19 不思議なこと
「確かに、ねぇ」
翌日の昼休み。
冷静になった三日月は何となく落ち込んだ気分で、昨日の出来事を思い出す。
「はぁぁ……」
可愛いのに恐い!
唯莉愛様と呼ばれていた謎の御嬢様から、最後に質問された言葉。彼女自身もちょっぴり気になり、その理由について自分なりに分析してみる。
――『……最高峰の魔法であなたが護られて』
(言われてみれば、そうだよね)
ロイズと会話していたことで、周囲の生徒たちから受けた視線はさておき。
(一部の関係者以外は、三日月が魔力の特別授業を受けていることを知らない)
この学園で神的な存在であり『遠くからでもお会いできることは奇跡』とまで言われる、魔法科最高責任者のロイズが、なぜ? いくら珍しい飛び抜けた魔力・能力保持者とはいえ一般生徒である自分に、しかもたくさんの生徒たちが集まっているという場面で、どうしてあそこまでの高貴な魔法を使ったのだろうか?
周りも驚きメロメロになるぐらい、目に見える光の魔法だ。そこまでして、一体何から護る必要があっただろう。
過剰だったといえば――。
「そうかも……」
(ユイリア様があんな風におっしゃったのも、無理ないのかな)
色んな考えが頭の中をぐるぐると回り、結果、三日月はいつものようにうーんうーんと頭を抱え始める。その様子に気が付いたセルクは首を傾げると、そよ風のようにふわっと声を掛けた。
「どうしたの? 何か、困りごと?」
「ふあ、いえ……ッ!!」
――あわわわぁッ!
(ほ、星様!? お顔が近いですー!)
自分の世界に入り込んでいた彼女はハッと我に返る。そしてとっさに顔を上げると、そこには微笑み、少しだけ心配そうにする彼の顔が見えた。
「だ、だだ、ダイジョウブでしっ、んみゅ」
「ふっふふ、そう?」
この日、三日ぶりにランチ時間を一緒に過ごしていたセルクは、いつもの優しく落ち着いた声とニコニコ笑顔で、様子を窺う。何があっても変わらない、安定したその空気感に、彼女の心はドキッとしつつも、深い安心感に包まれてホッとする。
――お話、したいけど。
(でも、これは! 自分で解決するべき問題……だよね? それに授業のことは言えないし。頼るわけにはいかない)
入学時、自身の力が規格外なのだと初めて理解し、その後、特別に作ってもらっている魔法の特訓授業。この件については、他言無用とされている。
これ以上は動揺が増しそうだと、三日月は急いで話題を変えた。
「あっ! そ、そういえば。お外は暑くなってきましたねぇ」
七月に入り、さすがに気温が上がってきた。寮から学園まで、わりと近いとはいえ、暑さに弱い三日月は歩きで来るのが正直、いや少し、いやいやほんのちょっとだけ? 辛かったりする。
(キラリの森にいるときには、ここまで暑さを感じたりしなかったのだけど)
しかしその距離さえ頑張れば、学園内は寮と同じように空調設備などが完璧。なので一年中過ごしやすく、とても助かっている(快適快適♪)。
「うん、そうだね。季節の変化を感じる」
「あ、でも、星様ぁは、いつも涼しげで爽やかですよね~」
(よぉ-し! ちゃんと言えたよぅ! ペタッ♪)
最近、やっと緊張を表に出さず話せるようになった彼女は、スムーズに名前を呼べただけでも成長だと、自分へ「良く出来ましたぁ~お利口さん!」と、心の中でキラキラシールを貼ってあげるのだ。
「そうかな? 僕は気温や湿度の変化には、敏感な方だが――」
屋上扉前。
陽の光が当たるランチの時間は、扉から少し離れた階段とはいえ、さすがに暑くなる。その温度を同じように感じているはずのセルクであるが、いつもと変わらない笑顔で軽やかに話す。
(いえいえ、星様はとても涼しげな空気感をお持ちです~)
そんなことを考えていると彼の口から少し、気になる言葉が聞こえてくる。
「僕は……分かりにくいのかもしれない」
「えっ?」
「あぁ、いや、気候に敏感なのは本当だよ。でもそれ以上に順応できるというか……変化に対していつしか人よりも"強くなっていた"、のかもしれない」
「強く……?」
今度は三日月が首を傾げ、聞く。それに応えるセルクは少しだけ眉を下げ笑むと、話を続ける。
「僕の父、その側近や、僕を指導をしてくれた人たちは、とても強い方ばかりでね。だからこそ、僕に求められた実力や期待は大きい。幼い頃からの訓練は、とても厳しかったよ」
「あ……」
(このお話、触れてはいけなかったのでは?)
少しだけ、二人の間に気まずい空気が漂う。
そんな中、三日月は手に握るいつものカフェオレを見つめながら、ふと思った。
(あれ? そういえば)
こんなに近くで過ごしていても、セルクからは【力】を――いわゆる魔力や能力を微かにも感じていないことに気が付く。
しかし、あの日。
カイリと呼ばれていたラウルドお坊ちゃまが、三日月の髪に触れようとした騒動の時、今までにない重く暗い感覚と、時空の歪みのようなものを視た気がした。
その一瞬一瞬を、彼女は思い出す。
(それに、あれは――)
「……モノクロの、景色」
はっ! いけない。また思ったことをすぐに口に出して言ってしまったと口を両手でおさえ、体ごとゆっくりとセルクから逸らし目を瞑る。
それから三十秒ほど経っただろうか。
沈黙のままもう一度、彼の方へ向き顔をチラッと見ると、ぱちりと目が合った。
「……ほし、さま?」
(瞳の色が。いつもよりも深い? “濃い蒼色”のような)
今度は彼女の方が、心配そうな顔で見つめる。
その気持ちを受け止めるように、真剣な眼差しで見つめ返した彼の視線はとても力強く感じられた。それは珍しく悩み沈んだような顔で、セルクはこの話を締めくくる。
「時が来たら、必ず話す。だから――“三日月”」
「……」
「少しだけ、待っていてほしい」
「……はい」
名を呼ばれたことが気にならないくらいの、言葉。
彼女はただ一言、返事をすることしかできない。
銀の細フレーム丸眼鏡から見える、その蒼い瞳。
光の届かない海底ように深く、吸い込まれそうな色だ。
だがその奥深くにはキラキラの星屑が瞬く。
それは水面に映る星のように、美しく潤んでいた。
「さて、そろそろ午後の授業が始まる頃だ」
「あ! ほんと、もうこんな時間」
「はは、そんなに慌てなくても。まだ大丈夫だよ、月」
その声に、言葉に。
(いつもそう。わたしの不安や固まった心の氷は、ゆっくりと解かされて)
そして今日は、いつも以上に不思議な感覚だなと三日月は思う。
様々な不安や重圧、互いの様々な思いが交錯する中で、それを忘れるくらいの暖かな風に包まれて――まるで『ここは安全な場所だよ』と教えられた場所。
ゆりかごに揺られながら、すぅっと眠りに落ちてゆくような……そんな優しさを持つ彼の存在は、彼女を安心感で満たす。
「ありがとうございます、星様……」
「こちらこそ、ありがとう。月」
「えっ? そんな、えへへ」
微笑み合う、平和なひととき。
気をもんでいた彼女の心は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。




