分岐C 2)Badend
僕はオサキを抱きしめた。
山道は整っているようだし、懐中電灯もある。三日月だが月明かりと星明りで割と遠くまで見える。
しかし、木々のざわめきは心を乱す。
そのままオサキを抱えて山を降りた。塞の神の祠を過ぎると、オサキが襟元から顔を出した。
「もし、お主の名はなんと申す?」
あり得ない場所から声がした。
襟元から僕を見上げるオサキ。口は動いていなかったのに、オサキの口から声が聞こえた。
驚愕で足が止まる。あり得ない。
「……………は?」
まさかと思って、辺りを見渡した。山道脇の草藪、目の前の大木の上、通り過ぎた背後、どこにも生き物の気配はない。
「名を聞いておる」
不機嫌そうな声が聞こえた。不気味な事象ではあったが不思議と恐怖はない。会話が成り立つ相手という一点だけで僅かに平静が保てている。
「大島 直樹……」
名を名乗ると空かさず声が上がった。
「大島の分家か?」
一瞬、意味がわからなかったが数秒考えて理解した。
「えっと…、多分そう」
本家は彰伯父さんが継いでいるはずだから、うちは分家なのだろう。
僕が頷くと、途端にオサキの機嫌が良くなった。
「村の者ではないな? どこから来た?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「東京から」
そう答えると、オサキは愉快そうに目を細めた。
「では我を連れ帰ると良い。我は貴様の手に拠って山神の眷属から外された。里で貴様一族の繁栄を約束するぞ」
オサキは元気よく宣言をして、僕の肩に飛び乗った。
オサキを連れて山を降りると、子供の頃の記憶を頼りにお祖母ちゃんの家まで帰ることができた。
お祖母ちゃんの家では僕が横室からいなくなったことで大騒ぎだった。
そして、不可解なことを聞いた。お祖母ちゃんが亡くなったという知らせだ。
あの後、坑道で事故に巻き込まれたのかと思ったが、お祖母ちゃんの遺体は昼間に畑で見つかったそうだ。詳細は教えてもらえなかったが事故死だったそうだ。葬儀の時、棺には釘が打たれていて中が見られないようになっていた。地域の習わしでお焼香の代わりに豆腐を食べさせられて驚いたけど、それ以外は普通の葬儀だった。
お祖母ちゃんの遺骨は火葬されたその日に納骨まで済まされた。
オサキは僕以外の人に見えていないようだ。父も母も村の人達も僕が連れ帰ったオサキを気に留める様子はない。
東京に帰るため村を出る時、オサキも車に載って僕の隣りに座った。
オサキは窓の外を眺めていた。そして、物見櫓の脇を通ったとき徐ろに語りだした。
「知っておるか? 村の入り口に4つの石塔がある。三日月塔と道祖神と牛頭天王と庚申塔じゃ」
僕は通り過ぎる4つの石塔を横目に、首を横に振った。すると、オサキが暗い顔で語り出す。
「御役三病と言ったか。疱瘡、麻疹、水痘。その中でも疱瘡は毎年のように村で流行っていてな。山伏が見兼ねて村の入り口に牛頭天王を置いたんじゃが。これが精強で……強固な関となってしまった。村に厄災を入れないと同時に村から厄災を出さない」
僕にはオサキの言葉がよくわからなかった。御役三病は江戸時代の言葉だったような。思い出して、あの石塔は昔の厄除けのおまじないってことくらいは理解できた。
「庚申講によると、人は産まれた時から三尸虫という3匹の実体のない鬼を体内に持っている。こいつらは宿主が死なないと自由に動けない。だから人を早死させようと病気や事故を呼び込んで手を尽くすという」
急にオサキの話が飛んで、僕は理解を諦めた。さっきの石塔に庚申塔が混ざっていた気がするが、関係あるのだろうか。
「宿主が死に、自由になった三尸虫は鬼となって世に放たれる。しかし、この村の牛頭天王は村で生まれた鬼を外へ通さない」
そういえば、さっき牛頭天王が関になっているって言っていた気がする。厄災を通さないとか。
「村には際限なく鬼が溜まっていく。村主の祓詞で今はなんとかなっておるが……」
オサキは長々と呟いていたが、耳慣れない単語が多くて僕の理解が及ばなかった。
「まあ良い。我の仕事はこれからじゃ。貴様の願いを叶え繁栄をもたらすぞ」
そう言うオサキは御機嫌だった。その様子を僕はカワイイなんて暢気に思っていた。
僕は繁栄なんて期待はしていなかった。繁栄に見返りが必要だということも分かっていなかった。
あの時、お祖母ちゃんの言いつけを守らなかったことを生涯後悔することになる。
お読みいただき、ありがとうございました。