毒見少女の憂鬱 Ⅷ
「あれ……?」
ウィロットがずっと肌身離さず着けていた木製のペンダント。それは先端が5つに分かれた、蔦の葉のような形をしていた。俺がそれを蔦の葉だと認識していたのは、そのペンダントの形が前世の家紋、例えば徳川吉宗の蔦の家紋と酷似していたからである。しかしそれは今、真っ赤に着色されていた。
「ウィロット、そのペンダント……」
「あ、はい。昨日赤い染料を少しもらったので染めました。色がはげてしまっていたので……」
「色が剥げていた?じゃあもともとそれは赤かったのか?」
「はい。亡くなったお父さんが子供の時に作ってくれたんです。わたしの家のそばに、この葉をつける木の森があるんです。秋になると真っ赤になって綺麗なんですよ」
木?蔦も確かに紅葉して赤くなるが、彼女は今確かに木であり森であるといった……。
「ウィロット!その話をもっと詳しくしてくれ!」
そしてそれから5日後。
俺とウィロットは、瓶にたっぷりの砂糖を用意することに成功したのだった。
「ユケイ様、この大量の砂糖はいったい……!?」
厨房の下働きが、今まで見たこともないような量の砂糖を見て目を白黒させている。
「今までの砂糖と少し風味が違うから、使い方に気をつけて。本当は砂糖に加工する前の、こっちの方が美味しいんだけどね」
俺はウィロットに促すと、彼女は茶色の液体がたっぷり入った小瓶を出し、みんなの前で蓋をあけた。
「これはもしかして、蜂蜜というものですか?」
「いいからちょっと舐めてみてよ」
下働き達は顔を見合わせあいながら、最後にその視線をアセリアに向ける。
「ユケイ様がおっしゃってるのです。どうぞ頂きなさい。甘くてとっても美味しいですよ」
アセリアはにっこりと笑う。
ウィロットは小さなスプーンで液体をすくうと、並んだ者たちの手に少しずつ液体を垂らしていった。光を受けたそれは琥珀色に輝き、ふわっとした花のような甘い香りを放っている。
「あ、あまい!」
「美味しい!それにとってもいい匂い!」
「すごい!甘いだけじゃなくって、すごく奥深い風味……。これはいったい何ですか?」
液体を口に運ぶと、それぞれの顔がパッと輝き、口々に感想を述べ始める。
「これは、イタヤカエデの液糖だよ」
俺の声を聞いて、一同はキョトンとした顔を浮かべる。
「イタヤカエデって、あのイタヤカエデですか?」
1人がキツネにつままれたような顔をしながら、ウィロットの胸のペンダントを指さした。
「そう、そのイタヤカエデ」
「ユケイ様、わたしは昨日言ってた呼び方の方が好きです。えーっと、『めぇぷるしろっぷ』でしたっけ?」
「うん、まあ……、それはちょっとね」
メープルシロップ。俺はつい昨日、この世界にない物の名前を口に出してしまった。
メープルシロップの作り方は非常に簡単で、イタヤカエデやサトウカエデの樹液を煮詰めるだけでできる。そして出来上がったメープルシロップをさらに煮詰めれば、メープルシュガーという砂糖を作ることができるのだ。
作り方は簡単だが、問題はその樹液の採取の仕方である。樹液自体は木に1センチほどの穴を開けるだけでポタポタと垂れてくる。しかし、その樹液が取れる時期は一年の中で数日しかない。
実際樹液の採取を始めたのは樹液が枯れる直前であったらしく、目一杯走り回って作れたメープルシュガーがこれだけなのである。
「アセリア、この砂糖でウィロットのミスは帳消しということでいいかい?」
「ええ、もちろんです」
「ネヴィルの機嫌をまた損ねることになってしまうかもしれないけど、このメープルシロップは将来絶対オルバート領に沢山の利益を落とすことになるはずだ。だから、その作り方を知っているウィロットを解放してやってくれ」
「ふふふ、仕方がないですね。ネヴィルのことはわたしにお任せください……。ウィロット、あなたはもう自由ですよ。家に戻って、来年はたっぷりメープルシロップを作って下さいね」
「えっ!?嫌です!」
「えっ!?」
予想外のウィロットの言葉に、俺とアセリアの声が重なる。
「わたしはユケイ様に一生ついて行くと誓いました!もしユケイ様がいなければ、わたしはこの屋敷で死ぬまで過ごし、家族も飢えてしまっていたでしょう。メープルシロップは家族が作ります。お休みもいりません!わたしは一生ユケイ様のおそばで働きます!」
ウィロットは両手を腰に当て、フンス!フンス!と鼻息を荒げながらアセリアに言い放った。
「わたしは自由なんですよね?じゃあ今後はユケイ様の身の回りのお世話はわたしがします!アセリア様はネヴィル様のお相手をしてあげて下さい」
「ウィロット、そんなこといっても俺もいつまでもここにいる訳じゃないんだぞ?」
「……?そんなこともちろん分かってますよ。ユケイ様の行くところでしたらどこへでもついて行きます。だって何でも出来るユケイ様はとても『重要なお方』ですから……」
彼女は俺に、勝ち誇ったような笑顔を見せた。
「毒見は一生必要でしょ?」
彼女の表情にはもう、憂鬱さの影は微塵も感じられなかった。