08 記憶
伸びてくる手は、三日月にあの日起こった出来事の記憶を、蘇らせる。それは力を隠すきっかけにもなった、とある出来事のキオクだ。
力を使いどうにかしようという以前に、思い出してしまった自分の中にある恐怖心。その現実から目を逸らすようにつぶったままの瞼で、当然、彼女の視界は真っ暗になっている。そして身体は強張り動かない、どうすることも出来ない自分に、三日月は悔しいのか? 涙が溢れそうになっていた、その時。
コツーン――。
「やぁ、こんにちは」
「――ぇ」
(あ、あれ? この足音……この声って)
プライド高そう上流階級お坊ちゃまの後ろから、ふと聞き覚えのある声がする。
目を開け確認してみると、その声に反応した不機嫌にしかめる顔のお坊ちゃまが見えた。
我に返るようにハッと頭上に目をやると、伸ばされていた手は、三日月の髪へ触れるまであと数センチというところだ。
ホッ。
(良かった、助かった?)
お坊ちゃまはというと、話しかけられたことで周囲に人が集まり始めていることにようやく気付き、伸ばしていた手をスッと引っ込めていた。
それからすぐ、声の方へ向き直ったお坊ちゃまは、見下ろすような角度で口角を上げ口を開いた。
「やぁ、えっと~誰だったか……あーこれはこれは、転入生くんじゃないか、何かこの私に何かご用かな?」
上流世界でありがちな、上から口調なお坊ちゃまの印象はとても良くない。
「そこで一体、何をしているのかなぁと思いまして。確か君は……ラウルド=エルマ海偉里くん、だったかな?」
(聞き覚えのある、優しくて平和な気分にさせてくれる、この声)
三日月は、その光景に驚く。
なんとそこには、屋上扉前の階段で会う、彼がいたのだ。
(でもなんだか、いつもと雰囲気が違う気がする)
――怒ってるからかな?
「おい、お前こそなんだ、何者だよ!? どうして……どうしてその名を! お前のような訳の分からない新参者が、俺の名前を知っているんだ?! そもそも軽々しく呼ぶなッ!」
「――ッ」
(び、ビックリした。名前でそんなに怒鳴るだなんて……って、あれ?)
始めは品良く丁寧に“私”と自分のことを言っていたお坊ちゃまだが、突然声を荒げ乱暴に“俺”と変化した。その形相は怒りに満ちた、というよりも、真っ青だ。
(怖がってるみたいに見えるけれど)
そんなお坊ちゃまの話を冷静に、黙って聞いていた屋上扉前の彼は、爽やかな顔でニコッと笑いかける。
『……』
(何か言ってる?)
かれの唇が微かに動く。小さな声で何かを言っているように、三日月には見えていた。
すると、次の瞬間。
瞬きほどの一瞬だけ、目の前の景色が歪むように感じた。
――“モノクロ”?
バタッ――!!
「「お、おい! カイリ、カイリーー!?」」
「カイリ様! お気を確かに!」
周りにいた取巻きや、他の上流の生徒たちが倒れたお坊ちゃまに駆け寄り、声をかけている。
(え、なに? 何が起こったの?)
「だ、だいじょう、ぶ、だ」
お坊ちゃまがゆっくりと意識を戻している姿を見て、何らかの攻撃のような強い力を受けたのだと、彼女は理解する。
――でも。
(全然、感じなかった)
「こーら、ダメですよ~ラウルドくん。女性には優しくしましょうね。ほら、こちらの彼女がとても嫌がっています」
「ぅ……――」
「カ、カイリ!?」
まだ起き上がるのに時間がかかっているのか、上手く呂律が回らないお坊ちゃまは、その驚く瞳だけが何かを訴えている。
(ロイズ先生? あ、あれ? そういえば、これって……わたし、どうして光の中にいるの?)
騒ぎに気が付いたのは、ロイズだった。
いつの間にかその場に居合わせ、三日月をまるで護るように丸い光で包み込んでくれていたのだ。
(これまた、全然、気が付かなかった)
「それに……」
さっきまで見えなかった、いなくなっていたはずの精霊たちも『ダイジョウブ~?』と心配そうに言いながら彼女の傍へ、戻ってきてくれていたのである。




