エピローグ
それから世界は大きく変わっていく。
翌年の春、兄でありアルナーグ第二王子であるノキア・アルナーグは草原の国グラステップへ養子に出ることになり、その途中で消息を絶つ。
あの日図書室で交わした言葉を最後に、俺たちは和解することもなく長い別れをすることとなった。
彼が出発する日も顔を合わせることもなく、俺の心に大きな爪痕を残すことになる。
ノキアの消息が途絶えたといっても、俺が離宮から出ることは許されなかった。
その理由の一つはノキアの意を汲む者が多かったため、そしてもう一つは悪魔王と後に呼ばれる鉄の国ライハルトの王子のせいであった。
彼は近隣の国へ武力侵攻を行い、ノキアが向かうはずだったグラステップへ宣戦布告をする。ノキアの消息が途絶えたのは鉄の国が関係しているという噂もあった。
そしてライハルトの王子は、俺と同じ魔力の目を持っていないという噂が囁かれていた。
単なる無能の象徴としてしか見られていなかった俺の目は、彼の出現により一気にその意味合いを変えた。
ライハルトの王子の悪名が伝わるたびに、それは俺の悪評へと結びついていく。
まるで俺の存在がこの世界を悪い方向へと導くような風潮……、まあ、それでもその日までのんびりと離宮で過ごすことができたのだから良いとしよう。
結局俺は、それから七年もの間、離宮から出ることは叶わなかった。
そしてその日は突然現れる。
「ユケイ様ってちゃんと馬に乗れたんですね。正直疑ってました。体力が無さそうだからわたし心配です」
「ウィロット、不敬だぞ」
変わらず二人のやり取り。
馬上から憮然とした表情を向けるカインに、荷車の御者台に乗せてもらっているウィロットはなんの気にもかけないかのような表情を見せた。
俺もウィロットも、もう18才になった。
季節は春、俺たち一行は王都アルナーグを出て「春を寿ぐ街道」を使い、国境の街リセッシュに向かっている。
街道を走る風は微かに冷たく、しかし春の暖かな日差しは旅立ちには申し分ないだろう。
「アセリアも来ることになってしまってすまなかった……」
「いいえ、もちろんかまいません」
「けど、今年も武装商隊に同行することを楽しみにしていたのに」
「あら、わたしが楽しみにしていたのはユケイ様のお役に立てるからですよ。テティスがいますから、わたしの役目は彼女が十分果たしてくれます」
彼女の表情は変わらず穏やかだ。
彼女はあの後、毎年武装商隊遠征へと同行していた。どうやら彼女は旅の空気が合っていたらしく、今回の件にも率先して同行を申し出てくれた。
「しかし、エナ王子も勝手なものですな。何年にも渡って離宮に閉じ込めたかと思えば、今度は打って変わってこの仕打ちとは……」
アゼルは今回のことに対して、全く納得がいってないようだ。それでも付いてきてくれるのだからありがたい。
「お兄様は常に俺の味方だ。きっと今回のことも俺のためを思ってのことだよ。正直俺は楽しみでもあるよ」
「何を呑気なことを……」
彼は数日、眉間から皺が取れることがなかった。
「まあいいじゃないですか。せっかく離宮から出られたんですから!きっとこれから楽しいことがたくさん待ってますよ!」
そう言いながら彼女は立ち上がり、俺たちが進む街道の先を指差した。
そんな旅行のような、気楽なものではないのだが……。
しかし、ウィロットの自信に満ち溢れた表情を見ていると、不思議とそんな気分になってくる。
不意に強く吹いた風がウィロットの赤みがかった明るい髪を激しく揺らす。
それに驚いたのか、彼女は慌ててスカートを押さえて座り込んだ。
初めて彼女を見たあの日、彼女は毒見に出された食事を目の前に、涙を流して震えていた。
その時の面影は、今は全くない。
俺はその時、彼女に命を差し出せと命令し、それはもちろん今も続いている。
このままで良いとは決して思っていない。だが、どうすればいいのだろうか?
「ユケイ様、何を考えてるんですか?」
「いや……。なんでもないよ」
「そうですか?それよりも、ヴィンストラルドのお城!楽しみですね!」
「楽しみ?そうかな?」
「ええ!だって、きっと美味しいご飯が出てきますよ!」
ウィロットは乱れた髪をかき上げ、にっこりと笑った。
若草の匂いがするような、とても眩しい笑顔。
「わたしはユケイ様の毒見役ですから!一生ユケイ様と同じ、美味しいご飯が食べられます!」
こうして才の無い貴族である俺と、毒見少女であるウィロットの、ささやかな子供時代は終わりを告げた。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
お話は「才の無い貴族と悪魔王」に続きます。
楽しんでいただけましたら、ブクマ、評価をよろしくお願いします!