分岐A 2)Badend
僕は反射的に加奈子の手を引いて走り出した。
加奈子は驚きつつも付いてくる。用心するに越したことはない。
僕は思い切って駆け出した。
ガンッ……
直ぐ背後で鈍い音がした。
後ろを走っていた加奈子が僕の背中にもたれかかる。
驚いて振り返ると、加奈子の右足が鮮血に染まっていた。
アスファルトには真っ赤な血の付いた竹槍が落ちている。
「加奈子……」
何が起こっているのか、直ぐには理解できなかった。
どうしてこんな所に竹槍があるのだろう。
まさか、もしかして、僕がさっき物見櫓の上に見た光は……。
「……大丈夫…掠っただけだから………」
加奈子はそう言ったが、どう見ても大丈夫ではない。
太ももの肉を竹槍に抉られてしまったようだ。
これでは走ることも出来ない。
傷口からは吹き出すように血が流れている。止血を思いついたが出来るわけがない。そんな時間はない。
僕は選択を誤ったのだ。間近に殺人鬼が迫っていた。
僕は意を決して加奈子を背負い全力で走った。
村の出口は直ぐそこだ。背後から迫る足音に急かされ、ただひたすらにゴールを目指す。
暫くすると、加奈子の身体から力が抜けた。意識を失ってしまったようで、話しかけても返事が返ってこない。
道の先は暗闇が続いている。しかし、恐怖しているヒマはなかった。後ろから迫ってくる足音の方が数段怖い。
500メートルほど走っただろうか、狭い車道を阻むように一台の車が止まっていた。
とても見覚えのある車だ。車の脇にはこれまた見覚えのある男性が立っている。
「……父さんっ!」
ありったけの大声で呼んだ。すると直ぐに返事がくる。
「直樹と…加奈子ちゃんか……」
名前を呼ばれてホッと胸を撫で下ろす。間違いなく父だ。
「父さんっ! 早く加奈子を病院に連れて……いっ……」
僕は台詞を言っている途中で、口が動かなくなった。開いた口が塞がらない状態だ。視線がある一点に釘付けとなる。
何故、父の手に竹槍が握られているのだろう……。
「直樹、加奈子ちゃんをこちらに渡すんだ」
そう言って、父は無表情に竹槍を構えた。その冷たい口調はまるで別人と話しているようだ。
「待ってよ、父さん……加奈子をどうするつもり?」
殺人鬼の正体は父なのだろうか。理解できない。
「その傷では助からないだろう。楽にしてあげた方がいい」
父は静かな声で言う。信じたくない、信じられない。
自分の知っている父親の発言だとは思えない。
何が父をここまで変えてしまったのだろう。
「冗談は辞めてくれ……」
僕は父から逃れるように後ずさった。
その瞬間、加奈子の足を支えていた手が血で滑りバランスが崩れた。僕は加奈子を抱きしめてへたり込む。
ここまできて加奈子を見捨てられるわけがない。
「……直樹、その娘を渡しなさい」
今度は背後から声がした。
そういえば、殺人鬼は物見櫓の上にいたはずではないのか。
目の前には竹槍を構えた父、背後からは女性の声。
恐る恐る振り返ると、そこには母の姿があった。
「ごめんね。暗くて貴方達だって分からなくて。竹槍が直樹に当たらなくて良かったわ……」
そう言う母の手にも竹槍が握られている。僕の理性は完全に吹っ飛んだ。
「何やってんだよっ!!」
無意識に怒鳴りつける。まさか、二人で村人を殺し回っていたのか。
殺人鬼は僕の両親で、僕の両親は殺人鬼で。
夢なら早く覚めて欲しい。
それともこれは現実なのか。
もし、現実なら……。
加奈子を殺してしまった方がいいのかもしれない。
先ほどから、無反応で体を預けてくる加奈子。
気を失っているようだ。
多分、今の会話は聞かれていない。
しかし、聞かれていない保証はどこにもない。
僕が今まで通りの生活を続けるには、両親が殺人鬼では都合が悪い。
直ぐには答えが出せなかった。
数秒が異様に長く感じる。
まるで思考の迷路を彷徨っているようだ。
しかし、それは唐突に打ち切られた。
車のヘッドライトが僕らを照らす。
蛇行した山道に赤色灯が並んで見えた。
僕が公民館から掛けた110番が功を奏したらしい。
警察は悪戯の可能性を考えつつも確認のために村まで駆けつけてくれた。
父の車の近くから返り血の付いた雨合羽と数本の竹槍が発見された。
雨合羽は車に常備していた物で、竹槍はお祖母ちゃんが害獣よけの柵を作るために裏山に用意していた物だ。
やはり、殺人鬼の正体は僕の両親だった。
最終的に、15名の村民が命を落としていた。
被害者リストの中には加奈子の両親の名前もある。
父と母はお祖母ちゃんの殺害だけ否認している。
僕と加奈子が畑へ向かった後、父と母も手伝うつもりで別の道から畑へ向かったそうだ。
二人は散歩しながらゆっくり向かった僕たちよりも先にお祖母ちゃんの死体を発見していた。
確かにあの時、父と母にお祖母ちゃんを殺す時間は無かったように思う。
それが事実なら、お祖母ちゃんは事故死ということになるのだろう。
高台の農道から転げ落ちて、畑に立ててあった竹に偶然刺さって死んでしまったのか。
それとも竜巻でも起こって裏山の竹を巻き上げ、運悪くお祖母ちゃんのいた場所に降ってきたのか。ファフロツキーズ現象なんて可能性もあるのかもしれない。非常に不可解ではあるが。
それより不可解なのは、遺体の第一発見者となった父と母の思考回路だろう。
父と母は祖母の遺体をひと目見て、まず犯人と疑われたらどうしようかと不安になったそうだ。そして同時に、何故か祖母の遺産のことが頭に浮かんだという。どうせ殺人の疑いをかけられるなら、実際に殺してしまおう。そして、遺産を全額手に入れてしまおう。短絡的にそう考えて行動してしまった結果が大量殺人。
つまり、二人の自供によると動機は遺産相続だというのだ。父の実家は元庄屋でそこそこの資産家だ。
二人兄弟の為、父は長男夫婦…つまり加奈子の両親が邪魔だった。
しかし、長男夫婦だけを殺せば直ぐに自分たちへ容疑がかかる。だから無差別殺人に見せかける為、無関係な村人の命まで狙った。
まさかそんな理由だったとは、発想が飛躍しすぎだと思う。事件時の二人の行動はこうだ。
まずは通報を遅らせる為に母屋の電話線を切ってから、家の近くにいた加奈子の両親を竹槍で刺殺。その後、無差別殺人を装うことを思いつき、一人でいる村人を狙って同様に刺し殺した。
そして、物見櫓から送電線に竹槍を落として断線させ、停電を起こして混乱を誘った。
父が路上で待ち伏せしていたのは、村へ出入りする人間を把握するため。そして、それらの人に紛れて第三者を装って警察の初動を撹乱するため。父が時間を稼いでいる間に母が証拠隠滅を図る手筈だったそうだ。
実際は証拠隠滅を図るため物見櫓の上にいた母が下にいるのが僕たちとは気づかず、竹槍を落としてしまった。そして、加奈子にとどめを刺してしまおうと考えているうちにタイミング悪く警察が到着して逃げ遅れてしまった。
今思えば、僕と加奈子はお祖母ちゃんの遺体を発見した後に父の車を母屋で確認している。
あの時きっと、加奈子の両親は……。
こうして事件は一応、解決した。
何故、お祖母ちゃんは僕たちが訪ねたあの日あの時あの場所で亡くなってしまったのだろう。
僕にはどうしても、何か目に見えないモノの力の所為と思えてならないのだ。
父と母も、今までお金に執着した様子など全くなかったのに、急に遺産に目が眩むなんて理解しがたい。
動機についてもそうだ。お祖母ちゃんの死体の第一発見者になったからって、殺人鬼になる必要が本当にあったのだろうか。
容疑を反らすためだったとしても、無関係な村人を何人も殺す必要性なんて本当にあるだろうか。
事件前は穏やかな人たちだったのだ。あの村で何かに取り憑かれたとしか思えない。
大体、あの短時間で15人もの人間をたった二人で殺せるものだろうか。
これについては警察も疑問に思っているようだ。あの惨劇に便乗犯がいた可能性は高いとされている。でも誰が犯人かは見当もついていない。
そして肝心の父と母が、当時は無我夢中で何人殺したか厳密には覚えていないと証言している。
加奈子はあのあと直ぐにパトカーで病院へと運ばれて行った。
数日は生死の境を彷徨ったが、回復したと聞いている。
実際、いつまで経ってもこの事件の警察発表は被害者15人のままだ。
事件から一年。
僕の生活は落ち着きを取り戻しつつあった。
慈善団体の紹介で、他人の家に養子に入ったのだ。そして、名字を変えて名前を変えて別の土地で夜間大学に入り直し、働きながら通っている。
僕は今、一年前に思い描いていたものとは全く別の人生を歩んでいる。
加奈子には事件以来会っていない。
会えるわけがない。
自分の両親が彼女の両親を殺し、彼女自身にまで大怪我を負わせたのは紛れもない事実だ。
それにあの時、パトカーの到着が少しでも遅れていたら……僕は殺人の共犯になっていたかもしれない。
何故、僕は迷ってしまったのだろう。
自分の浅はかさに反吐が出る。
この罪悪感はいくら時間が経とうと薄らぐ様子がない。
むしろ平穏な生活の中でどんどん膨れ上がる。
1人夜道を歩く度に思うのだ。
あの夜に聞いた、誰かの足音を僕は期待してしまう。
復讐に燃える殺人鬼が、眼の前に現れてくれることを……。
Normalendでは加奈子ちゃんが代襲相続することになりますね。Badendでは分家が相続放棄ですかね。