫌が直る頃。
「ふふ、そうですか? では、そろそろ」
そう言いながら、ラフィールは水晶猫さんをヨシヨシする。部屋の扉を開き、彼女は部屋へと通された。トンッと、足を踏み入れた瞬間! 心の中がキラキラと、ぱぁーっと光が溢れるような感覚になり、その胸はドキドキとなぜか楽しく、嬉しくなっていった。
(な、なんて心躍るようなお部屋……精霊さんが、いっぱいだぁ!)
しかしゆっくりと触れ合う間もなく、三日月は奥にある別の部屋へ通される。入ってすぐ、目の前にはフカフカの綺麗なソファが置いてあり、そこに座るよう促された。
(あっ)
三日月がなにかを感じ取ったのと同時に、ラフィールは自分の椅子に座る。それから真っ直ぐと彼女の瞳を見つめ、それはまるで三日月自身の"心の準備"を待ってくれているようであった。
それから程なくして。彼女の表情が引き締まったのを確認したラフィールは、ゆるい雰囲気など微塵も感じない――“聴く”の体制に入る。
「さてさて、本題に入りましょうか」
その言葉が発せられると、一気に部屋の空気が変わったのだった。




