08
「天使様?」
後ろから男の人の声が掛かる。
「はい。こちら、アマノ課長の天使様です」
ハヤシさんが私を手で指して、男の人の声に応えた。
振り返ると、社長さんだ。
「ワタナベリノと申します。アマノが大変お世話になっております」
そう言って頭を下げる。
「いや、こちらこそアマノ君には助けられています。そうか、君がアマノ君の・・・婚約者?」
「はい。そうです」
「え~と、そうか。聞いていた話よりとてもお若く見える。なるほど、天使か」
「スミマセン、天使は止めて下さい」
「あ、そうかそうか。アマノ君が呼ぶ分には良いけど、他の男が言ったら拙いか」
「あ、いえ、そう言う訳では」
「ところでどうだろう?ワタナベさんの天使の力でアマノ君をもう少しどうにかしてもらえないかな?」
「え?どうにかと言いますと?」
なんかこれって、ウカツに社長さんに答えたら、オジサンが危ないんじゃない?
「知ってる?アマノ君、何かあるとすぐに辞めるって言うんだよ」
「え?ホントですか?」
「ああ。転勤させようとしたら辞表出すし、転属させようとしたら辞表出すし、昇格させようとしたら辞表出すんだ」
「え?そんなに?」
「親戚の子の面倒を見なくちゃだからって、勤務に制限があってね」
「親戚の子って・・・」
もしかして、私の事?
「その話は採用の時に聞いていて、ウチが条件を飲んではいたんだけれど、もうそろそろその子も大きくなった筈で、条件も緩めて貰えないかと思ってさ」
「社長。それはワタナベさんに言う話ではないと思いますが?」
ハヤシさんが社長を止めてくれた。
「うん?だけどその子って、ワタナベさんの姪とかじゃない?そう聞いたけど?」
私の事だ。私をチイ叔母さんと勘違いしてるなら、面倒を見なくちゃならない姪って私だ。
そうか。オジサン、私の所為で出世出来なかったのか。
あれ?でもさっき、ハヤシさんはオジサンが出世頭だって言ってた気がする。出世頭って同期とか同年代とかで、1番出世してる人だよね?
「その件に付いては、アマノと話してみます」
「え?ワタナベさん?」
「おお!良いのか?頼んだよ。いやあ助かった。ワタナベさんにアマノ君の説得を引き受けて貰えて良かった」
「説得になるかは分かりません。もしかしたらアマノは退職する事になるかも知れませんので」
「え?なんでだい?」
「アマノはお金の為に、勤めていたのかも知れないと思ったからです。もしかしたら他にやりたい事があったのかも」
「いやいや違うよ?アマノ君は住宅を建てたくてこの会社に入ったんだから」
「え?住宅ですか?」
「そうそう。燃えない住宅を開発したいって言ってて、ウチは建材の開発もやってるから、アマノ君の望みにピッタリだろう?」
「でもアマノは、ビルは建ててるらしいですけど、大工さんじゃないんですよね?」
「あ、うん。そうだけど、ウチは住宅建築もやってるから」
「私、アマノの仕事に付いて何も知りませんので、アマノと良く話して今後の身の振り方を相談してみます」
「身の振り方?あ~、でも」
「社長。ワタナベさんの将来にも関わりますから、二人にはちゃんと話し合って貰うべきだと思いますよ?」
「うん。まあ、そうだけど」
「ワタナベさん。私はアマノ課長に辞められたら困りますが、アマノ課長にイヤイヤ仕事されるのも困ります。アマノ課長にイキイキ働いて貰える方向で、話し合って貰えると嬉しいです。こんなのでどうですか?社長?」
「あ、うん。そうだな。うん。ワタナベさん」
「はい」
「アマノ君は我が社に必要な人材なので、アマノ君には辞められると困るんだ。だから、アマノ君が辞めないようにして貰えると我が社も助かるので、話し合う時にそれを頭に置いておいて貰えると助かる」
「分かりました」
私がそう答えると、社長はホッとした様に笑った。
必要な人材って表現、そうでない人もいるみたいでちょっとだけど。
でもそうか。オジサン、会社に必要なんだ。
それでオジサン、仕事を制限しながら、やっぱり昔から私を助けてくれてたんだ。
社長を見送ってから、ハヤシさんにお礼を言った。
「ハヤシさん。さっきは助けてくれて、ありがとうございます」
「あ、いえいえ、社長が変な事を言い出して、こちらこそ済みませんでした。それに助けたって言うか、もしアマノ課長が独立するなら、私も雇って下さいね?」
「え?会社、辞めちゃうんですか?」
「アマノ課長に辞められて、1番困るのは私です。他の人が課長になっても、アマノ課長の様には中々いかないでしょうし、そのしわ寄せは課員に来ます。外部委託すれば会社としては問題ありませんが、外部との調整が必要になるので、私達の仕事は増えますし。丸っと外部委託して課が無くなれば、今貰ってる資格手当もなくなるでしょうから、正直お給料が減ります」
「なんか、たいへんですね?」
「大変です。普通に資格を生かした転職を考えるケースです。転職するならアマノ課長の下が良いのは本音なので、もし独立する話が出たら私の事を課長に売り込んで下さい」
「独立って、どんな会社になるか、お給料はいくらか分からないのに、良いんですか?」
「条件があまりに酷ければ、私からお断りしますから大丈夫です」
「それはそうですね」
「それに私はワタナベさんのファンにもなりましたので、アマノ課長に手を出したりしませんから、安全で安心ですよ?」
「あ、はい」
「その節には是非、前向きにお考え下さい」
「はい」
ハヤシさんって、周りにいなかったタイプの女性だな。
ファンになったって言ってくれたけど、私の方がファンになりそう。
だってオジサンと一緒に仕事してて、オジサンに信用されてそうだもんね。
もし私がオジサンと一緒に仕事をするなら、ハヤシさんみたいな人になれば良いんだろうな。
「タカヒロの婚約者って言ってるのはあなた?」
その声に振り返ると、さっきオジサンの腕を引っ張って行った女の人が、私の後に立っていた。
あまりバーベキューに合わない格好をしてる。あんな高そうな服、臭いが付きそうだから私だったら着て来れない。ハイヒールだってクルマで来たんだとしても、駐車場からバーベキュー会場まで歩いて下りてくるのは大変だったんじゃないかな?帰りは上れるのかな?
その女の人は腕を組んでアゴを上げて目を細め、ハヤシさんを見ていた。もしかしたら睨んでるのかも?
その人はアゴと視線を下げてハヤシさんの事を顔から下の方に見ていき、足下からまた上に戻って顔を見て、アゴを上げた。
「今度はずいぶん毛色の違う婚約者を選んだのね。分からないわ。チヅルと全然タイプが違うじゃない」
チヅルってチイ叔母さんの事?
確かにこの人、チイ叔母さんとおんなじ様なお化粧と、チイ叔母さんが好きそうな服装だ。
服はチイ叔母さんのより全然高そうだけど。