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それでも、お祖母ちゃんの言葉は絶対だ。
僕はオサキを懐から出した。野生動物を村に連れて行くわけにはいかない。人に慣れてしまって車に轢かれたり駆除対象になってしまったら可哀想だ。山の生き物は山に返すに限る。
僕はオサキを地面に置き、無言で手を振った。オサキは追いかけてきたが、放っておいた。
山を降りて塞の神の祠辺りにつくと、オサキの姿は消えていた。
村まで辿り着くと、子供の頃の記憶を頼りにお祖母ちゃんの家まで帰ることができた。
お祖母ちゃんの家では僕が横室からいなくなったことで大騒ぎだった。
そして、不可解なことを聞いた。お祖母ちゃんが亡くなったという知らせだ。
あの後、坑道で事故に巻き込まれたのかと思ったが、お祖母ちゃんの遺体は昼間に畑で見つかったそうだ。詳細は教えてもらえなかったが事故死だったそうだ。葬儀の時、棺には釘が打たれていて中が見られないようになっていた。地域の習わしでお焼香の代わりに豆腐を食べさせられて驚いたけど、それ以外は普通の葬儀だった。
お祖母ちゃんの遺骨は火葬されたその日に納骨まで済まされた。
慌ただしい空気が落ち着いた頃、僕は改めて考えた。
坑道で会ったお祖母ちゃんは幽霊だったのだろうか。オサキとは何者だったのか。もしかしたらオサキは死神みたいなもので、お祖母ちゃんを死の世界へ連れて行ってしまったのではないか。しかし、それにしてはお祖母ちゃんの雰囲気が終始柔らかかった気がする。
悶々と考え込んでも答えは出ない。僕は思い切って、家長である彰伯父さんに尋ねてみた。
「オサキって何だか知ってますか?」
彰伯父さんは怪訝な顔をしていた。
「誰かに何か言われたのか? うちの屋敷神は田の神の眷属の狐だ。オサキじゃないぞ」
不機嫌に言われて、不安になる。彰伯父さんはオサキのことを知っていて、悪い印象を持っているようだ。しかし、僕にはオサキの話題がなんで屋敷神まで飛躍したのかわからない。
「最近、お祖母ちゃんに聞いたんですよ。坑道にオサキがいるって」
自分の経験をそのまま言うわけにもいかず誤魔化してそう言うと、彰伯父さんは少し考え込んでから口を開いた。
「山のオサキのことか? 山の眷属だから賽の祠より下には出てこないって聞いたなぁ。賽の祠を境に山の神と田の神の領域に分かれているから」
賽の神は道祖神と同じ神様だ。厄災が村へ侵入しないように防いでいると伝えられている。ということは、オサキは山から来る厄災ということだろうか。
「オサキって山の妖怪なんですか?」
先日、目の前にしていたオサキという生き物の正体。あの愛らしい見た目とは裏腹にとんでもないものなのかもしれない。
「妖怪というより憑きもの筋だな。ここいらの伝承では、オサキは里に下りると人に憑くと言われている。狐憑きとか犬神憑きと同じでオサキ憑きになるんだ。オサキ憑きの家は富を得るけど不幸になる。昔は噂が立つと村八分にされることもあったよ」
だから先ほど彰伯父さんの口から“屋敷神”という言葉が出たのか。彰伯父さんがオサキを嫌悪する理由も理解できた。
そして、あの山のオサキが僕の懐に入ってきた理由も………。
あのまま一緒に山を降りてしまっていたらどうなっていたのだろうか。薄ら寒い空気を感じて、背筋が震える。
「お祖母ちゃんは坑道の……山のオサキと何か関係があったんですかね」
坑道にいたオサキは山の者だから、まだ里に降りていないし人に憑いて悪さをする状態ではなかったはず。では何故、オサキたちはお祖母ちゃんと一緒にいたのか謎が深まる。
考え込んでいると、彰伯父さんが口を開いた。
「この村では祖先の魂は山に帰るって言われている」
唐突な話に面食らう。そして、彰伯父さんは続けて言った。
「この村の者は、死んだらオサキと同じく山の者になるんだ。祖母ちゃんは自分の死期を察してたのかもしれないな……」
しんみりとした声で彰伯父さんが言った。それは先ほど僕の誤魔化しから生まれた齟齬だった。でも、僕の頭の中では腑に落ちた。
お祖母ちゃんは自分が死んでしまったと理解して、山の者に死後の案内をしてもらっていたところだったのではないだろうか。そんな場に僕が乱入してしまって、お祖母ちゃんはさぞ困ったことだろう。
「あの……もしかして昔この村に一郎さんと二郎さんと一二三さんっていう三兄弟がいましたか?」
恐る恐る聞いてみた。すると彰伯父さんは驚いた顔をした。
「ああ、村にいたけど。よく知っているなぁ。一二三さんが亡くなったのなんて二十年以上は前だぞ」
僕は遣る瀬無い気持ちで「お祖母ちゃんに聞きました」としか言えなかった。
万緑の山々を見渡して、僕はこの村について考えた。
村で亡くなった人たちは山の者になる。
三方を山に囲まれたこの村は、常に代々のご先祖様達に見守られているのかもしれない。
自然豊かで歴史ある素晴らしい村だと思う。人々の営みが、繋がりが、末長く続いてくれることを僕は願った。