毒見少女、走る ⅩⅢ
俺は早足で連れ去られようとするウィロットの腕を掴む。
普段力強く働いている彼女の腕は、服の上からでも震えていることがわかった。
心の奥から、怒りが噴火のように噴き出してくるのがわかる。
俺は持てる力の全てを振り絞り、ウィロットの体をめいっぱい引き寄せた。
不意に引っ張られたためか、アルカンスの手は簡単に外れ、俺の腕の中に飛び込んできたウィロットを力いっぱい抱き締める。
「カイン!アゼル!こっちだ!!」
カインが俺の前に割り込み、遥か後方にはエナから預かった兵に呼びに行ってもらったアゼルの姿が見えた。
「ユケイ様!!」
「ウィロット!怪我はないか!?」
「はい!」
彼女の体は予想外に小さく、この秋の寒い夜空の中、火鉢を抱いているかのように熱かった。
「ユ、ユケイ様!!」
カインの困惑した声が届く。
それもそのはずだ。彼にはおそらくウィロットもアルカンスも見えていないのだ。
当のアルカンスも、困惑した表情で立ち尽くしている。
彼にしてみれば自分たちの姿は見えていないと思い込んでいるはず。なのにウィロットを一瞬で奪われ、自分に向けて剣も向けられている。実際に彼らが見えているのは俺だけであり、アルカンス達がカインに向けて何か攻撃をすれば彼はなす術なくその攻撃を受けることになってしまう。
なんという凶悪な魔法だろうか、おそらく止まぬ風の補助もあってより強固なものになっているのだろう。
本来であれば発動した魔法の維持は高い集中力と体力が必要になる。それを乱してやれば魔法の効果は途切れることになるはずだが、このアルナーグの街ではそれは期待できないかもしれない。
であれば、やれることは一つだ。
「諦めろ、アルカンス!魔法は既に解けているぞ!!」
そう言いながら、俺はアルカンスと魔法を使っているらしき者の目をじっと見据える。
一瞬の沈黙の後、「クソッ!」という声と共にアルカンスの顔が憎々しげに歪む。
同時にカインが「おおっ!?」という奇妙な声を上げた。
「見えるか!?」
「は、はい!急に人の姿が!」
ほぼ同時に背後からアゼル達も追いついてきた。
「ウィロット!無事か!?」
「……はい、……無事です」
そう言いながらも、ウィロットは拗ねたような視線をアゼルに送る。
「な、なんだ、その不満そうな顔は?」
「……先程アゼル様はわたしを助けてくれませんでした」
「先程?なんのことを言ってるんだ?」
「……いえ、別にいいです」
そう言いながらもじっとりとアゼルを眺めながら、俺の影に姿を隠す。
状況を整理すれば、なんとなくだがウィロットが言いたいことは分かった。おおかた姿が見えないウィロットの横を、アゼルが素通りしたということだろう。確かにウィロットにはショックな光景だっただろうが、そこに文句を言うのは御門違いだ。
とりあえずウィロットが無事ということは、相変わらずな彼女の言動で十分理解できた。
「そんな話は後だ!アルカンスを捕まえろ!!」
「あっ、ユケイ様!あのひと魔術の門です!」
そう言いながら、ウィロットは今まさに杖を構えようとしている男の方を指差した。
魔法の効果が増強されるアルナーグにおいて、強い魔法を使う者は最大の脅威だ。
そしてその男が浮かべる不敵な笑み、おそらく魔術の門が発動する直前なのだろう。
俺は無意識のうちにウィロットの前に立ちはだかる。全身が石のように強張るのを自覚した。
しかし、男からの魔法は発動されることはなかった。
俺のすぐ傍を何か小さな物が空気を切り裂き、それは男の杖を持つ手を正確に捉えた。
悲鳴と同時に男の杖が宙を舞い、乾いた音を立てて地面に転がる。
カインが投げた投げ斧が、正確に男を捉えたのだ。
「街中で投げ斧を使う奴がいるか!」
カインが上げた武功に対し、アゼルは彼を叱責する。そして、纏った重い革鎧も物ともせずに放たれた矢の様に俺の横を駆け抜けた。
「アルカンス!下がれ!」
アルカンスの護衛であろう男がアゼルの前に立ちはだかる。
彼は短剣を抜くと、柄を右手で固く握り、左手で柄頭を押さえて突きを繰り出す。
体重の乗った強烈な一撃、しかしアゼルは合理的だった。
彼は男の攻撃を防ごうともせず、手にした両刃剣の腹を男の顔に向けて横凪に振り抜く。
本来なら腹を向けて剣を振る場合、刃を立てて振るのより数十倍の空気抵抗がかかる。その攻撃の速度も遅くなるし狙いも正確さを欠くはずだが、男の短剣がアゼルの体に届く直前に男の頭部を撃った。
短剣の攻撃はアゼルの体に届くが厚い革の鎧を突き通すことはできず、一方アゼルの強烈な一撃を頭部に喰らった男は、おもちゃみたいに横向きに一回転して地面に叩きつけられた。
アゼルが剣の腹で打ったのは、相手を殺してしまわない様にするための配慮だったのだろう。しかしあの様子とぐにゃりと曲がったアゼルの剣を見る限り、到底無事だとは思えないのだが……。
「わ……、かわいそう……」
腕の中に収まったウィロットが、俺の服の胸の辺りをギュッと握って呟く。
「全く……。いくら魔法の攻撃とはいえ、ユケイ様が従者を庇ってどうするのですか」
「仕方がないだろ?俺だって男の子なんだから」
「男の子……でしたら仕方がありません」
いつのまにかそばに来ていたカインがボソッと呟く。
「アゼル様ってお強いんですね」
「当たり前だ。この国で指折りの剣士だぞ」
「そうなんですね。あ、生きてる」
アゼルに叩きのめされた男は少なくとも息はあるようだ。
「アゼル様はそれくらいの力加減、ちゃんとしておられる」
力加減どうこうではなく、単に相手が丈夫だっただけのような気がするが。
そんなやり取りをしている間に、アルカンス達は続々と捕らえられていく。
ウィロットは特に怪我や乱暴された様子もなく、彼女が不用意に飛ばした天灯のせいで何件か小火が出たらしいが、どれも大事に至ることはなかった。
「えっ!?カイン様は捕まってなかったんですか?」
状況の説明を聞いたウィロットが、間の抜けた声をあげる。
どうやら彼女はカインがずっと捕まっていると思い込んでいたらしい。
「なんだ。だったら一人で脱出できたのに」
「……どうするつもりだったんだ?」
「爆発で倉庫ごと吹っ飛ばしてやればよかったです」
「……勘違いしていてくれて助かったよ」
「そうですか?けど、カイン様。これでわたしに一つ貸しですよ!わたしはカイン様のために頑張ったんですから!」
カインは何か文句を言いたげな表情を浮かべるが、最終的には深くため息を付いて「わかった」と答えた。
心なしか、表情が笑っているように見える。
「ウィロット、すまなかった……。ウィロットを危険な目に合わせたのは俺が余計なことをさせたからだ。許してくれ……」
「いいえ、ぜんぜん大丈夫ですよ。だってユケイ様が錬金術を披露されてたらユケイ様が誘拐されてたかもしれないです。だったらわたしで良かったです!」
いや、俺だったら誘拐されてないと思うんだけど……
そう言いかけるが、俺は言葉を飲み込んだ。
ウィロットはいつものように、屈託のない笑顔を浮かべる。
もしカインや母シスターシャが背中を押してくれなければ、俺はまだあの離宮の中にいただろう。その場合、今頃ウィロットはどうなっていただろうか……。
背筋に冷たい物が走る。
そんな俺を置いておいて、彼女の瞳は真っ直ぐに俺を捉える。
「ユケイ様が助けに来てくれるってわかってましたから!ええ、一瞬たりとユケイ様を疑ったりなんてしてません!」
そう言いながら、彼女は俺に抱きついた。
アゼルが何か言いたげな表情をするが、どうやら今は見逃してくれるらしい。
夜空からは天灯の姿はすっかりと消え、代わりに澄んだ空気の中満点の星空が広がっている。
それは前世で見慣れた形ではないものの、冬の星座が彩っていた。