06 緊張
「はぁ、慣れない所に行くの……嫌だなぁ」
ある日の午後。
三日月は自分の教室から少し離れた、特別校舎へと向かっていた。雲に覆われた空は少し暗く、その足取りを余計に重くする。出来ればこのまま、いつものお気に入りの場所へ行きたいと思う程に憂鬱な気分だった。
しかし、逃げようたってそうもいかず。
一人寂しく、トボトボと歩きながら、気持ちの切り替えに努める。
(あ、見えてきた)
「相変わらず大きな校舎だなぁ」
特別校舎というだけあって、建物はとても大きく広い。
今日は此処で、今後の授業内容について話し合いをする日。
魔力・能力の実技は、三日月だけ特別メニューでの授業が行われている。これは入学前からの契約事項であり、関係者以外は知らない話だ。そして年に一度、その件で――魔法科最高責任者の先生との個人面談に呼ばれていた。
上級能力講師の資格を持つ先生はこの学園でも少なく、見かけるだけでもごく稀なこと。
(わたしのような一般クラスの生徒は尚のこと、お目にかかれる機会は皆無に等しいのです)
この日、三日月が会う御方(先生)は学園内はもちろん、王国内でも魔法に関してトップクラスの魔力を誇る上級能力師であり、魔法科最高責任者の――ロイズである。
「この状況……」
(緊張しない訳がなーい!)
呼ばれた教室へ向かう三日月は心の中では思いっきりそう叫んでいた。
そしてもうひとつ、彼女には此処へ近寄りたくない理由があった。
それは。
「あぁ~、お願いです。誰にも会いませんように」
彼女のような一般クラスの生徒が、此処に来ることはまずない。というよりも、用事がない限り絶対に来ない場所。そういうわけで、出来れば知らない人(特に上流階級の生徒)には会いたくない。
だがこの特別校舎には、上流クラスの生徒が勉強している教室がある。
「えーっと、こっち……? だったかな」
実際、三日月が此処へ来たのは今回で二度目。前回は入学してすぐの打ち合わせをした時で、その日は他の先生が付き添ってくれていたので、今よりは気持ちが少し軽かったなぁと、ますます緊張で足取りは重くなる。
「んーと、あっ! そうだ、地図もらってたんだっけ」
校舎の中は同じような廊下や扉が同一間隔で並んでいる。地図を持っていても、正直迷ってしまう程に広い。通常の一般生徒(いわゆる民間人)が入ることは滅多にないというそんな広すぎる場所に、彼女は一人で呼ばれたという訳だ。
(帰り、無事に脱出できるように、視えない目印を付けてきたけれど……)
「ここ……かな?」
(ふぇ~着いた。着いて、しまった)
長い廊下を奥まで行くと、ついに教室前へと辿り着いた。
つま先を揃え、背筋真っ直ぐピーン! 目を瞑ると一回深呼吸をした。そして勇気を出し、扉をゆっくりとノックする。
コンコン、コンコン。
「はぁい、どうぞ」
そこからは扉越しでも伝わってくるような、とてつもなく甘く、優しく、柔らかい声色。思わず手や足がしびれるように聞き惚れる声が響き、返ってきた。
(こ、声だけでも、このオーラ!!)
「し、失礼します。セレネフォス=三日月です!」
緊張で声が裏返る中、部屋の前で挨拶をし、扉を開ける。
(ぅ、わぁ……綺麗)
「いらっしゃい、そこにかけてね」
「ぅあは、ハイッ!」
魔法科最高責任者である講師、ロイズは美しいとルナガディア王国でもかなりの有名人である。その上、とても優しくしかし厳しさも合わせ持つ最高の講師と評判の人物だ。その先生を前にした、三日月はというと。
(わたくし、只今絶賛! 緊張しすぎで頭の中まっしろしろけけ~なのですーッ)
会話にならないくらい固まってしまっている。
その緊張している雰囲気を察したロイズは、目線を合わせゆっくりと、穏やかに説明をし始めた。
…………数十分後。
「――と、ここまでの実績からするに、魔力の扱いについては飛躍的に上達しているようだからね。今後のメニューは、もう少しレベルを考えていこうかな、と」
「えぇーっとぉ、はひ。あ、りがとうござい、ます」
(ハーッ……いけない! カタコトににゃっちゃうー!)
目線を合わせてもらえるのはとても光栄なことだった。しかし、彼女は先程とは違った、この真剣モードな緊張感に耐えられず、今にも倒れそうだ。
内容もだが、その大きな理由のひとつは。
「? どうしました、月さん」
「いえ、いえいえいえいえ」
(ロイズ先生が美しすぎて! 無理ですー)
というのもあるのだ。
「そうですか~? うん、では続きを――」
甘く優しい声、金色キラキラの瞳に、これまた金色の長い髪をなびかせ、見るものすべてを――まわりの精霊をも魅了するほどに美しいロイズという人物。
(な、な、ななんと、男の人なのですよッ! 最初、聞いた時には何かの冗談かと思いましたょ)
こんなにキラキラと光り輝くような美しさを持つ男性が、この世の中にいるなんて! と、一年経った今でも彼女は夢のようでとても信じられないのだ。
(もう羨ましいの一言です。私も、いつか綺麗に……自分磨き頑張らなくちゃ。あ~いや、元が違い過ぎましたーすみません)
「以上で、今期の話は終了です。何か質問や意見はあるかな?」
今、この打ち合わせでは必要のないことまで含め、色んな考えが頭の中をぐるぐると回っていた三日月は、ロイズの終了との声でハッ! と、我に返る。
「あっ、何も問題ございませんです!」
あたふた、大慌て。
顔は真っ赤で答える。
「そうですか? それなら良かった。……んふふふ」
「……」
(先生、なぜ。なぜですか? 最後になぜ?! 笑われたのですかーッ?)
彼女の『なぜ?!』という隠しきれない気持ちは、表情に出過ぎている。というわけで、ロイズはまた笑いながら口を開き、彼女へ言葉をかけた。
「君はとても優秀で、機転が利く賢さもある。真面目だね。そう、それが言葉の力に出ているな、と思って」
「こ、言葉の、ち……力、ですか?」
(褒めていただけているのか? それとも……)
「えぇ。そうです。チカラ、ですよ! んふふふ」
――それって、どう受け止めたらいいのぉー?!
彼女は両手で両頬を抑え、熱く赤くなる顔を隠すように下を向く。
温かい言葉に恐縮しつつ、恥ずかしがる彼女にロイズは微笑み、白く雪のような美しい手を伸ばす。
「はぁい、いい子、いい子♪」
「――にゃ!!」
(はっ、はぅぅぅえぇー?!)
突然のことに、戸惑う三日月。
そんな彼女を可愛がるようにホワイトブロンド色の髪を優しく、ヨシヨシと撫でながら、言葉をかけたロイズ。そのにっこりとした笑顔からのぞく瞳は、三日月を見守るように向けられていた。
――あれ? そういえば、怖く……ない。
他人に触れられることが異常なまでに苦手な三日月であるが、今は。
(むしろ安心する? 先生の温かい手は、なんだか)
「なつかし……」
「ん?」
「ぃあ……あのぉ……いえぇ、ぇぅ」
こうして。
「そうですか? それなら良いのですよ」
魔法科最高責任者である講師ロイズとの緊張の話し合いは、彼の優しい声と心遣いのおかげで無事に終わったのだった。




